「いじめ」は人の心を傷つける「人権侵害」にあたる悪いことです。自分にしてもらいたくないことは、人にしないでください。今だれかをいじめている人は即刻いじめをやめましょう。「いじめ」が悪いことだと分かってもらいたいと思って考えた物語です。「いじめ」は相手を死に追いやることもある恐ろしい「凶器」だ、という自覚が必要です。「いじめ」は言葉の刃物という凶器なのです。
「心の毒消しはいらんかね~~」GFIT法のメリット

昔々、下野(しもつけ)の国(今の栃木県)、那須地方の山あいのある村に、毎日毎日何も働かずに、大食いしては寝るだけの生活を繰り返している「役立たずの大男」が住んでいました。名前は「吾作」と、言いました。百姓の「せがれ」、として生まれました。子供のときから大食いしては寝るだけでしたので、体だけは大きくなったのです。何と身長は約九尺三寸(約2メートル80センチ)もありました。村の人達は名前で呼ばないで「役立たずの大男」「役立たずの大男」と馬鹿にして、いじめていました。

 ある日のこと、この吾作が住んでいる家の前を村の子供たちが通りかかりました。子供たちも大人の真似をして、吾作のことを「役立たずの大男」「役立たずの大男」と、言って馬鹿にして、いじめていました。時には吾作めがけて石を投げつけるときもありました。しかし、吾作は怒らずに、ただ黙って我慢していました。

 吾作の唯一いいところは、心が優しいところだったのです。この吾作の父ちゃんと、母ちゃんは「もう吾作に何を言っても無駄だべぇ。」とあきらめていました。何とか働いてもらいたいと思って、大人になってからいろいろと助言したりしていました。しかし、何の効果もありませんでした。吾作は病気じゃないかと思って、田んぼや、畑仕事を休んでは、いろいろな医者に診てもらったり、いろいろな神様に診てもらったりしましたが、どこへ行っても「何の病気もありません。」と言われていました。しかし、吾作の親は村の人達がどんなに馬鹿にして、いじめていても「お前のいいところは心根が優しいところだべぇ。」と、言って、吾作のいいところをほめていました。そして「きっといつかお前も人様の役に立つときがくるだ。」と、言っては励ましていました。また「人間は極楽浄土に行く前に一回は人様のためになるようないいことをしなければならねぇだ。」と教えていました。吾作の親は子供たちがいじめているのを発見したとき「こらあー!! 人を馬鹿にするのでねぇ!!」と大声を出して子供たちを追っ払ってくれていました。また、時々、近くのお寺にいき、阿弥陀如来様に「どうかこの子が、いつか人様のためになる、人間になりますように。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。」と、言ってお祈りしていました。お寺の住職も一生懸命にお祈りしてくれていました。吾作と親はこのお寺だけが心休まるところでした。

 この村は毎年のように大雨が降り、田んぼや、家が水をかぶり、何らかの被害をこうむっていました。村の治水事業はお金がなく、いっこうに進みませんでした。

 そんなある年の夏の夜に、今まで経験したことのない物凄い大雨が、茶臼岳や那須高原を中心とした那須連峰の山々に降ったのです。村にはほとんど降りませんでした。大きな川の近くに住んでいる、村の住人の武八が「大変だ!! 大変だ!! 大水が村に押し寄せてくるぞ!! 今、寝ていたら川の上流から大きな石がゴロゴロと転がってくる音を聞いた。俺の死んだバッパ(おばあさん)から石が転がってくる音は水が大きな石を押し流す音だ、と言っているのを思い出した。そして、それを聞いたらすぐに高台へ逃げろ、と言っていた。早くみんな逃げろ!! 早く逃げろ!!」と村を回っては叫び続けました。そして半鐘を人に頼んで鳴らし続けてもらいました。カンカンカーン、カンカンカーン・・・・・・。けたたましく半鐘が鳴り響きました。このことは吾作の家にも聞こえました。そして村の人達と一緒に高台のほうへ逃げました。しかし、途中まで行くと、村はずれの、小さな河に架かっていた、高台まで行ける、ただ唯一の橋がすでに流され、そこの河を渡ることができません。上流に降った雨がすでにこの河を増水させていたのです。河の水深もすでに約10尺強(約3メートル)になっていました。この河幅はそんなにありませんでした。しかし、この河は人間の力では飛べない河幅だったのです。しかし、吾作が手を少し伸ばせば向こう岸に届くほどの河幅でした。この河を渡らなければ安全な高台へ避難できません。村の庄屋の平蔵が「大変だ、大変だ。みんなここで死んでしまうぞ。何かいい知恵はないか。」と叫びました。しかし、この暗闇と大水が迫る恐怖で、村の人達は気が動転していて、そんなことに答えられる人は、一人もいませんでした。子供は泣きじゃくり、女、年よりは絶望感で顔色がありません。そんな時、何と、何とあの「役立たずの大男」とみんなに馬鹿にされ、いじめられていた吾作が突然「俺が橋になる!! 俺が少し手を伸ばせば、ちょうどいい橋になる。みんな、俺の足と背中と手を渡って、向こう岸に逃げてくれ!!」と大声で叫びました。

みんなはびっくりしました。あの「役立たずの大男」が急にこんなことを言ったので、一瞬みんなは信じられないと言うような顔をしていました。そして吾作は「まごまごしていると時間がなくなるぞ!!」と、言って、すぐに自分の両足を河岸にある木に縛るように、と言いました。運よくちょうど河岸には木が一本あったのです。両手は向こう岸に行って縛ることができませんので「河の向こう岸の草にしがみつく。」と言いました。村の人達は一瞬きょとんとしていましたが、すぐに我に返り、吾作のいうとおりにしました。幸いなことに、縄を持って逃げた人が一人いました。吾作は「もう時間がない!! 俺の両足をまず木に縛ってくれ!! 縛ったら俺は倒れて向こう岸の草を手でつかむ!! もし、つかみそこねたら、俺の体をみんなで引っ張ってくれ!! 又やってみる!!」と、言ったのです。村の人達は、すぐに吾作の言うとおりにしました。縛り終えると、吾作は向こう岸に倒れこみ、草に手をかけましたが、失敗してしまいました。すると、吾作は「俺を引っ張れ!!」と大きな声で叫びました。村の人達は必死になって引っ張り、そして引っ張り終わったら吾作は又、向こう岸に倒れました。今度はしっかりと草にしがみつくことができました。吾作は「早く渡れ!! 早く渡れ!!」と大声で叫びました。そして女、子供、年寄りを先に一人ずつ渡りました。みんなは涙を流しながら渡ったのです。そして多くの村人が「俺はお前を馬鹿にして、いじめていた。勘弁してくれ! 勘弁してくれ! 」と、何回も何回も、吾作に謝りながら渡ったのです。渡り終わった人は、草にしがみついている吾作の手を、何人かして引っ張って「がんばるんだ!! がんばるんだぞ!!」と吾作を励ましました。吾作の手を引っ張っている人の中にも「今までのことは許しておくれ!! 許しておくれ!!」と、何回も何回も、涙を流しながら謝っている人もいました。その間、吾作は必死になってこらえ続けました。そしてみんなが渡り終わったとき「早くみんな逃げろ!!」と、言いました。

すると庄屋の平蔵が「お前を何とか助けることを考えているのだ。」というと、吾作は「俺のことにかまうな!! 時間がない!! 早くしないと大水が押し寄せてくるぞ!!」と言ったのです。両足は木に縛られているのでどうにもなりません。村の人達も必死になって吾作の手を引っ張っていたのですが、吾作は自分から払いのけ、手を草から離して顔から増水している河に落ちてしまいました。少しすると、吾作は死んでしまいました。その光景を見ていた村の人達は、みんな大声で泣きました。中には、泣きながら、手を合わせている女の人もいました。しかし、もう一刻もこの場所に立ち止まっている時間はありません。村の人達は急いで安全な高台へと避難しました。その直後に大水が村を襲ったのです。間一髪で村人は助かったのです。村のみんなは「吾作さん、命を救ってくれてありがとう。ありがとう。」と、いつまでもいつまでも、涙を流しながら天を見上げて、お礼を言っていました。

  大水から何日か過ぎて、ようやく落ち着きを取り戻した、ある日、吾作の葬式が村の寺で執り行われました。村の人達は死んだ吾作の親のところへ行って、今まで吾作を馬鹿にして、いじめてきたことを謝りました。そしてお寺の阿弥陀如来さまにも自分たちが今まで吾作にしてきたことを謝りました。そしてこの悲しい出来事があって、村の大人や子供たちの全員が「人をいじめること」と「人を馬鹿にすること」が本当に悪いことで、罪深いことであることに、はじめて気付いたのでした。それ以来、村の誰一人として人を馬鹿にしたり、いじめたりすることは、なくなりました。そして村人の命を救った吾作はそれ以来、この村の英雄として永代にわたり語り継がれました。河の橋のところに石碑が建てられ、「村の英雄、吾作ここに眠る」と刻まれ、ことの始終もその石碑に刻まれました。助けた村人の人数は151名でした。村の人達はその後、治水事業に力を入れて安全な村になり、みんな幸せになりました。   おしまい