塩原温泉の温泉宿「もみじ屋」の「損だべぇー娘のお竜さん」の問題を解決した修行僧の聖心は次の宿泊地の日光へと急いでいました。日光では大きな問題が待ち受けているのでした。聖心は、はたしてどんな方法でこの問題を解決するのでしょうか? 尚、この物語はすべてフィクションです。
※この物語には、やってはならない過激的な行為が表現されています。この部分は絶対に真似をしないでください。注目してもらいたいのは「修行僧聖心」と「甚五郎」との間に交(か)わされる会話の内容です。

引きこもりに関する一つの見解  作者 児玉春信
塩原温泉を出発し、途中で「損だべぇー娘のお竜さん」らと別れた修行僧の聖心は日光へと向かっていました。街道の途中の村々では相変わらず子どもたちが聖心に向かって「この乞食坊主あっちへ行け!! あっちへ行け!!・・・・」と言っては石を投げつけて馬鹿にしていました。そんな子供たちに聖心は「人を見た目で馬鹿にすると天罰が下るぞ!!」と怒鳴っていました。それを聞いた子供たちは「うちの母ちゃんが世の中で一番大事なのは金だ、と言っていた。金を持っている人間が一番偉いんだ!! 天罰もくそもねぇ!!」と言い返してきたのです。聖心はそれを聞いて「世も末か!?」と心の中で思いました。そしてすぐに子供たちに「この馬鹿やろう!! 金(かね)は月と同じだぞ。満ちたり、欠けたりするぞ。しかし、そうはいっても金も大切だが、まず人間は月より太陽にならなければならないんだ。ダイヤモンド魂をもたなければならないんだ。うちへ帰ったら母ちゃんにそう言っておけ!! 分かったか!! そしてなぁ、お前たちがやっていることはすべて天が記録しているのだぞ!! 天を馬鹿にするものでねぇ!!」と言い聞かせていました。そんなことを言っている間にあたりは少し暗くなってきました。聖心は日光の温泉宿へと急ぎました。

修行僧の「聖心」、日光に到着

 日光に着いた聖心は「さてどこの宿に泊まろうかなぁ?」と思ってあたりをきょろきょろと見回していたら突然大きな声がしてきました。「俺がこんな人間になったのは父ちゃん、母ちゃんのせいだ!! 2人とも死んじまえー!!」という大きな声が聖心の耳に入りました。聖心はただ事ではないと思い、その声のするほうへと行って見ました。そこは「イロハ屋」という温泉宿でした。そして恐る恐る「こんばんは、何かあったのですか?」と言ってその宿の玄関に入っていきました。するとその温泉宿の主人が出てきて「いらっしゃいませ。ようこそおいでくださいました。おーい、お菊や、お客様だぞ。足を洗ってやっておくれ」と言いました。すぐにその主人の女房のお菊が来て聖心の足を洗い始めました。聖心は「まだ、ここに泊まるかどうかは決めていませんでしたが、きょうはお世話になることに今決めました。ところでさっき大きな声がしたのですが何かあったのですか?」とお菊に言いました。お菊は「お坊さんだからおはなししますが、実は一人息子の甚五郎がおりまして、その息子が大きな声を出したのです。いつも近所に迷惑をかけています。どうしようもない引きこもり息子に育ってしまいました。正直いって手を焼いています」と足を洗いながら聖心に語りました。すると聖心は「詳しいことは分かりませんが尋常ではなさそうですね。もしよろしかったら夕飯を食べたあとに詳しいことを聞かせてくれませんか。こんな乞食坊主ですが、もしかしたら力になれるかもしれません」とお菊に告げました。それを聞いていたお菊は「そう言っていただいても初対面だし、それにうちのことですから。でも一応主人と相談してみます」と言いました。それで聖心は「分かりました」と言って自分の泊まる部屋へとお菊に案内されて行きました。

甚助とお菊が息子のことを相談

 温泉にゆっくり入って夕飯も食べ終えて横になって休んでいると、そこの主人とお菊が聖心の部屋へやってきたのでした。主人が「お休みのところ誠に恐縮です。私はここの主人の甚助と申します。これは私の女房のお菊と申します。お菊から相談を受けまして、あなた様にいろいろと相談してみようということになりましたのでお尋ねしました」と聖心に言ってきたのです。それを聞いた聖心は「そうですか。こんなわしでもよければお力になれるかもしれません。それにしても甚助殿、日光もいいところですね。イロハ坂からの景色はすばらしいというではないですか。それに華厳の滝という実にすばらしい滝もあるし、上州へ行くとき見ていこうと思っております。それにしても温泉もいいし、人情もあり料理もうまい。女の人もきれいだ。言うことなしですねぇ。ところでわしも最初びっくりしてしまったよ。いきなり、死んじまえーだからな。まぁ、それで縁があったわけなんだが。どうしたというのですか?」と甚助に話しました。甚助は「その前に、お客さんは旅をしながら修行しているお坊さんですか?」と言ってきたのです。それを聞いた聖心は「すまん、すまん、自己紹介が遅れました。そうです、わしは全国を旅しながら修行している修行僧の聖心と申します。世の中も荒れてしまいまして、何でも金、金、金の世の中になりましてねぇ。途中で会う子供たちでさえ金のことを言ってます。それに加えてやたらと自らの命を自分で絶つ人間も増えましてねぇ。こんなすさんだ世の中をこの目で見てみたくなりまして旅をしている者です。着ているものは汚いですが勘弁してください。金がないもので新しいものを買うことができないのです。まぁ、こんな者ですが縁があったと思って何でも話してください」と言いました。

それを聞いていた甚助は「そうだったのですか。分かりました。それでは詳しいことを女房のお菊のほうから話してもらいます。お菊、聖心さんに息子の甚五郎のことを詳しくお話ししておくれ」とお菊に言いました。それを聞いていたお菊は「はい。分かりました。実は私の家は5人の男の子供がいたのですが、4人小さいときに死んでしまったのです。息子の甚五郎は末っ子です。そのために大事に、大事に育てました。そして跡取りは甚五郎なので18歳のときに那須の那須温泉の大きな温泉宿に板前の修行に出したのです。ところが半年もしないうちに何があったのかは分かりませんが、突然うちに帰ってきたのです。何とか一人前になってもらおうと思っていたものですからびっくりしてしまいました。詳しいことは何一つ話さないのです。それ以来うちに引きこもってただ自分の部屋にいます。時々、起きてきては「こんな俺になったのは父ちゃんと母ちゃんのせいだ。2人とも死じまえー!!」と怒鳴るのです。主人とわたしを責めるのです。そして時々暴れます。部屋の中はしっちゃかめっちゃかです。時々私が掃除をしています。一人でできないのです。大きな声を出すものですから世間様に申し訳なくて。本当に困っています。何かいい知恵はございませんでしょうか?」と聖心に話しました。それを聞いていた聖心は「そうですか。それはご心配ですね。最近甚五郎さんのような若者が多いのです。若者だけではなく30代から50代にかけてもそんな人が増えているのです。全国を旅しているのでそんな情報も入っています。困った問題です。ところで今まで甚五郎さんは何か問題を起こしましたか?」と甚助に話しかけました。

それを聞いていた甚助は「板前に修行に行く前にやたらとお店から何かを買ってはお店に金を払わないことがありました。そのたびに私が店に謝りにいってお金を払っていました。そんなことがありました」それを聞いていた聖心は「うーん。そんなことがあったのですか。ところで子供のときに何か問題を起こしませんでしたか?」とまたもや甚助に聞きました。すると甚助は「寺子屋に読み書きを習わせているとき、よく忘れ物をしたのでうちのお菊が少し離れている寺子屋までその忘れ物を届けに行ってました」と言いました。聖心はすぐに「うーん。そうですか。そんなことをしていたのですか」と一言いったきり黙ってしまいました。しばらく沈黙が続きました。そして突然聖心が「2人に確認したいのですが、子供の頃2人で甚五郎さんをかわいがりましたね」と言ったのです。それを聞いた甚助は「はい。4人も死んだものですから、それは、それはかわいがりました。何でも望むものは与えました」と聖心に返答しました。それを聞いていた聖心は「まあ、この引きこもりというのはなかなか難しい問題なのです。一面的に考えられない問題なのです。

しかし、今、お話を聞いて甚五郎さんの場合はどうも親の育て方に問題があったように思えてならないのです。甚五郎さんの自立心や責任感をことごとくつぶしてきたのではないのかと。子供がかわいいのは分かります。かわいがらないとだめなことも分かります。植物は肥やしをやりすぎとだめになってしまいます。人間も植物と同じで愛情という肥やしをやりすぎると育たないのです。自立心や責任感が育たないということです。宇宙の法則というのはそういうものなのです。少し厳しい環境のほうが植物は自らの力で栄養を吸収しようとがんばるのです。その結果しっかりとした根になり丈夫な植物に育つのです。人間の精神もそういうものなのです。雪の多い北国の木は材質がしっかりしてます。それは厳しい風雪に耐えた結果そうなるのです。逆に南の木はその逆です」と言いました。それを聞いていたお菊は「それではどうすれば甚五郎は一人前になることができるのでしょうか?」と聖心に質問してきました。聖心はしばらく考えて「うーん。きょうはここまでにして一晩考えさせてください。明日どうするかお話します」と2人に告げました。それを聞いた甚助は「分かりました。よろしくお願いします」と聖心に懇願したのでした。そして2人は聖心の部屋から出ていきました。

自分たちの部屋へ戻ったお菊は甚助に「なんだかあのお坊さん大丈夫かしら。姿かたちをみたらそんな疑問が湧いてきわ。あんなどこの馬の骨かも分からないお坊さんに大切な一人息子のことを託して本当に大丈夫なのか、心配になってきました」と言いました。それを聞いた甚助は「言葉に気をつけなさい。人は見た目ではありません。話を聞いていたのですが、まっとうな話だと思いました。間違ってはいないように思います。本当は私たちが間違っていたのかもしれません。ここは聖心さんにお任せするしか道がないようだ。聖心さんを信じるのです」とお菊に言い聞かせました。それを聞いたお菊は「そうですね。あとは方法が浮かびませんものね」と言いました。そして2人は明日の朝食の仕込みをして風呂に入り寝ました。

聖心は一人悩んでいました。塩原温泉のお竜さんはうまくいったが、果たしてこのうちの、せがれの引きこもり問題はうまく解決するかどうか自信がなかったのです。引きこもりは複雑な問題がからんでいる場合が多いので単純な発想ではなかなか解決しない問題だと分かっていたので、聖心の苦悩は深まるばかりでした。そのためなかなか寝付くことができませんでした。しかし、一つの考えがよぎりました。ある一つの考えに賭けてみようと思ったのです。そして寝酒用の日本酒を少し飲み、安心したのか自然と眠込んでしまいました。

聖心、遂に息子の甚五郎を引き受ける決断を下す

夜が明けました。朝食も終えて、自分の部屋に休んでいると甚助とお菊がやってきました。そして開口一番甚助が「聖心さん、何か良い知恵は浮かびましたか?」と言ってきたのです。それを聞いた聖心は「まあ、お2人とも座りなさい。まずはお茶でも飲みましょう」と言って聖心自ら2人にお茶を出しました。二人は恐縮そうにそのお茶を飲みました。しばらくすると聖心は「この問題はなかなか一筋縄では解決できません。お2人に覚悟を決めてもらわないと取り掛かれません」と言ったのです。それを聞いたお菊はびっくりした様子で聖心に問いただしました「覚悟とはどういう覚悟ですか?」と。それを聞いた聖心は「生きるか死ぬかの覚悟です」ときっぱりと言ったのです。その言葉を聞いた2人はびっくりしてしまいました。そして顔を見合わせてしばらくそのままでいました。そして甚助が「そんな大げさな問題なのですか?」と言ってきました。すると聖心は「そうです。甚五郎さんの一生の問題です。そしてこのイロハ屋の将来の問題です。あなた方はきのう聞いた限りでは三つの間違いを犯しています。一つはお金の問題です。甚五郎さんがお店に支払わなかった代金を代わりに支払ったこと。それと忘れ物をしたとき、お菊さんが持っていったこと、それと甚五郎さんの部屋の掃除です。この三つです。まずお金を支払わないと世の中ではどうなるのかということを、身をもって知らしめる必要があったのです。支払わなかったお店から奉行所に訴えてもらい甚五郎さんを捕まえるべきだったのです。あなたはそれではかわいそうだ、と思われるかもしれません。

しかし、そのかわいそうだ、かわいそうだ、というのが甚五郎さんをますます図に乗らせ、真実を知る機会を奪ったのです。そして親をなめてしまう人間にしていったのです。それでだめになったのです。お金を支払わなければ世の中というのはこういうことになるのだぞ、という絶好の教育の機会をつぶしたのです。それと忘れ物ですが、これも自分で忘れたのだから甚五郎自身に取りにこさせれば良かったのです。これも自分の責任という自覚を育てる機会をつぶしてしまったのです。次に部屋の掃除です。そんなものは本人にやらせればいいのです。どんなに汚れても決して親が手を出してはいけません。自分の部屋は自分で掃除をさせるのです。仮に蛆(うじ)が湧いても手を出してはいけません。その中で生活させるのです。掃除をしなければどうなるのかということを体験させるのです。この毅然とした親の態度と覚悟が大切です。最後は親が何とかしてくれるだろうという甘えがあるのです。これでは自立心も自主性も育ちません。厳しい言い方かもしれませんが、こういう細かいところが大事なのです。要なのです。ただかわいそうではだめなのですよ」と2人に諭しました。それを聞いていた二人は肩をがっくり落としてしまいました。そして甚助が「聖心さん、さっきの覚悟ですが、もう少し詳しくお願いします」と言いました。すると聖心は「甚五郎さんの命をわしに預ける覚悟ということです。きのうきょうと二日だけの付き合いですがこんな乞食坊主に大切な一人息子の命を預けることができるかどうかということです。すべてをわしに任せてもらえるかどうかということです。仮に甚五郎さんが途中で死んでも奉行所に訴えないということです。一筆書いてもらうということです。それで生きるか死ぬかと言ったのです」ときっぱりと甚助に言いました。それを聞いたお菊は「なんだか怖くなってきました。聖心さんそんな荒っぽい方法で本当に大丈夫なのですか?」と質問してきました。

すると聖心は「いや、時には荒っぽいこともやるかもしれませんが、基本はそうではありません。甚五郎さんは何も分かってはいないのです。親のありがたみや、食べ物のありがたみ、空気のありがたみ、世の中のありがたみ、今生きていることのありがたみ、金のありがたみ、この家に生まれたありがたみ等など、数え上げればきりがありません。とにかく何も分かっていないということが甚五郎さんの心をだめにしている原因だとわしは思うのです。もしかしたらわしの見当違いかもしれません。しかし、わしの経験からするとどうもそんな気がしてならないのです。人間はありがたみが分かったとき、一つの悟りを得るのです。昔わしの同僚で檀家から少しの野菜をもらってきては捨てていた不届き者がいたのです。少しの野菜では心から喜べなかったのです。この者は少しの野菜のありがたみと、檀家のまごころというものがまったく分かっていなかったのです。おそらく小判だったら捨てなかったでしょう。しかし、いくら小判でも少なければきっと不満を言ったでしょう。少ない野菜でも人からもらったら心の底から感謝できる人間にならなくてはいけません。人がくれた物ではなく、その人の目には見えないまごころにまず喜びを感じなければなりません。そしてまごころという価値が付いている野菜のありがたみを心から分からなければなりません。ありがたみやまごころというのは目には見えないものなのです。この目には見えないものの価値が分からないと人間はだめになるのです。その野菜を捨てた不届き者は最後にはだめな人間になってしまいました。今は島流しの刑に処せられて八丈島にいます。一生そこから帰ってくることはできません。人間はありがたみを忘れると精神がだめになるのです。わしは人間をまず見るときはそこのところをよく見ます。そこが要だと思っているからです。ですから基本はそういうところにおきます。

しかし、時には肉体もいじめなければなりせん。百姓のせがれで、引きこもっている者はいません。彼らは鍬(くわ)を使って朝から晩まで田んぼを耕しています。全身の力を使い、働いているのです。そして夜は酒を飲んでぐっすり寝るのです。ですから肉体労働は人間の精神にはいいのです。楽をすると人間の精神は軟弱になると思っています」と言いました。すると甚助は「なるほど。少しは分からないところもありますが、なかなか良い考えではないでしょうか。覚悟がいるということが良く分かりました。それで具体的には私たちはどうすればいいのでしょうか?」と質問してきました。聖心はすぐに「具体的にはこの宿屋にわしと甚五郎さんの二人で住むということです。お二人はこの家から出て行き、どこかで借家を見つけてこの宿屋の奉公人になってもらいます。主人は甚五郎さんです。すべて甚五郎さんに任すのです。何があっても決して口を出してはなりません。ここが肝心です」と返答しました。それを聞いていたお菊は「私たちがここから出て行くなんて何か変です。甚五郎が出て行けばいいのです。そしてここへ通ってもらうのです。それではだめなのですか?」と聖心に聞いてきました。すると聖心は「それではだめなのです。宿屋の経営がいかに大変なものかを身をもって分かってもらうためには主人になってもらわないと分からないのです。そしてお2人が今までいかに苦労していたのかということを心の底から分かってもらう必要があるのです。わざと苦労させるのです。苦労しないと人間の魂は磨かれません。楽を選択していくと魂は錆びる一方なのです。ここも要です」ときっぱりと言いました。

そして「ここは鬼になってもらわないといけません。あなた方は何か勘違いをしていたのです。優しい愛だけが愛だと思っていたのです。愛には厳しい愛も必要なのです。突き放す愛も必要だということです。この手綱(たづな)を使わないと人間がだめになるのです。何でもかんでも至れり尽くせりではだめなのです」と少し語気を強めて言いました。それを聞いていた甚助は「お菊、ここは一つ聖心さんを信じて任せてみようじゃないか。どうも私たちは聖心さんの言うとおり何か勘違いをしていたように思えてきたよ。大変なことだけど腹をくくろう」と言いました。しかし、お菊はなかなか合点がいかない顔をしていました。そしてお菊が「聖心さん、きょう一日考えさせてください。頭の中が整理できません。主人と2人で相談してみます」と聖心に言ったのです。それを聞いた聖心は「分かりました。きょう一日考えてください。無理にとは言いません。このやり方はお二人の承認と協力が必要です。よく話し合って決めてください」とお菊に言いました。そんなことで一応話は終了したのでした。結論は明日に持ち越されました。

 部屋に戻った二人は少し疲れたので横になりました。そしてお菊が「大変なお坊さんに縁がありましたねぇ。こっちが家を出て行くなんてどうも理解できません」と甚助に言いました。すると甚助は「いや、理にかなった考え方かも知れんぞ。今まで何の苦労もしてこなかった甚五郎にはちょうどいい機会かもしれない。聖心さんの言っていることはまんざら間違ってはいないと思えるのだ。お菊よ、ここは聖心さんの言うとおりにやってみないかい?」と言いました。するとお菊は「そうですねぇ。ここは天が与えた試練と思って聖心さんにお任せしてみるのも一つの手かもしれませんねぇ」と言いました。甚助は「よし、決まった。甚五郎には今晩伝えよう」と言って、二人は少し疲れたのでそのまま昼寝をしてしまいました。

そんなことが進行しているということも知らずに、甚五郎は部屋の中で悶々としていました。そして時々奇声もあげていました。俺がこうなったのは親が悪いのだ、世間が悪いのだ、生まれてきたのが間違いだったんだ、那須温泉の板長のやろう、偉そうに威張りやがって、ちくしょう!! 等などと自分の心など一つも省みず、常に人のことをこのように悪く思っていました。そうなのです、甚五郎はすべて俺がこうなったのは俺が悪いのではなく、自分以外のものが悪いのだ、と考えていたのです。その考えから抜け出すことができなかったのです。

夜になりました。甚五郎が甚助とお菊に呼ばれました。甚助が「甚五郎、実はなぁ、明日からわれわれ2人はこの家から出て行くことになった。ご飯もすべて自分ひとりで料理して食べるんだぞ。お前にこの宿を任すことになったのだ。お金も全部任す。ただし、今お泊りになってる聖心さんが、お前の面倒を見ることになっている。すべて聖心さんの言うことをきくのだぞ。分かったか?」と言ったのです。驚いた甚五郎は「えー!! 一人で全部やるのか?」と甚助に言いました。すると甚助は「母ちゃんと父ちゃんはこの宿の奉公人として毎日通う。ただし何が起きても口は絶対に出さないことになっている。お前がすべてこの宿を仕切るのだ」と言いました。するとお菊がすぐに「父ちゃんと母ちゃんはお前を何とか一人前にしてやりたいのだよ。もしそれがいやなら家出してもいいよ」と言ったのです。しかし、甚五郎にはそんな根性はありませんでした。よく分からないまま甚五郎はしぶしぶ了解させられました。そしてこんなことになったのは聖心というどこの馬の骨か分からない乞食坊主のせいだと考えたのでした。そして心の中で「あのくそ坊主め、今に見ていろ。ただではおかないからな」と考えたのでした。すべて人のせいにしていた甚五郎ですから、そういう思いに至るのは当然でした。

遂に「聖心」と「甚五郎」の決戦の火ぶたが切られる

 そして夜があけ、すべてを任すことを聖心に告げた甚助とお菊は家を出て、宿から少し遠い借家を借りました。本当に出て行ったのでした。聖心と甚五郎の闘いがいよいよきって落とされたのです。甚五郎は聖心を恨んでいますので聖心を見るなり「このくそ坊主、よくもこんなことをしてくれたなぁ!! 俺は絶対にお前の言うことなどきかないからな!!」と言ったのです。その言葉を聞いた聖心はいきなり縄を持ってきました。そして甚五郎に何も言わずにあっという間に体に縄を巻きつけて縛り始めました。ふいをつかれた甚五郎は「な、な、な、なにをするのだ、このくそ坊主め!! このくそ坊主め!!・・・・」と何度も何度も言いましたが聖心は一言も口を利きませんでした。そしてそのうちに宿屋の裏手にあるイチョウの木の枝に縄を投げて甚五郎を上につってしまいました。これではさすがの甚五郎も手も足も出ませんでした。「ちくしょう、何をしやがる、今に見ていろ、このくそ坊主め!!・・・・」と叫ぶばかりです。それを聞いていた聖心は初めて口を開きました。「今までお前はうまくいかないと、すべて人のせいにして生きてきただろう!! そんなお前の腐った根性を叩きなおしてやる。いいか覚悟しろ。お前が死ぬか、わしが死ぬかの闘いだ!!」といきなり言ったのです。

それを聞いた甚五郎はびっくりしてしまいました。そして怖くなりました。あんなに威勢のいいことを言っていたのがピタリと止まりました。聖心は「人間は自分の顔が見えないのと同じく、自分の心は見えない。見ようともしない。しかし、人のこととなるとよく見えるものだから、自分がうまくいかなくなるとすべて人のせいにしたくなるのだ。そのほうが楽だからな。お前は今まで自分を省みることをしてこなかっただろう。一晩頭を冷やして今までのことを振り返って自分を見つめ直せ!! 分かったか!!」と甚五郎に強く言ったのです。それを聞いた甚五郎は「くそー、くそー・・お前は何の権利があって俺をこんな目にあわせるんだ!! くそー、くそー・・・・」と言うばかりでした。今までそんなことを言う人と、ここまでやる人はいなかったのです。否(いや)が応でも甚五郎は今までのことを考えざるを得なくなったのです。その晩甚五郎は一晩中泣いていました。母ちゃんと父ちゃんはいるのにいっこうに助けてくれません。見てみぬふりです。甚五郎は涙も枯れてしまいました。そして相当の体力を消耗してしまいました。

翌朝になりすっかり気力がなくなっていました。それを見た聖心は「だいぶ参ったようだな。これではわしにかかってくる元気もなさそうだ」と言って、枝にぶら下っている甚五郎を降ろして縄をほどいてやりました。案の定、甚五郎は立てずに横に寝てしまいました。聖心は「体力があるのに毎日毎日家にいてはおかしくなるのも当然だ」と思ったのでした。甚五郎は、今度は腹が減ってきました。聖心に「腹が減ってきたのでなんか食べさせろ!!」というではありませんか。聖心はすかさず「今まで黙っていてもご飯が出てきただろう。自分で作って食べたことなどないだろう。お前が食べているものは全部お店から買ってこなければないのだぞ。買うにはお金がいる。お金を稼ぐには働かなければならない。それなのにお前は働いていない。親の金で買ってきた食料で親から料理してもらい、ただその料理を食うだけだ。そしてお前は親が建てた家で家賃も払わないで平気で暮らしている。自然界の動物を見てみろ。みんな食うために必死だ。自然界は食うか食われるかの世界だ。人間もきれいごとを言っているが似たようなものだ。しかし、自然界と違うところが一つある。それは仏性の魂であるダイヤモンド魂をもっているということだ。生存競争は厳しいが、この魂のおかげで本当の生きる本質を見失うということはない。

しかし、この魂を見失ったとき戦(いくさ)がおきるのだぞ。お前も本来このダイヤモンド魂は心の奥底に持っている。しかし、いろんなことが原因でなかなか表にでてこないだけなのだ。お前は今この大事なダイヤモンド魂を完全に見失っている。この大事なダイヤモンド魂を心の中心にすえて生きていくことが大事なのに。人間も自然界の動物と同じく毎日が戦いなのだぞ。何と戦っているかというと、まずは自分との戦いだ。人間の最大の敵はまずは己なのだ。敵は他人ではないぞ。内なる心の敵がお前の心の中に住み着いているのだ。そいつをまず、ダイヤモンド魂で一掃しなければならない。先入観念や雑念、妄想も一緒に一掃される。その戦いにまず勝利することだ。次に競争という戦いだ。この戦いが原動力となって人間は進歩している。ここから逃げてしまうと心はどんどん言い訳という実に心地よい理屈を作り始めるのだ。お前はここが分かってない。この厳しさと心の原理が分かっていない。人間が生きていけるのは魚や動物たちを、知恵を使って捕まえてきて食べているからだ。人間が一枚も二枚も上ってことだ。食うか食われるかの食うほうが人間だ。そんな一枚も二枚も上の人間のお前が人生うまくいかないのは俺が悪いんじゃない、人が悪いんだ、親が悪いんだ、世の中が悪いんだ、と全部責任を他に押し付けている。これはお前の心が故障しているからだぞ。故障しているからうまくいかないのだ。いいか機械でもどこか故障していればうまくいかないものだ。もし機械が故障したらどうする? どこが故障しているのか機械の中を見てみるだろう。そして故障しているところを発見してそこを修理して動かすだろう。お前は心が故障しているにもかかわらず、その故障しているところを発見しようともしない。これではお前の人生がうまくいくはずがない。心というのはほとんど考え方ということだ。お前は考え方というところが故障しているのだ。考え方というのは人が直せるものではない。自分で苦労しながら直すしかないのだ。お前をだめにしているのはその故障しているところを発見しようともしないお前自身の心なのだ。それがお前をだめにしている犯人だ。そしてな、お前は食べ物のありがたみ、料理を作ってくれる親のありがたみ、食料を買うことができる金のありがたみが心からまったく分かっていない。ダイヤモンド魂はわしがおいおいと教えてやる。まぁ、しばらく何も食べずにここにいろ。今逃げられないようにこの木に縛るぞ」と言って今度は甚五郎をしゃがんだままその木に縛り付けました。これではいくら腹が減っても何も食べられません。聖心はそのまま甚五郎を木に縛り付けたまま行ってしまいました。

「甚五郎」は生まれて初めて「ありがたみ」というのが解る

甚五郎は木に縛り付けられた状態で三日間外に放置されました。そんな甚五郎は腹が減って腹が減ってどうにもなりません。今までこんな経験をしたことがありませんでした。とうとう泣いてしまいました。しかし、どんなに泣いてもわめいても食べ物は出てきませんでした。そしてしばらくすると聖心がやってきました。そして甚五郎に「どうだ、食べ物のありがたみを感じるか? 親のありがたみを感じるか? 金のありがたみを感じるか? お前は今まで食べ物に感謝したことはいっぺんもないだろう。親をあごで使ってきただろう。金は天から降ってくるものと思っていただろう。親もお前を王様にしたのが間違いだったのだ」と言ったのでした。そういって聖心は水を少し甚五郎にやりました。甚五郎はこんなにも水がおいしいとは思いませんでした。思わず「うめー、うめー・・・・」と叫んでいました。それを見た聖心は「水がどんなに大事なものか分かっただろう。あまりにも水が普通にあるものだから水のありがたさも分からなくなっていたのだぞ」と甚五郎に言いました。甚五郎は「うん、うん・・・」と何度も首を縦にふり、聖心の言うことに相づちを打っていました。そんな甚五郎を見た聖心は「この人間は助かるかもしれないな」と思ったのでした。そしてその場を離れました。しばらくして今度はおかゆを少し持ってきてやりました。聖心は甚五郎の口におかゆを食べさせました。甚五郎はあまりのうまさに涙を流しました。聖心は心の中で「効いたようだなぁ」と思いました。そして甚五郎に向かって「この米はなぁ、お百姓さんがなぁ、広い田んぼを鍬(くわ)で自分の力で耕して作った米なんだぞ。一日中鍬で田んぼを耕してみろ。くたくたになるのだぞ。それだけでは米はできない。まだまだ重労働しなければならないのだ。そんなお百姓さんのことを考えてこのおかゆをすするのだぞ。そうすればもっとこのおかゆのありがたみが分かるぞ」と言いました。それを聞いていた甚五郎は「うん、うん・・・・」と首を縦にまた振りました。聖心は心の中で「この人間は意外と素直なところがあるぞ」と思いました。そしてイチョウの木から開放してもいいような気持ちになっていきました。しかし、そのことが後でとんでもないことになろうとは聖心は夢にも思っていませんでした。

 おかゆを食べさせてしばらくして聖心は甚五郎に「どうだ、おかゆのありがたみが分かったか?」と質問したのです。すると甚五郎は小さい声で「はい、分かりました」と言ったのです。それを聞いた聖心は「今お前をその木から解放してやるぞ」と言ったのです。そして木に縛られている甚五郎の縄をほどいてやったのでした。すると甚五郎はすかさず走って逃げました。驚いた聖心は「こらー待て!!」と言って追いかけていきました。甚五郎は台所にあった刺身包丁を取りに行ったのでした。そしてその包丁を持ってくるなり聖心に「この野郎!! よくもこんな痛い目にあわせてくれたな!!」と言って聖心めがけて突進してきたのです。聖心は剣術の心得が少しあったので間一髪でその包丁から身を守ることができました。そして甚五郎に向かって「殺せるなら殺してみろ!! お前にそんな度胸があるのか。さあ、やってみろ!!」と言って甚五郎にせまりました。聖心は本当に闘うべきときが来たな、と感じていました。これは避けて通れないな、とも考えていました。お互いの自我と自我の闘いが始まったのです。甚五郎は聖心の迫力に圧倒されていました。いざ、包丁を持って相手を殺そうと思っても手が震えてしまってどうしても次の行動が取れませんでした。聖心はそんな甚五郎のすきを見て、包丁を持っている手を押さえて包丁を取り返すことに成功したのです。甚五郎は腰砕けになりよろよろと崩れてしまいました。そしてがっくりと肩を落としたのでした。まさに生きるか死ぬかの闘いの瞬間でした。聖心は甚五郎との闘いに勝利しました。甚五郎は今まで自分がすべて支配していたと思っていたものが聖心によって崩壊させられたのです。

遂に「甚五郎」、開眼する!!

 それからというもの甚五郎は人が変わったように聖心の言うことを素直に聞くようになりました。力関係が親のときと違い逆転したのでした。聖心は甚五郎に厳しく接しました。金のありがたみ、空気のありがたみ、お客様のありがたみ、食べ物のありがたみ等など、この世の中のすべてのもののありがたみを、身をもって分からせようとしていたのです。しかし、聖心は「心から分かる」ということがいかに難しいかということも分かっていました。そのため妥協は許しませんでした。そんな厳しい生活が半年経過しました。甚五郎はこの半年間の聖心の指導により自分の考え方が間違っていたことが分かったのです。心の故障箇所を発見することができたのです。自分が間違った考え方をしていることに気付いたのでした。すべてうまくいかなかった原因が自分にあるということを悟ったのでした。聖心はそのことに気付いた甚五郎を見て、この生活の終わりが近いと感じていました。そして甚助とお菊にこう告げました「これでわしはここから去ります。甚五郎さんもよくがんばりました。やっと分かったみたいです。分かるということは大変なことなのですが克服したようです。しかし、人間は慢心というのもありますから日々自分を律しなければなりません。そこをよく見てやってください。そして大事なことは決して子供を王様にしてはなりません。親の威厳が大切なのです。力関係の主導権は親が握らなければなりません。わしは主導権を握る闘いで最初は殺されるかと思いました。しかし、何とか勝利することができました。そのために甚五郎は立ち直ることができたのです。本人も那須温泉でもう一度板前の修業を一からやり直したいと言っています。ぜひ実現させてください」と。そのことを聞いた2人は聖心の言ったとおりにしました。そして聖心はお礼に甚助から路銀をいただき次の上州の沼田へと旅だって行ったとさ。 おしまい

※ 注意・・・人を縛って木にぶら下げたり、木に縛ったりしないで下さい。この物語に出てくるこれら行為はあくまでも「物語」のなかのお話です。真似はしないで下さい。引きこもりは、はっきりとした理由や原因がよく分からないものが多くあります。引きこもりは百人百様の理由があります。それにともなって百人百様の対応があります。