※ この物語は旧社会保険庁(日本年金機構の前身)が起こした年金記録問題等の不祥事件をヒントにして誕生した創作物語です。

不況脱却法の一つは「人の心にあり」。人間生きているときが華です。生きているときお金を貯めることも大切ですが、世の中のためになるように使うことも大切です。・・・この物語は「消費を向上させて景気を刺激したい」という思いで考えた物語です。そしてそれと同時に人間は生きているとき何か一つでもいいことをしていれば苦しいときに天が助けてくれる可能性がある、という物語です。だから生きているときは、最低一つはいいことをしてみませんか。今の世相(2010年1月)と絡めて表現してみました。

作者 児玉春信

昔々、ある町に「与久二郎(よくじろう)」という商売人がいました。この与久二郎は人一倍欲が深く、とにかく金(かね)を貯めるのが好きで、稼いだ金はほとんど使わず、せっせと貯めこんでいました。商売もなかなか上手でしっかりと儲けていました。金を貯めるために生まれてきたような人間でした。食べ物も質素にし、時にはご飯に塩をふりかけて食べるときもありました。また、醤油をご飯にかけて食べるときもありました。こんな具合に食べ物にお金をかけないでせっせと貯め込んでいました。お金を貯めることが唯一の生きがいだったのです。時には貯め込んだ小判を、蔵から出しきては座敷の床の間に飾って、姿かたちを眺めて「いい眺めだ。色つやもなんともいえない」と晩酌をしながら、一人ご満悦のときもありました。この与久二郎という男は、そのほかの楽しみは何もありませんでした。

 こんな質素な食生活がたたったのか、与久二郎が45歳になったとき原因不明の病気になってしまいました。そして与久二郎は「俺はそんなに長くは生きられないな」と感じていました。そんなある日に与久二郎は家族に「俺は近いうちに死ぬだろうから、俺が死んだら棺桶の中に、俺が貯め込んだ小判を枕の中や、敷布団や、掛け布団の中に入れて一緒に火葬にしてくれ。あの世に全部小判を持っていきたいのだ。地獄の沙汰(さた)も金次第だからなぁ。布団の中に入りきれない小判は、死に装束に入れて縫いこんでくれ」と言ったのです。与久二郎はあの世に行っても「地獄の沙汰も金次第」ということを信じていたのです。閻魔大王も金の力で何とかなると思っていたのでした。

家族は与久二郎がお金だけを愛していることを知っていたので、そのとおりにしてやろうと「はい、分かりました」と言いました。家族はあまりにも欲の深い生き方をしている与久二郎の生きざまに愛想を尽かしていたので、お金には何の未練もなかったのでした。そしてそれから数日がたったある日に与久二郎は亡くなり、生前に家族に言っておいた通りに小判を縫いこんだ布団などに寝かされて火葬されました。与久二郎はあの世に、この世に貯め込んだ大金を持って行ったのです。欲の深い与久二郎らしい一生でした。

(これ以後はあの世の物語です。与久二郎はいったいどんな出来事に遭遇するのでしょうか。実は、あの世ではすでに何百年前かにIT化されていたのです)

 死んだ与久二郎は、まず持ってきた小判があまりにも多く、重かったので、途中の車屋から、大八車と小判を入れる千両箱20箱を買って、小判をその千両箱に入れて大八車に積みました。与久二郎はその大八車を引いて三途の川の船着場までの五里ほどの距離を歩いていきました。

ようやく船着場についた与久二郎は、六文船への乗船手続きを済ませて、大八車をまず六文船に積みました。船賃は与久二郎が六文で、大八車の荷物は五文でした。六文船も進化し大八車の車両も積み込むことができるようになっていたのです。この日の乗客は与久二郎だけでした。しばらくして六文船の出港時間になり、定時で船着場を離れました。

しばらくして三途の川の真ん中あたりにさしかかったとき、突然、突風が吹いて六文船が傾きました。そして傾いたと同時に、積んでいた大八車が車止めからはずれ、荷崩れがおきて、六文船がより傾いてしまいました。原因は与久二郎の持ってきた小判にあったのです。あまりにも小判が重すぎて急激に傾いてしまったのです。そしてとうとう三途の川の水が船内に入ってきました。そしてあっという間に六文船は沈没してしまったのです。与久二郎は大八車にしっかりとつかまって小判もろとも、ぶくぶく、ぶくぶくと、川底へと沈んでいってしまいました。小判は大八車にしっかりと縛ってあったので大丈夫でした。

六文船は沈むときにSOSの救助信号を発信していましたので、閻魔大王直轄の海上保安省の救助部隊の隊員の鬼たちがすぐに救助にやってきたのです。サイレンをけたたましく鳴らしてきた鬼たちは、すぐに三途の川へ飛び込み与久二郎のところへやってきました。救助部隊の隊長の鬼が「おい、大丈夫か?」と言いました。与久二郎は「何とか大丈夫です。この小判も一緒に引き上げてください。お願いします」と言いました。すると隊長の鬼が「そんな小判なんかどうでもいいのだ。お前を助けるのが先だ」と言いました。すると与久二郎は「そんなことを言っていたら小判が三途の川の濁流に飲み込まれて流されてしまいます。苦労して貯めた小判がパーになってしまいます」と言ったのです。すると隊長が「こんなところまで来てお前は小判が大事なのか? よっぽどの欲張りだなぁ。生前どんな生き方をしてきたのだ!? 閻魔(えんま)様の前に行ったらお前は地獄行きの判決が間違いなくでるだろう」と言ったのです。それを聞いていた与久二郎はとっさに地獄の沙汰も金次第ということを思い出して「隊長様、生前地獄の沙汰も金次第ということを聞いているのですが本当ですよねぇ」と言いました。すると隊長は「それはそうなのだが!?・・・・。まぁこんなときにこんなことを話していたら助ける時間がなくなってしまう。さあ、俺につかまってください。今助けます」と言いました。それを聞いた与久二郎は早口で「もし、小判も一緒に引き上げてくれたら30両あなたに差し上げます」と言いました。そしてすぐに隊長は「たまにいるのだよ、お前みたいなやつが。しかし、30両とは俺も安く見られたものだ。その倍の60両でどうだ。俺も女房子供もいるし、この不景気で閻魔様からの給料も下がってしまったのだ」と言いました。それを聞いていた与久二郎は心の中で「俺の足元を見やがって!!」と思いました。しかし、こんな状況では隊長の条件を飲むしかありませんでした。与久二郎は隊長に「分かりました。60両で頼みます」と返事をしたのでした。それを聞いた隊長は、すぐに子分の隊員の鬼たちに命令して与久二郎と、小判が積んである大八車を一緒に引き上げたのでした。与久二郎は「地獄の沙汰も金次第」が本当だったことを知って安心したのでした。

 三途の川から助けられた与久二郎は何箇所かの手続きを踏んで、最後に閻魔大王の前に案内する鬼たちによって、閻魔様の前に引きずり出されました。そして閻魔大王が与久二郎に「お前が三途の川で溺れそうになった与久二郎か? 与久二郎の与久は漢字のではないのだな。まずはこの点を確認しておきたい」と言いました。それを聞いていた与久二郎は「はい、ではありません。与久です」と答えました。そして閻魔大王はすかさず「お前の親はまぎらわしい名前をつけたものだ。どうしてこんな名前をつけたのかわしには理解できない。それにしてもお前はこんなところまで大金を持ってきたのか。名は体を現すというがお前の名前はこのでもよかったのではないか。まぁ、冗談はこれくらいにして、お前と同じようなやからが最近増えている。わしはそんな者と会うとこんなところまで金を持ってくるとはなんとかわいそうにと思うのだ。ほんとうに情けなくなるのだ。本当のことが分かってないみたいなのだ。ところでお前が来るのは分かっていたので、生前の行状を記録している生きざまパソコンでお前が生まれてからのすべての記録を見てみたが、お前は人様や世の中のためにいいことは何もしていないことが分かった。お金をとることしか考えなかったようだなぁ。強欲のために貯めることしか考えてなかったようだ。そして商売も儲けることしか考えてこなかったな。なにも儲けることが悪いと言っているのではないぞ。要はその儲けた利益を人々に施すこと(利益還元)もしていなかったということだ。金の切れ目は縁の切れ目と、ばかりに一文にもならず、利用価値がなくなったと思ったとたん、相手の詳しい話し(事情)も聞かずにバッタ、バッタと多くの人を切ってきただろう。こんなお前の生前の行状からして情状酌量の余地はまったくない。そんなわけで、わしが下す判決は地獄行きだ。自業自得というものだ。何か申し開きしたいことがあるか!!」と言いました。突然こんな判決を聞いた与久二郎は心の中で「なーに、地獄の沙汰も金次第だから閻魔様も金には弱いはずだ。地獄行きを極楽行きに変更するのは簡単なことだ」と思ったのです。三途の川で溺れたときに金の力というのを経験していたことが自信となって、こんな気持ちにさせたのでした。

そんなことを心の中で思っている与久二郎は閻魔大王に「閻魔大王様、申し訳ありません。そこを何とかなりませんか。もし、極楽行きに変更していただければ閻魔大王様に100両差し上げます。何とかお願いします」と懇願したのです。すると閻魔大王は「お前は、三途の川で隊長の鬼に60両を渡して、小判と一緒に助けてもらっただろう。それだからここでも金の力が効くとでも思ったのか? きっと地獄の沙汰も金次第と思ったのだろう。しかしなぁ、金が通用するのはわしの配下の鬼たちまでだ。この本法廷ではそんなものは通用しないのだ。多分ここにくるまでそんなことは知らなかったのだろう。それも仕方がない。娑婆(しゃば)では本法廷が金の力で何とかなると一般的に思われている。しかし、本当は違うのだ。本当のことを言うと、金の力が通用するのは、わしの前に来るまでの手続きに関係している鬼たちまでなのだ。娑婆には厳密なPRはしていないから、お前のようなやからが時々いる。残念だったなぁ、与久二郎よ。お前の有り金全部をたたいても判決は変わらないぞ。観念しなさい」と言いました。それを聞いていた与久二郎はあきらめ切れなかったので「閻魔様、思い切って2倍の200両差し上げますので、何とか極楽行きにしてくださいませんか」と再度お願いしたのでした。すると閻魔大王は怒った大きな声で「まだ分からないのか!! ここでは金は通用しないのだ!! 往生際が悪いやつだ!! お前は金の力で何でもできると思っていただろうが、できないこともあるのだぞ!!」と言い返しました。すると与久二郎はやっと観念したのか、急にがっくりと肩を落として落胆してしまいました。生きていたとき、何とかなると思っていたことが何とかならなかったので、その落ち込みようは相当のものでした。何とかなると高をくくっていた与久二郎でしたが、閻魔大王には金の力が通じなかったのでした。閻魔大王に通用するものは「良き生きざま」だけだったのです。

そしてしばらくして落胆していた与久二郎は閻魔大王に小さい声で「閻魔様、分かりました。閻魔様の判決に従います」と言ったのでした。それを聞いていた閻魔大王は「与久二郎よ、やっと分かってくれたのか。地獄へ行ったら生前のことを反省するのだぞ。そうすれば配下のお仕置き担当の鬼が、少しは手心を加えるだろう。ところで、少し話しは変るが、今、娑婆では深刻なデフレ不況だそうだなぁ。大変なことになったものだ。わしのところも不況だが娑婆ほどではない。わしが不況対策として地獄の小型のお仕置き場をどんどん増やしているのでその建設ラッシュなのだ。そしてここ(あの世)の環境を世界一にしようと思って様々な事業にも金を使っている。一番力を入れている事業は鬼たちの親への子供手当てだ。今まで大型のお仕置き場建設を中心にしていたが方針を大転換して「建築資材」から「鬼の子供へ」という方針をとっているのだ。ここ(あの世)でも鬼の子供の教育に金がかかって、親の鬼も大変なんだよ。そして極め付けは、金持ちの鬼どもが金を使わない場合は「金(かね)寝かせ税」という税金を取っている。金を遊ばせて何も使わない者に税金をかけているのだ。一年間これだけ使いましたという申告をしてもらって一定の基準に満たない者に課税する仕組みだ。このおかげで金持ちの鬼たちが眠らせて持っている個人資産が出回るようになったのだ。財産権の侵害などのいろいろな問題もあってこじれたが何とかなった。しかし、専門家はいろいろけちをつけるものだなぁ。どんなことを主張しても何の責任もないからなぁ。わしはここを運営していかなければならない責任があるから最後には強権を発動したよ。金持ちの鬼たちも現金なもので、この税金徴収令が発令されてからというもの、どんどん金を使うようになったのだ。そして、金持ちの鬼たちの中には金を使ってみて、金がこんなにも生活を豊かにしてくれるものだ、ということをはじめて気付いた鬼たちもいたのだ。きっと心も救われたのだろうなぁ。まったく予想もしていなかったそんな効果も一部あったのだ。

それにしてもどういうわけか最近極楽行きの者が少ないのだ。世の中が荒れたせいかどうかは分からないが、地獄行きの者が多いので、今のお仕置き設備では間に合わなくなったのだ。ここへ来る者に気持ちよくすごしてもらいたいと思ってもいるので環境整備はかかせないしなぁ。地獄行きが多くなったということを喜んでいいやら、悲しんでいいやら複雑な気持ちだ。まぁ、そんなわけで、多くの鬼を雇用しなければならなくなったのだ。わしが予算を前倒しでどんどん使っている。幸い、わしのところは豊富な予算があるからなぁ。人間は必ず死ぬので、わしの商売は食いっぱぐれがないのだ。世界の仏教国の寺院(又は寺)から裁判手数料が必ず入るからなぁ。娑婆ではお前みたいな金を持っている者が金を使わないからデフレ不況になっていくのだぞ。また、娑婆の大商人は何の力もない奉公人(従業員)を自分たちの都合で勝手に首にして、埋蔵金(内部留保)を貯め込んでいると言うではないか。これではいい娑婆になるわけがない。それというのも、お上はお上で勝手に首を切ってもいい首切り御免令を発令したからなぁ。それをいいことに大商人は勝手なことを平気でやっているのだ。これはお上に責任がある。そんな首切り御免令を発令すれば食えない者が多く出ることは最初から分かっていたはずだ。お上のやることは、そういう場合どうしたらいいのかということを事前にしっかりと決めておくことだ。政(まつりごと)とはそういうものだろう。デフレ不況から抜け出すには金を持っている者がどんどん使うことだ。これにまさる特効薬はない。ところで風の便りに日本の大商人の旦那衆(経営者達)は少し臆病になったと聞いている。リスクばかりを気にして冒険ができなくなったというではないか。チャレンジ精神を忘れると衰退の一途をたどるぞ。挑戦している過程で多くの新しいことを発見していくということを知らないのかなぁ。娑婆が発展していくには旦那衆の根性と深い関係があるのじゃ。こんな根性ではまごまごしていると南蛮国(外国)の旦那衆(経営者又は投資家たち)にどんどん抜かれてしまうぞ。今こそ旦那衆の意識改革が必要だと思うのだが・・・。まぁ少し変な話になって申し訳ない」と長々と話をしたのでした。それを聞いていた与久二郎は「閻魔様もこんな仕事ばかりしているのでストレスがたまっていたのでしょう。どうせ俺は地獄行きが決まったので、もう何も考えることはないので、せめて閻魔様のお話の聞き役になります」と言いました。すると閻魔大王は「そうか、それでは続けさせてもらうぞ。実はなかなかわしも忙しくて娑婆の世相を評論する暇がなかったから、こんなことを言っているのだ。それにしてもお前は何と情けない生き方をしてきたのだ。確かに貯めることに生きがいを見つけて生きることは分からないわけではない。幸せというのはみんな感じ方が違うからなぁ。まぁ、いざというときのために多少のたくわえは必要だ。それにしてもお前は少し極端だぞ。金というものは使って初めて価値がでるものなのだ。貯めておいても世の中のためにはならない。使って初めて多くの人の幸せに貢献できるのだ。わしのところまで後生大事に持ってきても何の意味もないぞ。よーく小判を見てみろ、涙を流して泣いているではないか。どうして生前生かして使ってくれなかったのだと悔し涙を流しているのだぞ。大きな力と能力があるのに使ってもらえなかった悔しさがここへ来ていっぺんに出たのだろう。今、そんな小判の気持ちが分かってももう遅い。今、わしが小判におまじないをかけてほんの少しの間、小判がしゃべられるようにしてやるので小判の本音を聞いてみるがいい」と言いました。

するとすぐに閻魔大王は「mmmmmmΣΣΣΣΦΦΦΨΨΨ」とわけの分からないおまじないを小判にかけました。するとすぐに小判がなんと与久二郎に向かって「与久二郎さん、私たち小判を大事にしてくれたことはありがたいと思っています。しかし、私たちには大きな力もあり、能力もあるのに、それを使ってもらえなかったことが、悔しくて、悔しくてたまりません。それに加えて運動をさせてもらえないものだから糖尿病と高血圧の成人病になってしまいました。与久二郎さんは生前私たちのどこを見ていたのですか。肝心なところは何一つ見ていなかったのですね。私たちはいろんなところを回って活躍したかったのに、何一つ活躍しないで終わってしまいました。そして何を考えたのか分かりませんが、こんなところまで連れてこられて、挙句の果てが賄賂に使われてしまいました。こんな使い方をされて何の喜びもありません。それが悔しくて泣いてしまったのです。与久二郎さんは自分のことだけしか関心がなかったのですね。私たち小判の本当の気持ちなんか考えたことはなかったのでしょう。同じところに長い間いたものだから窒息しそうでした。私たちの本当の気持ちは多くの人たちを幸せにしたかったのです」と話し終えました。そしてまじないが解けて小判は二度としゃべることはありませんでした。

腹が減ったらおまんま、精神はプラスエネルギーキャラ軍で元気!

これを聞いていた与久二郎はびっくり仰天して腰を抜かしてしまいました。しばらく何も話すことができませんでしたが、少し時間がたってからようやく我に返り「そうだったのか。今やっとお前たちの本当の気持ちが分かった。本当に申し訳なかった。俺が悪かった、許しておくれ」と、な、な、なんと小判に謝っているではありませんか。この光景を見ていた閻魔大王は「やっと小判の気持ちが分かったようだな。それにしてもお前は小判と長く付き合っていたのに小判の何を見ていたのだ。おそらく座敷の床の間に飾っておいて、小判の姿かたちを見ては満足していたのだろう。結局肝心かなめのところは何も見ていなかったのだろう。自分のことでアップアップだったのだろうなぁ。最近ここへ来る連中でそんなやからが多いんだよ、困ったものだ。まぁお前も小判に謝ったことだし、それに免じてお仕置きをワンランク落としてやろう」と言いました。それを聞いた与久二郎は少し気が楽になったと同時に、自分が生前やっていたことをずばり当てられて驚かされました。そして閻魔大王に「閻魔様はなんでもお見通しなのですねぇ、参りました。俺はここへ来て自分のことしか考えてなかったことがやっと分かりました。もしもう一回娑婆でやり直せたら、きっと違った人生があったのではないかと今気付きました」と言ったのです。そしてそれを聞いていた閻魔大王は「やっと分かったか。手遅れではあるが、そこに気付いただけましだ。まぁお前はいいほうだ。ここへ来ても分からない者も多いぞ。与久二郎、最後に地獄門をくぐる前に、お前の持っている、時には人の心を惑わし、時には人の心を狂わす小判はここへ置いていきなさい。わしが管理している小判溶解所ですべて溶かして処分し、地獄のお仕置きの建築材の一部として使う」と言いました。それを聞いていた与久二郎は「はい分かりました」と素直に返事をしました。

そして小判の処分の了解を取り付けた閻魔大王は、近くにいた地獄門を警備している門番の鬼に「与久二郎が地獄へ出発するので門を開けてやってくれ」と言いました。門番の鬼は「はい」と言ってすぐに門を開けました。すると閻魔大王は与久二郎に「門が開いたのでそこをくぐっていくのだぞ。道中気をつけて行っておくれ。途中で散歩しているお釈迦様に会うかもしれないが、そのときはしっかりと恥ずかしくないように挨拶するのだぞ」と優しく言いました。そうすると与久二郎は「俺はお釈迦様の顔が分からないので、もしお会いしても何もご挨拶できなくて失礼するかもしれません」と閻魔大王に言いました。すると閻魔大王は「お釈迦様はやさしい目をしている。目を見て判断するのだぞ」と言ってくれました。それを聞いた与久二郎は「はい、分かりました」と言いました。そして閻魔大王は「それでは元気でなぁ。途中で腹が減ったらこのおにぎりを食べるのだぞ」と閻魔大王らしからぬサービス万点の対応で地獄行きを見送りました。周りにいた鬼たちは今まで見たこともない対応で驚いていました。与久二郎は「こんなおにぎりまでもらってありがとうございます」と一言お礼を言って地獄門をくぐって地獄へと旅だったのでした。

その後、鬼たちは閻魔大王に「どうしておにぎりまで作ってやったのですか」と尋ねました。閻魔大王はすかさず「与久二郎が最後に小判に謝ったからだ。自分が悪いと思っても、謝らない不届き者が多いのだ。与久二郎は最後に素直になったではないか。生まれ変わったのだ。だから特別な配慮をした」と言いました。それを聞いた鬼たちは「なるほど」と納得したのでした。

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 地獄門を出た与久二郎は、地獄で待ち受けている恐ろしいお仕置きのことを思うと、段々と怖くなってきました。そして時々、あまりの恐怖感で奇声をあげることもありました。しかし、地獄行きは自分が悪かったことだと分かっていたので、ある程度のところまで行って、我に返ることができました。しかし、あまりの恐怖感で憔悴しきっていることには変わりはありませんでした。周りには地獄行きの者は誰もいませんでした。孤独な旅となってしまいました。
ちょうど地獄行きの道中の真ん中あたりにさしかかると、休憩所の小屋がありました。だいぶ疲れてしまったので、与久二郎はここで一休みすることにしました。ちょうどさわやかな風も吹いてきて休みごろと思ったのでした。そんなことを思って休憩所の小屋に入ると、そこに誰かが休んでいました。座って休んでいたお釈迦様は与久二郎を見るなり「与久二郎じゃないか」と言いました。与久二郎は「何で俺の名前を知っているのだ」と言いました。するとお釈迦様は「私はすべてのことを知っている」と言ったのです。これを聞いた与久二郎は、閻魔大王が地獄門を見送る時に言っていた「もし、お釈迦様に会ったら・・・・」ということを思い出していました。これを思い出した与久二郎は、とっさにそこにいる者の目を見ました。そしたらやさしい目をしていました。それに気付いた与久二郎は「ま、ま、ま、まさかお釈迦様ではありませんか」とあわてて聞いたのです。それを聞いたお釈迦様はすかさず「そうだ、私は釈迦だ」と言いました。すると与久二郎は「し、し、し、失礼しました。お、お、お許しを。今、地獄行きの旅の途中なのです」とこれまた慌てふためいて言いました。するとお釈迦様は「私は今、散歩中なのです。散歩の目的は健康のためと、もう一つは地獄行きが決まった者の中で、判決が間違っているのがあるので、それを正すためと、そんな間違った判決がでている者を捜すためです」と言いました。それを聞いた与久二郎は「そ、そ、そうだったのですか」と言いました。するとお釈迦様は「最近、閻魔大王が管理している生きざま調査庁の役人の鬼の中に、仏教国の寺院(叉は寺)のご本尊の電子メールから送られてくる生きざま調査原簿生きざまパソコンへの入力ミスをする者が多いのだ。そのため生きざまパソコンに誤った情報が入力されて、迷惑をこうむっている者が多くなってきたのだ」と言いました。すると与久二郎は「そんなことが起きていたのですか。知りませんでした。でもお釈迦様はどうやって間違いを見つけるのですか」と聞いてきたのです。お釈迦様はすぐに「与久二郎、それはなぁ、人の記憶力というのはあいまいなものだ、ということなのだ。じっくりと過去を振り返ってもらって、本当にいいことはしていなかったかを本人に思い出してもらうのだ」と言って「与久二郎、私の隣に座りなさい」と優しく与久二郎に言ったのです。すると与久二郎は「はい」と言ってお釈迦様の隣に座りました。座るとすぐにお釈迦様は「与久二郎、もう一度昔のことを思い出しておくれ。本当にお前はいいことを一つもしていなかったのか?」と聞いたのです。与久二郎はそれを聞いて「もう一度思い出してみます」と言いました。お釈迦様は「少し時間をあげるので、よーく考えて見なさい」と優しく言いました。

それから少し沈黙が続きました。そして与久二郎が突然あわてて「お、お、お釈迦様、こ、こ、細かいところまではっきり、お、お、お思い出しました。俺が子供のころ、たしか寒いお昼過ぎの猛吹雪の冬に、家の近くの氷っていた川に落ちた、近所の小さい子供を助けました。実は家で俺が一人で遊んでいると、外で妙な声がするので、すぐに家を出て土手の上から川の中を見たら、小さい子供が割れた氷の中に落ちているではありませんか。驚いた俺は、それを見てすぐに家に帰り、家にあった太い縄を急いで持ってきてすぐに外に出て、まず自分の胴回りに縄を縛り、そしてすぐ近くにあった松の木に縄を巻きつけて縛り、土手の下に降りました。そして川に落ちている子供に手を伸ばして、その子の手を引っ張り上げて、川からその子を引き上げました。そして何とか土手の上まで登ることができました。そしてその子に風邪をひくので、早く家に帰って風呂に入り、あったまりなさいと言ったのです。もし、家にいたとき聞こえてきた妙な声を猛吹雪だったので風の音と勘違いしていたら、その小さい子供の命はなかったと思います」と言いました。それを聞いていたお釈迦様は「ほほオー。そんなことがあったのか。それは機転を利かしたりっぱな人命救助だ。土手のすべる坂を、縄を使って降りたことがよかったのだ。そのとっさの判断はなかなかできるものではないぞ。普通はあわてて川へ急いで降りて助けようとする。もしお前がそのときあわてて、川へ行っていたらすべって助けられなかったかもしれないぞ。最悪2人とも川で凍死したかもしれない。それも猛吹雪という悪条件の中での判断で人の命を救ったのだからたいしたものだ。これは地獄行きをひっくり返せるかもしれないぞ。与久二郎、このことは本当のことだな」と念を押しました。するとすぐに与久二郎は「間違いございません」と、きっぱりと言ったのです。お釈迦様は自信に満ちた与久二郎の言葉に力づけられ「よし、分かった。私がこれから閻魔大王のところへ行って、そのことを話して地獄行きを変更してもらうように頼んでみる」と言いました。それを聞いた与久二郎は飛び上がって喜び「ほ、ほ、ほ、本当ですか!?」とあわてふためいて言いました。お釈迦様は「なんで私が嘘をつく。嘘をつくと地獄に落ちると教えている本人が嘘をついていたのでは示しがつかないだろう」と言ったのです。そして「よし、今から閻魔大王のところへ出発しよう!!」と与久二郎に言いました。それを聞いた与久二郎は「何とかお願いします」とお釈迦様に頼みました。そしてすぐにお釈迦様と与久二郎は閻魔大王のところへと出発したのでした。

 お釈迦様と与久二郎は閻魔大王のところへいく道すがら、いろいろと話をしながら行きました。道中の中ほどまでさしかかったとき、お釈迦様が「与久二郎よ、何でお前は生前そんなに小判に執着したのだ」と聞いてきました。そしてすぐに与久二郎は「俺が子供だったころ親が金で苦労しているのを目のあたりにしたのです。盆暮れの支払いのときは、金がないものだから、借金取りが来ても居留守を使っていたのです。俺も家の中にいるとまずいので親と一緒に隠れました」と言いました。そしてつづけました「子供のころ秋祭りの出店(でみせ)で近所の子供が親から欲しいものをどんどん買ってもらっていたのです。しかし、俺の家は貧乏だったので何も買ってもらえませんでした。みんなは買ってもらったおもちゃで遊んでいました。しかし、俺は何も買ってもらえなかったので仲間はずれにされたのです。金がないということは、こんなにもみじめなものなのかと子供心にも思い知らされたのです」と言いました。それを聞いたお釈迦様は「そんなこともあったのか。大変だったのだなぁ。確かに金がないことは辛いことだ。そんな辛いことを子供のときに経験していたとは。お前もかわいそうなところがある。そんな経験をしたので金に執着したのだな。考え方によっては、お前は金の大切さを身にしみて分かっているとも言える。娑婆では裕福な家に生まれて何でもかんでも与えられ、甘やかされて育てられ、金や物のありがたみが分からない者が多いのだ。そんな者から比べると、まだお前のほうがましだ」と言ったのです。するとなんと、与久二郎の目から涙が自然と出てきました。与久二郎は生前お金のことでほめられたことがなかったのです。そして閻魔大王のところの裁判でも徹底的にたたかれていたせいで、与久二郎の心は疲れきっていたのです。そんな状態のところでお釈迦様に少しではありますが、ほめられたのです。そんなことでいままで心の中にたまっていたものがふきだしてしまったのです。お釈迦様はそれを見て「与久二郎よ、閻魔大王にかなりたたかれたようだなぁ。しかしお前のいいところは、金で人様に迷惑を何一つかけていないところだ。そこは立派なところだぞ。なんだかんだと娑婆では金のことで迷惑をかける者が多い中で、お前は何一つ迷惑をかけていない」と断言してくれたのです。与久二郎はこれで一気に号泣してしまいました。今まで欲張りだ!! 強欲だ!! 守銭奴だ!! お前の親はどうしてこんな名前をつけたのだ、と挙句の果ては親の悪口まで言われていたのです。そんな悪い評価ばかりを受けていた与久二郎にとってお釈迦様の言葉は、まさに地獄に仏でした。そんな号泣している与久二郎を見てお釈迦様は「思いっきり泣きなさい。今までの心の垢(あか)を涙で洗い落としなさい」と言ってくれたのです。これを聞いた与久二郎は恥も外聞もなく今まで以上に号泣してしまったのです。

 しばらく号泣していた与久二郎は我に帰り「お釈迦様、ありがとうございました。おかげで心が軽くなりました。さっぱりしました」と言いました。するとお釈迦様は「与久二郎、それはよかった。これでお前は極楽へ行く準備ができたぞ。私が閻魔大王にしっかりと調べ直してくれと頼んでみるからな」と言いました。それを聞いた与久二郎は「お願いします」と言いました。そんなことを言い合っているうちに地獄門の近くに着いたのでした。

 地獄門のところで門番の鬼が、すぐ門まで近づいてきた与久二郎を発見すると「あれ、与久二郎じゃないか。どうして戻ってきたのだ。お前は地獄行きが決まって出発したばっかりではないか。あれ、お釈迦様もご一緒ではありませんか」と言いました。するとお釈迦様が「門番殿、実は与久二郎が生前、自分の命をかえりみないでいいことをしていたのを思い出したのだ。そこで閻魔大王様に生きざまパソコン生きざま調査原簿のデータの照合作業をしていただきたくお願いに参ったのだ」と言いました。すると門番の鬼が「そうだったのですか。分かりました。今、門を開けます」と言って、地獄門を開けてくれました。そしてすぐにお釈迦様と与久二郎は閻魔大王のところへ向かいました。

そして閻魔大王のところに着いたお釈迦様は「閻魔大王様、お久しぶりです。お体は大丈夫ですか? うわさによると栄養の取りすぎで糖尿気味とか。まぁ、お体だけは気をつけてください。ところで偶然、地獄へ向かっていた与久二郎と会ったのです。そして過去のことを聞いてみたら、子供のころ自分の命をかえりみないで人命救助をしていたことが分かりました。よって今一度生きざま調査原簿を調べてもらいたいのです!!」と語気を少し強めて言いました。それを聞いていた閻魔大王は「お釈迦様、まぁ、聞いてください。最近生きざま調査庁での担当の鬼の入力ミスが多いのです。職務怠慢というか、慢心というか。担当の鬼たちは、娑婆で毎日毎日身を粉にして、一日一日汗水流して一生懸命働いて生きている者の立場に立って入力業務をしていないのです。要は娑婆の者の生きざまを粗相に取り扱っているということなのです。もし仮に少しでも頭の中に娑婆の者の懸命な生きざまを想像して業務に当たれば、こんないい加減なミスはおきないのです。相手の立場に立ってものを考える想像力が落ちているといわざるを得ません。それで最近責任者を更迭したばっかりなのです。わしもその問題で日常業務にも支障をきたすほど悩んでいるのです。わしの地位をも揺るがす重大問題となっています。今お釈迦様にこんな内輪の話をしてもしょうがないのですがね。まぁ、こんなことがおきているので早速生きざま調査原簿生きざまパソコンのデータの照合作業を開始するよう命令します」と言ってくれたのです。それを聞いていたお釈迦様は「閻魔大王様も大変ですねぇ。何の悩みや問題もないと思っていたのですが、そんな問題で悩んでいたとは。入力ミスが多いことは知っていましたが、閻魔大王様は豪気な方なので、そんな問題は気にしていないと思っていました。意外と繊細な部分もお持ちだったのですねぇ。まったく表面だけを見ても相手のことは分からないものです。やはり、時々心の内を聞いてあげて、相手のことを分かってあげることは大切なことだと改めて分かりました」と言ったのです。そしてお釈迦様と与久二郎は閻魔大王にお礼を言ってしばらく調査結果を待つことにしました。

 そんな調査結果を待っていた閻魔大王のもとへ、生きざま調査庁の役人の鬼がやってきました。そして閻魔大王に調査結果を報告していました。そして報告が終了した直後に、閻魔大王がお釈迦様と与久二郎のところへやってきました。そして開口一番「与久二郎、申し訳なかった。完全に入力ミスがあった。確かに子供のころ猛吹雪のときに、近所の小さい子供を川から助けた記録が見つかったのだ。それも悪条件の中で機転を利かせたすばらしい記録が。こんないいことをしたことを見逃していたとは本当に申し訳なかった。人の命を救う行為は判決を覆すに十分な行為だ。お前の判決を即刻極楽生きに変更する」と言ってくれたのです。それを聞いた与久二郎は「ありがとうございます」と一言、閻魔大王にお礼を言いました。そして与久二郎は天にも昇るいい気持ちになりました。そしてお釈迦様も閻魔大王にお礼を言いました。

 そんな判決をもらった与久二郎は、お釈迦様と一緒に極楽門をくぐりぬけて極楽へと旅立っていきました。そして閻魔大王は二度とこんなミスがおきないようにと生きざま調査庁の大改革を断行しました。そしてその後「生きざま調査庁」は「閻魔直属生きざま調査機構」になったとさ。 おしまい