2019年11月作 児玉春信

【まえがき】            

ただひたすら、ただの石を毎日毎日、汗をかきながらゴシゴシ磨く、ある村の「友蔵」という人物のお話。ただ磨くことしか知らない友蔵が、最後にそのただの石をとんでもないモノにしてしまう物語。さてそのとんでもないモノとは一体何か? それはこの物語を読んでのお楽しみです。・・・この物語は一見つまらない仕事や汚い仕事等、世間一般的に嫌われて人気のない仕事(俗に言う「きつい」「汚い」「危険」の3Kの仕事)でも、一生懸命に汗をかき情熱を持ってその仕事に取組み、そしてそれを深く掘り下げて、よりその仕事を磨いていけば、最後はすばらしい価値に変わることを分かってもらうために考えた物語です。人間は一般的につまらない仕事や3Kの仕事は不平不満を言いがちになります。しかし、本気になって情熱を持って取り組めばすばらしい神髄にきっと到達するでしょう。普通は従事している仕事が何らかの理由により嫌になった場合、途中で辞めてしまいます。しかし、辞めないでただひたすら磨いていけば最後にその神髄に到達することが出来ます。その神髄は人それぞれです。あなたは人生で何を磨いて何を自分のモノにしますか? そして最後に何を発見出来るのでしょうか? そんなことを考えてもらいたいと思って考えた物語です。「人生とは何かを自分のモノにして終わっていく旅」なのかもしれません。

【本文】

昔々、ある山奥の村にみんなから「馬鹿な人間」として扱われている「友蔵」という名前の若者が住んでいました。なぜ馬鹿と言われているかというと、毎日毎日「ただの石」をゴシゴシ磨くだけの生活をしていたからでした。ある日、いつものように家の縁側で「ただの石」を、汗をかきながら「ボロの布」でゴシゴシ磨いていました。すると村の若者数人がやって来て「また磨いている。あんなただの石を磨いても何にもならないのに。時間の無駄だ。一銭にもならないことをまたやっている。あいつはやっぱり馬鹿だ」とその若者の中の幼馴染の助三が言いました。それを聞いていた友蔵は「いいんだ。こうやって一生懸命ゴシゴシ磨いていればいつかは価値のあるモノに変わるんだ」といつもの持論の信念の言葉を発していました。友蔵の母ちゃんはそんな息子の姿を見ても何一つ不平不満を言いませんでした。むしろ友蔵を応援してくれていました。三度三度のお飯(まんま)もいつも運んでくれていました。友蔵の父ちゃんは早く亡くなり、母ちゃん一人で友蔵を育てていました。友蔵は母ちゃんの力で今は生きているのでした。

そんなある日の晩秋にこの山奥の村に托鉢(たくはつ)のお坊さんがやってきました。そして友蔵の家にやってきて「お経」を唱え始めました。それを見ていた母ちゃんは黙ってお坊さんにお米をお布施しました。そしてお経が終わり「ただの石」を磨いている友蔵を見て「何をそんなに磨いているのだ?」と質問したのです。そうすると友蔵は「河原で拾って来た、ただの石を布でゴシゴシ磨いています」と返答しました。するとお坊さんが「そうなのか。偉いぞ。これからも一生懸命に磨くのだぞ。人間は何かを一生懸命に磨けばいつかは光る。それはどんなにつまらない仕事でも、汚い仕事でも、人に嫌われている仕事でも一生懸命に汗を流すほど情熱を持って取り組めば価値あるモノに変わるということだ。ただしお前が本物かどうか試される時が必ずやってくる。しかし、それを乗り越えたらとんでもないことになってしまうぞ。天はお前の魂をいつも観ているのだ」と何やら意味不明にして、怪しげな言葉ではあっても、坊さんらしい哲学的なことを言ってすぐに立ち去ってしまいました。友蔵は今まで生きてきた人生の中で初めて人から褒(ほ)めてもらいました。それを聞いていた母ちゃんは「よかったねぇ。みんなは馬鹿だ、馬鹿だとしか言わないのにあのお坊さんだけは褒めてくださった。ありがいことだ。しかし、本物かどうか試されるとは一体どういうことなんだろうねぇ。ましてやとんでもないことって何だろうねぇ?」と言いました。すると友蔵は「俺にもよく分からん。しかし、初めて褒められたので気持ちがいい」と言いました。

そんな友蔵が褒められたことを見ていた隣の幼馴染の助三がたまげて、心の中で『あの坊さんも友蔵と同じく頭が少し変じゃないのか。あんなただの石を磨いているだけの馬鹿な友蔵を褒めるとは信じられん。ましてやとんでもないことになるなどと根拠もないことを言う変な坊さんだ』と思ったのでした。そしてそんな友蔵が坊さんに褒められた、ということを助三は村中に広めてしまいました。それを聞いた村の多くの人たちは「あの坊さんも頭が少し変じゃないのか」と助三と同じ考えの者もいました。挙句の果てにお坊さんのことを悪く言う者まであらわれる始末です。しかし、中には「いやぁ、頭がおかしいのはそんなことを言っている人間かもしれないぞ」という村の人もいました。そんなことを思う村の人はほんのごく一部の人でした。

春夏秋冬とにかく友蔵は雨の日も、風の日も、雪の日も、嵐の日も、雷の日も、時には夜なべまでしてとにかく毎日毎日休まず「ただの石」を、ただ汗をかきながらゴシゴシ磨くことに精を出していました。そんな友蔵もいよいよお嫁さんをもらう年齢になってしまいました。しかし、そんなことばかりやっている友蔵のところに嫁に行きたい娘は村中を探しても一人もいませんでした。村中の娘たちも友蔵のことを「石しか磨くことが出来ない馬鹿な人間だ」としか思っていませんでした。しかし、友蔵はそんなことにめげずにただひたすら「ただの石」を磨いていました。しかし、隣村に一人だけそんな友蔵の姿を見て感動し、友蔵を認めている娘がいたのです。その娘は友蔵の頑固なところが好きでした。その娘は「人間は何かを成し遂げるためには人並み外れた頑固さが必要だ」と考えている娘だったのです。村の娘たちは家を持っているとか、金を持っているとか、背が高いとか、顔が良いとか、学問があるとかという付属品だけを観て、男の人を選択していたのです。しかし、この隣村の娘は男の魂を観て男の人を選択していたのです。世間ではあまりいない変わった娘でした。

そんなただの石をゴシゴシ磨いて約10年たったある風の強い日、ふと友蔵の耳に「友蔵さん、友蔵さん、こんな風の強い日は石を磨くことを休んだらどうだ!!こんなくだらない苦しい仕事は辞めてもっと楽なことをやったらどうだ」という声が聞こえました。友蔵は一瞬何だろうと思いましたが、また同じ声が聞こえました。2回も聞こえたので友蔵は思い切って「そんなことを俺に行っているのは一体だれだ!!」と大きな声を出して言いました。すると天の方から「それはわしだ。風様よ」という返事がありました。それを聞いた友蔵はぶったまげて「風だって!!そんな馬鹿な。しかし、俺の耳に聞こえたのだから間違いなさそうだ。なんでまた俺にそんな質問をするのだ!!」と逆に友蔵は風に聞いてみました。すると風が「友蔵さんがあまりにも一生懸命に石を磨いているので、からかってみたくなったのだ」と言いました。すると友蔵は「へんな風さんだなぁ。しかし、俺は休まん。ただひたすら磨くよ。これしかとりえがない」ときっぱりと風に言いました。それを聞いた風は「村中のお前と同じ若者は居酒屋へ行って酒を飲んだり、花札賭博したり、女友達を作って遊んだりしているぞ。お前もみんなと同じく遊んだらどうだ」と言いました。すると友蔵は「おれは遊びが好きではない。こうしてただ石を磨いていれば幸せだ」と言いました。

風はその言葉を聞いて「お前は本当に変わっているなぁ。そういうのを世間では糞(くそ)真面目と言うんだ。みんなは遊びが好きなのに、お前は好きではないと言う。そんな人間を相手にしてもしようがない。しかしなぁ、人間たまには息抜きしないとだめだよ」と言いました。すると友蔵は「糞真面目とはなんだ。真面目の真は真剣勝負の真剣で切り合う様子のことだ。そして面と目は真剣勝負における面の睨(にら)み合いによる鋭い目つきの様子のことだ。そんなすばらしい真剣そのままの勝負の意味の言葉の前に糞(くそ=うんこのこと)をつけるとはとんでもないことを言う風さんだ。人間は刀で真剣勝負すれば、一方は首が飛ぶか、一方は腕が落ちるかの勝負になる。舞台のような一方が無傷というわけにはいかない。生きるか死ぬかの勝負になるのだ。だからこんな闘いをしている人間を低く評価しているこの世の中の常識はおかしいぞ。真面目な人間を真面目の前に糞というとんでもない言葉をつけて、その人間のイメージが悪くなるように持って行っている。そんなあほなことがあるか。あきれるほど真面目で、融通がきかない人間はダメという烙印を押しているようなものだ。そんなものは糞くらいだ。今の世の中、そんな頑固者がいないので変な世の中になっているのだ。みんなごまかしても平気でいる。逆にごまかしたほうが高く評価されている。おかしいと思わないのか風さんよ。そんなことになっている一つの原因は頑固者が徹底的に最後まで闘わないからだ。本物の頑固者がいなくなったということだ。そして何事も真面目に取り組まなかったら、自分のモノにならないのだ。そしてなぁ、今やっていることが苦しいからと言って他の事をやっても、それ以上の苦しいことが待っているかもしれないのだ」と自分の持論を風にむかって言いました。すると風はあきれた様子で「分かった、分かった。こんな頑固者とは知らなかった。さっさとわしは去るよ」と言ってすぐに去っていきました。実は友蔵は天下一品の糞真面目の頑固者だったのです。

そんな変なことがあってから益々友蔵は磨きに精を出すことにしました。村中のほとんどの人は友蔵のことを「ゴシゴシ馬鹿友蔵」と言うあだ名をつけて益々馬鹿にしていました。そんな中、風の声が聞こえてから約一年後に大雨になりました。そんな天気にもめげずに磨きに精を出している友蔵の耳に今度は「友蔵さん、友蔵さん、そんな精を出さなくてもこんな大雨の時ぐらいは雨を言い訳にして石を磨くのを休んだらどうだ!!」という声が聞こえてきました。友蔵はすかさず「あんたは一体だれだい。俺は言い訳というのが大嫌いなんだ」と言いました。すると「わしは雨様だ。お前さんを誘惑しようと思って声をかけたのだ」と言いました。すると友蔵は「何だって、今度は雨さんかい。一年前は風さんだったのに、今度は雨さんかよ。なんか俺に恨みでもあるのか」と雨に言いました。すかさず雨は「何も恨みはないが何であんたが休みも取らないで精を出しているか興味があってねぇ。村中のみんなは雨になれば雨に被(かず)けて休みを取るぞ。お前もそんなみんなの真似をしたらどうだ」と言いました。すると友蔵は「俺は休みが嫌いだ。そして雨を言い訳にして休むことも嫌いだ」と言いました。すると雨が「本当にお前は変わっているなぁ。そういうのを生(き)真面目と言うんだ。そんな休みもとらないでいるとうつ病になってしまうぞ」と雨は風とは別な言い方の生真面目という言葉で友蔵のことを表現したのでした。意味はだいたい同じようなものでした。しかし、「糞」の方が「生」より「ものすごさ」を表現するのには上なのです。「生」は「生粋」という意味も含まれていたのです。そんな生真面目という評価を受けた友蔵は「うつ病なんか糞くらいだ。そんなものに負けてたまるか。

風さんは真面目の前に糞をつけたが今度は生かよ。まったくとんでもないやつらだ。真面目は素晴らしいことなのにこんな素晴らしいことを低く評価する世の中が間違っている。融通が利きすぎるのはろくな世の中にならない。何もおれは喜怒哀楽を失ってもいないし、普通に笑うし、普通に生活している。ただ俺は一筋にこの石を磨くことに人生をかけているだけだ。そのことに何か文句でもあるのか。この世の中のどいつが糞真面目や生真面目ということを言いだしたのだろうかなぁ。この意味は真面目な人間を馬鹿にした言い方だ。まったくとんでもないことだと思わないかい」と逆に雨に質問しました。そうすると雨はこんなことを言っている変な友蔵とは関わりを持ちたくないと考えて「そんな天下一品の頑固者と関わっても一つも糞面白くもない。そんな人間を相手にしてもしようがない」と面白くないという言葉の前に「糞」をつけて去っていこうとしたその時、友蔵は風に向かって「生真面目のどこが悪い。真面目の真は真剣勝負の真だ。真剣で切り合えばその面の睨(にら)み合いで鋭い目つきになる。それが真面目という意味だ。それはまさに真剣勝負している生き様だ。おれはそんな生き方が好きなんだ。世間では糞真面目と生真面目の人間を馬鹿にしたような意味合いで使っているようだが、それは間違っている。 他人がどんなにケチを付けようが俺は考えを変えない」と風に言ったことを雨にも前から思っていた本音を言い放ったのです。それを聞いた雨はあまりの頑固さに参って「分かった、分かった。わしはさっさと退散するよ」と風と同じことを言ってすぐにいなくなりました。

腹が減ったらおまんま、精神はプラスエネルギーキャラ軍で元気!

雨さんが去ってから一か月後のある日、村の子供たち数人が友蔵の家の前を通りました。友蔵はいつものように縁側でゴシゴシとただの石を、汗をかきながら磨いていました。すると子供たちの中の一人が「あっ、あれが有名なゴシゴシ馬鹿友蔵だ。俺の父ちゃんがそう言っていた。みんな、そんな馬鹿友蔵を馬鹿にしよう」と言いました。そしたらみんなは一斉に「ゴシゴシ馬鹿友蔵!! ゴシゴシ馬鹿友蔵!!」と連呼して馬鹿にしました。それを聞いていた友蔵は語気を強めた大きな声で「そんな教育をする親こそ馬鹿親だ!! 家に帰ったら俺がそう言っていたと報告しろ!!」と言ったのでした。村の子供たちまでそんなことを言う環境に村はなってしまったのでした。

そんなことがあってから約一年後の雪が降り続く冬にゴシゴシと汗を流して精を出している友蔵の耳に「友蔵さん、友蔵さん、こんな雪の日は石を磨くのを休んだらどうですか」という優しい声が聞こえてきました。友蔵は耳を疑いましたが以前に二回そんな声を聞いているので今度は友蔵の方から「その声は雪さんかよ。今度は俺に何を言いたいのだ」と先手を打って聞いてみました。すると雪が「おやぁ、ずいぶんと話が早いねぇ。それでは私が質問するよ。なんであなたはこんな雪が降っているのにただの石を磨いているんだい」と友蔵に話しかけました。すると友蔵は「俺はこんなつまらない仕事だけど汗をかきながら一生懸命に仕事をすることに生きがいを感じているんだ。いくら天気が悪くてもそこのどこが悪い。風さんも雨さんも何かとケチをつけたが、あんたも同類かい」と雪さんに逆に質問したのでした。それを聞いていた雪は「みんなは居酒屋に行ってみんな酒を飲んで楽しんでいるよ。こんな雪の中で一生懸命にただ石を磨いているなんておかしいぞ。みんなと一緒に楽しんだらどうだ」と友蔵を誘惑しました。そしてすかさず「友蔵さんはみんなに馬鹿にされて悔しくないのですか? みんなと同じことをしていたら馬鹿にされることもないと思うのですがねぇ。そんな気にはならないのですか?」と友蔵に質問したのでした。

するとすかさず友蔵は「みんなと無理に同じことをしろと言ってもそれは無理だ。俺は俺の考えがある。それを曲げてまで相手に合わせる必要はない。無理に合わせようとすれば俺にストレスがかかり、俺が参ってしまう。そうだろう雪さん」と雪に返答しました。すると雪は「それもそうだねぇ。あなたはあなたの考えで生きて行くしかないねぇ。どうも打つ手はなさそうだ、どうもあなたの信念は本物のようだ。今は信念があるかないか分からない者が多い中で、あなたは貴重な存在だ。頑張って最後まで信念を貫きなさい。あなたは損得で生きてはいないようだ。みんなは損得で心が動くのにあなたはどうもそんな人間ではなさそうだ。今にきっと何かが起こるかもしれない。天はあなたの魂をいつも観ているのですよ」と以前托鉢に来たお坊さんと同じことを言ったのでした。そしてそのことを言って去っていきました。そして去った後友蔵は心の中で『前に托鉢のお坊さんが言っていたことと同じことを雪さんは言ったぞ。しかし、何かが起こるとは一体何のことかなぁ』と思ったのでした。友蔵は何の欲もなく、ただ石を磨いているだけだったのです。この石を磨けばいくら儲かるとかの計算で磨いているわけではないのです。ただ自分の信念に従っているだけだったのです。

そんな友蔵とは別に村の助三を含む数人はあったかい居酒屋で友蔵のことを酒の肴(さかな)にして口から泡を出してけなしていました。助三は「あの友蔵は本当に馬鹿だ。俺もあんな馬鹿を見たこともない。何を考えているのか、さっぱり分からん。正真正銘の阿呆だ」と言ったりしていました。そしてみんなはそんな友蔵を笑っていました。みんなは益々友蔵のことを酒の肴にして盛り上がっていったのです。このメンバーは土方をして冬を過ごしていました。そんな仕事をしている者ですから助三は「今度新しく入ってきた若造が生意気だったのできつい仕事をやらせたよ。まったく今の若造は先輩に対して口の利き方もろくに知らない。参ったよ。きつい仕事はみんなその若造に押し付けたよ」なんてことを平気で言ったりしていました。また、みんなで重い物を持ち上げる時、声だけは大きな声を出してさっぱり力を入れないで仕事をしていました。何も思いやりもなくずるい助三だったのです。新しく入ってきた者を何かと因縁をつけてきつい仕事をさせることが得意だったのです。自分が楽をしたいものだから何かと因縁をつけているだけだったのです。居酒屋では助三が「こんなきつくてくだらん土方仕事は嫌になったよ。やってられないよ。俺は近いうちに辞めるよ。楽な仕事を見つけるよ」とみんなに言っていたのでした。そんな助三たちが居酒屋で友蔵のことを悪く言っている最中でも友蔵はただひたすら汗をかきながら石を磨くだけでした。

そんな石を磨いて早20年の時が過ぎました。20年たったある日友蔵はその日の未明に夢を見ました。何の夢かと言うと友蔵の前に観音様が現れたのです。友蔵は朝起きて母ちゃんに「きょう観音様の夢を見たよ」と言いました。すると母ちゃんが「いい夢だよ。何かが起こるかもしれない」と言ったのでした。すると友蔵は「そんな急に何かは起こらないよ。俺はただ石を磨くことに本気で挑戦し、それを毎日本気になって努力してきただけだ。そんなことをしていたって何も起こるわけがない」と言ったのでした。そして朝ごはんを食べ終わって一服していつものように石を磨いている仕事場へ行き石を見たのです。すると、な、な、な何と、何とその石に観音様がくっきりと浮かび上がっていたのです。すなわちその石に観音様がくっきりと表れたのです。それを見た友蔵はびっくり仰天して腰を抜かしてしまいました。そして「か、か、か、か、母ちゃん!! 母ちゃん!! た、た、た、た、大変だ!! 大変だ!! 石に観音様が現れた。母ちゃんこっちに来て見ておくれ!!」と大声で怒鳴りました。それを聞いた母ちゃんは「な、な、な、何だってぇ!! 観音様が出たと。ま、ま、ま、ま、ま、まさか!!」とこちらも腰を抜かしてこんな驚嘆の声を張り上げました。それを聞いた友蔵は「早く来て見ておくれ。間違いない。観音様だぁ!!」とこれまた大声で言いました。そしてそれを聞いて母ちゃんは急いで友蔵の仕事場に飛んで行きました。そして石を見るなり「本当だ!! 観音様だ!! これはえらいことになったもんだ。昔、托鉢に来たお坊さんが言っていたことはこのことだったんだよ、友蔵」と言いました。すると友蔵は「あ、俺も思い出した。確か一生懸命に磨けば価値あるモノに変わるとかどうとかと言っていたことを」と言いました。すると母ちゃんが「今はそんなことを言っていたってしょうがない。どうする友蔵。このままにしておくわけにはいかないだろう!!」と言いました。そしてそれを聞いた友蔵は「それはそうだ。観音様をただこの縁側の仕事場においておくわけにはいかない。りっぱな祠(ほこら)を造ってそこに入れておくしかないだろう」と言いました。すると母ちゃんが「そうだねぇ。それしかない」ときっぱりと言ったのでした。そしてすぐに材木屋に行って必要な材木を買ってきて、その祠に観音様が浮かび上がった石をまつることにしました。

母ちゃんは早速、材木屋へと足を運びました。そして材木を注文したのでした。母ちゃんが注文した後に材木屋が「こんな材木を買って何を造るのだ」と言って母ちゃんに質問しました。それて母ちゃんは「いやぁ、信じられないかもしれないが友蔵が毎日磨いていた石に観音様が浮かび上がったので、その石を入れる祠を造ることにしました」と言いました。そして材木屋はぶったまげて「まさか? しかしそれは本当か?!! そんなことが起きるはずはない」とそのことを否定しました。すかさず母ちゃんは「本当です」ときっぱりと材木屋に言いました。材木屋も友蔵のことを馬鹿にしていた仲間でした。 そして材木屋は「そんなことが起きるわけがない。もしそれが本当なら拝みたい?!!」と言ったのです。材木屋はまだ信じていませんでした。そんな材木屋が拝みたいと言ったので母ちゃんは「どうぞ、どうぞ自由に拝んでください」と言いました。母ちゃんは心の中で『材木屋は信じていないな』と感じていました。

そんなことを知った材木屋はあっという間にそのことを村中に言いふらしました。それを聞いた村中の人は「嘘だろう、そんなことがあるかよ。狂言だよ。それで材木屋さん、それを確認したのかよ」と言う者まで現れました。材木屋は「いや、確認はしていない。しかし、嘘をつくような母ちゃんではないし、俺も信じられないのだが、長年友蔵の母ちゃんと付き合ってきて嘘を言ったことがない母ちゃんなんだ。しかし、この世の中でそんなことってあるのかい」と村の人に言っていたのです。なにせ、突然こんなことが起きたものだから材木屋も面食らって平常心でいられなくなり出てくる言葉もおかしくなりました。そんなことを聞いた友蔵の隣の助三はそんな祠を造っている友蔵の家に行ってその石を見せてもらおうと思いました。そして友蔵の家に行きその石を見せてもらいました。助三はその石を見るなり「ほ,ほ,ほ,ほ,本当だ。か、か、か、か、観音様だ。ま、ま、ま、ま、間違いない!!」と、どもりながら大きな声を上げて腰を抜かしてしまいました。くっきりと浮かび上がっている観音様を助三は確認したのでした。そしてその確認した事実が村中にあっという間に広がって、てんやわんやの大騒ぎになりました。中には「あの馬鹿な友蔵が磨いていた石に観音様が浮かんだことを信じられないと思っている人も出る始末です。そんなことで村中は大変なことになったのです。

しかし、そのことが本当だと知った村中の人は、みんな友蔵をけなしていたものですから変なものになってしまいました。そして立派な祠を友蔵が造ったら近所の人はみんなお参りにくるようになったのです。そしてそのことが隣村から隣村に広まり、多くの人々がその観音様を拝むようになりました。挙句の果ては国中に広まったのです。拝んだ人々はみんな努力して成功したのでした。そんなご利益のある観音様をみんなは「ゴシゴシ努力観音」という名前を付けたのでした。参拝客は年々多くなりそれに伴って賽銭(さいせん)も多くなりました。挙句の果てに「ゴシゴシ努力観音様」の熱心な信者まで現れるようになったのです。そんなもんであっという間に友蔵は長者になってしまいました。そしてその賽銭等で集まったお金で友蔵は大きなお寺を造りました。そして益々多くの参拝客が集まるようになってその村はお土産屋や飲食店が繁盛することになりました。そして隣村のただ一人だけ友蔵が石を磨いていることに感動していた娘は友蔵と祝言を上げて晴れて友蔵の嫁になりました。村中の娘たちは「こんな金持ちになることが分っているんだったら友蔵さんを信じてあげればよかった」と言って悔しがりました。そして友蔵を馬鹿にしていた村中の人はこの「ゴシゴシ努力観音」に悔い改めの参拝をして、心から友蔵に謝り、心を入れ替えました。村中の人たちはみんなこの「ゴシゴシ努力観音」によって救われたのでした。幼馴染の助三はこの出来事によって自分の「我がまま」に気付いて土方を辞めないことにしました。もちろん後輩をいじめていたことも悔い改めて生まれ変わりました。助三は土方の勉強を一から学び直そうと決意したのでした。そしてこの村は信仰の村として益々栄えて行ったとさ。                      おしまい