人間にとって基本的に大切なものは「真心」です。真心を木で例えるならば根っこではないでしょうか。この根っこがしっかりしていれば嵐(様々な誘惑等)に勝利することができます。しかし腐っていればだめになってしまいます。このような時代、目には見えない大切な根っこをしっかりしたものにしていきたいものです。この物語を考えた背景には情報の氾濫があるからです。情報の氾濫によって何が大切なものなのかを見失っていく可能性もあると思ったからです。

 昔々、越後の国(今の新潟県)のある村のはずれに、もう何百年も掃除をしてもらっていないお地蔵様がありました。ごみやほこり、落ち葉などをかぶってこけなども生えて汚くなっていました。昔は村の人達がよく掃除をしてきれいにしていましたが、あるときから村の人達の心が変わり誰も掃除をしなくなったのです。そんなある秋に一人のおばあさんがこの村に引っ越してきました。それもこのお地蔵様の向かいの空き家に引っ越してきたのです。このおばあさんは若いときから信仰心の厚い人でした。毎朝おきてはお天道様に手を合わせ「きょう一日何事もなく、平安に暮らせますようにのう。きょうまたこのように生かされたっけのう、ありがてぇてね。」といつも心からのお祈りをささげていました。

そんなおばあさんが引越しの整理のついた翌日に、近所に引越しの挨拶をしようと思って歩くと、すぐに、ごみやほこりをかぶって、こけが生えているお地蔵様を見つけました。すかさず「おうおう、なんとかわいそうなお地蔵さんだのう。」と言って、挨拶のことなどすっかり忘れて、家に掃除の道具を取りに行きました。そして一生懸命にお地蔵様の掃除を始めたのです。もう何百年も掃除をしていなかったものですから、それは大変でした。あばあさんは引越しの疲れも忘れ、お地蔵様を本当にきれいにしてしまいました。おばあさんは「あーあ疲れたのう。でもお地蔵様がこんなにきれいになったのでよかったのう、よかったのう。そうだ、毎日掃除をしてきれいにしてお地蔵様に喜んでもらおう。」と言って、一服をしに家に帰りました。その後挨拶周りを終えたのでした。

それからというもの毎日、毎日、お天道様に手を合わせ、お地蔵様の掃除をし、お地蔵様にも手を合わせる生活を送っていました。そんなある日に、なんとおばあさんはお地蔵様がかわいそうだと思ってお地蔵様専用の小さな小屋を建ててやりました。おばあさんは「これで雨や雪、風にも大丈夫。よかったのう。よかったのう。」と自分のことのように喜んでいました。

おばあさんが引越しをしてから三年ぐらいたった夏の朝に、いつものようにおばあさんはお地蔵様の掃除をして手を合わせて家に帰ろうとしたそのとき、「おトラ、おトラよ、私はここの地蔵だ。毎日ありがとう。」という声がしたのです。おばあさんはびっくりして腰をぬかしてしまいました。一瞬何が起きたのか分からなくなったのです。そしておばあさんは「確かに今、私の名前を呼んだよなぁ? 」とひとり言を言いながらあたりを見まわしました。しかし、人影はありませんでした。おばあさんは「ま、ま、ま、まさかお地蔵様がしゃべったのらろっかのー?! 」とまたひとりごとを言いました。するとお地蔵様が「そうだ。私がお前の名前を呼んでお礼を言ったのだ。」と言いました。おばあさんは夢か幻を見ているのではないかと思ってついホッペをつねってみると「痛い!!」とすぐに感じました。おばあさんは、これは夢でも幻でもない、と直感すると我に帰り「お地蔵様、何で私の名前がわかったろうのう。」と尋ねました。

そうするとお地蔵様は「私はすべて知っている。このかた、何百年と人間を見てきた。知らないのはないのだ。」とおっしゃいました。そして「おトラ、お前もだいぶ年をとってきた。残り少ないこの世でお前の望むものなら何でもかなえてやろう。」とおっしゃったのです。これにもおばあさんはびっくりしました。おばあさんは少し考えて「お地蔵様、私はあとせいぜい五年ぐらいしか生きらんねてね。この残りの五年の間に病気しゃんで、健康に生きらっれば、こんないいことはねてね。望みといったらこんなもんですっけ。」と言いました。そうするとお地蔵様は「欲のないおトラだ。分かった。あと残りの人生の健康をお前にあげよう。」とおっしゃったのです。するとおばあさんは「ほんね、ありがとうございます。」と言って手を合わせました。

そしてその翌日、いつもの日課をこなし家に帰ろうとしたそのとき「おトラ、お前には死ぬまでの健康を授けた。そして死ぬまでの暮らしに困らない程度の金と米を私の気持ちとして差し上げよう。」とおっしゃったのです。するとおばあさんは「あーあー。もったいねてね。ほんね、ありがとうございます。」と言って家に帰りました。すると家の中の玄関にお地蔵様がおっしゃったとおりのお金とお米がきちんと置いてありました。おばあさんは「お地蔵様、ほんね、ありがたかったれ。」と感謝の言葉をささげました。

きのうときょうのお地蔵様とおばあさんのやり取りを見ていた、隣の欲張りで金持ちの小ずるい大家のおじいさんは「ははあ。あんなことをお地蔵様にしてくっれば、何でも望むものをくれるんだな。俺もさっそく真似して、あしたの夕方からやってみろっと。」と言いました。

 その翌日の夕方、大家のおじいさんは掃除の道具を持ってお地蔵様の前にきました。お地蔵様はおトラばあさんが毎日掃除をしているのでとてもきれいでした。大家のおじいさんはお地蔵様がきれいなので掃除をするふりをして簡単に掃除をしました。大家のおじいさんは「まあ、こんげことを何日かしてやってやればお地蔵様もきっと俺に声をかけてくれるに違いねすけ。」と考えていました。しかし、いくらそんなことをやってもお地蔵様の声は聞こえてきません。短気な大家のおじいさんは「まったく、どうしたろうのう。このお地蔵様はぼんくらろっかのう。それともただの石か。」などと挙句の果てにお地蔵様の文句を言い始めました。文句を言いながらも大家のおじいさんはお地蔵様から大金をもらいたいために我慢して掃除をするふりを続けていました。ちょうど掃除を始めて半年後の日にお地蔵様の声がしました。「大家の平吉、そんな掃除をするふりをしてこの私をだまそうとしてもむだだ。お前は生まれてこの方、私に見向きもしなかっただろう。隣のおトラのやっていることを見て、自分もあやかりたいと思ったのだろう。しかしな、平吉よ、お前には財産はあるが真心と感謝の心という目には見えない大切なものがない。お前はおトラの手を合わせている姿を見たことがあるのか。それは美しい姿だ。なぜ美しいかというと、おトラは損得やご利益で手を合わせているのではないからだ。ただただ感謝の心から手を合わせているだけなのだ。私はそんなおトラの真心に心を打たれたのだ。

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お前のように欲張りで、小ずるい人間の心はすぐに分かるのだ。お前が隣の町の温泉街で土産用として売っているまんじゅうのあんこのことも知っているのだぞ。お前は売れ残りのまんじゅうのあんこを新しいまんじゅうの中に入れているだろう。誰にも気付かれていないと思っていただろうが、そうはいかないぞ。」とおっしゃいました。これには大家のおじいさんもびっくり仰天しました。そして「お地蔵様、何で俺の名前が分かったろうのう。何でまんじゅうのあんこのことも知っていっろうのう。」と聞きました。するとお地蔵様は「私はすべておみとおしだ。何でも分かっている。」とおっしゃいました。これまた大家のおじいさんはびっくりしました。そして大家のおじいさんは「お地蔵様、そんなこと言っても、この世の中、きれい事だけ言ってみても、なかなか通用しねっし、儲からねてね。」と言いました。そうするとお地蔵様は「ほぉほー。それでは平吉、お前は汚い方法で儲けても平気なのか。お前の言い方だとそういうことになるぞ。きれいの反対は汚いということだ。汚いやり方はいつか行き詰り、ボロがでるものなのだ。そして、悪知恵がどんどん出てくるものなのだ。その挙句の果てに、財産もなくし、信用もなくして、すべてを失うぞ。人間は基本というものがある。それを忘れていると、いろいろな問題が出てくるぞ。だから平吉よ、目には見えないものをまず基本にして、大切にしていくことは大事なことだよ。この機会に今までの生き方を振り返り、心を入れ替えて、新たに生きていってみてはどうだ。」とおっしゃいました。すぐにはさすがの大家のおじいさんもびっくりが先で返答に困りました。そして少し考えて「分かったれ。一晩考えさせてくんねろっかのう。」とお地蔵様に申しあげました。するとお地蔵様は「分かった。」とおっしゃいました。

 その夜、大家のおじいさんは一睡もしないで今までの自分の人生を振り返り、自分という人間がどんな人間だったかを生まれて初めて見つめなおしました。その結果、大家のおじいさんは自分のことしか考えない欲張りで、思いやりのない、何事にも感謝のない自己中心の人間だったことが分かりました。自分の本当の姿にはじめて気がついたのです。そして今までのことを悔い改めて心を入れ替えました。もちろん売れ残りのまんじゅうのあんこを新しいまんじゅうの中に入れることもやめることにしました。

早速翌日に隣のおばあさんを自分から誘ってお天道様とお地蔵様に手を合わせました。もちろんおばあさんといっしょにお地蔵様の掃除を真心込めてやりました。そして大家のおじいさんは「もしお地蔵様に俺の悪いところを言ってもらえなかったらとんでもない余生を送るところだったてねぇ。本当にお地蔵様、ありがたかったれ。俺が間違っていたてね、もう何もいらんてね。有り余る財産もあるっけぇ、これからは困っている村人を物心両面で助けっれ。そっれ、みんなを幸せにしますっけ。」と言ってお地蔵様に手を合わせました。するとお地蔵様が「平吉よ、心を入れ替えたのだなぁ。これでお前は極楽へ行けるぞ。人は自分の顔が見えないのと同じく、自分の心というものが見えない。しかし、他人のこととなるとよく見えるものだ。これからは自分を棚に上げて人の欠点ばかりを見るのではないぞ。これからはダイヤモンド魂で生きていくのだぞ。」と言いました。そしてそれが最後のお言葉でした。それっきりお地蔵様は何もしゃべりませんでした。 それからというもの、この村はお地蔵様を「まごころ地蔵」と名付けていつまでも大切にしました。そして多くの人々がお参りに来るようになりました。そして驚いたことにこのお地蔵様に手を合わせるだけで、すべての願い事がかなったり、悲しみや、心配事がなくなったりしました。そんなお地蔵様のご利益(りやく)は国中に広まり、益々多くの人々が参拝するようになりました。そしてみんなが幸せになったとさ。     
おしまい