まごころ地蔵の説法・・・・天は見捨てません

◎下記の文中の「ダイヤモンドのように光り輝く魂」とは「人類が共通に持っているダイヤモンドのように、美しく強く明るく、きらりと光る魂(神性又は仏性の魂)=大局的な人間性」という意味です。

● 本文に入る前に下記のことを理解しておくと、これからの人生に役立ちます。

観念の壁を破るとは下記の円の中の「AからBに変わること」です

※ 人間の精神の魂を秒速点灯で温めて明(あ)かりを点灯すると精神全体(心も含む)が温められ明るくなります(=「愛」が醸成されます)。

※なぜ人間を幸せにする宗教やその宗派間で争いがあるのでしょうか。そんな疑問をお持ちの方は多いのではないでしょうか。宗教間の争いや宗派間の争いのすべては観念対観念の争いに他なりません。「正しいのはこっちの教えで絶対だ、そっちは間違っている」「いや、間違っているのはそっちで正しいのはこっちで、こっちが絶対だ」となり、お互い短所ばかりを見て自分のところが唯一絶対だと主張し、非難の応酬となり、一歩も譲らない状態になります。人間はお互い短所だけを見てしまうと反目し合うだけなのです。お互いがこんな状態になると争いが起きてしまうのです。人間はマインドの世界にとどまっている限り争いはなくなりません。しかし、人間はマインドの世界を脱出することは容易ではありません。それに対しての人類の未来に対する一つの提案。

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どうして人間にだけ天は苦悩を与えるのでしょうか? 困難を与えるのでしょうか? 悲しみを与えるのでしょうか? それは天があなたを愛しているからです。あなたの心がダイヤモンドのように光り輝く魂になってもらいたいからです(人間はマイナスの状況の中でしか「心」を磨くことができないのです)。人間的に大きく成長してもらいたいからです。強い心をあなたに与えたいからです。天は愛するものほど大きな苦悩、困難を与えます。その大きなそれらのものに、くじけたり、負けたりしないで下さい。あなたは不幸になるために生まれてきたのではありません。あなたは幸せになるために生まれてきたのです。あなたを天は決して見捨てません。

“あきらめない人間だけが、明日(あした)という日を切り拓(ひら)ける”

※昔のお坊さんは「お経」を著わしました。お経の「経」は「まっすぐ」という意味です。すなわち、お経とは、一つは人間の曲った心をまっすぐにするためのお勤めなのです。しかし、意味ははっきりいって分かりません。これではせっかくのものが生きません。弊社では濁った心をきれいにして誰にでも理解できる詩にしてみました。濁った水は浄水器というフィルターを通して澄んだきれいな水にすることができます。心もそれと同じく水の浄水器のような「浄心詩」という詩を創作してみました。何かあったら声を出して読んで日々新たなる澄んだ心で生活してください。

腹が減ったらおまんま、精神はプラスエネルギーキャラ軍で元気!