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命を守るための「まごころ地蔵からのメッセージ」

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地蔵の一言・・・・この世の中、いいことばかりではありません。むしろマイナスの出来事の方が多いのです(中には何もない方もおります)。そんなマイナスの出来事に遭遇したりした時(または遭遇する前から)、それなりのプラスの「考え方」があなたを守ってくれます。下記の内容が少しでも参考になれば幸いです。この世はあなたの「考え方」によって「地獄」にもなり「極楽」にもなるのです。地獄と極楽は正に紙一重なのです。ましてや今の世の中、何がおきるか分からない時代です。少なくとも「プラスの考え方」というバリアで自分を守りましょう。

人生は何回でもやり直せます!!
もし変なことを考えているようでしたら、
考え直してみませんか。
GFIT法を実践してみませんか

心の病を患っている方々へ

人生には最悪の状況に陥(おちい)る場合があります。そうなった時、心が不調になる場合があります。最悪主にうつ病、神経症になります。治療しますが(中には専門医に行かない人もいます)、短時間ではなかなか治りません。そのため段々と不安だけが大きくなり最後に絶望する方もおられます。しかし、ここで考えてください。治療には時間がかかるということを(必ず治ります)。心の病に使用される薬は、消化不良の胃の薬と違います。薬物療法には時間が必要なのです。今あなたに最も必要なものは時間です。時間がすべて解決します。だから短気を出して自殺しないでください。今、おそっている大きな嵐は時間がたてば去っていきます。今、実行する作戦は「時間引き延ばし作戦」です。人生は闘いですから、それぞれの局面にはそれぞれに有効な作戦が必要なのです。※ 今、治療していない方は評判の良いメンタルクリニック等の専門医へ行って治療しましょう。心の病にはためらわずに治療作戦実行です。
今、死にたい___死にたい___死にたい・・・→そのうち嵐は去っていく 時間→

あなたは死んではいけない

人生、挫折してもいいんです。
人生、失敗してもいいんです。
人生、いっぱい悩んでもいいんです。
人生、いっぱい苦しんでもいいんです。
人生、いっぱい悲しんでもいいんです。
その時は、いっぱい泣いてもいいんです。
だって人間ですから。
しかし、あなたはそんな理由で死んではいけません。
あなたは人が苦しんでいる気持ちを理解できる人です。
あなたは人が悲しんでいる気持ちを理解できる人です。
あなたは人が悩んでいる気持ちを理解できる人です。
あなたは人が挫折や失敗をしたとき、その気持ちを理解できるひとです。

そんなあなたは人間の本当のやさしさを持っている人なのです。
だから死んではならないのです。もし、死んでしまったらこの世の中は冷たい人間だらけになってしまいます。

長く生きて多くの人の相談相手になってください。いろいろな問題で苦しんでいる人の力になってください。あなたにはその資格があります。そんな資格を持った人間は絶対に死んではならないのです。

・・・ 命を大切に!

人生は何回でもやり直せます!!
もし変なことを考えているようでしたら、
考え直してみませんか。
GFIT法を実践してみませんか

「若者よ、そんなに早く死ぬ結論を出すな!」

生きる意味が分からない、自分の存在価値が分からない、命の実感がない、生きるがわからない、生きていることが空しい、などと考えている若者よ、こんなことで死を急ぐなよ。

提案したい。死ぬ根性があるならば、せめて死ぬ前に肉体労働を徹底的に一年間やってみよ。汗をかいて肉体がくたくたになるまで働いてみよ。それからでも結論を出すのは遅くないはずだ。今まで分からなかったなにかが分かるかもしれない。いままで見えなかったものが見えてくるかもしれない。

今与えられている仕事を徹底的にやってみよ。問題意識をもって取り組んでみよ。何も考えずに、「今」だけを大切にして仕事に集中してみよ。一生懸命やれば汗が出てくるかもしれない。仕事の改善点があったら積極的に提案してみよ。しばらくの間、口にチャックをして、とにかく行動してみよ。何かが分かるかもしれない。今まで気づかなかったことを発見できるかもしれない。

働きながら世界一周してみよ。今まで得られなかったなにかを体得できるかもしれない。世界観が変わるかもしれない。人間観も変わるかもしれない。本当の自分を発見することができるかもしれない。それからでも結論を出してもけっして遅くはないはずだ。

問いたい。なにか今まで、徹底的になにか目的を持ってやってみたことがありますか?あったら教えてください。徹底的にやってみた結果こういう結論になりました。というのであれば少しは分かる気がする。徹底的になにかをやったこともないのに、のうがきだけ、たれているのではないでしょうね。

若者よ。まず、なにかを徹底的にやってみよ。エネルギーはあるのだから。そこから結論を出そうではないか。

自分で死刑判決を下すな!

あなたは刑法の死刑を知っていますか?
あらゆる角度から審理され、極刑以外に考えられない場合に適用される刑罰です。

あなたは死刑にあたる悪いことをしたのですか。おそらくしていないでしょう。自殺は自分で自分を死刑にすることです。あなたは極悪人ではないので死ぬことはありません。あなたには死ぬ理由がないのです。死ぬ理由がない人は死ぬ必要はありません。死ぬ理由もない、死ぬ必要もないのに死ぬことはありません。そのことに気付いて下さい。死刑判決は極悪人でいいのです。あなたの判決は「やり直しなさい」なのです。

あなたは苦しいから「死んだ方が楽だ」という理由で死を考えていませんか?そんな短絡的な考えは即刻捨てて下さい。所詮人間、生きることは苦しいことなのです。苦しいことはあたり前なのです。あなただけではないのです。生きていれば様々な問題にぶつかる方が多いのです。しかし、この問題を解決していくところに人生のおもしろ味があり、人間的成長があるのです。逆に何の問題もなかったら何の成長もできません。問題点はあなたを磨いてくれる砥石みたいなものです。あなたを人間的に磨いてくれるものが他にありますか。だから、今、抱えている問題から逃げないで、 この問題をやっつけて下さい。自分でやっつける気力、体力がなければ人に相談して、人からやっつけてもらって下さい。「生きる方法」はたくさんあるはずです。一人で悩まないで人にすがって下さい。このことは恥ずかしいことでも何でもありません。何が何でも「生きる」決意をして下さい。最大の問題は今、あなたが抱えている問題より、あなたの心の中に住んでいる「もう一人の弱い自分」が最大の問題です。今、抱えている問題に勝つより先に「もう一人の弱い自分」に勝って下さい。「弱い自分」に勝つ方法は「今、抱えている問題と闘う!」ということを決断するだけで いいのです。このことを省略して短絡的に自分で自分を死刑判決にしないで下さい。

絶望に直面したら正しい信仰の門をたたく道がある】

科学が進歩すればするほど「神仏」を信仰することから遠ざかります。その理由として信仰は科学的でないからです。科学的に証明されていないものは信用出来ないのが現代の風潮です。一般的に「政治と宗教の話はするな」というのが常識になっています。それはなぜか? それは「嫌われるから」です。特に宗教の話はタブーとなっています。哲学的な話は「頭が痛い」とまで言う人もいます。これは自分が分からないものは「頭が痛くなるから」です。このように「神仏の世界」は一般的に嫌われています。要は、人間は哲学的なことは苦手(にがて)ということになります。一般的な教育課程では哲学的な学問はないので頭が慣れていないということも原因として考えられます。実は宗教を批判している方は人生の中で行き詰る、すなわち絶望というものに直面した経験がない方がほとんどではないでしょうか。まあ、こんなものに直面しないほうが本当は良いのですが、中にはどうしてもそういう絶望に遭遇する場合もあるのです。その時に「信仰」というのが未来を切り拓くということもあります。それはなぜなのか? をここで説明したいと思います。逆に宗教に批判的で嫌いな方は、今、幸せな方ということも言えます。

ここではっきりしているのは「神仏の世界」は科学的でないのは明白です。神仏の存在を科学的に証明した人物はいません。また、神仏を目撃した人や会った人もおりません。それなのに人間の世界には様々な宗教が存在しています。不思議だと思いませんか? それではこの神仏の世界は何の世界なのでしょうか。なぜ人間界に存在しているのでしょうか。そんなことを言うと「葬式のために必要だ」という方が必ずいます。それではなぜ葬式に必要なのでしょうか、ということになります。なぜ非科学的な神仏の世界が葬式に必要なのでしょうか。そうするとかならず「儀式に必要だから」と答える方もいます。ごもっともな答えだと思います。簡単に言うと答えは、人間は「あの世」の存在を肯定しているからです。なぜ肯定しているのか? それは「死」が一巻の終わりではなく、天国や極楽という「死後の素晴らしい世界」へと旅立つことが出来るという永遠の命へとつながる「希望」を見いだすことが出来るからなのです。

次に人間は「霊的な生き物」としての位置付けがあります。「霊的」というのは科学では証明できない世界です。この世界は一つのロマンの世界です。「霊的な世界」すなわち宗教は一つの未知のロマンの世界なのです。ここに人間が絶望したときに一つの救いというのがあるのです。一つの未知のロマンの世界は現実世界にいる人間の思考力の壁を超えた世界ということになります。

普通私たちは働いて給料をもらってそれで生活しています。しかし、何らかの問題が起きて悩んでしまって、その生活が普通にできなくなる場合があります。すなわちそれは大きな絶望という「壁」に直面して「苦」という感情に支配されてしまうのです。そうなった場合人間は自分の手持ちのアイデアでその「壁」を突破しようとします。中にはその手持ちのアイデアでその壁を破壊出来ることもあります。しかし、手持ちのアイデアではどうすることも出来なくて途方に暮れることもあるのです。中にはそのことによって心の病になり最悪自殺する方もいます。要は己の観念の世界で問題解決できなくなったその結果が最悪自殺ということなのです。ここで重要なことは「己の観念」ということです。己の観念というのは限界があります。その限界に行き詰り問題解決の答えを見つけることができなくなって最悪自殺ということになります。このところをしっかかりと押さえておいてください。

それでは先ほどのところで重要として記した「己の観念」の中の「己」を「一つの未知のロマン」すなわち「神仏」に置き換えてみてください。そうすると「神仏の観念」になります。ここで何を言いたいのかというと「己」ではどうすることも出来なくなったときに「神仏の観念」を自分の頭に注入すればいいということを言いたいのです。そうすると問題解決のアイデアが広がるのです。要は己の限界の壁を破れば救われるということです。

ところが冒頭に記したように現代は神仏を嫌う傾向が強いので思い切って神仏を信仰するということに抵抗を感じている方が多いのです。そのために信仰を見出すということができにくい環境です。しかし、本当に絶望した場合、そういうまわりの言動や一般的な考え方に支配されないで思い切って正しい信仰を見出しましょう。この道を見出すことが出来れば命はつながります。あなたを幸せにするのは絶望を経験したことがない世間の一般の方々ではありません。あなたを幸せにできるのは「あなた本人」しかいません。あなたが幸せになるには今の観念を打ち破り新しい観念を注入するしかないのです。古い自分は捨て去り、新しい自分に生まれ変わらなければならないのです。その一つの方法が正しい信仰の門をたたくことです。人類の歴史上には多くの偉大な先人が切り拓いた宗教が存在しています。その先人が汗と涙と血と命をかけて切り拓いた「神仏の観念」を勉強することがあなたの未来を切り拓く可能性を大きくします。「己の観念」を「神仏の観念」にチェンジして人生の行き詰まり、すなわち絶望を突破出来ます。人生の中で絶望を経験していない方がいろいろと言っていることに惑わされてはいけません。

※注意・・・ 宗教の中で、人の弱みに付け込んで多額のお金を要求するところはやめたほうがいいと思います。そういうところは「人助け」が目的でなく、お金が目的だからです。明らかに悪徳宗教です。健全なところは多額のお金を要求しません。

【自殺を防ぐ一つの方法】

(死への回避)・・・・絶望、即自殺をするな!! 0.0001ミリ進む勇気があなたを救います。

絶望に直面したら信仰のスイッチを入れろ!!

信仰のスイッチ

スイッチオンまで、0.0001mm近づいてもスイッチは入らない。このわずかな距離を進むためには「信じる」決断をすることです。そうすると人生は前進のスイッチが入ります。
わずか0.0001mm進んでスイッチが入れば人生は大きく前進します。この決断が最悪の局面を変えます。

自殺を防ぐ一つの方法・・→信仰を見出すこと・・→なぜか・・→己の観念の壁を打ち破り、神仏の観念の世界へ(一つの未知のロマンの世界へ)= 人生を前進させてくれます・・→「考え方」によってどうにでもなる世界へ

己の観念の壁を打ち破る具体的な方法・・→信じることです(ただし、正しい教義等)

※なぜ信じれば救われるのか 信じたことによってあなたの観念の壁が打破されたことになるからです。すなわちあなたが正しい教義等を受け入れたことによってあなたが前向きな心の姿勢を獲得したからです。人間一年生になったつもりでこれから勉強していこうという心の姿勢になったのです。ですから「何を信じるか」ということによってあなたの人生は決まります。宗教を悪用したものに出会った場合、もし仮に邪悪な教義を信じてしまうと、とんでもない方向へ行ってしまいます。だから「何を信じるか」は最重要です。今、世界を混乱に陥れている「イスラム過激主義等」は神を悪用している典型的な考え方です。正しい信仰は人間の感情の「愛」の領域を拡大します。「憎悪」を拡大する教義は危険です。最終的に破壊をもたらします。くれぐれも何を選択するかは最大の注意を払わなければなりません。

【補足】・・・悩んだ末に己で新境地を切り拓ければ己の限界の壁は破れます。しかし、新境地に到達しないでいるとノイローゼ等になる場合があります。宗教を信じるということは何を意味するかというと、簡単に言うならば「先人が切り拓いた新境地の世界へシフトする」ということなのです。人生の中での「新境地」は、あなたの前に立ちはだかる壁を爆発して破壊する高性能爆弾なのです。そのために前進出来ます。

【簡単な己の観念の壁を破る図】

※ 人生で最大の強敵は己なり。己に勝つか負けるかは重大な意味を持ちます。

正しい信仰は「愛」の領域を拡大します。

◎ 「主張について」・・・人間には己の考えをしっかりと最後まで主張出来る方と、出来ない方がおられます。それは性格的なところからきている場合がほとんどです。特に日本人は波風を立たせたくないということで主張を控える方もおられます。このように己の本当の主張が出来ない場合、内にこもるという場合があります。特にトップから理不尽な悪いことを命令された場合、本当は「私はそんな悪いことは出来ません。そんな命令は拒否します。それはあなたがやってください。私は出世しなくてもいいです」とは主張できません。しぶしぶやってしまって後で「悩み」自殺してしまうというケースも時にはあります。ですから本当に己が言いたいことを主張すれば「己の観念の壁」は破れます。しかし、それが出来ないと「内にこもる」ということになるのです。「いじめによる自殺」も内にこもることから起きます。ですから人生は己の本当の主張が出来ることは大切なことなのです。

※ 上司や権力者等の力のある者から自分の信念に反することを命令されたりしたら「きっぱりと断る勇気」は大切なことです。自分の信念に反することを受け入れたりすると、後でろくなことになりかねません。自分の主張を理解してもらうまで話し合いましょう。

◎ 「未知のロマンの世界について」・・・物事の新発見や発明は順序があります。例えば縄文時代から弥生時代に変わるときにいきなり「今のような高性能な自動車」が発明されたわけではありません。順序良くいろいろな新発見や発明でやっとたどり着いたのが現在の高性能の自動車です。人間は「神仏の観念の世界」を認めたことによってまったく新しい新発見や発明に出会うという場合もあるのです。それには順序が必要です。これは「前に進んだ結果」ということです。「己の観念だけの有限の世界」ではその順序を構築出来ない場合があります。要は「前に進む」ということが出来ないということです。ですから、「神仏の観念の世界」は一つの未知のロマンの世界ということになります。科学で証明されていない「神仏の観念の世界」は世界の多くの科学者等が「神仏の世界」を信仰している例もあります。

◎ 参考・・・科学の世界では・・・物質・・・分子原子原子核陽子と中性子と電子素粒子なぜ空っぽの宇宙に素粒子が存在しているのか?ビッグバン以前の宇宙はどうなっていたのか?なぜこの宇宙空間は存在しているのか? 究極の問いかけ・・・なぜこの宇宙は「無」ではなく、何かが「ある」のでしょうか? そしてそれは、最初は何だったのでしょうか? そしてそれは何から誕生したのでしょうか? そしてそれはなぜ誕生したのでしょうか?・・・・分からないことだらけなのです。

※ 注意・・・信仰がすべての問題を解決するわけではありません。心の病等の病気になれば評判の良いメンタルクリニック等の専門医に診てもらいましょう。抱(かか)えている個別の問題は各々の専門家等に相談して問題解決を図りましょう。信仰は人生の道しるべとなり、精神的な支えとなります(人生が瓦解しないように、人生全体を統合してくれる)。信仰への「過度の固執」は「憎悪」の感情を醸成し、小競り合いになり、最悪殺人に発展する場合があります。それはなぜか。それは「寛容」が失われるからです。

※ 宗教を信仰する場合の注意点
●のみ込まれない ●溺れない ●偏りすぎない ●狂信的にならない ●理性と感性と霊性のバランス感覚を失わない、の5点です。何を信仰するかはもちろん自由です。しかし、現実は世間の評判がよくない宗教もあります。くれぐれも注意して選択してください。この世の中は、悪徳業者がいるように悪徳宗教も存在します。入信する場合は、事前によく調査してからにしてください。

※ 本物の信仰とは?・・本物の神仏はお金が欲しいのではありません。信者の「真(まこと)の心」が欲しいのです。聖書や仏教の経典には「お金が欲しいとか、お金を喜ぶ」とは一字も書いてありません。邪悪な教義の宗教は神仏を悪用して「金(かね)」があなたを救うという嘘をついて金集めをします。まず、「金」の話が出てきたら「ほら来たな!!」と思ってそんな信仰は即刻辞めた方がいいです。ろくなことになりません。本当の信仰とは「気持ち(心)」なのです。悪徳宗教は金、金、金・・・なのです。

真の心はお金ではなく真の心=純粋な信仰心です。

あなたの本当の救い等はこれっぽっちも頭にありません。あなたをさも心配しているようなふりをします。だまされてはいけません。悪徳宗教は人間の弱みに付け込んで「金儲け」をするのです。苦しい時は「わらをもつかみたい気持ち」は分かりますが一呼吸おいて、入信する前に世間の評判や、信用できる団体等(例えば弁護士会)に聞いたりしてからにしてください。心に傷を負うと人間は苦しくなります。その苦しみは現代科学ではほとんど神経症として診断されます。下記にその病名を記しました。

●忙しくストレス等が増大する現代人が発症しやすい神経症の種類
・不安神経症 ・解離性障害(ヒステリー性神経症) ・強迫神経症(強迫性障害) ・社会不安障害(恐怖症) ・抑うつ神経症(気分変調症) ・心気症(心配性)

◎心の変調は「霊」が原因ではなく、上記のなかの何らかの神経症という心の病が多いのです。これらの治療は薬物療法と精神療法が有効です。まずは評判の良いメンタルクリニックや精神科の専門医を受診しましょう。

●これらの症状があると神仏を頼ったりしますが、悪徳宗教はその心の傷に「塩をすり込むかのような不安におとし入れる作り話や、様々な脅し文句」で一層苦しみのどん底にわざと突き落とします。挙句の果てに、さんざん苦しめておいて、その救いに金(法外な金額を明示)が必要だと言って騙(だま)しとります。この時、瞬間的に信者は騙されていることに気付きません。宗教っぽい作り話(これが悪用の典型)なのでなんの疑いも持たないからです。大きな声や、自信に満ちて真実らしい姿等に騙されるのです。ですから悪徳宗教からすると苦しんでいる人や孤独等何らかの問題を抱えている人は「いいカモだ」ということになります。

使用される言葉・・・因縁、先祖の霊、サターン、悪霊、因縁切り、不幸になる、病気や事故に遭う、最悪死ぬ等々。中には悪縁を切るためには信者を増やさなければならない等のようなことを吹き込みます。これらの言葉は弱っている心に入りますので、こんなことを言ったら即刻「ほら来たな!!」と思って即刻辞めましょう。これらはだましのテクニックなのです。霊、霊と霊を多用するところも要注意です。人間が霊に弱いことを知っていてそれを悪用します。

結論・・・あなたはいつもねらわれています。「いいカモ」にされない為にはあなたがしっかりしなければならないのです。悪徳宗教はあなたの「素直で純粋な信仰心」を逆手にとって「法外な高額の商品の購入を強要する霊感商法」と言われていることを実行する場合があります。商取引はどんな商品でも「売り手」と「買い手」が合意すれば取引は成立します。ですから、くれぐれも細心の注意が必要です。

人間が背負っているリュックサック

通称ブラックマンディー(暗黒の月曜日)と呼ばれている1987年10月19日の月曜日に、ニューヨーク証券取引所を発端に起こった史上最大規模の世界的株価大暴落で、アメリカ人の中に全財産を失って拳銃自殺した方がおられました。まずは本文に入る前にこの事件を頭に入れておいてください。

本文
人間誰しも背中に肉体とは別な荷物を背負っています。その荷物を一応ここではリュックサックの中に入れてあるモノとしました。ある人は莫大な財産、ある人は少額な現金、ある人は小金の現金、ある人は何も入っていないかもしれません。そんないろいろなモノを詰めて人間は生きているのです。全財産を失うとはこのリュックサックの中に入れていた財産がすべて無くなることです。そうすると背負っている荷物は軽くなります。リュックサックの中が空になったからです。上記にも記しましたが、ブラックマンディ(暗黒の月曜日)に全財産を失って拳銃自殺したアメリカ人は自分が背負っていたリュックサックの中が空になって、そのショックで自殺しました。しかし、ここでよく考えてください。リュックサックの中が空になったからといって自分の肉体が空になったわけではないのです。肉体はそのまま、生き続けているのです。ただ、背負っているリュックサックの中身のモノがなくなっただけです。このことに気付けば人間が肉体以外の何かを喪失したとき、大きなショックを和らげることが出来ます。「なんだ、肉体が残っているじゃないか」と残っている自分の命に気付くのです。そうすれば自殺を防げるのです。肉体を喪失したわけではないのです。ですから命さえあれば何とでもなるのです。空になったリュックサックの中に新たな価値あるモノ(目に見えないモノでもいい)を詰めて新たに生きて行けばいいのです。もしかしたら、目に見える価値あるモノも新たに詰めることも将来出来るかもしれません。それは努力次第ということになります。そこに生きる希望があるのです。ですから人生で大切なモノを喪失した時はこの「リュックサックの話」を思い出して命をつないでやり直しましょう。

参考文
「人生はたったの一回だ!!」

人生はたった一回しかありません。このことを心の底から解っていないと「今、生きていることの喜び」「今、呼吸できることの喜び」「毎日、三度三度のお飯(まんま)を食べられる喜び」「快便、快屁の喜び」「今、働くことが出来る喜び」等々の日常の当たり前のことが何の問題もなくスムーズに出来ることに感謝出来ません。人生は二回も三回もないのです。「たった一回」です。そのことを今から心に深く刻みましょう。そして今「存在していること」に感謝しましょう。
死ぬときに「私はやるだけのことはやった。後悔は何もない」という境地で死んでいきたいと思うのですが、皆さんはどう思いますか。親からもらった「命」をどのように燃焼させるのか。その燃焼法は誰も介入出来ない、あなたの独断選択事項です。今の時代生き方は自由です。ただし、魂が滅びる生き方だけはしないで、逆に魂が栄える生き方(=ポジティブな前向き、積極的な生き方)をしましょう。そうすれば今の世の中はやる気になれば何でも出来るということです。そんな良い時代に生きていることにも感謝しましょう。 人生を充実させて生きて行く方法として「死生観」を確立しておくということも大事です。この「死生観」が確立しているか、いないかは人生の最後には大きな差となって現れます。まだ、自分の「死生観が確立していない方は自分なりの「死生観を持つこと」をお勧めします。

【自殺願望の人だけが見るところ】

最初に読んでいただきたい文章

No.1 存在は幸福を生み、死は悲しみを生む

筆者

ある日突然、あなたに警察から「実はあなたの両親が乗っていた観光バスが、東名高速道路で大型トラックと衝突し、重大な事故に巻き込まれました。今救助作業を全力でしているところです」と電話がかかってきたとします。そうするとあなたは真っ先に「両親は今どうなっていますか、命は助かったのでしょうか」ときっと動揺しながら質問すると思います。それに対して警察は「今、全力で救助作業しているところで詳細は不明です。後で詳細が分かりましたらすぐにご連絡します」と言ってきました。あなたは突然の事故の知らせで目の前が真っ暗になり、今にも倒れそうになると思います。そんな状態のときに警察から「ご両親は大ケガをしていますが、命に別状はありません。近くの何々病院に搬送されました」と連絡が入ったとします。こんなことを聞いたとき、あなたは「よかった、よかった」ときっと思うに違いありません。「何はさておいても、まずは命が助かった。たったこれだけで心は安堵感と幸福感に満たされるでしょう。逆に「ご両親は前に乗っていて即死でした」と連絡が来れば、あなたは絶望感と悲しみのどん底に突き落とされるに違いありません。

このように家族は身内(または愛する人)がただ存在している(生きている)だけで幸福なのです。その逆の「死亡」は悲しみのどん底へと突き落とされるのです。もし、あなたが今、外で「自殺」を選択して死んだ場合、ご両親は警察から突然に死亡の連絡をきっと電話で受けます。そうなったときのご両親の気持ちは、上の文章から明確にお分かりになると思います。人間は何でもいいからただ生きている(存在している)だけで幸福感を与えることができるのです。あなたにはその力があります。

No.2 雲のごとく、水のごとく生きていくと・・・地獄が成長の一丁目一番地に変わる

曹洞宗(総本山は永平寺)開祖の道元さんは、修行僧の生き方は上記の表題(雲のごとく、水のごとく)のような生き方をしなさいと言っています。これを一般の人間にも当てはめることもできます。「雲のごとく、水のごとく」の意味は、簡単に言うならば「行く雲、流れる水のように執着のない自由自在な境地」という意味です。流れる雲は同じ形のものは一つもなく常に変化しています。また水は三角の器に入れればそのまま三角になり、四角の器に入れればそのまま、四角になります。なんの抵抗もなく、なんのよどみもなく自由自在に変化します。人生の中での思考も固定するものではなく、その時その時の状況により臨機応変に自由自在に変化して生きていきましょうということなのです。

人間の苦悩の根源は強力なコンクリートでガチガチに固まったような執着心です。自殺もその執着心から起こります。本来は柔らかく雲と水のような自由自在な心ですが、それを見失い、何らかの原因で「苦」に執着してしまい、そこから脱出できなくなり、苦しむはめになってしまいます(俗に言う、苦にすること)。その苦にとらわれた執着心から早く楽になりたいと思って脱出するために選択するのが「自殺の道」です。しかし、別な方法でその執着心を解き放せば思考の自由自在を得ることができます。すなわち生きる道が無数にあることに気づくのです。まさに雲のごとく、水のごとく生きていけるのです。

それではどうすればそれができるのか。あなたは今何らかの原因で自殺願望を抱くようになりました。生まれてから今の時間までの生きてきた価値を今までに考えたことがありましたか。きっとなかったと思います。すばり、考えたこともなかった今まで生きてきた時間に価値を見出せば、あなたは今の窮地から脱出できます。なぜならば、あなたはまったく新しい世界に入ることのできる扉の入り口に、今立てたからです。まったく新しい生き方ができる入り口に立てたということです。今まで順風満帆だったら新世界に入ることのできる扉の入り口には立てないのです。あなたは今立っている立ち位置をこのような考え方でとらえてください。そうすると今までの負の人生が無駄ではなかったことが理解できるのです。むしろ価値があったことに気づきます。そうすると突然に今までの苦の執着心は消える可能性が大きくなります。負に価値を見出せば人生は「雲のごとく、水のごとく」となります。

ちなみに曹洞宗の修行僧を「雲水」と呼びます。あなたもこれからは世の中道場の修行人間「雲水」になって生まれ変わり、人生のすべてのマイナスを「もろともしない人間」になってください。負の人生に価値を見出せば、あなたは大きく成長できます。まさに人生の地獄は「成長の一丁目一番地」に変化するのです。

苦から逃げないで、その苦に立ち向かい戦っていくと、強く生きていくための多くのエッセンスをモノにすることができます。

参考・・・道元さんの著書は「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」

筆者からあなたへ・・・人間「生きたい!!」と思っても死ぬ時が必ず来る。その時は自分の「意思」で生きることはできない。選択の余地がないということだ。しかし、今はまだ、生きているので自分の「意思」の選択の余地がある。そこに希望がある。だから今焦(あせ)って死ぬことはない。人間とは何だ? と今、問うたなら「意思(考え)がすべて、の生き物だ」ということだ。まだ、あなたは、あなたの意思でどうにでもなる世界にいる。このことを自覚しようじゃないか。下記にいろいろ思い当たることを記したけど、何回も読んで生きる手がかりをつかんでくれ。 あなたに贈りたい言葉は、「最大のマイナスは、新発想で飛躍できる最大のチャンスだ!!」です。

まだ、選択の余地は残されている

あなたは垂直尾翼(方向舵)をもって低空飛行している(今生きている)飛行機の機長だ。低空飛行は雷、風、雨等(様々な苦)に遭遇するものだ。あなたはこの低空飛行に耐え忍ぶことができず、方向舵を山に向け飛行し、最後にその山に飛行機を激突させることもできる。また、そんな最悪の環境に歯を食いしばり「石にかじりついてでも生き抜く」と自分に言い聞かせて耐え忍び、山や雷、風、雨等の障害(=苦悩の壁)を乗り越えた天空の青空に舵を切り、飛行機を飛行させることもできる。それは、すべての権限を持っている機長であるあなたの意思一つで決まるのだ。それは機長の自由だ。だれもその自由を妨害できない。しかし、これだけは言いたい。ほとんどの人は大小の差はあれど、最悪な環境の低空飛行をもがきながら経験する。そして、そんな経験をしながら徐々に天空の青空に向けて舵を切っていくのだ。そこに飛行機操縦(人生)の面白さがある。

機長であるあなたは何かの縁でこのページとこのホームページに出合った。ならば、あなたの心にこのページとホームページの中の何らかの箇所や言葉が引っ掛かり、天空の青空に向けて飛行機の舵(かじ)を切ることを望む。なぜならば、天空の青空に出てきたすっきりとした景色をあなたに見てもらい、飛行機操縦(人生)の面白さを体験してもらいたいのだ。そんな体験をしてから、あなたの意思をもう一度確認して結論を出しても遅くはないのだ。まだ、「意思」の選択の余地があるのだから間に合う。

人間という生き物

【参考の言葉の紹介】

● 仏教の教え・・・「言葉で迷い言葉で傷つき同時に言葉で目覚める」
● ゲーテの名言・・・「自分自身を信じてみるだけでいい、きっと生きる道が見えてくる」

この世の中で失敗や挫折等しない人間がいるだろうか。弱音を吐いたことのない人間がいるだろうか。愚痴や人の悪口を言ったことのない人間がいるだろうか。人を憎んだことのない人間がいるだろうか。そんな人間なんていない。人間は完ぺきではない。人間は神様ではない。時には、己を顧みず、人一倍頑張りすぎる場合もある。ついつい無理をする。それが、人間だ。だから、人間は神様ではないので、生きて行く中で「心の病」になってもいい。不登校になってもいい。引きこもりになってもいい。感受性が強く、繊細な神経を持っているがゆえにいろいろと不都合が起きてくるのだ(このことは己を守る防衛症状だ)。逆にこのことは、人間的に非常に「良いモノ」を持っている証拠なのだ。だから、こんな「良いモノ」をこの人生で必ず生かすチャンスはあるのだ。今、背負っている「マイナス」は実は大きく飛躍する源なのだ。「マイナス」こそ、お宝だ。このことをまずは押さえておいてください。

嫌なことの連続の結果

この世の中で嫌なことばかりが続くと、生きていてもしょうがないという気持ちになったことはありませんか。なんの楽しみもなければ、良いことがない。いっそのこと死にたいと。そうなのです。人間は一回や二回は「死にたい」と思うのです。しかし、多くの人間はそこで自殺しません。なぜなのか。それは「死が怖い」からです。死の恐怖が自殺をストップさせます。

※ 嫌なことの回避方法の一つ・・・今生きているのを「タイムトレーン」に乗っていることだと思って、嫌な風景が目に入ったら(経験したら)、その風景が通り去るのを待てばいいのです。そうすれば時間がたって、その風景は消え、新しい楽しい風景に出合えるのです。

この世は「苦の玉が降りかかってくる戦場だ」

「苦悩は天からの贈り物」

「死にたい」これは今生きている人間にとって一回や二回は経験する気持ちです。この世の中、なかなか思うようにはいきません。筆者が子供のころ、テレビ番組で「コンバット」というアメリカのテレビ番組が毎週水曜日(新潟のBSN放送局)の午後8時から大正製薬の提供で一時間放映されていました。この番組は第二次世界大戦のヨーロッパのフランスで、分隊長のサンダース軍曹率いる小部隊(主メンバーはリトルジョン、カービー、ケーリ)がドイツ軍と戦う戦争テレビ映画です。この番組で筆者が一番記憶に残っているのが「丘は血に染まった」というタイトルの番組です。これはドイツ軍がある丘の上の要塞に高性能な機関銃で下からやってくるアメリカ軍をその機関銃で撃ち殺す物語です。とにかくすごいのです。ドイツ軍が容赦なく高性能の機関銃で撃ちまくるのです。そしてその丘はアメリカ軍の兵士の血で染まっていくのです。すさまじい戦いのシーンの連続なのです。今、こんなことを思い出しました。なぜならば、人生もこのように機関銃の玉のごとく次から次へと「苦」という玉が人間に向かって撃ち込まれるものだ、と考えていたからです。

「苦」という玉はまともに急所を直撃した場合、即死ということもあります。しかし、手に当たったり、足に当たったり、脇腹をかすめたりして直撃を避ければ、多少の心の傷は負いますが、即死は避けられます。しかし、その心の傷によって「心に変調」をきたし、人間は「心の病」を患う場合があります。これが曲者(くせもの)です。

もし、あなたが何らかの「心の病」を患った場合、この病との闘いが始まります。その場合、気持ちの上で負けてしまうと「心の病が優勢になる場合があります。この時が危険です。ですから、一つの闘い方として「この野郎、お前なんかに負けてたまるか。私は石にかじりついてでも生き抜くと決意した。絶対に私は勝つ」と、毎日この病に声を出して言い放ってください。この方法でこの病と闘ってください。もちろん、きちんと治療しながらが条件となります。

こんな最悪の場合、一番大事なことは「尽己(じんこ)」です。すなわち「すべてを自分の責任としてとらえ、自分の力で全力を尽くすこと」です。あなたの気持ちが勝つか、病が勝つか、その闘いが始まるのです。特にうつ病は「死にたい」という気持ちが大きくなる場合がありますので注意が必要です。「死にたい」という気持ちが出てきたら「ふざけるな、この野郎!!!」と病に声を出して言ってください。時間がかかるかもしれませんが、きちんと治療すれば必ず治ります。

物語 天体オークション

交感神経と副交感神経

この機関銃のごとくやってくる「苦」という玉が「死にたい」という気持ちを起こすのです。これが逆の「楽」という玉だったら「死にたい」という気持ちは起きません。「苦」だから起きてしまうのです。すなわちドイツ軍が撃ちまくる機関銃のごとく「苦」という玉があなたを襲うということです。これに耐えられなくなって「死にたい」となるのです。直近では「新型コロナウイルス」による女性の自殺者急増です。

以前は「バブル経済崩壊」による自殺者急増です。人間は追い詰められたとき「逃げ道」を探します。「自殺」もまた一つの「逃げ道」です。ネズミは必ず追い詰められたときのために「逃げ道」を作っておきます。これがネズミの生きるための知恵です。本来「逃げ道」とは命を守るための道です。しかし、人間は「絶命」という一つの道を切り開きました。本来これは「逃げ道」ではありません。「道」ですから「後(あと)」が続きます。続くから「道」なのです。ここを考えてください。ですから「絶命」という選択は本来ないのです。

この世の中、少しの時間で変わります。どんどん変わるのです。すなわち、少し待てば状況は変わるということです。気持ちも変わるのです。どんどん変わります。これが人間です。世の中です。ですから時間が過ぎ去るのを待つのです。そうすれば必ず変わります。「変わるな!!」と言っても変わります。

人生の本当の逃げ道

「逃げ道」というと何か卑怯な感じを持つ方が多いのではないでしょうか。「正々堂々」となれば何か立派なように思えます。しかし、上記に記したようにこの世の中、機関銃のごとくやってくる「苦」という玉から身を守るためにはネズミの如く「逃げ道」という「道」を作っておく必要があります。ネズミより知恵がある人間は多くの逃げ道を作ることができます。これは卑怯でもないし、負けでもありません。人間が生きて行くための知恵です。機関銃の玉のような「苦」から身を守るために必要な知恵なのです。

【具体的な逃げ道】

●環境を変える・・・思い切って今住んでいるところからまったく違うところへ引っ越す。
●職業を変える・・・思い切って今の仕事を辞めて、新しい仕事を見つける。
●正しい信仰を持つ・・・宗教というと何かと変な目で見られるので抵抗を感じている方も多いと思います。しかし、本当の信仰は本来人間としての基本を教えてくれるところです。「正しいこと」を人間が実行することはなかなか難しいのです。悪いことは簡単にできるのです。これが人間です。正しい信仰は「正しいこと」を、勇気をもって実行できる人間を創ります。信念を創ります。まずは、近くにあるキリスト教会の「日曜礼拝」に行き、神様の話を聞きに行くことから始めることもできます。「神仏」とは何か? まずは「ただ聞く」このことから始めましょう。釈迦はこの世は「苦だ」と悟りました。感受性が強く、繊細な釈迦はその「苦」によって三大宗教の一つの仏教の開祖となりました。もし、人間に「苦と罪」がなければ仏教はないということになります。また、聖書もないということになります。十字架もなく、赤十字社、赤十字病院等もないということになります。よく建設現場にある「安全マークの旗」もないということです。

参考・・・聖書の中にイエス・キリストは「すべて疲れた人、重荷を負っている人は私のところに来なさい。わたしがあなた方を休ませてあげます・・・(マタイ11:28~30)。と言っています。これは、人生のすべてに精(せい)も根(こん)も尽きたら私のところに来なさい、ということです。精も根も尽きたら教会の門をたたく道があるということです。

※ キリスト教では「教会=イエス・キリスト」です。ですから教会に行くということは、キリストの懐(ふところ)に飛び込むということにほかなりません。この聖書の御(み)言葉のようなことを公然と言い切っている宗教家は他におりません(筆者個人の見解)。ここに救いがあります。

間違いをおこさないためのキリスト教の教会選びの一つのポイント

① シンボルの十字架を堂々と掲げているかどうか。
② イエス・キリストを中心(親分)にして布教しているかどうか。
③ イエス・キリストを差し置いて新興宗教の教祖を中心(親分)にして布教しているところは要注意。なぜか? それは人間的思惑が色濃く出てしまい、正しい信仰から外れている場合があるからです。

※主たる人間的思惑・・・・・№1 金儲け。 
№2 ワラをもつかみたい気持ちを逆手にとって己の支配下に置く。
№3 個人的目標のために、信者を使って、目的達成を画策する等々(過去の宗教がらみの事件はこのような信仰の本筋から外れているために起きています)。
◎ 宗教っぽい目くらましの装飾にも、注意して下さい。人間の弱点を知り尽くしているので細心の注意が必要です。

●結論・・・日本国憲法は「内心の自由」がうたわれています。なにを選択しようが個人の自由なのです。上記のものはあくまでも参考にしていただき、もし、教会の門をたたかれる場合は世間の評判や独自に調査したりして慎重に選んでください。

参考No.2・・・絶望に直面したら正しい信仰の門をたたく道がある

宗教で注意しなければならないこと 宗教の誤解を解く

●「剣道教室」や「柔道教室」等の武道教室へ通う・・・武道は特に己と真剣に向き合わなければ上達しないスポーツです。「己に打ち克(かつ)」という精神を鍛えることができます。武道の精神は「礼に始まり、礼に終わる」です。すなわち「感謝に始まり、感謝に終わる」です。人間としての礼儀(人間道)を学ぶことができます。
●酒や異性に逃げる・・・度を過ぎると溺れるので「適度」に実行する。時々「覚せい剤等の麻薬」に逃げる方がいますが、これは違法なので絶対に選択しない。中毒になり、その後最悪、人間辞めます、となります。
●経済的に行き詰ったら法律を使って解決する・・・「法律」は人間が失敗等してもやり直せるためにあります。破産は一生で三回できるようになっています。ですから、どうにもならなくなったら法律を使うことができます。恥ずかしいことでも何でもありません。大切なのは「道」を切り開くことなのです。食えなくなったら生活保護の申請もできます。住所不定では申請できませんから、住所だけはしっかりしなければなりません。「絶命」ではなく、「延命」を考えて作られているのが、法律なのです。なぜならば「命」があれば必ず「チャンス」に巡り合うのです。金がなくて弁護士を雇えないということになれば「扶助制度(お金の援助)」があります。各都道府県の弁護士会に相談できます。
●趣味に没頭する・・・何か好きなことに「馬鹿になる」ということです。人間、馬鹿になれば雑念は消えます。
●「心の病」になったら迷わず評判の良い「精神科」や「メンタルクリニック」に行く・・・心に変調が起きれば「精神科」「メンタルクリニック」に行くことです。これは恥ずかしいことでもなんでもありません。かぜを患えば内科に行くように、心のかぜは「精神科」「メンタルクリニック」です。大切なのは「評判が良い医者」を選択することです。
●登山の趣味を持つこと・・・「山に登る」という目標を掲げる。「山登り」は腐った己や、弱い己を劇的に変える可能性があります。己と向き合う必要性が必ず発生します。一つの目標を掲げたことによって常に己の体力と精神力の戦いが待っているのです。それが登山です。まずは自分の近くの500メートルから1,000メートルぐらいの手軽な山に登ることから始めましょう。なんといっても「達成感」を経験できます。このことは自分に自信がつきます。「達成感=自信」なのです。この達成感の経験の積み重ねは非常に大切です。
●信頼できる人や、様々な相談機関に相談すること・・・悩み等今困っていることを、心を開いてありのままを相談することです。「ありのまま」が大切です。人と話をすること、すなわちコミュニケーションをとることは人間を取り戻すことにほかなりません。とにかく「話す」ということは、コストがかかりません。それでいて逃げ道としてはもっとも手っ取り早いのです。

よく「悩みのある方は、ここに相談してください」という電話番号案内を聞くと思います。しかし、人間は苦悩が深ければ深いほど、そう簡単に相談できないものなのです。そのために益々苦悩を一人で抱え込んでしまいます。そんな方がこのHPの中で頭に「ピーン」とくる何かを発見し、少しでも明るい光の方向へと前進されることを望みます。 HPを見ることは24時間好きな時、一人で見ることができます。早まって自殺だけはしないで下さい。命さえあれば、人間なんとかなるのです。

●GFIT法で心に太陽を創ろう・・・この方法はあなたの心の中に太陽を出現させます。詳細はここから
●まだまだ、ほかにあるかもしれません。何かいろいろ調べて実行しましょう。

物語 天体オークション

結論

No.1・・・このようにいろいろあるのが人間の世界なのです。ただ、今、あなたはきっと「心の一畳間」に閉じ込められた状態と推測します。八方ふさがりと思われます。そのことによって「死にたいことばかりを考えている」のだと推測します。すなわち「生きる道」を見失っているのです。それで、上記のような「逃げ道」を提案した次第です。しかし、いくら提案しても何らかの「アクション」を起こさなければ「絵にかいた餅」となります。すなわち、なんの意味もないということです。

今あなたは人生の中で最大の逆境の中にいます。しかし、人間はその逆境のなかにあっても「得られる経験」というものがあります。その「得られる経験」をノートに記してみませんか。頭の中に浮かぶ自分の気持ちを文字化するのです。パソコンではなく手でノートに書くのです。それで落ち着きを取りもどせるかもしれません。

No.2・・・今あなたは「心の一畳間」にいます。本当はすぐ隣には宴会が開ける「大広間」があります。きっとあなたには見えていないと推測します。だから今、あなたはその「心の扉」を開いてその「大広間」に行くということを強くイメージしてください。そしてその「大広間」に行って上記の中の何かを実行するのです。自分に一番合っていそうなものを実行するのです。そこで一番大切なのが、

結果を考えないで

思い切って

実行することです

※自殺を思い切って実行する前に、だまされたと思って上記のことを思い切って実行してみてください。仮に実行していく中で、自分に合わないと感じたら別なことをやってみることです。そこで挫折してあきらめてはいけません。必ず合うものに巡り合います。釈迦は自ら山に入り、逆境に身を置き、その環境から頭に浮かんだことを膨大な量の巻物にまとめました。それが仏教の経典です。「逆境の身」は「マイナス」です。その「マイナス」から多くの悟りを得たのです。すなわち、多くのことを「発見」したということです。ですから、あなたも今、逆境に身を置いているので、これから起こすアクションからきっと多くのことが頭に浮かび、多くの悟りを得ることでしょう。これがあなたの「宝」となるのです。それをノートに書き記すのです。釈迦と同じく、感受性が強く、繊細なあなたは必ず多くのことを悟ります。すなわち「多くのこと」を「発見」します。そこにあなたが「生きていく道」の手がかりがあるのです。あなたは必ずできます。

完璧主義を捨てるということも大切です。完璧主義の性格の人は失敗して行き詰ったとき、精神的にまいってしまうケースが多いのです。ですから意識的に完璧主義から脱却しましょう。いい意味での「いい加減主義」へ移行しよう。日本は完璧主義を自認している方は多くいます。そういう方はひとたび何かに失敗した人間を批判し続けます。中には批判を生きがいにしている人もいます。また、批判を商品にしている会社もあります。それは自分の存在をアピールする絶好のチャンスととらえているからです。人を批判することによって自分が気持ちよくなるという人もいます。要は自分のためなのです。しかし、そういう批判は「言いたいことは言わせておけ」という大きな気持ちで流しましょう。気にしないように毅然と生きていきましょう。失敗はこれから先、自分が何をしたらよいのかを教えてくれるすばらしい先生なのですから。失敗をそのように考え批判を気にしないで毅然と生きていくことは、自殺を防ぐ一つの方法です。批判は言論の自由で守られています。悪ではありません。ただ、完璧主義者は批判の風圧を真正面で受けて耐えられなくなる場合もあります。だから批判はどんどんかわしていけばいいのです。批判している人に「大いに批判してください。批判は真摯に受け止め反省し、成長の肥(こやし)にするのでありがたいことです」ぐらいに思って生きていきましょう。

また、ありのままの自分、すなわちマイナス部分をさらけ出すことのできる自分に変身しましょう。いいところだけを見せる自分ではなく、欠点などのマイナスを自然とさらけ出すことのできる人間になりましょう、ということです。これによって生きることが楽になります。

No.3・・・どん底(地獄)は成長の一丁目一番地だ
この地球上には多くの人間が生きています。そしてその中で様々な人生を展開しています。しかし、そんな多くの人間の中で、特に感受性が強く、繊細な人間が、悩みや苦しみに遭遇し、どん底に突き落とされたとき、状況を払拭(ふっしょく)する方法は何か。

徹底的に自分を見つめ直し、本当の自分を発見する・・・見つめ直すことには、コストはかかりません。ただ生まれてから今までの自分のことを見直すのです。筆者が苦悩のどん底(地獄)にいたとき、徹底的に自分を見つめ直した体験から得た本当の自分は「自己中心の己」と「依存体質の己」です。このことがはっきりと分かりました。分かった以上何とかしなければならないと考え、「反省」と「自己総括」を徹底的に実行しました。ただ、一番辛(つら)いことは「徹底的に自分を見つめ直すこと」なのです。しかし、これを避けて生まれ変わることはできません。筆者が徹底的に自分を見つめ直し何が分かったか。それは「自分が間違っていた」ということです。自分は価値のない「ただの石」だったということです。これが本当の自分だったのです。何も分かっていなかった内容のない人間だったということです。あなたも「本当の自分」を発見してください。

② 「本当の自分」を発見したら次に何をしたらいいのか・・・この状況になったのは、自分が原因だったことがおそらく分かると思います。そう思ったらいままでの人生は予行演習だったと考えてみてください。いままでは仕方がないと考えてください。人間一年生に戻り勉強し、本番はこれからだと思ってください。これから本当の人生の幕が開き、本番が始まると考えてください。人間はそのように考えて人生をやり直すことができるのです。やり直しは何回もできます。もし、人間にやり直しができないとなれば、人類はとっくに滅亡しています。人類の文明は、先人がどん底(地獄)の逆境を逆にバネにして這い上がって築いてきたものなのです。ですからどん底(地獄)とは人間が成長する一丁目一番地ということです。逆に今あなたは大きく飛躍できるチャンスが訪れています。

人間は考える葦である

今までのマイナスはすべて肥しにしてど根性で上昇しろ!!

魂を極める方向へ舵を切れ
自殺の誘惑の壁を突き破れ