生まれつき、のろまの「のろ侍」服部源吉の心の支えとなったこととは? 「のろま」というハンディを持って生まれてきた源吉はどんな人生を歩むのでしょうか。

昔々、東京が江戸と呼ばれていた頃、江戸の治安を預かる南町奉行所(今でいう警視庁)に勤める同心の服部半兵衛に、初めての子供が生まれようとしていたのです。半兵衛は一軒家の小さな借家を借りていました。そして、その借家の裏には、大きな銀杏の木がありました。「オギァー、オギァー・・・」とうとう生まれたのです。元気のいい男の子でした。子供の名前は「源吉」と命名されました。半兵衛の女房、おフサは産後の体調もよく、順調に体力を回復していきました。そして源吉も両親の愛情に育まれ、すくすくと大きくなっていきました。

 そんな源吉が3歳になったころ、源吉の動作が他の子供より、のろい、ことにおフサは気がつきました。そして半兵衛に「うちの源吉は他の子供より動作がのろくて、いらいらしてきます。」と言いました。半兵衛は「人はいろいろな性格や能力があるのだから、源吉がのろまでも、さりとて心配することはない。」と言いました。オフサは「そうですね。」と言いながらも、あまりの、のろまに、不安を抱いていました。源吉が大きくなるにつれて、その、のろさ、は目を見張るものがありました。おフサはそんな源吉に、毎日毎日いらいらしていました。自分の思い通りにならないと「お前は何でそんなに、のろまなの、まったく。いったい誰に似たのかね。」などと、源吉にあたる始末です。半兵衛は腕のいい同心で、剣の腕も立つ立派な侍でした。しかし、源吉は何をするにものろまで、周りの人間がいらいらするくらいの、どうしようもない、のろま人間だったのです。父親と比較され、世間は「あんな立派な父親から、何であんな、のろまな人間が、生まれたのだろう。」などと、陰口をたたいていました。人と、かけっこをしても、足は非常に遅く、他の子供たちから「のろまの、のろ。のろまの、のろ」と馬鹿にされていました。字を覚えるにも、普通の子が、20回ぐらい書いて覚えるところを、700回ぐらい書かないと、覚えませんでした。この源吉の「のろま」は益々、周りの人間を、いらいらさせるものでした。おフサはこのいらいらが原因で性格も変わり、毎日怒ってばかりいました。そしてとうとう「何でお前はそんなにのろまなの!! いい加減にしなさい!!」などと怒鳴るようになりました。自分の子供なのに、自分の思い通りにならないことに、我慢ができなくなって行ったのです。そしてそれがもとで、病気になり、あっけなく死んでしまいました。

おフサが死んで2年後に半兵衛は後家をもらいました。その後家の名前は「おマツ」と言いました。おマツは半兵衛の家に「のろまの源吉」がいることは知っていました。「のろまの、のろ」ということで江戸では有名でした。おマツは初めて源吉と話しをしてみました。「源吉さん、こんど私があなたのお母さんよ。よろしくね。」と、優しく挨拶をしたのです。源吉も小さな、小さな声で「よろしく。」と挨拶をしました。源吉は10歳になっていました。源吉は小さいときから「のろま、のろま。のろまの、のろ。のろまの、のろ。」などといわれ続けてきたので、自分はだめ人間だと心の底から思い込んでいました。そのために自信のない小さい、小さい声しか出なかったのです。

 そんな後家のおマツが服部家にきて、数日がたったある日、おマツが「源吉! 源吉! こっちの庭に来てごらん!」と言って源吉を呼びました。源吉は「お母さん、何の用事ですか。」と、言って、おマツのそばに行きました。そして、おマツはいきなり「そこの大きな銀杏の木があるだろう、そこに登ってごらん。」と言ったのです。庭には今でいう約25メートルはある大きな銀杏の木がありました。いきなりそんなことを言われた源吉は「そんな大きな木には登れません。」と言いました。おマツは「なにもしないで、できません、ではだめですよ。」と優しく言って聞かせました。源吉は「そんなことを言われても、僕は、僕は、のろまだから、木に登るなんて到底できません。」と言いました。おマツは「とにかく登る格好でもいいからやってごらん。」と優しく言いました。すると源吉は恐る恐る木のそばに近づいていきました。源吉は今まで木に登ったことがありませんでしたので、銀杏の木のそばに行くと、手で木を触ってみました。そして心の中で「こんなまっすぐな大きな銀杏の木に登れるわけがない。」と思っていました。そんな時、おマツがまた「登る格好してごらん。」と言ったのです。源吉は自然と手を大きな幹に回してみました。心の中で「つかまるところもないのに、登れるわけがない。」と益々絶望的な思いに駆られていきました。そんなことを思っているとき、おマツが「源吉、いっぺんに登ろうと思ってはだめだよ。」と言ったのです。そして続けて「きょうは木にさわるだけ、明日又ここに来てごらん。」と言いました。源吉は、内心ほっとして「はい。」と返事をしました。

 次の日、源吉は又銀杏の木の前にいました。おマツが「源吉、きょうはほんの少しでもいいから登ってごらん。木の上を見てごらん。一番下の枝はそんなに高いところにはないのだよ。一番下の枝までたどり着けば、後は枝と枝をつたって上にいけるのだよ。」と優しく源吉に教えてやりました。源吉は心の中で「そんなこと言ったって、僕にとっては、その一番下の枝までたどり着くことは、不可能だ。」と思っていました。そのとき「源吉! さあー、登ってごらん!」といつもと違う、おまつの強い言葉が、耳に入りました。源吉はびっくりして、思わず木にしがみつきました。おマツは続けて「源吉、お前も男に生まれてきたからには、このまま、ずーと、のろまの、のろ。のろまの、のろ。といわれるのも悔しいだろう。人間、何の努力もしないで、そのままというのはだめだよ。お前はお前でいいんだよ。でもね、自分ができることを努力することは、大切なことだよ。人はお前のことをいろいろというだろう。しかし、そんなことはいくらでも言わせておけばいいんだよ。肝心なことは、自分ができる限りの努力をする、ということなんだよ。自分がやれることをすべてやって、その結果だめだった、ということであれば、これは仕方のないことだよ

。そしてね、人間失敗してもいいんだよ。失敗は貴重な経験になるからね。失敗しない人間は成功もしないよ。一番だめなのは、最初から何もしないで、あきらめることなんだよ。」と、言ったのです。それには源吉もびっくりしました。今までそんなことを、言われたことはなかったのです。源吉は得心するものがありました。なんだか少し元気が出てきたのです。そして、大きな銀杏の木にしがみつき、木に足をかけ、力を入れて登ってみました。そしたら少し上に行ったのです。生まれて初めて、源吉が何かに挑戦して結果がでた瞬間でした。おマツはすかさず「やった!! やった!! 源吉、たいしたもんだよ。」と大きな声でほめてやりました。そして「源吉、きょうはここまでにしょう。」と言いました。源吉も「はーい。」と、言って、今までにない大きな声で返事をしました。源吉は生まれて初めて、人にほめられたのです。その晩、源吉はおマツにほめられたことが、うれしくて、うれしくて、なかなか寝付かれませんでした。

腹が減ったらおまんま、精神はプラスエネルギーキャラ軍で元気!

 そして又、次の日、木に登る挑戦が始まりました。源吉は「なにくそ! なにくそ!」と何回も言って挑戦しました。登れなければ最初からやり直しです。少しでも上にいけば一日の挑戦は終了です。何も上に行くことができないときも、たびたびありました。こんな調子で、毎日毎日、少しでも上に登ったところに印をつけていきました。やり直すこと何千回だったでしょうか。気が遠くなるほどの数だったのです。普通の子供だったら簡単に登ってしまうところですが、源吉の性格ですから、それは、それは大変でした。

そして挑戦してから約一年目に、一番下の枝に、とうとう、たどり着くことができました。手と足は傷だらけで、血もにじんでいました。たどり着いたとき、おまつは「やった、やった源吉!! とうとうやったね!! お前もやればできる!!」と、大きな声で言いました。源吉は今まで味わったことのない達成感と満足感を味わっていました。そして自然と、目には涙があふれてきました。そしてとうとう大きな声で泣いてしまいました。おマツは「思いっきり大きな声でお泣き。」といいました。そしてその晩、おマツは赤飯を炊いて源吉の努力をたたえてやりました。この、おマツさんは自分の価値観の物差しで人を見るのではなく、相手の価値観の物差しをよく理解して臨機応変に対応することのできる人間だったのです。

 それから数年がたち、すっかり自分に自信をつけた源吉も、いよいよ父と同じ奉行所に働くことを決意しました。奉行所の採用試験が始まりました。いままで源吉を馬鹿にしていた幼馴染の片桐重蔵も、試験を受けることになりました。試験内容は剣道、一般学問、体力というのが奉行所の慣例でした。今回の試験は、たった一人だけ落ちるものでした。源吉は剣も、学問も、体力も、小さいときから重蔵にはかないませんでした。だから落ちるのは自分だと思っていました。しかし、今年から慣例に加えて、じっくりと「過去の事件を調査する」という新しい試験項目が加わったのです。それには理由がありました。江戸は過去に似た事件が頻繁に起きていたのです。そしてこれらの下手人は、まだお縄になっていなかったのです。これに頭を痛めた奉行所は、まず過去の事件を調査してから、探索しなければならなくなったのです。この新項目は根気のいるものでした。すべての試験が終わり、いよいよ発表の日が来ました。そして源吉はその発表を見てびっくりしました。何と、源吉は受かっていました。落ちたのは重蔵でした。重蔵はその結果に納得がいかず、奉行所に「何で俺が落ちて、のろまの源吉が受かるんだ。」と抗議に行ったのです。奉行所の返事は「口を慎みなさい。確かにお前の方が剣道、学問、体力とも優れている。しかし、じっくりと書類を調べる能力は源吉の方がはるかに上回っている。剣道、学問、体力に秀でている人間は大勢いる、しかし、何日も、じっくりと書類を調べることのできる忍耐強い人間はなかなかいないのだ。今、奉行所としては源吉のような人間が必要なのだ。」という返事だったのです。重蔵は初めて自分が小さいときから、のろま人間として馬鹿にしていた源吉に負けたと思いました。

今回の奉行所の試験は、何と「のろま」という欠点が源吉を救ったのです。「のろま」ということは、裏を返せば「落ち着いてじっくりと物事に対処することができる」という長所でもあったのです。この採用試験の結果には父の半兵衛と母のおマツも心から喜んでいました。そして源吉はその能力を生かし、奉行所の期待に応えて、大きな成果を上げることに成功しました。そしてその功績が認められ、早くも上様から「日本国重要書類吟味役」という特別職を授かったのです。源吉は幕府で作られる重要書類すべてに目を通し、間違いがないかどうかを吟味する、重要な役についたのでした。そして源吉は生涯忘れることのできない言葉を支えにして一生生きていきました。それは「お前はお前でいいんだよ。でもね、自分ができることを努力することは大切なことだよ。そしてね、人間失敗してもいいんだよ。失敗は貴重な経験になるからね。失敗しない人間は成功もしないよ。一番悪いのは最初から何の努力もしないであきらめることだよ。」というおマツの言葉でした。もちろん、「銀杏の木登り」に挑戦した経験は、源吉に大きな自信を与えたことは言うまでもありませんでした。       おしまい