(隧道はトンネルのこと)

 昔々、東海地方の山岳地帯に、ある村がありました。この村は四方を山に囲まれた大変厳しい環境にありました。村人は隣の町へ行くにも高い山を登っていかなければなりませんでした。しかしこの山には道らしきものはありませんでした。そしてこの山は急斜面が多くあり、いつも落石の危険にさらされていました。村人の何人かはこの落石の犠牲になって死んでいました。また、この山には熊も住んでいましたので、この熊に襲われる者もあり大変危険な山だったのです。 ある日、この村と、山を越えた隣の町の人達が集まり、この危険な山を安全に山越えする方法はないものかと話し合っていました。道をしっかり整備すべきとか、落石を防ぐ防護柵をつくるべきとか、のいろいろな意見がでてきました。そして多くの中の意見の一つに、山に隧道を掘って貫通させて、人と大八車を通らせてはどうか、という意見がでました。喧々がくがくの議論の結果、一番安全に人が通れる方法は山に隧道を掘って貫通させることだ、という結論になりました。この結果、村の人達と隣の町の人達とが協力して山に隧道を掘ることになったのです。 

この隧道掘りは難工事が予想されましたが、村と町の人達はそれぞれ準備し、村の人達は自分たちの村の方から掘ることになりました。町の人達は自分たちの町の方から掘ることになりました。機械も何もない昔のことですから、たがねを、かなづち、でたたいて、掘るしか方法がありませんでした。それもすべて人力ですから、なかなかはかどりません。しかし、村の人達と町の人達が一丸となって掘っていった結果、貫通するまで、今でいう、あと十メートルのところまで掘り進みました。ここまでくるのに十年の歳月がかかっていました。双方で投入した人数やお金は莫大なものがありました。途中で地下水がでて、かなりの人数が犠牲になりました。しかし、何とか、ここまできたのです。しかし、あと十メートルがなかなか掘ることができませんでした。その原因はどんなたがねを使っても、どうしても岩にそのたがねが通用しないのです。村の方からも、町の方からも、まったく歯が立たなかったのです。ここまで来て、村の人達も町の人達も、あきらめることができず、全国の鍛冶屋から取り寄せた、あらゆるたがねで掘ってみました。しかし、どんなたがねで掘ってもだめでした。考えたすべての方法でやってみました。それでもだめだったのです。 

そんなある日に、村の人達と町の人達が話し合いました。その結果、この最後の十メートルを掘ることは、やむなく、あきらめることになりました。中には悔しくて泣くものもいました。しかし、どうしようもないことだったのでした。 そんなことが決まり、山の現場はそのまま放置されてしまいました。そしてそんなことがあってから五年がたったある日に、旅をしている一人の青年がこの村を訪れました。この青年の名前は青柳寛八といいました。年は23歳でした。彼は武家の出身で、身分は武士でしたが、人生とは何か、生きるとは何か、などの問題で悶々と悩んで、その答えを求めるために家を出て全国を旅していたのです。青柳寛八はどこへ行っても、自分が抱えている悩みの答えを見つけることはできませんでした。 

そんな日の夕方、寛八は百姓の権市(ごんいち)の家に立ち寄りました。「こんばんわ。どなたかいらっしゃいますか。」と、寛八は言いました。すると奥のほうから権市が出てきました。権市は「どなたさんかのう。」と、言いました。寛八は「拙者、青柳寛八と申します。実はわけあって旅をしています。このあたりは旅籠もなさそうなので一晩泊めていただけないでしょうか。それなりの宿賃をお支払いいたします。」と、言いました。すると権市は「それはお困りでしょう。今日はうちに泊まっていってください。さあさあ、お上がりください。」と、言いました。寛八は「ご主人殿、かたじけない。お世話になります。」と、言って家に上がりました。そして客間に通されました。権市は女房のお幸(さち)をすぐに呼びました。そしてお幸に「きょう一晩泊めることになった青柳寛八殿じゃ。すぐに風呂に入ってもらって、そのあと、晩酌するので用意してくれ。」と、言いました。お幸は「はい分かりました。すぐにご用意します。」と、言って台所の方へ行きました。そして夕飯の支度と、晩酌の支度を始めました。 寛八は風呂に入り、客間に来るとすでに晩酌の用意がしてありました。そしてすぐに権市と一緒に晩酌を始めました。酒を飲み始めてしばらくすると寛八は「権市殿、この村に来る途中、隧道を掘ってある山を見たのですが、あれは何ですか?」と、質問しました。権市は「あれはだいぶ前に、村と隣の町と一緒に総力を上げて掘ったものだよ。しかし、真ん中あたりの十メートルほどがどうしても硬くて掘れなかったので、そのままになっているんだ。莫大な金と多くの人達を投入してやった事業だったんだが、途中で挫折したしろものだよ。」と、言いました。

寛八は「そうだったのですか。もったいないことをしましたね。もう少し掘れば貫通したのに。」と、言いました。すると権市は「あなた様はお見受けしたところ、武家の出身と見ました。何でこんな旅をしているのですか?」と、聞いてきました。寛八は「実はいろいろと悩みがありまして、その答えを見つけるために旅にでたのです。」と、言いました。すぐに権市は「そうだったのですか。若い頃というものは、いろいろと悩みがあるものですよね。わたしも若い頃はそうでした。百姓が嫌で、嫌で、悩んだ末に家出をしてしまいました。行き着いたところは江戸でした。江戸で悶々と悩みながらいろんな仕事をしながら暮らしていました。そして家出をして3年目の頃ある大工の棟りょうと飲み屋で意気投合していろいろと話をしました。その時、棟りょうが、''お前は家もあり、田畑もあるのに、どうしてこんな江戸で働いているんだ。家へ帰って自分なりに工夫しながら家業の百姓をやってみてはどうだ。おもしろ味がでてくるかもしれないぞ,,と、何気なく言ったこの一言で、わたしは間違った生き方をしているのに気付いたのです。私は、 その時、百姓として生まれてきた意味が分かりました。親とは違った百姓への道があることに気付いたのです。そしてそれからというもの米より、野菜中心にしていくことを決意し、死に場所をここに決めました。今は亡き親もそのことを喜んでくれました」と、言いました。これを聞いていた寛八は「そうですか。そんなことがあったのですか。でも権市殿は幸せですなぁ。死に場所がちゃんと決まっていて。拙者は何をしたらいいかも分からず、もちろん死に場所も決まっていません。いまだに生きる意味も分からず、人生の何たるかも分かりません。暗黒の悩みの中にいます。なんとも情けないことです。人様から見れば贅沢な悩みに見えるかもしれませんが、拙者にとっては生きるか死ぬかの重大問題なのです。何とか分かってもらえますか。」と、言いました。

すると権市は「寛八殿、私は分かりますよ。あなたの苦しみは。若い頃は自分の人生というものを真剣に考えるものです。分かります。分かります。」と、だいぶ酒に酔ってきた感じで言いました。寛八は「理解してもらってありがたいです。拙者の親戚では、あんな道楽息子は勘当してしまえ、とかの声が上がっているそうです。」と、言いました。そして続けて「権市殿、人間が生きるということは、いったいどういうことなのでしょうか。」と、聞いてきました。権市は「なかなか難しい問題だ。しいていえば、死ぬことを見つけることではないだろうか。」と、哲学的な答えを言いました。寛八は「権市殿はなかなかの苦労人ですね。生きるとは、死ぬことを見つけることとは、なかなか言えることではないですね。もう少し説明してくれますか?」と、言いました。すると権市は「人間というものは必ず死ぬんだ、ということが分かれば、どう生きるかということが見えてくることだ、という意味なんだ。あと、数十年もすれば、この世の中に生きている人達は間違いなく、みんな死んでしまうはずだ。そうだろう、寛八殿。あなたの親や文句を言っている親戚のものも、みんなこの世から消えていなくなるのだ。」と、言いました。寛八は「それはそうです。みんなこの世から消えていなくなります。残るのはその人のお墓だけです。中には墓さえ残らないものもいます。なんだか虚しいですね。」と、言いました。権市はすぐに「そうなんだよ、寛八殿。いいところに気付いた。人生は虚しいものだよ。だから人生の意味を求めて一生懸命生きなければならないのだよ。生きるためには、生きる意味が分からなければならないのだよ。自分が死ぬことが分かれば、この生きている時間というものが、いかに大事なものかが分かるようになる。」と、人生の先輩らしく言いました。そして寛八に「まあまあ、きょうは無礼講だ。大いに飲もうじゃないか。」と、言って寛八に酒を注ぎました。寛八は父親にも聞いたこともなかった権市の死生観に、何か開眼させられた感じを持ちました。そしてそんな思いを持ちながら権市の注ぐ酒をぐいぐい飲みました。そして知らないうちに旅の疲れも手伝って寝てしまいました。 

翌日、目を覚ました寛八は、すでに朝ごはんが用意されていることにびっくりしました。権市は「おはよう。ゆっくりされましたか。だいぶお疲れだったようだ。さおさあ、顔を洗ってきたら、すぐに食べてください。たいした料理ではありませんが腹いっぱい食べてください。」と、寛八に言いました。寛八は「権市殿、かたじけない。」と、言って顔洗い場に行きました。そしてもどってきて朝ごはんをいただきました。そして寛八は「権市殿、きょうはまず、あの山の隧道に行ってみようと思っています。きのうの権市殿のお話を聞いていて、感じるものがありました。」と、言いました。権市は「それはあなたの自由です。しかし、もう何年もだれも中に入っていないので注意してください。中は暗いので、私がろうそくを差し上げますからこれで明かりをつけていってください。」と、親切に言ってくれたのです。寛八は「ありがとうございます。ところで宿泊代はおいくらですか。」と、言いました。権市は「これも何かのご縁です。宿泊代はいただきません。」と、言いました。寛八は「それでは拙者の気がすみません。」と、言いました。権市は「寛八殿、そんなことよりお金を大切にしてください。この世の中、何が起こるか分かりません。私のところは本当にいいのです。」と、言いました。寛八は「それではお言葉にあまえます。かたじけない。」と、言って山の方へと歩いていきました。 

山の村の方の、隧道の入り口に来た寛八は、その中にろうそくをつけて入っていきました。そして硬い岩石のところまで行ってみました。村の人達が、たがねで挑戦したあとが残っていました。寛八はそこを手で触ってみました。本当に硬い岩石だったのです。そして村の人達と、町の人達の無念さが、ひしひしと伝わってきました。しばらく、この隧道の中で腰を下ろして考え事をしていた寛八は、何を思い立ったのか、急に立ち上がって隧道から出て行きました。そしてまた権市の家の方へと戻っていきました。 権市の家に着いた寛八は開口一番「権市殿、拙者はあの山の隧道を掘ることに決めた。きょうからあなたの家の納屋に寝泊りさせてくれませんか。」と、いきなり権市に言ってきたのです。権市はびっくりして「寛八殿、気でも狂ったのですか。あの隧道はどんなことをしてもびくともしなかったのですよ。大勢の人がそれを実証しています。そんな隧道をあなた一人で掘れるものではありません。みんなでやってもできなかったことを考えずに旅をしてください。」と、言いました。すると寛八は「権市殿、誰もできなかったのでやってみようという気持ちになりました。拙者は誰もできなかったこの隧道を掘ることに一生をかけてみようと思ったのです。人がやってもできなかったことに挑戦したくなりました。きのう、あなたから聞いた死生観で、この隧道を見て開眼しました。」と、言いました。権市は「一日働いても一銭にもなりませんよ。ましてや、誰も協力もしないし、そんな条件の悪い中で、できっこありませんよ。あきらめるなら今ですよ。」と、言いました。寛八は「いやぁ、天がこの地に拙者を招いて、あなたと引き合わせてくれたに違いありません。拙者はだれがなんと言おうと決めました、やってみます。実はここに15両ほどあります。これが今の拙者の全財産です。これを権市殿に差し上げますので、当分の間、納屋に寝泊りさせてください。」と、言いました。

権市は「そんなに決心が固いならば、やってみなさい。私はもう何も言いません。ただ、納屋に泊まるのにお金は要りません。今あなたが持っている15両でいろいろと隧道を掘る道具を買ってください。道具がなければ隧道は掘れないのですよ。そして納屋に寝泊りするだけでは長期間作業はできません。人間、食べなければ死んでしまいます。うちは女房のほかに娘が一人居るだけで、畑もあり、食料は自給自足ですから食料の援助もできます。」と、言いました。これを聞いた寛八は「いやいや、そういってもらうと助かります。きょうからお世話になります。」と、言いました。 権市はこのことを女房のお幸と、娘のお節に話しました。これを聞いたお幸とお節は「寛八さんは変わった人だ。誰もがあきらめていることを一人でやろうとしている。まあ、その気持ちだけはたいしたものなので、できる限り協力してやろう。」という気持ちになりました。寛八はすぐに山の隧道の調査に着手しました。そしてたがねなどの、隧道を掘る道具の手配も隣町の金物屋に手配しました。そして道具が届いてからというもの、毎日毎日山の隧道に入って、ろうそくの火を頼りに、かなづち、で、たがねをたたいては隧道を掘っていました。しかし、岩石は硬く、とうてい歯が立ちませんでした。何百本ものたがねを無駄にした寛八は心の中で「こんな状態を繰り返していても何も前に進むことはできない。なにか別な工夫をしなければならない。」と、思うようになりました。そしていろいろ研究した結果、特別に大きな、丈夫なたがねを鍛冶屋に注文しました。そのたがねは、山の隧道の頭上に縄でぶら下げて、振り子のように勢いをつけて岩石を砕いていくものでした。たがね自体は大きく丈夫なので、勢いがつくと相当の力が岩石に加わりました。前にはびくともしなかった岩石が少し砕けるようになりました。寛八は手ごたえを感じることができました。この山の隧道を掘ってからすでに3年の月日が流れていました。 

そんな様子を見ていた権市は「なかなかあきらめないな。きょうはどれだけ進んでいるか見に行ってみよう。」と、お幸とお節に言いました。二人も同意したので三人で寛八が作業している山の隧道に行きました。山の隧道は今で言う10センチは進んでいました。それを見た権市は、あんなに大勢の人がいろいろやってもびくともしなかったこの隧道が、少しは砕けて進んでいるのを見てびっくりしました。そして寛八に「しかし、ようがんばったのう。びくともしなかった隧道が少しは前に進んでいる。いやぁ、たまげた。たいしたものだ。」と、言いました。寛八は「まだまだです。勝負はこれからです。何とか一生かければこの隧道は貫通します。」と、言いました。そして権市はそのとき、寛八の根性が本物だと心から思いました。そんなことを思っているそのとき寛八は「権市殿、拙者はこの山の隧道を掘って死にます。とうとう死に場所を見つけました。こんな幸せはありません。これもあなたのおかげです。あなたの家で最初に泊めていただいたとき、あなたが拙者に死生観を話してくれていなかったら、きっと一生旅を続けて虚しく人生を終わるところでした。今はつらいですが、はっきりとした目標があります。死に場所があります。」と、きっぱりと言いました。これには権市もびっくりしました。すかさず権市は「きょうは作業が終わったらうちで夕飯をたべてください。みんなで待っていますから。」と、寛八に言いました。寛八は「はい、分かりました。」と、言ってふたたびもくもくと作業を続けました。 夕方になり寛八が作業から戻ってきました。そして夕飯を約束どおりみんなで食べました。食べ終わって権市が「実はなぁ、寛八殿、うちに養子として入ってくれないか。うちの娘の婿さんにならないか。」と、言ってきたのです。寛八も突然こんなことを言われたのでびっくりしました。そして「お節さんにはこの話はしてあるのですか。」と、権市に言いました。すると権市は「してある。あなたがいいと言えば、何も文句はないそうだ。」と、言いました。寛八は「突然なので一晩考えさせてください。」と、言いました。そして隣の納屋の寝床へと向かいました。納屋に帰ってきた寛八は考えました。そしてどっちみち、この山の隧道の中を死に場所と決めたこともあり、権市の話を受けることにしました。そして翌日、その旨を権市に話しました。 

そんな話が決まってまもなく、権市の家で祝言がありました。晴れて寛八とお節は夫婦となりました。そして寛八は納屋ではなく権市の家に寝泊りができるようになりました。権市はそれからというもの寛八に物心両面の援助をしてくれました。そして益々山の隧道を掘ることに集中できるようになりました。祝言をしてから二年後に男の子が生まれました。名前は一郎太と名付けました。子供が生まれても寛八は山の隧道を掘り続けました。10メートルの半分に到達したとき、寛八は50歳になっていました。そのときはすでに権市とお幸はあの世に行っていました。そしてあと半分、生きている間に掘れるかどうか不安がよぎりました。しかし、寛八はそんな不安をもろともせずに、もくもくと掘り続けました。そしてとうとうこの山の隧道を貫通させてしまったのです。この山の隧道は大八車も通行でき、すれ違いもできるものでした。地域経済に与える恩恵は計り知れないものがありました。すでにそのとき、寛八は76歳になっていました。百姓は、せがれの一郎太が、ついでやっていました。女房のお節は72歳になっていました。この山の隧道が貫通したことは、近隣の町や村に知れ渡り寛八の偉業は絶賛を浴びました。そしてとうとう殿様にも知られ、寛八は千両のお金をご褒美としてもらいました。

しかし、寛八の体は何十年もの隧道掘りでぼろぼろになっていました。そしてとうとう山の隧道掘りが終わった年にあの世に行かなければならなくなりました。ここに寛八の76年間の人生が終わったのでした。死んでから寛八がつけていた日記が発見されました。その日記の最後に「私は死ぬ場所を見つけることができて幸せでした。これも権市殿のおかげと感謝しています。若き頃、悶々と悩んでいたことは無駄ではありませんでした。生きるとは死ぬことを見つけるなり。死ぬことが分かることは生きることが分かることなり。人生とは目標に向かって日々努力することなり。人の幸せは死ぬ場所を見つけることなり。これすべて達成するには、不撓不屈(ふとうふくつ)の精神が必要なり。とうとうこの境地に達するなり。最後に、殿様からのご褒美の千両は村の産業振興の基金として、村に全額寄付するなり。」と、書いてありました。     おしまい

  あなたは人生の目標、死に場所(骨を埋めるところ)をすでに見つけましたか?

※「不撓不屈」の意味・・・困難に負けない、困難にくじけないこと。