嫌われ者で超マイナスの「貧乏神」を愛した甚平の物語

ものごとは合理的な考え方だけではなく、一見マイナスに見えることでも違った視点や受け止め方、対応によってプラスに変わることもあるのです。人生の困難や逆境などのマイナスの状況になった(又はある)場合、こんな考え方をすることによって新たなる道が開けてくることもあります。そんな考え方から創作した物語です。そしてどんな人間にも一つは良いところがあるという信念で考えた物語です。

 昔々、ある年の新年に、ある町の神社で、貧乏神と福の神が一緒に酒を飲んでいました。貧乏神が「また、新しい年がやってきた。今年はどの家に住み着こうかなぁー。」と、言いました。すると福の神が「私も今、同じことを考えていました。私はみんなから歓迎されますが、貧乏神さんは私のようにはいかないでしょう? 」と、言いました。すると貧乏神が「そうなんですよ。俺はいつも嫌われ者で、厄介ものですからねぇ。福の神さんがうらやましいですよ。俺のことなど、歓迎してくれる人間は一人もいませんよ。貧乏神の商売はやるもんじゃないですよ。でも、先祖代々続いているので仕方なくやっているのです。」と、言いました。すると福の神が「でもね、貧乏神さん。人間は、なぜ、私を歓迎し、愛してくれているかわかりますか? それはねぇ、私が住み着くと金持ちになるからなんですよ。それが分かっているから、歓迎し、愛してくれるのですよ。私がひとたび、病気などになったりして、人間を金持ちにする力がなくなると、人間は豹変して、私を貧乏神扱いし、袋叩きにして、追い出してしまうのですよ。病気の看病はまったくしてくれません。」と、言いました。

それを聞いていた貧乏神は「そんなもんですかねぇ、人間は。役に立たないと思ったら、捨ててしまったり、欲望が満たされないと、すぐ頭にきたりと、まったく情けない生き物ですねぇ。いつごろからこんな性格に変わってしまったのでしょうかねぇ。まぁ、中にはこんな人間ばかりではないと思いますがねぇ。所詮、長い間には、いい時もあれば、悪い時もあるのにねぇ。」と、言いました。
すると福の神は「損得を中心に考える人間は多いですよ。そうでもしなければやっていけない、ということもあるのでしょうねぇ。人間がこんなふうになったのは、何でもかんでも、ほしいものはすぐに手に入ってしまうためと、我慢ということを忘れてしまったからですよ。また、損得でしか、物事の価値を考えられなくなってしまったのですよ。人間が何でもほしいものをすぐに手に入れることができなくて苦労していた大昔は、こんな条件付の愛情ではなかったのですよ。損得や欲望は無条件の愛情を人間から奪ってしまいますねぇ。今の世の中と人間の心が壊れていくのはこんなことも関係があるかもしれませんよ。私の商売も安心していられないですよ。健康を維持し、人間の機嫌をとり、だまし、だまし、かわいがってもらわないと生きていけない時代になりました。」と、言いました。すると貧乏神は「福の神も大変ですねぇ。表面だけを見ても分からないものですねぇ。」と、言いました。そんなことを話しているうちに両神様は酔いも回ってきて、寝てしまいました。

貧乏神が「貧乏神大歓迎、福の神お断わり」という前代未聞の看板を発見!!

何時間かたって、酔いもさめ、目を覚ました両神様は、この一年間の住みかを探しに、町の家々を回ることにしました。町の人々は軒下に「福の神大歓迎、貧乏神お断り」という看板を立てていました。それを見た貧乏神は「今年も、俺を歓迎してくれる家はなさそうだ。早々と神社へ帰ってやけ酒でも飲むか。」と、独り言を言って帰っていきました。帰りは時間もあったので、町から少し離れた、隣村を回ってから帰ろうと考えました。そして、隣村の家々の軒下にも「福の神大歓迎、貧乏神お断り」という看板が立ててありました。しかし、村はずれの一軒家だけは「貧乏神大歓迎、福の神お断り」というまったく逆の看板を立てていました。貧乏神は自分が間違って読んでしまったのではないかと思い、目をこすり、こすりして、この看板の近くまで行って、よぉーく、見てみました。しかし「貧乏神大歓迎、福の神お断り」と、なっていました。何回見ても、間違ってはいなかったのです。そして心の中で「変わった家があるもんだなぁ。この商売を長年していて、こんな看板を見るのは初めてだ。この家はいったいどんな人間が住んでいるのだろうか。」と、思いました。興味をそそわれた貧乏神は、その家を訪ねることにしました。そして、その家の玄関の前に立って「こんにちは。貧乏神ですが、看板に大歓迎ということが書いてあったのでお訪ねしました。」と、言いました。すると家の奥のほうから一人の男がやってきて「やっときてくださいましたね。何十年もこの看板を出していたのですが、だれも信じてくれなくて、訪ねてくれる貧乏神様はいませんでした。

あなたが初めてです。さぁ、さぁ、遠慮なくあがってください。」と、言いました。貧乏神は一瞬半信半疑でしたが、すぐに我に帰り「それでは遠慮なくお邪魔します。」と言って、その家に上がってしまいました。貧乏神はその家の座敷に通され、上座の座布団の上に座らせられました。そしてそこの家の男が「よく来てくださいました。お待ち申し上げておりました。私は甚平というただの百姓でございます。きょうは一晩うちに泊まっていってください。たいしたものはありませんが、精一杯おもてなししたいと思います。どうぞ、ごゆるりとおすごしください。」と、言いました。その言葉を聞いた貧乏神は思わず耳を疑いました。そして「甚平殿、俺も長いこと貧乏神をやっているが、こんな経験は初めてだ。お前さんは一体何を考えているんだ。俺には見当もつかん。」と、貧乏神が言いました。すると甚平は「いやぁ、貧乏神様、私はへそ曲がりでして、みんなが福の神、福の神、と言って、福の神だけが神様だと思っているので、そうではないよと、貧乏神様もりっぱな神様だよと。人間にどんなに嫌われている貧乏神様でも、必ずいいところがあるにちがいないと、私は前々から考えていたのです。たとえ、貧乏神であっても、神様は神様なので、粗相にしてはならない、というのが、私の考えです。そして機会があったら一度ゆっくりお話がしたかったのです。」と、言いました。

それを聞いていた貧乏神は「こんな嫌われものの俺の話を聞いてみようなんて人間がいたとは・・・。」と、言いました。すると甚平は「まぁ、まぁ、きょうは理屈ぬきでゆっくりしていってください。今、うちの母ちゃんが風呂をたいていますので、沸いたらまず一番風呂に入ってください。風呂に入ってから酒を飲みましょう。」と、言いました。そして台所のほうから「父ちゃん、風呂沸いたよ!」と、言う声がしました。甚平は「母ちゃん、お前も貧乏神様にあいさつしろ。」と、言いました。すると台所の方から、母ちゃんがやってきて「貧乏神様、よく来てくださいました。私は「ソデ」と申します。きょうはたいしたものはありませんが、ゆっくりしていってください。お風呂が沸きましたのでまずは風呂に。」と、母ちゃんが言いました。貧乏神は「それではお言葉に甘えて。」と言って、風呂へ入りにいきました。甚平は母ちゃんに「風呂に入っている間に、酒とご馳走を用意してくれ。」と、言いました。すると母ちゃんは「はい、わかりました。」と言って、台所の方へ行ってしまいました。

貧乏神、生まれて初めて酒と御馳走でもてなされる

母ちゃんは、貧乏神が風呂に入っている間に、宴会の用意をすべて終わらせました。貧乏神が風呂から上がってきて座敷の座布団に座ると「甚平殿、こんなにご馳走していただいて何か申し訳ない気持ちです・・・・うっ、うっ、うっ・・・。」と、言い終わらないうちに、貧乏神の目から涙が出てきたのでした。貧乏神は今まで、人間にはいつも邪魔者にされ、しいたげられて、誰からも愛されたことがなかったのです。そのため、甚平が心から歓迎し、もてなしてくれていることに感激して、自然と涙が出てきたのでした。それを見ていた甚平は「貧乏神様、きょうはそんな今までのいやなこともすべて忘れて、おおいに飲みましょう。さぁさぁ、まずは酒でも。」と言って、甚平は貧乏神に酒をついでやりました。それから、二人で、さしつ、さされつ、酒をかわしていきました。お互いに、かなり酔ってきたとき貧乏神が「甚平殿、どうして俺みたいな嫌われものをこれほどまでにもてなしてくれるのですか。」と、聞いてきました。すると甚平は「私は、最初に言ったとおり、へそ曲がりなんですよ。人からそっぽを向かれている者や、嫌われ者に、妙に興味がありましてねぇ。人が見向きもしないものの中にも、必ず一つぐらいは、いいところがあるのではないか、と思っているのですよ。そんないいところを発見することが私の楽しみなのですよ。ですから、私がこんな変な看板を出すと、村中の人が「甚平は変人だ」と言って、いつも酒のさかなにされて馬鹿にされていますよ。村の子供までが私の姿をみると「あ!変人がきた」と、言っているくらいですからねぇ。でもいいんです。私は人がなんといおうと、自分のこの考え方を大事にしていこうと思っているんですよ。」と、言ったのです。

腹が減ったらおまんま、精神はプラスエネルギーキャラ軍で元気!

これを聞いた貧乏神は「甚平殿は本当にかわっていますねぇ。俺はこんな人間に会ったのは初めてです。俺のことを神様として認めてくれたのはあなたが初めてです。うっ、うっ、うっ、うっ・・・。」と、また泣いてしまいました。すると甚平は「きょうはおおいに泣いてください、貧乏神様。今までのうっせきしたものを全部涙とともに流してさっぱりしてください。」と、言いました。すると、益々貧乏神は大声で泣きました。そしてしばらくすると甚平が「貧乏神様、きょう一晩といわず、ずぅーと、うちにいてくれませんか。うちの神棚に住んでいてください。」と、言ったのです。それを聞いた貧乏神は「本当にいいのですか、甚平殿。おれはれっきとした貧乏神ですよ。こんな俺でも本当にいいのですか。」と、念を入れて聞いてきました。それにたいして甚平は「かまわないです。貧乏神様がよろしければ、ずぅーと、うちにいてください。」と、言いました。すると貧乏神は「それでは、俺は甚平殿のうちにいることに決めました。」と言ったのです。甚平は「ああ、よかった。よかった。」と言って、喜びました。そんなことを言い合っているうちに二人は酔いがまわり、寝てしまいました。

貧乏神、遂に福の神の心になる

翌朝、目が覚めると、貧乏神には布団がかぶせられていました。そして甚平が起きてきました。「貧乏神様、ゆっくり休まれましたか。」と、甚平が聞いてきました。それに対して貧乏神は「おかげさまで、ゆっくり休むことができました。ありがとうございました。」と、お礼の言葉を甚平にかけました。こんな感謝の言葉を貧乏神が口にしたのは、この商売をして、初めてのことだったのです。それを聞いた甚平は「ああよかった。貧乏神様に喜んでもらってほんとうによかった、よかった。」と、また喜んでくれていました。貧乏神はこんな甚平の人柄にすっかりまいってしまって、本業の「人間を貧乏にする」ことなど、すっかり忘れていました。かえってこの甚平を何とか人一倍、幸せにしてやりたい気持ちになってきたのでした。
こんなことがあってから約一ヵ月後のある日、玄関に大きな声が響いていました。貧乏神は何がおきているのだろうと、玄関にいってみました。するとそこには高利貸しの借金取りが着ていたのです。何でも、ひとのいい甚平は友達の借金の連帯保証人になっているということでした。友達は借金を返せず、どこかに逃げてしまっていました。そこで借金取りは、甚平に返済を迫っていたのでした。甚平は責任を感じて、だいぶ返済したのですが、高利のため、返しても、返しても、元金は減らなかったのです。そんなことを母ちゃんから聞いた貧乏神は一肌脱いでやりたくなりました。そして貧乏神は借金取りに「やいやい、借金取り!! 俺はこのうちにお世話になっている本物の貧乏神だ。甚平はだいぶ返しただろう。ほとんど、元金は返しているだろう。こんなあくどい取立てはもうやめろよ!!」と、借金取りに言いました。すると借金取りは「お前には関係ないことだ。口出ししてもらいたくないねぇ!!」と、言いました。

すると貧乏神は「そうかい、そうかい。おれの言うことが聞けないと言うのか。よし、分かった。俺はお前のうちに住み着いて、お前を徹底的に貧乏にしてやる。それでも俺の言うことが聞けないのか!!」と、少し語気を強め、借金取りを脅したのです。すると借金取りは「貧乏神にはかなわねぇや。徹底的に貧乏にされたのでは元も甲もない、まいった、まいった。こんな貧乏神が住み着いている家なんかに二度とくるもんか。」と言って、甚平の家からとっとと、退散してしまいました。そんなことを傍観していた甚平は「貧乏神様、ありがとうございました。助かりました。」と、言いました。すると貧乏神は「いやいや、甚平殿が何の下心もなく、純粋無垢な心で俺をもてなしてくれたので、何か甚平殿の役に立ちたかったのです。こんな簡単なことに喜んでもらって、俺もうれしいです。」と、言いました。甚平はすかさず「貧乏神様にもこんないいところがあったのですねぇ。ありがたいことです。」と、言いました。貧乏神は「いやいや、これも甚平殿の人徳です。俺の力ではありません。ところで、甚平殿、本当に、ずぅーと、このうちにいていいですか。」と、言いました。甚平は「ずぅーと、末永く、うちにいてください。こちらからお願いします。」と、返答しました。これを聞いた貧乏神は心の中に「甚平殿は、今の世の中にはなかなかいない、本当に貴重な人だ。こんな人間を貧乏にするわけにはいかない。何とか、人一倍幸せにしてやりたい。」という気持ちが、益々大きくなってきました。このとき、貧乏神が「福の神の心」を持ってしまった瞬間でした。「福の神の心」になったということは、すでに貧乏神ではなくなってしまったことを、意味していました。

そんなことがあってから、甚平はやることなすこと、どういうわけか、すべてうまくいき、見る見るうちに村一番の長者になってしまいました。村の人達は、甚平が長者になったのは貧乏神を歓迎して、もてなしたからだ、と思っていました。そんなわけで、村中の人達が「貧乏神大歓迎、福の神お断り」という看板を、甚平の真似をして、軒下に立てました。しかし、甚平と同じことをやってもいいことは起きませんでした。むしろ、どんどん、貧乏になっていきました。村人は「どうして同じことをしているのに、いいことはおきないのだ。」と言っては、長者になった甚平をうらやましく思ってくらしていったとさ。   おしまい

※あなたはこの物語を読んでどんなことを感じましたか?この機会に少し考えてみませんか。

貧乏神は人間を貧乏にする神様です。貧乏は誰でもなりたくありません。しかし、貧乏神の表面的なところだけを見ていては貧乏神の真意をつかむことはできません。貧乏神は貧乏神で、本当は人間に大切なことに気付いてもらいたいと思っているのです。金やモノが豊かになることを「福」といいます。しかし、「福」の裏に潜むマイナス価値は金やモノ、親、食べ物、空気などなどの本当のありがたみを見失う場合があるということなのです。そこで貧乏神が登場して、人間を貧乏にして金やモノ、親、食べ物、空気などなどのありがたみを心の底から分からせようとするのです。そして人間は金やモノ、親、食べ物、空気などなどの本当のありがたみを心の底から分かったとき「本当の心の豊かさ」を得るのです。そしてそれを得て、少しでも「福」をつかんでいけば内面的にも充実した一つの人生が開けてくるのです。貧乏神をこのように考えると、貧乏神をもあなたの人生の味方につけることができるのです。