殺し合いの戦争によって先に殺された人間と、殺した方の人間が最後に行き着く共通のところが天国です。そんな天国からの視点で歴史上の人物を登場させて平和等について考えた物語です。今を生きる私たちが未来を選択していく場合、過去の戦争を振り返ってみて何が大切なのかを考えてもらいたいと思って考えた空想物語です。

西暦2007年、スペースシップ「ギャラクスィトレーン」で運ばれてきた人間の霊は「レイカンリセンター」の「人間課」で管理されていました。ここでは年一回親睦を兼ねて宴会が開かれていました。宴会のテーブルには多くの酒とご馳走が並べられていました。そんなテーブルの一つにリンカーンも座って酒を飲んでいました。そこへトルーマンがやってきました。リンカーンは「トルーマンさん、どうして日本に原爆を2発も落としたのですか?」と、いきなり大変な問題を質問してきました。これにはトルーマンもびっくりしました。トルーマンはすぐに「リンカーンさん、どうしてわたしが原爆投下の命令を下したのを知っているのですか?」と、聞いてきました。するとリンカーンは「この天国は、霊が運ばれてきた時、その霊の生前の生きざまを書いた本が発行されるのです。だからわたしは、それを見て分かったのです。」と、答えました。するとトルーマンは「そうでしたねぇ。忘れていました。わたしは、その決断は今から考えると間違っていたのではないか、と思えるようになりました。

戦争という名のもとに何の罪もない多くの広島市民と長崎市民を原子爆弾で一瞬にして殺傷したことを悔いはじめています。たまに天国のデパートに行ったとき、原爆でやられた広島、長崎の方に出会います。そんなときは、あわせる顔がありませんので、つい隠れてしまいます。心の奥底に、本当に悪いことをしてしまった、という気持ちがあるのではないかと思っています。最近、良心が痛むのです。戦争だったんだから、戦争だったんだからと、心の中で必死になって打ち消してもだめです。天国に来てからというもの、何回も、多くの方が苦しんで死んでいった夢を見ました。特に若い母親が赤ちゃんをおんぶして、一瞬にして2人とも原爆の高温の熱線で蒸発して亡くなった夢を見る時は、良心が耐えられなくなります。今から思うと、当時、別な方法があったのではないか、と考えられるようになりました。」と、言いました。

するとリンカーンは「天国に来てやっと目が覚めたのでしょうかねぇ。もし、わたしがその当時アメリカ大統領だったならば、日本に密(ひそ)かに特使を天皇のところに送り、原爆を落とす前に脅しをかけて、天皇から密かに全面降伏の密約をもらっていたでしょうね。」と、言いました。するとトルーマンは「リンカーンさん、当時そんなことはできませんでしたよ。そんな甘い状況ではなかったのですよ。何にも知らないくせにそんな簡単に言わないでください。元々この戦争は1941年12月8日未明に日本がハワイの真珠湾を奇襲作戦で攻撃したことが発端です。その連合艦隊司令長官がアメリカのことをよく知っていた山本五十六です。そんな山本率いる日本海軍がアメリカに喧嘩を売ったのです。戦争の仕掛け国は日本です。この世の中は最初に手を出した方が悪いことになっている。売られた喧嘩は買わなければアメリカは全滅です。戦争は殺さなければ殺されるのです。国の存亡を賭けた命がけの戦いです。生きるか死ぬかのどちらかです。中間はありません。」と、言いました。

そんなことを言い合っているうちにナイチンゲールがやってきました。そしてすかさず「トルーマンさん、戦争に原爆を投下したのは残念でした。」と、言いました。そして「何の罪もない多くの市民が一瞬にして何十万人も死んだのですよ。このことはいくら戦争でも、人間として絶対にやってはいけないことだったのです。絶対に使ってはならなかったのです。いくら戦争とはいえ、原爆は人類が絶対に使用してはならないものなのです。確かにアメリカとしてはそれなりの理由があったから使用したのでしょう。しかし、原爆は絶対に使用してはならない兵器です。」と、何回も繰り返しました。そんなことを言っているナイチンゲールにトルーマンは「もし、原爆を使ってなければ戦争による犠牲者はそれ以上になったと考えられる。だって日本の軍部は本土決戦一億総玉砕というスローガンを掲げて、国民をすべて道連れにして無理心中しようと考えていたからねぇ。何と竹やりで敵を殺す訓練を全国でやっていたからねぇ。アメリカ人の発想からしたら信じられないよ。日本の軍部の考え方は原爆の比ではない。世の中は原爆が悪いというが原爆が一発で10万人殺せると考えると一億人殺すのに1,000発必要だ。そんな計算からすると軍部の考え方である一億総玉砕がよっぽど狂気の沙汰だ。我々アメリカは日本の国民を救ったのだ。」と原爆を落とした正当性を主張しました。そしてすかさず「ナイチンゲールさん、あなたは生前自分の家を留守にしたとき、家の鍵をかけずに外出しましたか。又、寝るとき家に鍵をかけないで寝ましたか。きっと鍵をかけていたと思う。」と変なことを言いました。

そうするとナイチンゲールは「何でそんな質問をするのですか。」と逆にトルーマンに質問しました。するとトルーマンは「これは家を守ることと国を守ることは同じことだということを分かってもらうためにこんな質問をしたのです。これは人間とは何か? という本質的なことを含んでいるのです。人間は頭の片隅にそう簡単には人を信じることが出来ないという気持ちを持っています。そのために鍵をかけるのです。この地球上の人間をみんな信じて生きていれば鍵をかけないでもいい。みんな信じて生きていれば鍵をかける必要もない。しかし、信じていないから人間は鍵をかけるのだ。賊や、殺人者等の悪意を持った人間が自分の家に侵略してくるかもしれないので鍵をかけて家と家族を防衛するのだ。家と国は同じだ。人間はそんな純粋な生き物ではない。世界中の人々が家に鍵をかけなくても安心して寝られる社会になれば何の問題もない。しかし、それは夢のまた夢だ。現実はそんな甘いものではない。人類の歴史は戦争の連続だ。人間はどんなに仲良くしていても最後には喧嘩をする生き物なのだ。喧嘩の決着をつけてまた新しい時代がつくられていくのだ。だから人間は簡単に割り切れる生き物ではない。そんな中での大統領(国のトップ)はすべての国民の生命と財産を守っていかなければならない重い責任がある。常に最悪の事態を想定して手を打っていかなければならないのだ。可能性がゼロでない限り、無責任なことは言っていられない。そこが政(まつりごと)のつらいところだ。だからいったん戦争になったら徹底的に相手をたたく。そうしないと自分たちがやられるからねぇ。だからアメリカは戦争に勝つために原爆を使用した。何が悪い。アメリカの圧倒的なパワーを日本にみせつけることによって、日本がアメリカに喧嘩を売ったこと自体がそもそも間違っていたんだ、ということを心の底から思い知らせたかったのだ。

もし日本も原爆をアメリカより早く開発していたらきっと原爆を使ってアメリカ市民を殺してその威力を試しただろう。だからやられる前にたたく、戦争とはそういうものだ。敵より、より強力な武器を早く開発すること、これが戦争に勝つための鉄則だ。」と言いました。そして最後に「今は死んで天国に来て、結果的に戦争をしたことを悔いているが、当時としては祖国であるアメリカの国民の生命とその財産を守るためにそうするしかなかったのだ。人間は生きているときは競争、競争と言って覇権を争っている。死んで天国に来て初めて、私は何でそんな愚かなことをしていたんだろうかと気付いた。そんな覇権を争うエネルギーがあったならば、もっともっと世界の人々と仲良くなり、すばらしい交流を深めるためにエネルギーを使えばよかったと今思っている。」と言いました。

そこへ酒に酔ったナポレオンがやってきました。ナポレオンは「あれ、何でわたしの名前の酒がテーブルの上にあるのですか。わたしの承諾も得ないで名前を使ってぇ。まぁ、きょうはいいやぁ。宴会だからねぇ。ところでみなさん、何の話をしているのですか。きょうは無礼講です。大いに飲んで騒ぎましょう。まじめな話は後でゆっくりやってください。まぁまぁ、飲みましょう。」と、言いました。ナイチンゲールは「ナポレオンさんはずいぶん酔っ払っていますね。酒もほどほどにしてください。」と、言いました。するとナポレオンは「いやぁ、ナイチンゲールさん、わたしもずいぶんと戦いをしました。そして多くの人々を殺しました。ここに来て目が覚めました。戦争はやってはいけないのです。わたしも殺した人に天国の駅で偶然会うことがあります。そのときはやっぱり良心が痛みます。」と、酔っ払って言いました。

そんなことを言っているときに、ヒットラーとムッソリーニが仲良く手をつないでやってきました。それを見たナポレオンが「あれ仲良しの日本の東条さんがいないねぇ(日独伊三国同盟)。」と言いました。それを聞いたムッソリーニは「東条さんは向こうのテーブルで飲み過ぎて別室で寝ています。」とナポレオンに言いました。するとナポレオンは「そうでしたか。日本人は意外と酒に弱い体質だなぁ。」と言いました。ヒットラーとムッソリーニも、この天国にやってきて、生前のやってきたことを悔い改めていました。ヒットラーはリンカーンに「リンカーンさん、あなたは奴隷解放という立派なことをしましたねぇ。わたしは生前多くのユダヤ人を残虐な方法で殺してしまいました。いくら戦争とはいえ、やっぱり人間として間違っていたことに気付きました。一時、神の子などと、もてはやされ調子に乗っていたのです。いくら第一次世界大戦の賠償金の支払いで国が窮し、不景気でも戦争によって他国を侵略して経済を打開していくやり方は正しいやり方ではなかったのです。今、天国に来て、初めて分かりました。そして多くの人たちを殺したことに対してムッソリーニと一緒に関係者に謝って回っているのです。」と、言いました。それに対してリンカーンは「それはいいことだ。」と、言いました。そしてリンカーンはヒットラーとムッソリーニに酒をついでやりました。

そんなことで楽しく酒を飲んでいるところに織田信長と豊臣秀吉がやってきました。信長が「ナポレオンさん、お初にお目にかかります。わしにも酒をついでいただけないでしょうか。」と、言いました。ナポレオンは「気が利かなくてすいません。さぁさぁ、きょうは無礼講です。大いに飲みましょう。」と、言って、信長と秀吉に酒をついでやりました。そして秀吉が「わしも生前多くの人達を殺してしまいました。身内までも根こそぎ殺してしまいました。時代が時代だっただけに、避けがたいところがありましたが、人の命というものが、いかに大切であるかを天国に来て分かりました。特に朝鮮の方には悪いことをしてしまったと、今は反省しています。」と、言いました。そこへひょっこりと明智光秀がやってきました。そして信長を見るなり「信長殿、本能寺ではすまないことをしました。許してください。」と、いきなり謝ったのです。信長は「よくも主君であるわしを亡き者にしてくれたなぁ。あの熱い本能寺でわしがどんな気持ちで死んでいったか、お前には分からない。しかし、お前も反省しているようだから許してやる。」と、信長らしからぬ許しの言葉を光秀にかけたのでした。光秀は信じられないような顔を一瞬しましたが、すぐに我に返り、「ああ、よかった。いつも気にしていたのです。いくら戦(いくさ)でも主君を殺すことは間違っていました。」と、言いました。信長も「わしもずいぶんと残酷なやり方で多くの人間を殺してしまった。お前に殺されたのは、わしにもどこか非があったのだ。天国へ来てそれが分かった。」と、言いました。信長は「まぁ、光秀、きょうは過去を忘れて一緒に秀吉と酒を飲もうじゃないか。ビールと日本酒、どっちがいいのか。」と、光秀に聞いてきたのです。光秀は「それではお言葉に甘えて日本酒をいただきます。」と、言いました。信長は光秀に日本酒をついでやりました。この天国で信長と光秀は和解したのでした。

そんな話に夢中になっていると、向こうからサダム・フセインがやってくるではありませんか。信長が「フセインさん、一緒に酒でも飲みませんか。」と、言いましたが、サダム・フセインは黙って歩いて、別なテーブルへ行ってしまいました。そしてこんどは徳川家康がやってきました。秀吉が「徳川殿、よくもわしの息子の秀頼を亡き者にして、政権を奪ったなぁ。わしはおぬしを信用していたのに。信用していたわしが馬鹿だった。」と、言いました。すると家康は「わしはちゃんと戦をして当時のルールに従って政権をとっただけだ。関ヶ原でもしかり、大阪夏の陣、冬の陣でもしかりであった。要は秀頼が甘かったのだ。秀吉殿があまりにもかわいがり過ぎて何の苦労もさせないで育てたのではないのか!? それが命取りだ。人間は苦労しないと本当のことは分からん。秀頼がわしのように本心を見せないたぬき人間だったら、わしは負けていたかもしれない。所詮人間は駆け引きだ。天下はお人好しでは取れない。それだけ政(まつりごと)とは難しいものなのだ。人間の心の機微を分かっていないと人間を使うことは出来ない。そして味方に付けることも出来ない。それをわしは多くの書物と苦労から学んだ。秀頼よりわしの方が苦労もしたし、勉強もしていたのだ。しかし、わしもここへ来て、天国のデパートで秀頼や光成に会うと、どうしたことか、すまなかったなぁ、という気持ちになってしまうのじゃよ。やはり人の命を奪うことは悪いことだと気が付いたよ。まぁ、秀吉殿、過去のことは水に流して、きょうは一緒に飲みましょう。」と、言いました。すると秀吉は「何がルールに従ってだ。些細なことに因縁をつけ、それを口実に攻めおって。まぁ、今になってそんなことを言っても始まらない。わしも人を責めることはなかなかできん。政権をとるために多くの人達の命を奪ってしまった。その点では家康殿と同じじぁ。」と、言いました。

するとこんどは各国で自爆テロを実行した若者の集団が、浮かない顔をしてやってきました。家康が「そこの若者よ、そんな浮かない顔をしてないで、きょうは一緒に飲まないか。」と、言いました。すると、その中の一人が「家康さま、酒を飲む気分になれません。天国に来て、わたしたちがテロで殺した人達とデパートや駅で会うのです。なんともいえない気持ちになってしまいます。わたしたちはテロを実行すれば天国に行けると教えられました。しかし、ここへ来てみたら、わたしたちが殺した人達もいるではありませんか。本当に正しいことをしたのだろうか、実は自分のことしか考えていなかったのではないのか、などと毎日葛藤の日々です。心が晴れる日はありません。酒を飲んでいる余裕はありません。」と、言いました。すると家康は「そうか、それはかわいそうだ。よく考えて、あなた達なりの結論をだしてください。わしは、自分たちの目的のために手段を選ばないテロは、人間として間違っていると思うなぁ。テロは単なる無差別殺人でしかないんだよ。確かに今の地球には理不尽な問題がたくさんあることは分かっている。しかし、何の罪もない人間をテロによって殺すことが問題解決につながるとは到底思えない。あなたたちは変な理屈を教えられているのではないかと思うのじぁ。問題解決には別な方法がたくさんあるはずだ。そのことに気付いてほしいよ。この機会に頭を冷やしてじっくり考えてみなぁ。」と、言いました。すると若者は「この機会に冷静に考えて見ます。」と、言って去っていきました。

そんなことを言い合っているうちに、この「レイカンリセンター」を管理しているレイカンリ神がやってきました。そしてみんなの前で「みなさん、生前、多くの人々を殺した人も、良いことを行った人もここでは永遠の命を授かります。多くの人々を殺した人はいろいろ反省しているようです。本当は死んでからそう思うのではなく、生きているときにもっと人間の命というものを大切にしてほしかったのですが、ここへきて分かるように、人類の歴史は戦争の歴史と言っても過言ではありません。人を殺し合う歴史だったのです。人を殺しても、天国ではみんな一緒になるのですから、顔を合わせられないようなことは、地球に生きている間はやらないほうがいいと思います。そうしないと、天国に来ても苦しむはめになりますからねぇ。みなさんの反省も踏まえ、これからの人類に、皆さんの経験から、何か共同メッセージを送ってほしいのです。」と、言いました。それを聞いていたリンカーンは「それはいいことだ。早速まとめましょう。」と、言いました。そして一時間後に共同メッセージが発表されました。

天国から人類への共同メッセージ

人類の問題解決のために、人間を一瞬にして殺してしまう核爆弾は、絶対に使ってはならない。そして諸問題解決のために何の罪のない一般市民を巻き込む戦争をしてはならない。もし、どうしても戦争をしたい国があるならば、関係者だけで、大きな砂漠で戦って決着をつけてください。そうすれば一般市民とその財産である建物等は守れます。天国に来て分かったことは人々を殺すテロや戦争は憎しみの感情だけが生まれ、決して問題解決の手段でないことも分かりました。別な方法がいくらでもあります。このことを人類へのメッセージとしたい。

※ この機会に本当の平和とは何か、本当の意味での国民の生命と財産を守るということはどういうことなのか、人間とは何だ、等々のことを考えてみませんか。日本は未来永劫アメリカの核の傘の中でいいのでしょうか。それとも基本抑止にもっと力をいれなければならないのでしょうか。それとも核に頼らない平和を模索していった方がいいのでしょうか。そんなことを考えるきっかけになればと思って考えた物語です。国の方向は最後には国民の選択によって決定していくのです。一人一人が考え方を自分なりにまとめておかないと、いざというときに間に合わないのです。「戦争をすれば誰が犠牲になるのか? 」これが考え方のポイントではないかと思います。

もし、日本を取り巻く現在のパワーバランスが何らかの理由によって崩れた場合、日本は脅威にさらされる可能性が出てきます。 そうなった場合、「ボーゥ」としてはおられなくなります。人間は急に自分の考えをまとめることはなかなか出来ません。平和なときに安全保障の問題を政治家より先に国民一人一人が自分なりに考えておくことは大切だと思うのです。なぜならば自分の国だからです。他人事ではないのです。あなたはどう思いますか? 「考えること」は財産があろうとなかろうと関係なく誰でも今すぐ出来ます。政治は金持ちだけのものと思っていませんか? そうではありません。国民一人一人が国の問題を真剣に考えることによって政治は動くのです。政治はあなたのものなのです。主権者はあなたですよ。このところを再認識しましょう。

※ 日米開戦と原爆投下の真実は現在次々とアメリカ合衆国の秘密文書が公開されて新事実が少しずつ出てきています。
※ 第二次世界大戦で日本の都市のほとんどがアメリカ軍の空襲でやられました。その死者数は広島市と長崎市の二つの都市で、1945年12月末で約21万人、その他の都市の合計は約20万3000人です(この中には1945年3月10日の東京大空襲の犠牲者の約10万人も入っています)。原爆は「絶対悪」と主張されている方々がおられます。しかし、広島、長崎以外の都市で空襲によって亡くなられた合計の死者数は、ほぼ原爆で亡くなられた方々と同じくらいです。その方々は焼夷弾等の爆弾でやられました。焼夷弾等の通常兵器と呼ばれている爆弾は「絶対悪」ではないのでしょうか。そんな疑問を持ってしまいます。 また、人類が有史以来、地球上で通常兵器によって殺した人間の累積死者数は天文学的数字になります。通常兵器での累積死者数を原爆と比較した場合、現時点では逆に原爆よりはるかに多くの人間を通常兵器は殺しているのです。沖縄戦一つとっても日米両軍と民間人を合わせた地上戦の戦没者は約20万人とされています。行方不明者を含めるともっと多くなります。当時としては死者数から見た場合、原爆の2発分に当たります。世界平和を考えるとき、通常兵器のこともこのような視点で考えてみませんか。

※ ICAN(アイキャン)の団体が2017年度の「ノーベル平和賞」を受賞しました。理想を掲げるICANが受賞したことはすばらしいことです。祝意を申し上げます。一つだけICANの方々に質問したいことがあります。それは「夜寝るとき家に鍵をかけて寝ますか?」「外出するとき家に鍵をかけて外出しますか?」の2点です。この質問は「人間とは何か?」につながる根本的な問題です。この問題が明確にならない限り、核兵器の問題は非常に難しく、単純に割り切ることが出来ない問題ではないでしょうか。そのために世界は考え方が割れているのではないでしょうか。みなさんはどうお考えですか。それともう一つ、核兵器以外の大量破壊兵器の生物兵器、化学兵器、放射能兵器はどうするのですか? いっそのこと「全兵器禁止条約」にしてはどうでしょうか。

人類の理想を実現するには世界中の人々が鍵をかけないでぐっすり寝られる世の中を創らなければなりません。弊社はその為には人間の一人一人の「魂のイノベーション」が必要と主張しています。これを人類のロマンすなわち「人類の夢」としてこのホームページで主張しています。しかし、はっきりいってそれは夢のまた夢です。しかし、人類はそんな努力をしていかなければならないと考えています。なぜならば、人間は神様ではなく、筆者も含めて欲望に満ちて、欠点だらけの生き物(日本的に表現すると煩悩具足の凡夫、西洋的に表現すると迷える子羊)だからです。善と悪のシェアー争いの生き物なのです。人間が完璧であればそんな努力は必要ないわけです。今、こんな文章を書いている途中で一句浮かびました。「欲の垢洗い落とせぬ我が身なり」。これは「どんなに世の中道場で修行していても「欲」という垢(あか)は、毎日毎日洗い落としても次々と出てくる。そんな情けない自分がほとほと嫌になってしまった」という意味です。これこそ煩悩具足の凡夫の証拠です。筆者はこんな人間ですから人の2倍も3倍も努力しなければなりません。

ここに一つの俳句を紹介します。それは「盗人(ぬすっと)に取り残されし窓の月」。これは良寛が詠んだ句です。越後の田舎に住んでいた良寛の家の国上山の五合庵に夜中、泥棒が入りました。盗む物は何もなく途方に暮れている泥棒に気付いた良寛は、心を痛め、寝ているふりをして寝がえりを打ち、せんべい布団を盗むようにわざと仕掛けました。その仕掛けにのった泥棒はその布団を持ち去って逃げていきました。そして起きてきた良寛は、何にもないその部屋を見回しました。そしてふと気づいたら、その部屋に残っているのは窓から差し込んでいる美しい秋の満月の光だけだった、という情景を詠んだ句です。世界中の人々がこのような良寛のような境地に到達すれば寝るときに鍵をかける必要はなくなります。泥棒に入られてもこのような俳句をつくる良寛の心の余裕の中に、すべてを包み込む宇宙を感じてしまいます。皆さんはどのように感じますか。
◎良寛・・・1758年生まれで1831年に没。江戸時代後期の曹洞宗の僧侶。歌人、漢詩人、書家。号は大愚。越後国出雲崎(現在の新潟県三島郡出雲崎町)出身。清貧の思想を貫く。物質的には豊かでなかった良寛の宇宙のような広く深い愛の精神的な豊かさの中に、現代人が失ったものを発見できるかもしれません。

※いつの日か「日本を攻撃せよ!!」という命令が突然どっかの国によって発せられ、東京都、大阪市、福岡市、名古屋市、札幌市、京都市、仙台市に核ミサイルが同時に発射された場合、どうしますか? 「そんなことは絶対にない」と言い切れるのでしょうか。こんなことにならないために人間は何をすべきなのでしょうか。そんな視点でこの「天国の宴会」を再度お読みになってください。人類の歴史は、すきあらば「国盗り物語」だったのです。それは今も現在進行形です。
人類は自分たちの首をお互いに締める最大の兵器である「核兵器」を放棄できません。本当は核兵器を放棄したほうがいいと頭では理解しています。しかし、人類はいざとなると敵対関係になるのです。そのために放棄出来ません。すべての国々が永久に友好関係を構築できればそんな兵器は必要ありません。しかし、永久に友好的になれる保証は残念ながら今の人類にはありません。敵対関係になった場合、最悪、喧嘩します。喧嘩になれば最後に勝つ手段を持ちたいのが人類です。誰も負けたくありません。そのために核兵器を所有することによって「安心感」を得たいのです。すなわち核兵器は不安解消のためでもあるのです。しかし、放棄の努力はしていかなければなりません。そうしないと永久に放棄する日は来ません。それだけは今言えます。筆者は兵器の問題を考えるたびに「人間とは何か?」ということを考えてしまいます。筆者は学校で歴史を勉強した結果、人類の本質はすきあれば、人の領土(国民とその財産すべて等)に攻め入って、すべてを盗む大泥棒ではないのか、という一つの結論に達しました。人類はそんな大泥棒から財産を守るために国家的なセキュリティシステムである軍事力を保有しています。そのために簡単に兵器は放棄出来ないのです。みなさんは歴史を勉強して何を思いましたか。この機会に人類の歴史をもう一度勉強してみませんか。戦争、戦争で明け暮れている人類の姿が浮き彫りになります。「他人を見たら泥棒と思え」を「他国を見たら泥棒と思え」とも言えるのです。日本の領土を泥棒から守るためには何をしたらいいのか。こんな視点でこの機会に我が国の安全保障を考えてみると分かり易いのではないかと思います。

(※ 日本の安全保障を考えるときに一番気になっていることがあります。それはある国が突然奇襲攻撃をかけてくるのではないかという心配です。日本が1941年12月8日未明に突然ハワイの真珠湾を日本海軍が攻撃したように、この奇襲作戦を真似して突然日本を攻撃するのではないかということです。それは表面的には友好関係を装って安心させ、そのすきをついて密(ひそ)かに日本近海に原子力潜水艦を配置し、そこから核弾道ミサイルを日本のどこかの大都市四ケ所に同時に発射して、その都市を壊滅させる奇襲作戦です。今は上を飛来するミサイルを中心に考えていますが、このような忍者的作戦を実行された場合、防御する方法はあるのでしょうか。そんなことを時々考えてしまいます)

※ 個人が他人の家に侵入して何かを盗むことを「泥棒」と表現します。それが「国家」になると「侵略」「侵攻」「出兵」等という表現に変わります。まさに「人間とは何か?」と考えさせられます。また、自分の家のセキュリティは完璧にやっているのに「他国の兵器をなくせ」と簡単に主張するのも人間です。そんな時も「人間とは何か?」を考えさせられます。

※もし、核兵器が全廃された場合、世界は通常兵器によっての戦争が頻繁に起きる可能性は高まると考えます。そして死亡する人間も多く出ると思うのですが。皆さんはどのように考えますか。
人類の歴史を紐解(ひもと)いてみると、人類は自らを縛り付けるモノをたくさん発明、発見してきたと考えます。そのようなモノを駆使して人類は秩序や平和を保ってきているのではないでしょうか。そのモノとは警察組織、軍隊組織、宗教、倫理、道徳、法律、条約、約定書等、通常兵器、国際連合等です。そしてついに人類の最強の兵器である「核爆弾」というものを発明しました。この爆弾も人類を縛り付ける一つのモノの中に入ると筆者は考えます。最強の兵器の「恐怖」で人類を縛っていると思うのです。秋田県の男鹿半島地方での年中行事で「なまはげ」という恐ろしい生き物が「悪い子はいねぇかー!!」と言って家々を回る行事がありました。これは「恐怖」というモノで子供のわがままを縛り付けるモノです。人類はこのように「恐怖」で縛り付けないとわがままを実行してしまう生き物だということです。好き勝手に振る舞うと最後は喧嘩してしまうのが人類です。こんな人類を「恐怖」というモノでがんじがらめに縛るのが「核兵器」なのです。最強の締付機といっても過言ではありません。人類はついに情けないことではありますが、こんな締付機を所有しないと行動を抑制できなくなったという見方も出来るのです。核兵器の所有は、人類が「いい子ちゃんではない」ということを証明していると筆者は考えます。「いい子ちゃんではない」そんな人類がお互いに牽制し合って秩序と平和を構築するために、残念ですが、今現在(西暦2020年)その方法しかないのではないでしょうか。豊臣秀吉が刀狩りをしたように人類が本当の意味でのすべての兵器の放棄という「刀狩り」が出来るのはいつになるのでしょうか。これが出来れば人類は「いい子ちゃんになること」が出来るのです。人類がすべて「いい子ちゃん」になれば外出するときや、寝るとき、家に鍵をかける必要はなくなります。世界中の国々も軍事費を計上する必要はなくなります。もしかしたら人類は永久に「いい子ちゃんになることが出来ない」かもしれません。今世界では「いい子ちゃんではない組織」が暴れまわっています。そんな組織をどうしますか。人類は今そんな課題に直面しているのです。みなさんはどのように考えますか?

※ 人類の歴史は人類を縛り付ける様々なモノを考案してきました。それは負の体験を通して人類は気付いてきたのです。人類を縛り付けるモノが、もしも、ないならば人類は暴走してしまう生き物ということになります。何をしでかすか分からない野獣と化すのです。残念ではありますが、情けなく、愚かな生き物ということになります。

※ 「最後に」・・・人類は有史以来、通常兵器というもので何の罪もない多くの人々を殺してきました。直近では第二次世界大戦です。戦争になれば犠牲になるのが何の罪もない一般市民と兵士です。筆者は有史以来このような戦争によって苦しんで死んでいった多くの方々の悲痛な苦しみを時々考えることがあります。「我々が何で死ななければならないんだ!!」と叫ぶのです。いっそのこと戦争を決めた国のトップと議員同士だけで、ある砂漠で決闘という形で戦って決着を付けられないものでしょうか。国民の代表同士が責任を持って戦うということです。そうすれば一般市民と全部の建物は救われます。戦争の決着方法を変えれば大きな被害を出すことはないのです。人類の戦い方のルールを変更すればいいのです。この方法がこの世界から戦争をなくす一つの方法だと考えます。そういうことに気付くのです。そうすれば核兵器もその他の通常兵器も必要ないのです。

皆さんに考えてもらいたいこと

よく「非人道的兵器は核兵器」という言葉を聞くと思います。これを聞いて少し変だなぁと思いませんか。非人道的兵器ということは、その逆の「人道的兵器」が存在するということを示唆しているように感じてしまいます。人々を殺す兵器に人道的な兵器というのはあるのでしょうか。もしあるとなると人道的兵器の焼夷弾で日本の都市のほとんどで約19万人の市民が殺されたということになります。昭和20年3月10日の東京大空襲で10万人の方々が殺されました。兵器はすべて非人道的ではないでしょうか。ですから核兵器を表現するときは「人道的」という言葉を入れないで「超残虐兵器」という表現の方があっているような感じを持ちます。この機会に核兵器の表現を再度考えてみませんか。確かに原爆で苦しんで死んでいった方々が大勢います。しかし、全国の都市で空襲によって苦しんで死んでいった方々も同じくらいいるのです。そんな方々のことも忘れないようにしたいものです。天国できっと「私たちのことも忘れるな!!」と叫んでいるように感じる時が時々あります。

●ついに恐れていたことが起きてしまいました。ロシアによるウクライナへの軍事侵攻です。(2022年3月18日現在の惨状はニュース等のとおりです)ロシアの大泥棒がウクライナに入って根こそぎ自分のモノにする行動を起こしたのです。一人の過度に固執する性格を持った大統領によって起こしてはならない戦争を始めたのです。その大統領はあろうことか「核」の使用をも示唆しました。この国は国連の常任理事国です。それも世界の核大国です。世界の平和と秩序に責任を持たなければならない地位にある国がそんな暴挙に出たのです。ゆえにこの侵攻は人類にとって時代の大転換点に来たということを意味すると考えます。残念ながら日本は核保有国(三国)の近くの島国です。将来世界のパワーバランスが崩れ、この三国が結託して「日本民族を滅ぼせ!!」となるかもしれません。いざとなった時、アメリカ、ヨーロッパは遠いのです。あっという間に核爆弾は日本に到着します。上からだけではありません。潜水艦からも核爆弾は発射できます。「絶対そんなことはない」とお考えの方もいると思います。しかし、今までの人類の歴史を観てください。滅ぼされた民族は数え切れません。決して日本も例外ではありません。神風ではミサイルの方向を変えることはできません。ですからこの機会に我が国の安全保障の問題を真剣に考えてみませんか。

過度の固執によって起こされる人間の悲劇の例

No.1 ストーカー・・・最悪、一家皆殺し。

No.2 イスラム過激主義・・・多くのテロ事件。

No.3 日本赤軍による複数のテロ事件とリンチ殺人事件。

No.4 カンボジアのポル・ポトによる自国民の大量虐殺事件(数百万人)等々。

数え上げればきりがありません。人間は過度の固執によって、自分の思い通りにならないと相手を憎むようになり、最悪、抹殺してしまいます。要は破壊をもたらすということです。国際法、条約、法律等は頭の中から消えます。

神風とは・・・日本の鎌倉時代に中国大陸を征圧したモンゴル帝国(元)の皇帝クビライが日本を従属させようと軍事力を使って日本に侵攻しました。侵攻は2回です(1274年(文永11年)の「文永の役」と、1281年(弘安4年)の「弘安の役」)。しかし、ちょうど2回とも日本に台風がやってきており、その強風によって強力なモンゴル帝国軍は力を発揮できず、日本侵攻をあきらめました。その時に吹いた台風の風を「神風」と言います。モンゴル帝国は、最盛期にはモンゴル高原を中心に(ロシア入る)、西は東ヨーロッパ、トルコ、シリア、南はアフガニスタン、チベット、ミャンマー、東は中国、朝鮮半島まで支配しました。ユーラシア大陸を横断するものすごい大帝国を築いたのです。もし、この2回の侵攻の時に日本に台風がやってきていなければ今の日本はなかったかもしれません。どっかの国の一部になっていたかもしれないのです。台風の嵐のおかげで鎌倉幕府は存続できました。まさに神様が風を起こし日本を救ってくれたということでその台風の風は「神風」となったのです。

※ 人間だれしも自分の思い通りにしたいと思っています。みんな自分の言うことを人が「はい、はい、分かりました」と聞いてくれれば何の問題もありません。しかし、みんな考えが違うために簡単にはいきません。そのために話し合いというものがあります。言うことを聞かないから力(暴力、軍事力等)で相手をねじ伏せるやり方は今の時代通用しません。力でねじ伏せる個人を「暴力的人間」と言います。組織を「暴力団」と言います。力でねじ伏せる国家を「ならず者国家」と言います。

このように地球上では力でねじ伏せる考え方を持っている人間がいるのはまぎれもない事実です(専制主義者、独裁者、イスラム過激主義者等も入ります)。当然類は類を呼び、一つのグルーブを最終的に作ると予想されます。ですから、このグループと話し合い・自由主義を中心に考える民主主義国家群のグループとの戦いが、今回のロシアの侵攻によって始まることがはっきりしたということです。一番恐ろしいことは核大国とイスラム過激主義者等が結託することです。人類は歴史で多くのことを学んでいるはずなのに、極端な自己中心的な人間(過度に固執する性格の人間)にはどうすることもできません。今の世界には「ならず者国家」を縛り上げるものがないのです。

※ 人間劣勢になると嘘や偽りを発表します。日本が太平洋戦争時に「大本営発表」というのがありました。日本がアメリカに負けていた戦を、さも勝っているように発表していたのです。今のロシアを見ているとそのことが重なります。嘘をつかなければ政権がもたないから嘘をつくのです。国民をだます政権は必ず最後には倒れると思います。なんの罪もない子供を含む市民を虐殺等する人の未来はないと思います。しかし、なかなかしぶといのです。それは国民の中にそういう勇ましい指導者を支持する人たちがいるからです。ヒットラーを思い出してください。彼は一時「彼は神の子だ」と国民が熱狂して賞賛していた時期がありました。まぎれもない事実です。

このような指導者の末路は歴史が証明しています。