魂のリフォームとは何か? それはずばり「ただの石ころがダイヤモンド魂を持った石ころになること」です。突然こんなことを言われてもおそらくピンとこないし、そんなことはあり得ないと思っていることと思います。しかし、それがあり得るのです。解りやすく説明しますと、今のあなたがただの石ころ(煩悩多き我々人間)としましょう。そうするとただの石ころが道端に落ちていた場合(人々に人物評価されているとき)、それを人々は好んで拾いますか(高く評価しますか)? おそらく拾いません。きっとあなたもそのへんに転がっているただの石ころは拾わないでしょう。仮に太陽の光で石がその光を反射していた場合は、何か宝石かと思っていったん手に取り「何だ、ただの石ころか」と解ると捨ててしまうのが普通です。ところがそれが本物のひかり輝くダイヤモンドだったらどうでしょうか。きっと捨てません。ただの石ころは捨てるのになぜダイヤモンドは捨てないのでしょうか? その答えは簡単です。それはそのものに価値があるからです。そのものに価値があることを知っているからです。我々は価値あるものは捨てないのです。

それでは捨てられない(又は無視されない)価値ある魂とは何でしょうか? それは「強くてキラキラと明るくひかり輝く、雑念妄想のない晴れ晴れとして、何事にもとらわれないしなやかなすばらしい魅力ある美しい魂」のことです。それをダイヤモンド魂と命名しました。魂にもダイヤモンドがあるのです。「魂のリフォーム」とはこのただの石ころの例からも解る通り、価値がないと思われていた魂が、本当に価値ある魂に変化することをいいます。人々が喜んで拾う(あなたを高く評価し、一目置く、又は雇いたい等)魂に変化するということなのです。GFIT法はこのような変化をあなたにもたらします。それは「メルシーちゃん」によってダイヤモンド魂にチェンジ出来ます。

  あなたは今こんなことで悩んだり、迷ったりしていませんか? 人生をどう考えれば楽しくなるのか、今直面している家庭問題を何とか好転させたい、今悩んでいる職場と取引先の人間関係を何とかいい方向に好転させたい、何とか人生の価値ある目標を探したい、何とか今より充実した人生を送りたい、何とか今より人間的に向上したい、何とか今の性格を変えたい、何とか今より出世したい、何とか今より大物になりたい等々と。このようなことは生きていれば当然発生するものです。中には何の問題もなくすべてうまくいっている方々もおられるかもしれません。それらの方々は除きます。それではそれらの発生する問題を良い方向に好転させてくれる最大の主たるものは何でしょうか? 神様でしょうか? それとも仏様でしょうか? 国でしょうか? 親でしょうか? 親戚でしょうか? 友達でしょうか? はっきり言ってそれらのものではありません。その答えは外部にあるのではありません。その答えはあなたの内面の「あなたの魂」です。あなた自身です。それもあなたの心の奥の奥にある「ダイヤモンド魂」です。人間が発するすべては魂からいずる(出る)のです。ですから冒頭にその答えがあります。あなたの魂をリフォームすることが人生の諸問題を好転させる出発点の答えです。それを導く方法がGFIT法なのです。

  よく耳にするのが「自分が変われば周りが変わる」という言葉です。この中の「変わる」というのは「リフォームする」ということなのです。あなたに質問します。あなたは今まで多くの本等を利用したり(自己啓発類セミナー等含む)、何か信仰したりして本当にリフォームが出来ましたか? 「はい、私は出来ました」と言う方はGFIT法を実践する必要はありません。「いや、私は出来なかった」とか「最初は変わったような気がしたが時間がたったら元の自分に戻った」「よく解らない」「長く、ある宗教を信仰しているが、その信仰によってリフォームできたかかどうか疑問を持っている」「今、信仰しているがどうしても自分を超えられない」「長年信仰しているがなかなか心が晴れない」「長年信仰しているが本来の短気の性格が出てちょっとのことで人を怒鳴ったり怒ったりして気持ちが安定しない」「人の短所ばかり見て、長所を見ることが出来ない」「今、信仰しているがどんどん他の価値観を否定するようになり、気が付いたら多様性を認めることが出来ない人間になり、他の価値観を憎むようになった(これは他の価値観を持っている人間を否定するようになり、自分では気が付かないうちに過激的な傾向になる可能性があります。これはどんどん自己中心的になっていき畳一畳の世界に気が付かないうちに入っている可能性があります。すでにマインドコントロールされているかもしれません)」等々の見解を持っておられる方はぜひGFIT法を実践してみてください。あなたはきっとリフォームすることが出来ます。 それに加えてリフォームするためにはもう一つ大切なことがあります。それは「自分を徹底的に見つめ直す作業」もしなければならないということです。これはなかなか辛いことですがこれを避けて通ることは出来ません。物事がうまくいかないのはほとんど自分がどっかで間違っているからです。

それではなぜ本等を利用したりしてもリフォームを起こせないのかということです。それは「心と魂は違う」からです。そのためになかなか自分をリフォームすることが出来ないのです。その理由をこのホームページで明らかにしています。

※注意・・・弊社は信仰を否定していません。信仰は先人が苦労して切り拓いた人類の財産の一つとして位置付けています。ただし信仰を悪用して信者の本当の幸せを中心に考えないで、指導者が己の欲望を満たすだけの宗教もありますので注意が必要です。くれぐれもマインドコントロールされないようにしましょう。要は骨抜きにされないようにすることです。骨抜きにされないようにするには真の強さを持つ必要があります。過去に信仰のマインドコントロールによって凶悪な事件も起きているのです。 なにも信仰だけが悪用すれば人に害を与えるものではありません。人間が発明してきた便利なモノは悪用すれば“諸刃の剣(もろはのつるぎ)”になるのです。

腹が減ったらおまんま、精神はプラスエネルギーキャラ軍で元気!

信仰に関するすべての悩み等はレターハートラインで

自然界を考えてみてください。すべては異質なものがそれぞれ循環しているからこそバランスを保ちながらすべてが生かされ存在してうまくいっています。個別で生きているものはありません。植物という異質な価値は二酸化炭素という異質な価値を吸って酸素という異質な価値を出しています。植物が生きていくためには異質な価値の水が必要です。異質な価値の光も必要です。ましてや人間が生きていくためには無数の異質な価値をもったものを取り入れなければ生きていけません。私たち人間も異質な価値を持った人が生産したものを取り入れなければ生きていけないのです。ですからこの世界のすべての異質な人との関係なくしてこの世界に住むことは出来ません。私たちが消費する石油は異質な人が生産しているのを消費しています。逆に私たちが生産した機械、自動車等は他の国の異質な人が買って使っています。このようにすべての異質な人たちと密接な関係なくして存在できない社会になっているのです。原始時代であれば異質な人と関係なく生活できましたが現代ではそれは出来ません。すべては異質な人と関係し合っているのです。まさにそのことは自然界が正常に働いてバランスよく循環しているのと同じです。人間界も異質のものどうしがバランスよく正常に交流することが自然の法則にかなっているのです。だから異質の人を排斥することは自然の法則に反するのです。だから異質の人を許容し認めることは自然の法則なのです。私は異質な価値の太陽の光が嫌いだからといって太陽をこの太陽系から追い出せばこの世界は終わりです。この意味を考えてみませんか?

※太陽からの光は皆さんもご存じのように七色が混ざり合って出来ています。みな違った色を放って一つの光となって大きな力になり、我々に恩恵を与えてくれています。太陽の光の七色を人間の七人の集団で置き換えた場合、その集団は七色の個性が混ざり合って一つにまとまって集団としての大きな力を出せます。百人であればもっと大きな力となります。太陽は一色でも欠ければ植物をも育てる自然の光になりません。人間の七人の集団でも一人でも欠ければその集団の大きな力を出せなくなって一つになれません。ここに異質な色(個性)も認めていかなければ自然の法則に反する理由があります。人間の集団は複数の色(個性)を放っていても太陽と同じように一つにまとまって一つの集団の色(個性)を放つことが出来るのです。我々の社会は一人一人の個性という色が混ざり合ってすばらしい人間社会を創造しているのです。ですから一色でも欠かせないのです。ここに多様性を許容し認める一つの理由があると思うのですが皆さんはどのように考えますか。太陽の光は七色という複数色です。この複数色がこの地球の繁栄の源のように複数色(複数個性=多様性)こそ人類の繁栄の源です。これが自然の法則です。

この世の中を様々な個性という音色で奏(かな)でるハーモニー社会にしていきませんか。なぜならばそんなハーモニー社会から新しい価値のヒントは生まれると思うからです。そのように思うと「必要でない人間は一人もいない」という思いに至ります。

2016年7月26日未明に神奈川県相模原市の障害者施設で「相模原障害者施設殺傷事件」が起きてしまいました。死者19人。負傷者26人。この事件に関してはネット上で様々な意見が載っています。この事件に関してはこれだけは言えるのではないでしょうか。それは「誰もがいつ重度や軽度の障害者」になるかもしれないということです。誰も自分から障害者になりたくてなった人はいないし、障害者に生まれたくて生まれてきた人はいません。自分一人で生活できなくなれば人から支えてもらわなければ生きていけません。障害者の方々を未来永劫社会全体で温かく見守っていくというまなざしが必要ではないでしょうか。健常者の方もいつ事故や何らかのことで障害者になるかわからない時代なのです。障害者の方々も立派な個性という光を出している一人の人間なのです。

この事件の犯人とその犯人に賛同している方々に問いたい。もし、あなたの子供が障害者に生まれてきて、何の役にも立たない人間という理由でその子供をすぐに殺せますか? このことを問いたいです。たぶん殺すことは出来ません。それではなぜ殺せたのか。それは自分と何の関係もない他人だったからです。その障害者の親の本当の苦悩を理解していなかったからです。うわべだけを見ていたからです。人間はだれしも差別や偏見は持っています。神様でない限り人間にはマイナス煩悩があるからです。しかし、そうだからと言って他人の命を奪う権利は何人もありません。正当な手続きでの我国の殺人罪の最高刑は死刑です。人の命を奪えば断罪されます。

【障害者の方々は私たちの師であり恩人です】
あなたは弱者に対して心底優しくできますか? あなたはマイナス煩悩のかたまりではありませんか? そうでないならばお許しください。人間はマイナス煩悩のかたまりが自己中心の魂を形成します。この魂は人間に差別と偏見をもたらします。しかし、障害者の方々の存在によって自分がマイナス煩悩のかたまりで人間性が希薄な人間だったことに気付かされるのです。そしてそれに気付くとそのマイナス煩悩は徐々に瓦解し、真に優しい人間に生まれ変わるのです。すなわち障害者の方々は私たちに多くのことを教えてくれる師であり恩人なのです。そして最後に障害者の方々は家族の宝物となるのです。そんな家族の宝物を今回の事件の犯人が抹殺してしまったのです。この犯人は世の中の事象の表面しか見てなかったのではないでしょうか。障害者の方々等の弱者への対応は社会(又は自分)の懐(ふところ)の深さのバロメーターなのです。

一般的に人間は「嫌いなものを愛しなさい」と言ってもなかなか出来ません。子供に「嫌いな野菜を食べなさい」と言ってもなかなか言うことを聞いてくれません。それではどうするか。その答えの一つは「嫌いな野菜を工夫しておいしく料理すること」です。そうすれば食べられるようになり、その野菜を好きになります。障害者の方々に差別や偏見をお持ちの方々に提案があります。それは彼らに対しての考え方を「自分を懐の深い人間に変えてくれる師だ」と変えてみてはどうでしょうか。上記の野菜嫌いの子供に料理を変えたように。魂に変化が現れるかもしれません。

【人間の本音】
人間は本来自己中心です。だから差別や偏見は当然生まれます。これが本音です。人間は本来きれいごとの生き物ではありません。自分ほどかわいいものはない生き物です。それは歴史が語っています。ここをまず押さえておかなければなりません。しかし、それでは人間の魂は進歩していかないのです。本音で生きていくと最後には「核戦争」で人類は滅亡するかもしれません。自我のむき出しは最悪、破壊をもたらします。今回の障害者抹殺事件はまさに自我のむき出しによって生まれた憎悪によるものと考えます。そうでなければあそこまでいきません。この事件は特殊な殺人事件だと思っている方が多いと思います。しかし、筆者はそう思いません。日常的に起きている人間の憎悪による殺人事件と同じではないかと考えるのです。人間の自我のむき出しによる憎悪は完全なる破壊をもたらします。例えば交際を断られた、別れ話のもつれ、復縁を迫ったが断られた、借金を断られた等々によっての憎悪によるものとそんなに違わないと思うのです。この事件は人間の憎悪が何をもたらすかを示している事件の一つなのです。憎悪の魂は私たちにも存在します。ちょっとしたことで憎悪が主役に躍り出るのが人間です。犯人だけの特有なものではありません。犯人はいたって冷静です。だからこの事件の一年目(2017年7月26日)をきっかけにもう一度自分の魂を見つめてみませんか。そして魂の進歩とは何かを考えてみませんか。人間の魂も「きれいな部分」と「きれいごとでない部分」の両者のシェアー争いによってあなたの魂が決まるのです。人間は本当に苦しくなったときどっちに傾くか決まるのです。

【犯人の本音はどこにあるのか?】
この事件の犯人の本当の動機の解明は今後の様々な角度からの専門家による取り調べ等にかかっていますが、ここでは犯人の逮捕後の表情から何が読み取れるのか推測してみたいと思います。筆者が一番驚いたのは逮捕後の犯人の表情でした。何か清々した顔をしていたのです。これが気になりました。筆者が推測することは・・・・ ・
No1・・・犯人は将来への大きな悩みを抱えていた。
No2・・・犯人は魂の奥底に差別と偏見に満ちた障害者への小さな憎悪を以前より抱いていた。憎悪は小さかったと推測します。
No3・・・犯人の悩みの葛藤エネルギー(マグマ)の発露(又は爆発)がたまたま以前より抱いていた障害者への小さな憎悪へ向かった。この憎悪が親に抱いていた場合はそっちへ行ったかもしれません。 しかし、この爆発によって小さかった増悪が一気に巨大化した。
No4・・・本当は自分がどうしようもない弱い人間である(なかなか自己実現が出来ない)ことを隠すために様々な理由をつけて「障害者」を悪者にする必要があった。あくまでも自分が正義で障害者が悪だと自分の中で決めつけた。その「悪」を浮き彫りにするために議長あてに手紙を書いたり、ヒットラーのことや障害者が何の役にも立たない等のことを言ったりした。あくまでもこれらは犯人の中での「悪」である障害者を退治する正当な理由づけにされた。よって犯人のシナリオどおりにことが進んだのでマグマは完全に放出された。このことによってすっきりした。それで逮捕後は清々した表情となった。
No5・・・少なからず以前入院したりしていたときに服用していた薬やその他の薬物の影響があったかもしれません。・・・・・・内なるもう一人の自分が「殺せ!殺せ!・・・」との悪心が誘発されて本来の自分に命令したのかもしれません。

さてあなたはどう考えますか。人間はなかなか本当の自分が分かりません。他人の悪いところはよく見えるのですが、いざ自分のこととなると分からないのです。そして「言い訳」というもっともらしいことを主張する生き物なのです。この犯人も「もっともらしい」ことを主張しました。自分のことは分からないのです。あなたもこの機会に胸に手を当ててみて自分を見つめ直してみませんか。