いらっしゃいませこどもようものがたりぺーじへ


にんげんにとってたいせつなもの、じんせいをゆたかにしてくれるもの。
じんせいをいきぬいていくためにひつようなもの、
などなどを「せかいそうさくしんむかしばなしほか」のなかにひょうげんしてみました。
すこしでもみんなの「いきるちから」になればありがたいです。


●したの「ちょさくけん」はこだまはるのぶとMERCYCHANぷろもーしょんかぶしきがいしゃにきぞくします。 このぺーじのすべてのぺーじの「むだんてんさい」、「むだんふくせい、ふくしゃ」をきんしします。

ようこそ「せかいそうさくしんむかしばなしほか」のページへ

作 児玉春信


よみたいところがじゆうによめます。
かくだいめいのところをくりっくしてください。(このモノガタリはすべてフィクションです。ただしいちぶじじつあり)。
№7のものがたり(ぴんくいろ)は、「いじめ」はひとのこころを「きず」つけるわるいことと、ひととして「つみぶかいもの」なんだ、とわかってもらいたいためにかんがえました。なんかいもよんでそのことをわかってください。
 

No1.うちゅう、そうぞうの、かみがみのこうぼう

No2.まごころじぞう 

No3. かんしゃじいさん、と、ふへいふまんぐちばあさん

No4. ある、かねもち、ふうふ、と、とうふや

No5. 「かわもん」と「かみさま」のしんげん

No 6. からすの「かーくん」のおんがえし

No7. むらびとをすくった、やくたたずのおおおとこ

No8. くちが、へんまがった、たごさく

No9. のろまの「のろざむらい、ものがたり」

No10.よなおし、おんせん

No11.「りくのかみさま」と「うみのかみさま」の、ちきゅうぶんどりがっせん

No12.「まごころじぞう」の、いじめそうだんA

No13. まごころじぞう」の、``うつびょう``そうだんB

No14.「まごころじぞう」の、いじめそうだんC

No15.「ずいどう」ほりに、一しょうをささげたおとこ

No16. スペースシップ「ギャラクスィトレーン」 (うちゅうせん「ぎんがれっしゃ」)
 
No18. うしの「ぎゅうたろうのいっしょう」
 
No19. 1かいしっぱいして、しんだおとこと、100かいしっぱいして、101かいめに、せいこうしたおとこ

No20. なんでもかなえてくれる、かみさま

No21.「びんぼうがみ」を「ふくのかみ」にしてしまった「じんべい」

No22. すていぬの、さぶろうものがたり

No23. 「ひとさらいのもんだい」をかいけつした「おうさま」

No24. ``さいせんどろぼう``になった「ごんぞう」

No25. 「よめ」や「むこ」をおいだした「おにばばあ」

No26. ねずみの「さんたろう」のおんがえし

No27.「そんだべぇーむすめ」のおりゅうさん

No28.「まごころじぞう」の、``ざいたくかいごづかれ``そうだんD

No29. おにのこころも「あい」だ、とわかった、だいくのそうべい

No30. みみずの「みーちゃんものがたり」

No1.うちゅう、そうぞうの、かみがみのこうぼう

このおはなしは、いま、わたしたちが、みている、うちゅう、の、たんじょうの、びっぐばん(いまからやく137おく、ねん、まえにおきた、だいばくはつ)がおきる、一ヶしんじ(かみがみのせかいでは、にんげんかいの、一ヶげつは、一ヶしんじ)まえの、かみがみのこうぼうを、えがいたものです。
 

 むかしむかし、そのまたむかしの、そのまたむかし、いまから、なんと、やく137おく、ねん、まえ、まだ、うちゅう、たんじょうの、はじまりの、びっぐばん(だいばくはつ)が、おきていない、かみがみのせかいに、むすうの、そうぞうをつかさどる、かみさまが、そんざいしていました。かみがみの、せいじ、けいたいは、かんしゅしゅぎ(わたしたちの、せいじ、けいたいは、みんしゅしゅぎ)をとっていました。そんななかで、「ぜんじんかい(全神会)ぎいん」の、そうせんきょが、おこなわれたのです。さいだいのそうてんは「だい七うちゅう」(いまのわたしたちが、みている、うちゅう)を、そうぞうする(ちきゅうから、あまりにもとおい、9000おくちょう、こうねん、かなたに、かみがみは「だい一うちゅう」から、「だい六うちゅう」までを、すでにつくっていたのです)びっぐばんの、すいっちを、おすか、おさないか、どうかでした。そうせんきょのけっか、その、すいっちを、おすことに、さんせいしている「せいれいとう」(ぜんうちゅうの、「ぜんのこころ」を、しはいしている、かみがみの、しゅうだん)は、ていいん301しん、にたいして、151ぎせきを、かくほしていました。かろうじて、よとう、として、かはんすうを、いじすることが、できたのです。とうしゅは「うるとらえんぜるさん」という、かみさまでありました。それにたいして、すいっちを、おすことに、はんたいしている、やとうの「あくれいとう」(ぜんうちゅうの「あくのこころ」を、しはいしている、かみがみの、しゅうだん)は、のこりの150ぎせきを、かくほして、だいやくしんしたのです。とうしゅは「でびるさたーんさん」という、かみさまでありました。まさに、そのさは、ちょうきんさ、の、1ぎせき。せいりょく、は、ちょうきっこう、していたのです。そんななか、「だい2ちょう1000おくかい、つうじょうぜんじんかい」が、一ヶしんじ(一ヶげつ)の、かいきで、「ぜんじんかいぎじどう」で、いま、ひらかれようとしているのです。まず、そうりだいじん、に、しめいされた「せいれいとう」の、とうしゅ「うるとらえんぜるそうりだいじん」の「しょしんひょうめいえんぜつ」からはじまったのです。

 「うるとらえんぜるそうりだいじん」の「しょしんひょうめいえんぜつ」が、はじまりました。「このたび、そうりだいじん、に、しめいされた、うるとらえんぜるです。よろしくおねがいもうしあげます。われわれのせかいをとりまく、せいりょくは、ますます、きびしさをましてきています。かこに、「だい一うちゅう」から「だい六うちゅう」までをつくってきましたが、すでに「だい一うちゅう」から「だい六うちゅう」までが「あくれいとう」の、しはいかになりました。このままでは、われわれ「せいれいとう」は、じりひんに、おいこまれることは、ひっとうであります。われわれは、しぇあー(せんゆうりつ)かくだい、のために、なんとしても、いまこそ、せっきょくてきに、あたらしい「だい七うちゅう」(いまのうちゅう)をつくり、しぇあー(せんゆうりつ)を、かくだいしていかなければなりません。そのために「せいれいとう」は、この「ぜんじんかい」に「びっぐばん・すいっち・おん・ほうあん」を、ていしゅついたしました。てっていした、ぎろんを、していただきたく、おねがいもうしあげます。つぎに、ざいせいもんだいですが、このもんだいは、ひきつづき、ざいせい、けんぜんか、のため、せいいき、なき、こうぞうかいかくを、せっきょくてきに、すいしんし、かつ、てっていした、こすとさくげん、を、はかってまいりたい、しょぞんであります。かくかみがみの、いっそうの、ごきょうりょくを、ひきつづき、たまわりたいとおもっています。つぎに、きょういくもんだい、ですが、このもんだいは、とくにちからを、いれていきたいと、おもっております。ぐたいてきには「かみがみきょういくきほんほう」を3000、おくねん、ぶりに、はじめて、みなおしたいと、おもっています。さっこんの、きょういく、げんば、による、いじめは、め、をみはるものがあります。そのために、かみさまを、はいぎょうするものが、あとをたちません。じゅうような、もんだいと、うけとめています。このもんだいは、とくめいだいじんの、ぽすとを、あらたにつくり、もんだい、の、かいけつにむけて、せっきょく、てき、に、たいおうしていく、しょぞん、であります。みなさま、かみがみの、ごきょうりょくを、よろしくおねがいもうしあげます。かんたんではありますが、「しょしんひょうめいえんぜつ」に、かえさせて、いただきます。ごはいちょうありがとうございました。」と、そうりだいじんの、えんぜつが、おわったのです。すかさず、ぎちょうは、このえんぜつにたいしての、しつぎを、はじめることにしました。やとうとうしゅの「でびるさたーんとうしゅ」が、さいしょに、しめい、されました。しめい、された「でびるさたーんとうしゅ」は「このたびの、そうりだいじん、への、ごしゅうにん、おめでとうございます。さっそくですが、こんかいの「びっぐばん・すいっち・おん・ほうあん」に、たいして、しつもんさせていただきます。われわれ「あくれいとう」が、ようやく「だい三うちゅう」までを、しはいして、われわれが、そっちに、ぜんりょくとうきゅう、しているときに、そのすきをみて、すかさず、べつな、うちゅう、を、つくることは、すこし、はやすぎないでしょうか。まず、これがひとつです。つぎに「ちょうこうせいのう、しんかい、こんぴゅーたー」で、やく137おくねんさきまで、しゅみれーしょん、したけっか、びっぐばんが、おきてから、やく17おくねんごに、たんじょうする「あまのがわぎんが」のなかに「あまのがわぎんが」が、たんじょうして、やく70おくねんごに、たんじょうする「たいようけい」のなかの「ちきゅう」という、わくせいは、しょうらい、にんげんが、しはいするようになります。そして、その、にんげんは、どんなに、ひさんな、せんそう、を、なんかいも、けいけんしても、いっこうに、あらそいを、やめようとしないことが、わかっています。これは、われわれが、しょうり、することが、わかっていることを、しめすものと、かんがえます。そんなことが、わかっているのに、あらたな、うちゅう、を、つくることは、よさんの、むだづかいの、なにものでもない、ともうしあげたい。この二てん、の、しつもんについて、そうりだいじんの、おかんがえを、おききしたいと、おもいます。」と、しつもんしたのです。それにたいして「うるとらえんぜるそうりだいじん」は「まず、だいいちのしつもんのことですが、あなたたち「あくれいとう」の、しはいが、ますます、かくだいしている、いま、てをこまねいていては、うちゅう、ぜんたいが、たいへんなことに、なって、ておくれに、ならないようにしたいのです。そのために、いそぐひつようが、あるのです。あくや、つみが、はびこって、しまってから、たいおうしていたのでは、おそいのです。あくや、つみは、おそろしいほどの、みりょくを、もっており、それにゆうわくされてしまうと、なかなか、ぬけだせない、もんだい、を、もっています。ほんらい、この、うちゅう、にそんざいしている「あくのこころ」は、さいしょ、ちょうじかん、はびこるのですが、だんだんと、さまざまな、いたいおもいなどを、けいけんして「ぜんのこころ」へと、むかうのです。ですから、あたらしい、うちゅう、をつくり「ぜんのこころ」を、できるだけはやく、ひろげていかなければなりません。おそらく「ちょうこうせいのう、しんかい、こんぴゅーたー」の、しゅみれーしょん、のけっか、その、ちきゅう、には、おおくの、せいじゃが、たんじょうすることを、よそう、しています。そして、そのかんがえかたの、えいきょうをうけた、おおくの、にんげん、が「ぜんのこころ」を、もつようになると、おもうのです。しかし、なかには、せいじゃの、かんがえかたを、あくようして、よのなかを、じぶんたちの、おもいどおりに、するために、ひとのこころを、まどわす、ふとどきものも、あらわれます。しかし、にんげん、は、それらのものと、たたかって、しょうり、し、おおくの、にんげん、の、どりょく、によって、だんだんと「ちきゅう」から、あらそいを、なくすことに、せいこう、すると、かんがえます。しかし、あらそいが、なくなるまでは、いろいろなことが、おきるとかんがえます。たしかに、いろいろなことがおきる、りすくは、ありますが、われわれとしては、そんなことに、おそれず、ひるまず、たちどまらず、かくじつに、ほうあんを、とおし、かくじつに、ほうあんないようを、じっこうしていく、しょぞん、であります。やとう、の、しゅちょうする「うちゅう、をつくることは、はやすぎないか」と、いう、しゅちょうは、そのような、りゆうから、あたらないと、かんがえております。よいと、おもわれる、せいさく、には、どんどん、おかね、をつかっていきます。やとうの、しゅちょうする、むだづかいには、あたりません。」と、よとうの「うるとらえんぜるそうりだいじん」は、きっぱりと、とうべんしたのです。このような、ぎろんが、ぜんじんかい、で、一ヶかしん(一ヶげつ)くりかえされました。そして、さいしゅうの、しつもんが、だされたのです。それは「やく137おく、ねん、ごの「ちきゅう」に、かくせんそうが、おきるかどうかのことを「ちょうこうせいのう、しんかい、こんぴゅーたー」で、しゅみれーしょん、したけっか、せいのうの、げんかいで、そこまで、たどりつくことが、できませんでした。われわれ「あくれいとう」は、おそらく、かくせんそう、がおきて、にんげんは、ほろびると、かんがえています。そして、われわれ「あくれいとう」が、しはいする、わくせい、となると、かくしん、しています。わざわざ、そんなことになってしまうのが、わかっているのに「びっぐばん・すいっち・おん・ほうあん」を、とおすことは、できません。われわれは、はいあんに、おいこみたいと、おもっております。「うるとらえんぜるそうりだいじん」の、おかんがえを、おききしたい。」と、いうものでした。そうりだいじんの、とうべんは「わたしは、けつろんからいって、おそらく、かくせんそうは、おきないと、かんがえます。その、いっぽ、てまえまでは、いくかもしれません。しかし、にんげん、の、えいちを、けっしゅうして、せんそう、には、いたらないと、かんがえます。なぜならば、かくせんそう、を、したのでは、じぶんたちぜんいんが、ほろびることを、しっているからです。にんげん、は、そんなばかではないと、かんがえます。そして、よい、ざいりょうとしては、にんげん、は、がくしゅうする、ちえ、を、もっているということです。たしかに、にんげん、の、こうどうを「ちょうこうせいのう、しんかい、こんぴゅーたー」で、しゅみれーしょん、してみると、せんそう、による、ころしあいの、れきし、を、かくにん、できます。しかし、その、せんそう、のけっか、はんせい、をくりかえし、みんなで、はなしあいを、しなければならないことにも、きづいて、げんじつに、おおくの、こくさいそしきも、つくったことをかくにんできます。これは、あかるいほうにいっている、しょうこです。ですから、これにかんしては、とくに、もんだいありません。もんだいが、あるとすれば、むしろ、それいじょうにおそろしいのは「二さんかたんそ」による「ちきゅうおんだんかもんだい」です。と、とうべんしました。「あくれいとう」は、かいきえんちょうを、しゅちょうしましたが「せいれいとう」は、うけいれず、けっきょく、もめにもめて、きょうこうさいけつ、となりました。けっか「あくれいとう」から、3にんの、かみさまが、ぞうはんし「びっぐばん・すいっち・おん・ほうあん」は、さんせい154ひょう、はんたい147ひょうで、かけつし、そのちょくご「うるとらえんぜるそうりだいじん」によって、びっぐばんの、すいっち、が、てんかされ、だいばくはつがおこり、いまの、うちゅう、がつくられました。そんなわけで、いま、わたしたちが、この、うちゅう、のなかに、そんざいしているのです。そして「せいれいとう」と「あくれいとう」の、二だいせいりょく、が、この、ちきゅう、で、まいにち、まいにち、はげしくたたかっているのです。それは、まいにちの、てれび、らじお、いんたーねっと、しんぶん、などの、にゅーすで、かくにんすることができるのです。

あなたは「せいれいとう」を、しじ、しますか。それとも「あくれいとう」を、しじ、しますか。それによってあなたの、いきかたも、おおきくちがってくることになるでしょう。

※ げんざいの「かがく」では、やく137おく、ねん、まえにおきた「びっぐばん」いぜんのことは、よくわかっていないそうです。このものがたりは「ひとつの、そうぞうしたおはなし」です。このものがたりのなかで、わからない、ことば、などが、あったら、おねえさん、おにいさんに、きいたり、おとうさん、おかあさんに、きいたりしてください。

No2. まごころじぞう

 むかし、むかし、えちごのくにの、あるむらのはずれに、もう、なん、びゃく、ねん、も、そうじをしてもらっていない、おじぞうさまがありました。ごみやほこり、おちばなどをかぶって、こけなどもはえて、きたなくなっていました。むかしはむらのひとたちが、よくそうじをしてきれいにしていましたが、あるときから、むらのひとたちのこころがかわり、だれもそうじをしなくなったのです。そんなあるあきに、ひとりのおばあさんが、このむらにひっこししてきました。それもこのおじぞうさまのむかいのあきやに、ひっこししてきたのです。このおばあさんは、わかいときから、しんこうしんのあついひとでした。まいあさ、おきては、おてんとうさま(たいようのこと)に、てを、あわせ「きょういちにち、なにごともなく、へいあんにくらせますように。きょうまたこのように、いかされました。ありがとうございます。」といつも、こころからおいのりをささげていました。

 そんなおばあさんが、ひっこしのせいりのついたよくじつに、きんじょに、ひっこしのあいさつをしようとおもって、あるくと、すぐに、ごみやほこりをかぶって、こけが、はえている、おじぞうさまをみつけました。すかさず「おうおう、なんとかわいそうな、おじぞうさま、だこと。」といって、あいさつのことなどすっかりわすれて、いえにそうじの、どうぐを、とりにいきました。そしていっしょうけんめいに、おじぞうさまの、そうじをはじめたのです。もう、なん、びゃく、ねん、も、そうじをしていなかったものですから、それはたいへんでした。あばあさんはひっこしのつかれもわすれ、おじぞうさまをほんとうにきれいにしてしまいました。おばあさんは「あーあ、つかれた。でもおじぞうさまがこんなにきれいになったのでよかった、よかった。そうだ、まいにちそうじをして、きれいにして、おじぞうさまによろこんでもらおう。」といって、いっぷくをしに、いえにかえりました。そのご、あいさつまわりをおえたのでした。

 それからというもの、まいにち、まいにち、おてんとうさまに、てを、あわせ、おじぞうさまの、そうじをし、おじぞうさまにも、てを、あわせる、せいかつをおくっていました。そんな、あるひに、なんと、おじぞうさまがかわいそうだとおもって、おじぞうさませんようの、ちいさな、こやを、たててやりました。おばあさんは「これであめやゆき、かぜにもだいじょうぶ。よかった、よかった。」とじぶんのことのようによろこんでいました。

 おばあさんがひっこしをしてから、さんねんぐらい、たった、なつの、あさに、いつものように、おばあさんはおじぞうさまのそうじをして、てを、あわせて、いえにかえろうとしたとき、「おとら、おとらよ、わたしは、ここの、じぞうだ。まいにちありがとう。」という、こえがしたのです。おばあさんはびっくりして、こしをぬかしてしまいました。いっしゅんなにがおきたのかわからなくなったのです。そしておばあさんは「たしかにいま、わたしのなまえをよんだよなぁ? 」とひとりごとをいいながらあたりをみまわしました。しかし、ひとかげはありませんでした。おばあさんは「ま、ま、ま、まさかおじぞうさまがしゃべったのかな?! 」とまたひとりごとをいいました。するとおじぞうさまが「そうだ。わたしがおまえのなまえをよんでおれいをいったのだ。」といいました。おばあさんは、ゆめか、まぼろしをみているのではないかとおもって、ついほっぺをつねってみると「いたい!! 」とすぐにかんじました。これはゆめでもまぼろしでもないとちょっかんすると われにかえり「おじぞうさま、なんでわたしのなまえがわかったのでしょうか。」とたずねました。そうするとおじぞうさまは「わたしはすべてしっている。このかた、なん、びゃくねんも、にんげんを、みてきた。しらないのはないのだ。」とおっしゃいました。そして「おとら、おまえもだいぶとしをとってきた。のこりすくない、このよで、おまえの、のぞむものならなんでもかなえてやろう。」とおっしゃったのです。これにもおばあさんはびっくりしました。おばあさんはすこしかんがえて「おじぞうさま、わたしはあとせいぜい、ごねん、くらいしか、いきられません。この、のこりの、ごねんの、あいだに、びょうきをしないで、けんこうにいきていければ、こんないいことはありません。のぞみといったらこんなものです。」といいました。そうするとおじぞうさまは「よくのない、おとらだ。わかった。あとのこりのじんせいの、けんこうをおまえにあげよう。」とおっしゃったのです。するとおばあさんは「ほんとうにありがとうございます。」といって、てを、あわせました。

 そしてそのよくじつ、いつもの、にっかを、こなし、いえにかえろうとしたそのとき「おとら、おまえには、しぬまでの、けんこうをさずけた。そして、しぬまでの、くらしにこまらないていどの、かねと、こめを、わたしのきもちとしてさしあげよう。」とおっしゃったのです。するとおばあさんは「あーあー。もったいないことです。ほんとうにありがとうございます。」といって、いえに、かえりました。すると、いえの、げんかん、に、おじぞうさまがおっしゃったとおりの、おかねと、おこめが、ちゃんとおいてありました。おばあさんは「おじぞうさま、ほんとうにありがとうございました。」と、かんしゃのことばを、ささげました。

 きのうと、きょうの、おじぞうさまと、おばあさんのやりとりをみていた、となりのよくばりで、かねもちの、こずるい、おおやのおじいさんは「ははあ。あんなことをおじぞうさまにしてやれば、なんでも、のぞむものをくれるんだな。おれもさっそくまねをして、あしたのゆうがたから、やってみよう。」といいました。

 そのよくじつの、ゆうがた、おおやのおじいさんは、そうじの、どうぐ、をもって、おじぞうさまのまえにきました。おじぞうさまは、おとら、ばあさんが、まいにちそうじをしているので、とてもきれいでした。おおやのおじいさんは、おじぞうさまがきれいなので、そうじをするふりをして、かんたんにそうじをしました。おおやのおじいさんは「まな、こんなことを、なんにち、か、してやれば、おじぞうさまも、きっとおれにこえをかけてくれるにちがいない。」と、かんがえました。しかし、いくらそんなことをやっても、おじぞうさまのこえはきこえてきません。たんきな、おおやのおじいさんは「まったく、どうしたのだろう。このおじぞうさまは、ぼんくらなのか。それとも、ただの、いしか。」などと、あげくのはてに、おじぞうさまの、もんくを、いいはじめました。もんくを、いいながらも、おおやのおじいさんは、おじぞうさまから、たいきんを、もらいたいために、がまんして、そうじをするふりをつづけました。ちょうどそうじをはじめて、はんとしごの、あるひに、おじぞうさまのこえがしました。「おおやの、へいきち、そんなそうじをするふりをして、このわたしを、だまそうとしてもむだだ。おまえは、うまれてこのかた、わたしに、みむきもしなかっただろう。となりの、おとらの、やっていることをみて、じぶんもあやかりたいとおもったのだろう。しかしな、へいきち、おまえには、ざいさんは、あるが、まごころと、かんしゃのこころ、という、めには、みえない、たいせつなもの、がない。おとらの、てをあわせている、すがたをみたことがあるのか。それはうつくしいすがただ。なぜうつくしいかというと、おとらは、そんとく、や、ごりやく、で、てを、あわせているのではないからだ。ただ、ただ、かんしゃのこころから、てを、あわせているだけなのだ。わたしは、そんな、おとらの、まごころに、こころをうたれたのだ。おまえのようによくばりで、こずるい、にんげんの、こころはすぐにわかるのだ。おまえが、となりのまちのおんせんがいで、みやげようとしてうっている、まんじゅうの``あんこ``のこともしっているのだぞ。おまえはうれのこりのまんじゅうの``あんこ``をあたらしいまんじゅうのなかにいれているだろう。だれにもきづかれていない、とおもっていただろうがそうはいかないぞ。」とおっしゃいました。これには、おおやのおじいさんも、びっくりぎょうてんしました。そして「おじぞうさま、なんで、おれのなまえが、わかったのでしょうか。なんでまんじゅうの``あんこ``のこともしっているのですか。」とききました。するとおじぞうさまは「わたしはすべておみとおしだ。なんでもわかっている。」とおっしゃいました。これまた、おおやのおじいさんはびっくりしました。そして、おおやのおじいさんは「おじぞうさま、そんなこといっても、このよのなか、きれいごと、だけいってみても、なかなか、つうようしないし、もうからないのです。」といいました。そうすると、おじぞうさまは「ほぉほー。それでは、へいきち、おまえは、きたないほうほうで、もうけてもへいきなのか。おまえのいいかただと、そういうことになるぞ。「きれい」のはんたいは「きたない」ということだ。きたない(または、わるい)やりかたはいつかいきづまり、ぼろ、がでるものなのだ。そして、わるい、ちえが、どんどんでてくるものなのだ。そのあげくのはてに、ざいさん、もなくし、しんようもなくして、すべてをうしなうぞ。ひとは、きほん、というものがある。それをわすれていると、いろいろな、もんだいが、でてくるぞ。だから、へいきち、めには、みえない、たいせつなもの、を、まず、きほん、にしていくことは、だいじなことだよ。このきかいに、いままでのいきかたを、ふりかえり、こころをいれかえて、あらたに、いきていってみてはどうだ。」とおっしゃいました。すぐには、さすがのおおやのおじいさんも、びっくりがさきで、へんとうにこまりました。そして、すこしかんがえて「わかりました。ひとばんかんがえさせてください。」とおじぞうさまにもうしあげました。するとおじぞうさまは「わかった。」とおっしゃいました。

 そのよる、おおやのおじいさんはいっすいもしないで、いままでのじぶんのじんせいをふりかえり、じぶんという、にんげん、がどんな、にんげんだったかを、はじめてみつめなおしました。そのけっか、大家のおじいさんは、じぶんのことしかかんがえない、よくばりで、おもいやりのない、なにごとにも、かんしゃのない、じぶんちゅうしん、の、にんげん、だったことが、わかりました。じぶんのほんとうのすがたに、はじめて、きがついたのです。そして、いままでのことを、くいあらためて、こころをいれかえました。もちろん、うれのこりのまんじゅうの``あんこ``を、あたらしいまんじゅうのなかにいれることもやめることにしました。

 さっそく、よくじつに、となりのおばあさんを、じぶんからさそって、おてんとうさまと、おじぞうさまに、てを、あわせました。もちろん、おばあさんといっしょに、おじぞうさまのそうじを、まごころをこめてやりました。そしておおやのおじいさんは「もしおじぞうさまにおれのわるいところをいってもらえなかったらとんでもないよせいをおくるところでした。おじぞうさま、ありがとうございました。おれがまちがっていました。もうなにもいりません。おれには、ざいさん、がいっぱいありますので、これからは、こまっているむらびとを、ぶっしんりょうめんで、たすけます。そしてみんなをしあわせにします。」といって、おじぞうさまに、てを、あわせました。するとおじぞうさまが「へいきちよ、こころをいれかえたのだなぁ。これでおまえはごくらくへいけるぞ。ひとはじぶんのかおがみえないのとおなじく、じぶんのこころというものがみえない。しかし、たにんのこととなるとよくみえるものだ。これからはじぶんをたなにあげて、ひとのけってんばかりをみるのではないぞ。これからはダイヤモンドだましいでいきていくのだぞ。」といいました。そしてそれがさいごのおことばでした。それっきりおじぞうさまはなにもしゃべりませんでした。 そりからというもの、このむらは、おじぞうさまを「まごころじぞう」となづけて、いつまでも、おじぞうさまをたいせつにしました。そしてみんながしあわせになったとさ。      おしまい


No3. かんしゃじいさん、と、ふへいふまんぐちばあさん

 むかしむかし、ある、やまおくのむらに、なんでもかんでも、かんしゃする、かわった、びんぼうな、おじいさんがすんでいました。あさおきれば「くうきさん、ありがとう。おひさまさん、ありがとう。きさん、ありがとう。とりさん、ありがとう。」などと、なんでもかんでも、かんしゃしていました。なんでも、このおじいさんはわかいころ、たいへんくろうしたとのことです。そのせいか、あたまは、しらがで、いっぱいでした。また、じぶんのちょうなんのよめを、いつもほめていました。せけんには「うちには、いいよめがきた。うちの、せがれには、もったいないよめだ。」などと、いっていました。よめのつくった、りょうりが、すこしぐらい、おいしくなくても「おいしい。おいしい。」といって、にこにこして、たべていました。このおじいさんは、むらでは「かんしゃじいさん」とよばれていました。そのおじいさんの、すこしはなれたところに、そのおじいさんとは、はんたいの、かねもちで、なんでもかんでも、ふへいふまん、ぐちばかりいっている、へんなおばあさんが、すんでいました。あさおきれば「まったく、ちゅん、ちゅん、ちゅん、ちゅんと、あさから、うるさいすずめだ。」とか、からすが、かぁーかぁーと、ないていれば「まったくうるさい、からすだ。」とか、いぬがほえていれば「うるさい、いぬだ。あんまりうるさいと、たべてしまうぞ。」などと、なんでもかんでも、ふへいふまん、ぐちばかりをいっていました。じぶんのむすこの、よめのこと、についても「まったく、うちのよめは、なにをやってもだめだ。」などと、いつも、がみがみと、けなしてばかりいました。こんなことなので、ここのよめは、とうとう、たえきれずに、となりむらの、じっかへ、かえってしまいました。むすめのむこが、あそびにきても「まったく、またなにかほしいので、うちにきたのだろうが。たまには、おいしいものでもかってこい。なんだか、おまえのかおを、みていると、いらいらしてくるよ。この、ぶおとこが。なんでおまえは、せが、ひくいのかね。まったく。」などと、ひとのいやがることを、へいきでいうのです。また、となりのひとと、いつも、とちの、きょうかいせんのこと、で、あらそっていました。となりの、きの、かれはが、じぶんの、とちに、おちただけで、がみがみと、もんくを、いいに、いきました。なんでもかんでも、このちょうしなので、みんなにきらわれていました。このおばあさんは、むらでは「ふへいふまんぐちばあさん」とよばれていました。このおばあさんは、おやの、ざいさんを、そうぞくして、おおがね、もちでした。なんのくろうもなく、そだてられたのでした。そしてうまれてこのかた、なにかにかんしゃすることは、いっかい、もなかったのです。とうぜんながら、もうとっくのむかしに、このおばあさんの、おむこさんは、このいえを、でていっていました。

 そんな、あるひ、のこと、みすぼらしい、おぼうさんが、このやまおくの、いえ、いえを、たくはつ(おぼうさんが、はちをもって、ひとのいえをまわり、こめやおかねをもらうこと)して、まわっていました。その、おぼうさんが「かんしゃじいさん」のいえに、たちよりました。そして、げんかん、のまえで「おきょう」を、となえはじめました。すると、かんしゃじいさんは「こんなやまおくのむらまで、まわってたいへんですね。ごくろうさまです。わたしのうちにまできてくださって、ありがとうございます。わたしのうちはびんぼうです。あなたさまにさしあげるものはありませんが、きょう、たべるよていにしていた、すこしのおこめを、さしあげます。あなたさまは、こうしておおくのひとたちのために、あしをぼうにして、ひとさまのしあわせのために、いのってくださる。ありがたいことです。どうかうけとってください。」と、いって、おぼうさんに、きょう、たべるよていにしていた、たいせつなおこめを、さしだしました。すると、おぼうさんは「ありがたいことです。たいへんきちょうな、おこめをいただきます。」と、そっちょくによろこびました。そして「きょう、たべる、おこめがなければ、どうしますか。」と、おぼうさんがきくと、かんしゃじいさんは「いちにちぐらい、たべなくても、にんげん、しぬこと、はありません。わたしは、また、あしたはたらいて、こめをかいます。かえって、いちにちぶんくらい、ぬいたほうが、けんこうにいいですよ。わっははははぁ・・・・」と、おおごえ、でわらっていました。さいごに、おぼうさんは「ありがとうございました。」と、ひとこといって、さっていきました。

 つぎに、おぼうさんは、すぐちかくの、おおがね、もちの「ふへいふまんぐちばあさん」のいえに、たちよりました。そして「おきょう」を、となえはじめたすぐに、このおばあさんは「なんだ、くそぼうず、か。ずいぶん、びんぼうたらしい、かっこうしているもんだ。うちには、くそぼうず、にやるものは、なにもないよ。さっさと、べつないえにいっておくれ。」などと、いいました。すると、おぼうさんは「そうですか。わかりました。」と、いって、べつなところにいこうとしたそのとき、いえのとなりにある、おおきなくらをみて「くら、のなかに、ありあまるおこめが、あるのですね。」と、おぼうさんがいいました。すると、ふへいふまんぐちばあさんは「そのこめは、うちでたべるもので、ひとにやるものではない。」と、らんぼうなことばでいいました。そして、さいごに、おぼうさんは「そうですか。」と、ひとこといって、そのいえから、さっていきました。すると、ふへいふまんぐちばあさんは、いつものように「まったくいそがしいのに、このくそぼうずが。」と、そのおぼうさんの、うしろすがたをみて、そんなことばをかけてしまいました。おぼうさんは、そのことばは、きこえたのですが、なにもいわずに、あるいて、べつないえに、むかいました。

 そんなことがあってから、すうねん、ごに、いよいよ「かんしゃじいさん」と「ふへいふまんぐちばあさん」にも、このよから、さらなければ、ならないときが、やってきました。かんしゃじいさんは、なにも、びょうきもせずに、じゅみょう、をまっとうしようとしています。りんじゅうの、とこに、あるのですが、かんしゃじいさんは「わたしのじんせいは、しあわせだった。これも、みなさんのおかげです。ほんとうにかんしゃします。もうすぐ、ほとけさま、がきっと、わたしを、おむかえに、きてくださる、とおもいます。みなさんありがとうございました。」と、ちいさな、ちいさなこえで、とこ、のまわりにいる、かぞくや、きんじょ、のひとに、かんしゃじいさんらしく、さいごのさいごまで、かんしゃのことばを、いっていました。もう、まばたき、をするげんきもなくなってきた、そのとき、しずかにいきをひきとりました。そのかんしゃじいさんは、えみを、うかべた、ほんとうにやすらかな、かお、をしていました。ほとけさま、がおむかえに、きてくださったのです。かんしゃじいさんは、ごくらくじょうど、へとたびだっていきました。

 かんしゃじいさんが、あのよへ、たびだってから、はんとしごに、こんどは、ふへいふまんぐちばあさんが、りんじゅうの、とこに、いました。このおばあさんは、げんいんふめいの、きびょう、におかされ、からだぜんたいが、いたくて、いたくてたまりません。りんじゅうの、とこに、あっても「いたい、いたい、いたい、くるしい、くるしい、くるしい、ああーだれかたすけておくれ!!」と、それは、それはたいへんなものでした。とこのまわりにいるひとたちも、め、のやりば、のない、こうけいでした。そして「ああ、しにたくない、しにたくない!!」と、くりかえしいっていました。そしてそんなことをくりかえしているとき、いよいよ、さいごのときが、やってきました。「ぎゃあー!!」そのひめいが、さいごのことばでした。おばあさんのかおは、おにのような、かおを、していました。このおばあさんは、えんまだいおうが、つかわした、おにが、むかえにきたのでした。このおばあさんは、じごく、へとたびだったのです。こんご、じごくで、えんまだいおう、による、いきていたときの、つみ、についての、きびしいとりしらべと、ばつ、がまっているのでした。  おしまい

No4. ある、かねもち、ふうふ、と、とうふや

せいれき、3007、ねん、あるいなかのおばあさんが、かわいいおとこのこの、まごに、むかし、ばなしを、えほんで、おはなしをしてくれていました。ものがたりのはじまり、はじまり。

 

 むかしむかし、いまからやく1000、ねん、ぐらい、まえに、あるまちに、かねもちの、ふうふが、すんでおったと、さ。それは、それは、りっぱなごうていに、すんでおったと、さ。そのかねもち、ふうふの、いえのまえには、びんぼうな、とうふやが、いっけんあったと、さ。そのとうふや、にはまいにち、ゆうがたに、きんじょの、ひとが、おおぜい、とうふを、かいにきて「あははぁ・・・。」「おほほ・・・。」の、わらいごえが、たえなかったと、さ。とうふや、に、きて、せけん、ばなし、だの、きょうこんなことがあったとか、うちのこが、きょうがっこうで、せんせいに、しかられた、とか、のたわいのないはなしで、はなを、さかせていたと、さ。そのわらいごえを、いつも、かねもち、ふうふは「びんぼうにん、の、くせに、なにがおもしろい。」「びんぼうにん、の、くせに、なにがおもしろい。」といっては、そのとうふや、に、あつまっている、ひとたちを、いつも、ばかにしていたと、さ。この、ふうふは、このかた50、ねん、ここにすんでいて、いっかい、も、とうふを、かいにいったことは、なかったと、さ。

 そのかねもち、ふうふ、は、あるだいぎんこうの、おうかぶぬし、で、かぶの、はいとうきん、で、ざっくざっくと、とうじ、おうもうけしていたと、さ。そのとうじ、ばぶるけいざい、まっただなかで、ひとかぶ、500えんの、かぶが、15まんえんに、なっていたと、さ。まいにち、うはうは、していたと、さ。ところが、ところが、あることがきっかけで、その、ばぶるけいざいが、ほうかい、したと、さ。この、ふうふ、が、とうし、していた、ぎんこうは、とくに、ふりょうさいけんが、とびぬけて、おおく、さいけん、ふかのう、と、いうことで、つぶれてしまったと、さ。その、ふうふ、が、もっていた、かぶけんは、ひとばんで、かみくずに、なったと、さ。そして、その、かねもち、ふうふは、さっさと、しんでしまったと、さ。

 しんでしまったあとに、そのいえに、かみさまが、あらわれて、しんだ、ふたりのまえで「おまえらは、まえの、とうふや、に、きていたひとたちを、いつもばかにしていただろう。しあわせとは、まえの、とうふや、に、あったのだ。なんでそんなことに、はやくきづかなかったのだ。ばかなのは、おまえら、ふたりだったのだよ。もっとはやく、きづいていれば、しぬことはなかったのに・・・・。おかねだけが、しあわせの、ものさしでは、なかったのに。ひとを、ばかにしていたので、おまえら、ふたりは、てんばつ、が、くだったのだ。」と、いったと、さ。そしてしずかに、かみさまは、きえたと、さ。     おしまい

No5. 「かわもん」と「かみさま」のしんげん

 せいれき、3007、ねん、あるいなかの、おばあさんが、かわいいおんなのこの、まごに、むかし、ばなしを、えほんで、おはなしをしてくれていました。ものがたりのはじまり、はじまり。

 いまからやく1000、ねん、くらいまえに、にほんのせいきょうとに、かねもうけの、じょうずな、あだなが「かわもん(ほんみょうは、かわだ もんじ)」というひとがいたと、さ。とうじ、にほんのみやこの、せいきょうとの、さんぼんぎはうす、という、ものすごい、ごうていに、すんでいたと、さ。かわもんは、かぶで、おうもうけ、したと、さ。おうもうけ、しながらも、なにかの、りゆうで、とぅきょくに、たいほ、されたと、さ。なんでも、なにかのふせいが、あったんだと、さ。ほうりつ、に、したがって、かわもんは、さいばんに、かけられたと、さ。けっかは、きろくがのこっていないのでわからないと、さ。ただ、1しん、の、さいばん、には、まけたと、さ。

 その、さいばん、に、まけて、こんごの、さくを、かんがえて、ねこんだ、あるよる、かわもんの、ねている、まくらもとに、かみさまが、あらわれ「かわもんよ、かわもんよ。めを、さまして、わたしのいうことを、きいてくれ。」と、いったと、さ。かわもんは、そのことばで、めを、さまし「かみさま、わたしになんのごようですか。」と、いったと、さ。そうしたら、かみさまは「おまえにかんがえて、もらいたいことがあるのだ。じつは、おまえが、おうもうけした、200、おくえん、ぜんぶを、この、ちきゅう、で、めぐまれない、こどもたちのために、つかってみてはどうだ。そして、はだかいっかん、から、じんせいを、やりなおしてみないか。そうれば、あたらしいせかいが、みえてくるぞ。にんげん、は、しょせん、はだかで、うまれ、はだかで、しんで、いかなければ、ならないのだよ。おまえが、しんだとき、おまえの、かんおけ、の、なかに、さつたばを、いれて、くれるものなど、ひとりもいないのだよ。いきているときに、1かいぐらいは、よのなか、の、ために、なるようなことを、ほんきでしてみてはどうだ。ひと、を、なかすことを、するのではなく、ひと、に、よろこんで、もらうことを、してみてはどうだ。」と、いったと、さ。すこしかんがえて、かわもんは「そんなことはできません。」と、いったと、さ。そのしゅんかん、かみさまは、そこから、きえたと、さ。ふせいを、はたらいて、えた(または、わるいことをして、えた)おかねには、なんのかち、も、ないことを。

 かみさまは、かわもんのまくらもとに、こんな、めもを、かきのこしていたと、さ。「いちにち、あせをながして、はたらいて、えた、1まんえん、と、おまえのように、ふせい、を、して、えた、200おくえんを、くらべてみると、おまえのおかねは、といれっとぺーぱー、にもならない、ただのかみくずだ。しかし、あせを、ながして、えた、いち、まんえんは、おうごん、の、かちがある。そのことに、はやくきづけよ。」と。しかし、かわもんは、その、めもを、すぐにすてたと、さ。  おしまい

No 6. からすの「かーくん」のおんがえし

 むかしむかし、そのまたむかし、いまのちゅうごくが「しゅんじゅうせんごくじだい」だったころ(きげんぜん770ねん、から、きげんぜん221ねん)あるいなかの、むらに、こころやさしいおじいさんが、すんでいました。あるひ、おじいさんが、はたけしごとに、むかうとちゅうの、みちばたに、なにか、くろいものがいることにきづきました。ちかづいて、よくみると、たいへんよわった、からすが、いるではありませんか。おじいさんは「なんで、よわっているのかなぁ。」と、ひとりごとをいって、さらに、ちかづいて、よくみると、なんと、からすが、おおけが、をしているではありませんか。おじいさんは「なにか、ほかのおおきなとりにでも、やられたのかなぁ。」と、こころのなかでおもいました。そして「かわいそうだから、いえに、つれていって、ちりょう、してやろう。」と、かんがえました。そしてやさしく「あーあ。かわいそうに。かわいそうに。」と、いって、からすをだいて、はたけしごとのことは、すっかりわすれ、いそいで、いえにひきかえしました。

 いえにつくと、おばあさんが「おじいさん、はたけしごともしないで、なにを、だいて、かえってきたのですか。」と、ききました。すると、おじいさんは「みちばたに、おおけがをしている、からすを、みつけたので、はやく、ちりょう、してやろう、と、おもってかえってきたのだよ。」と、おばあさんにいいました。するとおばあさんは「ええ! からす!」と、おどろいて「からすは、にんげん、に、がい、を、あたえる、きらわれものですよ、なんで、そんなからすを、いえにまで、はこんできたのですか!!」と、すこしおこったようなかんじで、おじいさんにいいました。するとおじいさんは「どんなに、にんげん、に、きらわれている、からすでも、おおけが、を、している、いきものを、みてみぬふりは、わたしにはできない。こんなところで、おまえと、はなしているじかんはない。」と、いって、いえのおく、へと、はこび、きずぐちを、きれいにあらってやって、くすりをぬってやりました。そして、きれいな、ぬので、その、きずぐちを、しばってやりました。そして、たべものもすこしやり、みずもやりました。そのせいか、そのからすは、いくぶんげんきが、でてきたようにおもわれました。

 そんなことをしているうちに、よるがきました。おじいさんは、じぶんの、ねている、すぐよこに、からすも、ねかせて、ぐっすりと、ねて、しまいました。そしてつぎの、ひ、も、そのまたつぎの、ひ、も、まいにち、いっしょうけんめいに、ちりょう、してやりました。もちろんたべもの、みずもかかさずやりました。おじいさんのかぞくは「あんな、にんげん、にきらわれていて、ひとつも、かわいくない、からすなんか、たすけても、なんのとくもないのに。なんのとくもないことを、よくやれるものだ。」などと、はなしていました。そんなことをいっている、かぞくのはなしが、きこえたらしく、おじいさんは、かぞくのところへいって「もしおまえらが、なにかで、おおけがをしていて、ち、がどんどんでて、たつこともできず、あるくこともできないときに、あるひとが、おまえらを、はっけんしたときに、そのひとが、なんだ、このひとは、みすぼらしいかっこうをしているし、なんだか、へんなひとみたい。かかわらないほうがいいわ。と、かんがえて、おまえらをみすてたとき、おまえらは、どうおもう。にんげん、でも、どうぶつでも、からすでも、いきているものすべては、よわっているときは、たすけてもらいたいのだよ。ただ、しゃべられないので、そのことを、つたえることが、できないだけだ。」と、みんなにいってきかせました。このことをきいた、かぞくはだまってしまいました。

そんなやりとり、などを、しながらも、けんしん、てきな、おじいさんの、どりょく、により、からすは、どんどん、かいふくしていきました。そんな、ある、ひ、おじいさんは「そうだ、おなえに、なまえをつけてやろう。」と、からすにいいました。しばらく、かんがえて「そうだ。かーくん、というのはどうだ。」と、からすにいったら、からすが「かーかー。」と、なきました。すると、おじいさんは「おまえも、きにいったようだな。これできまりだ。」と、いいました。からすのかーくんが、たんじょうしました。おじいさんは「かーくんも、じぶんで、すきこのんで、からすにうまれてきたわけでも、ないんだよなぁ。しぜんと、うまれたのに、すぎないのになぁ。うまれたのが、たまたま、からすだけの、はなしだよなぁ。にんげん、に、きらわれるとりに、うまれるとは、おもっても、みなかったろうになぁ。にんげん、は、すべて、じぶんたちの、りがいで、すききらいを、きめているからなぁ。こんな、にんげん、を、かーくん、ゆるしておくれ。」と、なんと、なんと、かーくん、に、あやまっているではありませんか。かーくんは、このおじいさんの、やさしいことばで、いままで、にんげん、に、いじめられたことや、にくまれぐちを、さんざん、いわれつづけたことなどを、いっきにおもいだし、かーくん、の、め、には、なみだが、いっぱいあふれてきました。「われわれ、からすは、いきんがために、えさを、さがして、たべていただけなのに。」と、いうきもちで、いっぱいだったのです。「にんげん、は、からすより、ひどいことを、しているではないか。」と、かーくんは、いいたかったのです。また「にんげん、は、いきんがために、おおくの、どうぶつや、さかななどを、ころしてたべているではないか、われわれは、しんだものをたべる。にんげん、は、われわれの、ひ、ではないぞ。そして、にんげんは、はけんを、にぎるために、あらそっている、ではないか(とうじ、ちゅうごくは、はげしい、せんごくじだい、であった)。おなじ、にんげん、なのに、ころしあいをしている。われわれは、せんぞ、だいだい、そのこうけいを、そらからみてきた。なんで、おなじ、なかま、なのに、ころしあいを、するのかなぁ。と、いつも、ぎもんに、おもっていた。からすは、おなじ、なかま、は、ころさないぞ。にんげん、のほうが、よっぽど、わるいことを、しているではないか」。とも、いいたかったのです。かーくんは、ただ「かーかーかー。」と、ないている、だけでした。

そうこうしているうちに、おじいさんの、ちりょう、の、おかげで、すっかりげんきになった、かーくん、が、おじいさんと、わかれなければ、ならないときが、やってきました。ようやく、ほんとうの、ともだちになった、おじいさんと、かーくん、ですが、ある、はるの、あたたかい、ひ、に、おじいさんは「かーくん、おまえも、もうすっかりげんきになった。おまえの、いきるところは、このだいしぜんのなかが、いちばんだ。きょうは、おまえを、しぜんのなかに、もどしてやるぞ。」と、ことばをかけると、おもいきって、かーくん、を、おおぞら、めがけて、はなしてやりました。かーくんは、ちからづよく、とんでいきました。そして、となりのいえの、やねに、とまり、なんかいも「かーかー。」と、ないていました。おじいさんは「かーくん、げんきでなあー。」と、いいました

 そんな、わかれがあってから、三ねん、たった、ある、ひ、いつものように、はたけしごとに、いこうとしたとき、おじいさんの、いえに、みたこともない、おとこがひとり、こっちへ、やってくるではありませんか。それは、なんと、どろぼう、だったのです。どろぼうは、たんとう、を、もっていて、おじいさんめがけて、とっしんしてきたのです。と、そのとき、たまたま、となりのやねにいた、からすが、どろぼうめがけて、すさまじい、はやさで、こうかしてきたのです。そして、たんとう、を、もっている、て、をくちばしではげしく、なんかいもつつき、たんとう、を、じめんに、おとしたのです。そして、どろぼうの、みぎめを、くちばしで、つつきました。どろぼうの、め、から、ち、が、でてきました。どろぼうは、ち、をみて、こわくなって、にげていきました。おじいさんは、いちめいを、とりとめることが、できたのです。このからすは、なんと、まえにたすけた、からすの、かーくん、だったのです。かーくんは、おじいさんの、かたにとまり「かーかー。」と、ないていました。おじいさんは「かーくん、ほんとうにありがとう。おまえのおかげで、いのちびろいをした。ほんとうにありがとう。」と、なんかいも、かーくん、に、かんしゃのことばを、かけていました。このことがあってからというもの、かーくん、は、まいにち、まいにち、おじいさんのいえの、となりのいえの、やねから、おじいさんの、いえを、みまもっていたと、さ。  おしまい

No7. むらびとをすくった、やくたたずのおおおとこ

 むかしむかし、しもつけのくに(いまのとちぎけん)、なすちほうの、やまあいのむらに、まいにち、まいにち、なにもはたらかず、おおぐいしては、ねるだけの、せいかつを、くりかえしている「やくたたずのおおおとこ」が、すんでいました。なまえは「ごさく」と、いいました。ひゃくしょう、の「せがれ」として、うまれました。こどものときから、おおぐいしては、ねるだけでしたので、からだだけは、おおきくなったのです。なんとしんちょうは、やく九しゃく三ずん(やく2めーとる80せんち)もありました。むらのひとたちは、なまえでよばないで「やくたたずのおおおとこ」「やくたたずのおおおとこ」と、ばかにして、いじめていました。

 ある、ひ、のこと、この、ごさくが、すんでいる、いえのまえをむらのこどもたちが、とおりかかりました。こどもたちも、おとなのまねをして、ごさく、のことを「やくたたずのおおおとこ」「やくたたずのおおおとこ」と、いって、ばかにして、いじめていました。ときには、ごさく、めがけて、いしを、なげつけるときも、ありました。しかし、ごさく、は、おこらず、ただ、だまってがまんしていました。

ごさく、の、ゆいいつ、いいところは、こころが、やさしいところだったのです。この、ごさく、の、とうちゃんと、かおちゃんは「もう、ごさく、に、なにをいってもむだだべぇ。」と、あきらめていました。なんとか、はたらいて、もらいたいとおもって、おとなになってから、いろいろと、じょげんしたりしていました。しかし、なんのこうかもありませんでした。ごさく、は、びょうき、じゃないかとおもって、たんぼや、はたけしごとを、やすんでは、いろいろな、いしゃに、みてもらったり、いろいろな、かみさまに、みてもらったりしましたが、どこへいっても「なんのびょうきもありません。」と、いわれていました。しかし、ごさく、の、おやは、むらのひとたちが、どんなにばかにして、いじめていても「おまえのいいところは、こころね、が、やさしいところだべぇ。」と、いって、ごさく、の、いいところをほめていました。そして「きっといつかおまえも、ひとさまのやくにたつときがくるぞ。」と、いっては、はげましていました。また「にんげん、は、ごくらくじょうど、に、いくまえに、一かいは、ひとさまの、ためになるようなことを、しなければならねぇだ。」と、おしえていました。ごさく、の、おやは、こどもたちが、いじめているのを、みつけたときは「こらあー!! ひとをばかにするのでねぇ!!」と、おおごえ、を、だして、こどもたちを、おっぱらってくれていました。また、ときどき、ちかくのおてらにいき、あみだにょらいさまに「どうかこのこが、いつかひとさまのためになる、にんげん、になりますように。なむあみだぶつ。なみあみだぶつ。」と、いって、おいのりしていました。おてらの、じゅうしょくも、いっしょうけんめいにおいのりしてくれていました。ごさく、と、おやは、このおてらだけが、こころやすまる、ところでした。

 このむらは、まいとし、のように、おおあめ、がふり、たんぼや、いえが、みずをかぶり、なんらかの、ひがいを、こうむっていました。むらの、ちすいじぎょうは、おかねがなく、いっこうにすすみませんでした。

 そんなあるとしの、なつのよるに、いままで、けいけんしたことのない、ものすごいおおあめが、ちゃうすだけ、を、ちゅうしんとした、なすれんぽうの、やまやまに、ふったのです。むらには、ほとんど、あめは、ふりませんでした。おおきなかわのちかくにすんでいる、むらのじゅうにんの「たけはち」が「たいへんだ!! たいへんだ!! おおみずが、むらにおしよせてくるぞ!! いま、ねてたら、かわのじょうりゅうから、おおきないしが、ごろ、ごろ、と、ころがってくる、おと、をきいた。おれの、しんだ、ばっぱ(おばあさん)から、いしがころがってくる、おと、は、みずが、おおきないしを、おしながす、おと、だ、と、いっているのを、おもいだした。そして、それを、きいたら、すぐに、たかだい、へ、にげろ、と、いっていた。はやくみんなにげろ!! はやくにげろ!!」と、むらをまわっては、さけびつづけました。そして「はんしょう」を、ひとにたのんで、ならしつづけてもらいました。かんかんかーん、かんかんかーん・・・・・・。けたたましく「はんしょう」が、なりひびきました。このことは、ごさく、の、いえにもきこえました。そして、むらのひとたちといっしょに、たかだい、のほうへ、にげました。しかし、とちゅうまでいくと、むらはずれの、ちいさなかわにかかっていた、たかだい、までいける、ただ、ゆいつの、はしが、すでにながされ、そこのかわをわたることができません。じょうりゅうに、ふったあめが、すでに、このかわを、ぞうすいさせていたのです。かわの、すいしんも、すでに、やく十しゃくきょう(やく三めーとる)になっていました。このかわはばは、そんなにありませんでした。しかし、このかわは、にんげん、の、ちからでは、とべないかわはばだったのです。しかし、ごさく、が、てを、すこしのばせば、むこうぎしに、とどくかわはばでした。このかわをわたらなければ、あんぜんな、たかだい、へ、ひなん、できません。むらのしょうやの、へいぞう、が「たいへんだ、たいへんだ。みんなここでしんでしまうぞ。なにか、いいちえ、は、ないか。」と、さけびました。しかし、この、くらやみと、おおみずが、せまるきょうふで、むらのひとたちは、きがどうてんしていて、そんなことに、こたえられるひとは、ひとりもいませんでした。そんなとき、なんと、なんと、あの「やくたたずのおおおとこ」と、みんなにばかにされ、いじめられていた、ごさくが、とつぜん「おれがはしになる!! おれがすこし、てを、のばせば、ちょうどいいはしになる。みんな、おれの、あしと、せなかと、て、をわたって、むこうぎしに、にげてくれ!! 」と、おおごえ、で、さけびました。みんなはびっくりしました。あの「やくたたずのおおおとこ」が、きゅうに、こんなことをいったので、一しゅん、みんなは、しんじられない、というような、かおをしていました。そして、ごさく、は「まごまごしていると、じかんがなくなるぞ!!」と、いって、すぐに、じぶんのりょうあしを、かわぎしにある、き、にしばるように、と、いいました。うんよく、ちょうどかわぎしには、き、が、一ぽんあったのです。りょうて、は、むこうぎしにいって、しばることができませんので「かわのむこうぎしにしがみつく。」と、いいました。むらのひとたちは、一しゅん、きょとんと、していましたが、すぐにわれにかえり、ごさく、のいうとおりにしました。さいわいなことに、なわを、もってにげたひとが、ひとりいました。ごさく、は「もうじかんがない!! おれの、りょうあしを、まず、き、にしばってくれ!! しばったら、おれは、たおれて、むこうぎしの、くさを、て、でつかむ!! もし、つかみそこねたら、おれのからだを、みんなでひっぱってくれ!! またやってみる!!」と、いったのです。むらのひとたちは、すぐに、ごさく、のいうとおりにしました。しばりおえると、ごさく、はむこうぎしにたおれこみ、くさに、て、をかけましたが、しっぱいしてしまいました。すると、ごさく、は「おれをひっぱれ!! 」と、おおきなこえで、さけびました。むらのひとたちは、ひっしになってひっぱり、そして、ひっぱりおわったら、ごさく、は、またむこうぎしに、たおれました。こんどは、しっかりと、くさに、しがみつくことができました。ごさく、は「はやくわたれ!! はやくわたれ!!」と、おおごえ、でさけびました。そして、おんな、こども、としよりを、さきに、ひとりずつわたりました。みんなは、なみだをながしながら、わたったのです。そして、おおくのむらびとが「おれはおまえをばかにして、いじめていた。かんべんしてくれ! かんべんしてくれ! 」と、なんかいも、なんかいも、ごさく、にあやまりながら、わたったのです。わたりおわったひとは、くさに、しがみついている、ごさく、の、て、をなんにんかして、ひっぱって「がんばるんだ!! がんばるんだぞ!!」と、ごさく、をはげましました。ごさく、の、て、をひっぱっているひとのなかにも「いままでのことは、ゆるしておくれ!! ゆるしておくれ!!」と、なんかいも、なんかいも、なみだをながしながら、あやまっているひともいました。そのあいだ、ごさく、は、ひっしになって、こらえつづけました。そしてみんなが、わたりおわったとき「はやくみんなにげろ!!」と、いいました。すると、しょうやの、へいぞう、が「おまえを、なんとかたすけることを、かんがえているのだ。」と、いうと、ごさく、は「おれのことにかまうな!! じかんがない!! はやくしないと、おおみずが、おしよせてくるぞ!! 」と、いったのです。りょうあしは、き、にしばられているので、どうにもなりません。むらのひとたちも、ひっしになって、ごさく、の、て、をひっぱっていたのですが、ごさく、は、じぶんからはらいのけ、て、を、くさからはなして、かおから、ぞうすいしているかわに、おちてしまいました。すこしすると、ごさく、はしんでしまいました。そのこうけいをみていた、むらのひとたちは、みんな、おおごえ、でなきました。なかには、なきながら、て、をあわせている、おんなのひともいました。しかし、もう一こくも、この、ばしょに、たちどまっているじかんは、ありません。むらのひとたちは、いそいで、あんぜんな、たかだい、へと、ひなん、しました。その、ちょくごに、おおみずが、むらをおそったのです。かん一ぱつで、むらびとはたすかりました。むらのみんなは「ごさく、さん、いのちをすくってくれてありがとう。ありがとう。」と、いつまでも、いつまでも、なみだをながしながら、てん、をみあげて、おれいをいっていました。

 おおみずから、なんにちかすぎて、ようやく、おちつきをとりもどした、あるひ、ごさく、のそうしきが、むらのてらで、しめやかに、とりおこなわれました。むらのひとたちは、しんだ、ごさく、のおやのところへいって、いままでの、ごさく、をばかにして、いじめてきたことを、あやまりました。そしてこのおてらの「あみだにょらいさま」にも、じぶんたちが、いままで、ごさく、にしてきたことを、あやまりました。そして、このかなしいできごとが、あって、むらのおとなや、こどもたちぜんいんが「ひとをいじめること」と「ひとをばかにすること」が、ほんとうにわるいことで、つみぶかいことであることに、はじめてきづいたのでした。それいらい、むらのだれひとりとして、ひとをばかにしたり、いじめたりすることはなくなりました。そしてむらびとのいのちをすくった、ごさく、はそれいらい、このむらの、えいゆうとして、えいだいにわたり、かたりつがれました。かわのはしのところに、せきひが、たてられ「むらのえいゆう、ごさく、ここにねむる」と、きざまれ、ことの、しじゅう、も、その、せきひに、きざまれました。たすけた、むらびとの、にんずう、は151、めい、でした。むらのひとたちは、そのご、ちすいじぎょうにちからをいれて、あんぜんなむらになり、みんなしあわせになりました。  おしまい

No8.くちが、へんまがった、たごさく

 むかしむかし、かんとうの、あるいなかのむらに、ひとのわるぐちをいっては、よろこんでいる、たごさく、という、おひゃくしょうさんがいました。あさおきれば、あさごはんを、たべながら、じぶんのにょぅぼうのおくまに「どこ、どこのおやじは、どうのこうの、どこ、どこの、せがれ、が、どうのこうの」と、そのひとのわるいところばかりをさがしては、わるぐちを、つばをはきながら、しゃべっていました。むらのあつまりがあれば、これまたひとのわるぐちばかりをいっていました。また、しんせきのけっこんしきや、そうしきがあったときでも、さけをのめば、ひとのわるぐちを、さけのさかなにして、いいきもちになっていました。このようにひとのあつまるところすべて、ひとのわるぐちで、さけのさかなにしているのでした。むらのひとたちは「こういうひとだ、こういうせいかくだ」と、おもってあきらめていました。なかには、いっしょになって、おたがいに、ひとのわるぐちをいいあって、そのばを、もりあげ、いいきもちになっているひともいました。とにかく、ひとのわるぐちをいわないと、さけがすすまないのです。たごさくは、ひとと、はなすないようは、すべてひとのわるぐちでした。

 そんなせいかつをおくっていた、たごさくでしたが、たうえもおわり、やれやれとおもっていた、あるなつのよるに、じぶんのいえにあそびにきていたともだちと、いつものように、ひとのわるぐちをさけのさかなにして、さけをのんでいました。そして、ともだちもかえり、たごさくは、つかれていたので、すぐに、ねま、へいって、ねました。そして、あさおきて、いつものように、たんぼのようすを、みにいこうとしたとき、にょうぼうの、おくまが、たごさくのかおをみてびっくりしました。「あ、あんた、くくくく、くちが、みみみ、みぎに、へへへ、へんまがっているよ!! くくく、くちびるも、はれあがって、いい、いるよ!!」と、あまりにもおどろいたので、どもって、いってしまいました。そして、「いい、いそいで、かがみでみてごらん!!」と、いいました。たごさくも、びっくりして、すぐにじぶんのかおをみました。そしてかがみをみたしゅんかん、こしをぬかし、いっしゅん、きを、うしないそうになりました。なんということでしょう。じぶんのくちが、みぎのほうへ、おおきく、へんまがって、くちびるも、おおきくはれあがってしまったのです。まるでばけものでした。たごさくの、こどももおきてきて、「ちゃんが、おばけになった!! ちゃんが、おばけになった!!」と、さけんでいました。たごさくは「なんということだ!!」と、おおきくおちこんでしまいました。いままで、いいおとこだと、おもいこんでいたのが、ひとばんで、おばけみたいな、みにくいおとこになってしまったのです。

 それいらい、たごさくは、すっかりげんきがなくなり、とうとう、ねこんでしまいました。にょうぼうの、おくまは、しんぱいで、しんぱいでなりません。むらのひとたちは「たごさくさんは、どうしたの。」と、きいてきます。しかし。あまりにもかっこうわるいので、おくまは、ほんとうのことがいえませんでした。しかし、あるひ、たまたま、たごさくの、いえのまえをとおった、ちかくにすんでいる、ひゃくしょうの、よさくが、くちがへんまがって、くちびるもおおきくはれあがっている、たごさくをみてしまったのです。よさくは「ど、どうしたのだ。そ、そのくちは!!」と、おどろいて、たごさくにききました。すると、たごさくは「おれにもわからない。ねて、おきてみたらこんなくちになってしまったのだ。」と、いいました。そしてこのはなしは、またたくまに、むらじゅうにひろまりました。むらのなかでは「きっとあれはびょうきだ。」とか「なにか、やくびょうがみがついたのだ。」とか「なにかの、えきびょう、ではないか。」とかの、さまざまなうわさがひろがりました。そしてむらのひとたちは、みんなきもちわるがって、だれも、たごさくのいえに、ちかづかなくなったのでした。そんなことになってきたことをびんかんにかんじている、たごさくは、どんどんおちこんでいきました。しょくよくもなくなり、きりょくも、なくなってきたのでした。かぞくはいろいろなところから、いしゃをよんできたりして、みてもらいましたが、いっこうによくなりません。いしゃは「これは、わたしの、て、におえません。」と、いうしまつです。かぞくは、いしゃがだめなので、きとうし、をよんで、きとうをしてもらいましたが、いっこうによくなりません。そして、うわさで「あっちには、こういうかみさまがいる。」と、きいてはでかけて、みてもらいましたが、なんら、かわりませんでした。また、ちかくの、いなりじんじゃに、「おひゃくどまいり」も、しました。しかし、なんのこうかもありません。あげくのはてに、たごさくの、こどもも、むらのこどもたちに「やーい、やーい、おばけのこ。おばけのこ。」などと、いじめられるしまつです。こんなじょうたいですので、たごさくと、おくまの、くのうは、ふかまるばかりでした。そしてなにをしてもよくならないので「これはいっしょうなおらない」と、あきらめてしまいました。そんな、なにをやってもだめなので、あきらめていた、あるなつのよる「とんとん、とんとん」と、げんかん、の、と、をたたくおとがしました。おくまは「どなたさまですか。」と、ききました。すると「にほんじゅうを、あるいて、しゅぎょうしている、しゅぎょうそう、の、せいしん、ともうします。じつは、きょう、やどが、とれなかったものですから、ひとばん、とめていただけないでしょうか。」と、いいました。するとおくまは「それはたいへんですね。ひとりびょうきみたいなひとがいますが、それでもよければ、おとまりください。」と、こころよく、へんじをして、げんかん、の、と、を、あけてやりました。しゅぎょうそう、の、せいしんは「それはありがたい。おことばにあまえて、ひとばんごやっかいになります。」と、いって、いえにはいってきました。にほんじゅうを、あるいて、しゅぎょうしているだけあって、かおはくろくやけ、きているものは、ぼろぼろでした。まるで、こじきぼうず、にみえました。しかし、めは、じひぶかい、やさしい、め、をしていました。せたけは、ちゅうくらいで、たごさくと、あまりかわりませんでした。おくまは「おつかれでしょう。ぞうすいでもつくりますから、きょうはゆっくりとしていってください。」と、いいました。すると、しゅぎょうそう、の、せいしんは「ありがとうございます。」と、いうと、すぐに「びょうき、みたいなひととは、どなたさまのことですか。」と、きいてきました。おくまは「おくの、ねま、に、ねている、わたしの、ていしゅ、です。」と、いいました。せいしんは「そうでしたか。で、ようたい、というのはどうなのですか。」と、きいてきました。おくまは「からだはなんともないのですが、ただ、かおのくちがへんになってしまったのです。みぎに、へんまがり、くちびるは、おおきくはれあがって、おばけみたいなかおに、なってしまったのです。」と、いいました。せいしんは「そうですか。それはたいへんですね。あとでいいのですが、もしよろしければ、いっかい、みせていただけますか。」と、きいてきました。おくまは「はい。ぜひ、いっかい、みていただけますか。」と、いいました。そして、おくまは、ぞうすいをつくり、かんたんではありましたが、しゅぎょうそう、の、せいしんをもてなしました。

 おちゃを、のみおわったころ、せいしんが「おくまさん、だんなさまのかおをみせていただけますか。」と、いうと、おくまは「ていしゅに、いいかどうかと、きいてきますので、すこしおまちください。」と、いって、おくの、ねまへ、いってしまいました。しばらくしておくまがもどってきました。「いま、じぶんからおきてくるそうです。」と、おくまがいいました。せいしんは「そうですか。」と、いいました。おくまはせいしんに「せいしんさん、びっくりしないでください。」と、いいました。せいしんは「わたしは、にほんじゅう、たび、をしていますから、いろいろなひとにあいます。たいがいなことにはなれていますので、だいじょうぶです。」と、いいました。そんなことをいっているあいだに、たごさくが、せいしんのやすんでいる、いまに、やってきました。せいしんはおどろいたようすもみせずに「こんばんごやっかいになる、しゅぎょうそう、の、せいしんともうします。おことばにあまえて、おじゃましています。」と、あいさつしました。すると、たごさくは「きょうはゆっくりしていってください。たいしたおもてなしはできませんが。」と、いいました。そしてつづけざまに「せいしんさん、おれのくちをみてびっくりしたでしょう。あるひ、とつぜん、あさ、おきたら、こんなくちになってしまったのです。なんで、おれはこんなくちになってしまったのでしょうか。どんないしゃにみてもらってもわかりません。あなたさまがしゅぎょうしている、ぶっぽう、で、なおせないものでしょうか。」と、きいてきたのです。せいしんは「うーん。」と、かんがえこんでしまいました。そして「そのくちは、ぶっぽう、をもってしても、なおすことはできない。」と、いきなりきっぱりといったのです。このことに、たごさくは、おどろきました。そしてがっくりきました。そしてせいしんはすかさず、かこのはなしを、はじめたのです。「じつは、3ねんまえに、わたしが、しこくちほうの、ある、やまざと、に、しゅぎょうの、とちゅうによったときのことです。やはり、たごさくさんのようなくちをしたひとを、みました。そのひとも、たいへんなやんでいて、しんこくでした。そしていろいろと、そのひととはなしをしてみました。そしてそのひとも、いしゃにみてもらったり、きとうしたり、と、ありとあらゆることをやっていました。しかし、なんのこうかもなかったのです。そしてとうとういろいろときいていくうちに、そういうくちになってしまったげんいんが、わかったのです。それは、ひとのわるぐちばかりを、いっていたためだったのです。」と、いったのです。たごさくはびっくりしました。こころのなかで「おれもそういえば、ひとのわるぐちばかりいっていた。おんなじだ。」と、おもったのです。そしてせいしんは「たごさくさん。いままで、ひとのわるぐちばかり、いっていませんでしたか。」と、きいてきたのです。たごさくは「じつは、おれもひとのわるぐちばかりいっていました。」と、しょうじきにはなしたのです。するとせいしんは「やはりそうでしたか。さいしょにみたときに、そうではないか、とすぐにおもいました。それでおどろかなかったのです。」と、いったのです。たごさくは「それでせいしんさん、そのしこくのひとはなおったのですか。」と、ききました。せいしんは「なおりました。わたしが、そのほうほうを、でんじゅしました。そしてそのひとは、いっしょうけんめい、どりょくして、なおったのです。それはいのちがけでした。」と、いいました。たごさくは「どんなことをしたのでしょうか。」と、しんけんにきいてきました。するとせいしんは「じぶんのせいかくを、かえなければ、このくちはなおらないのです。」と、きっぱりといいました。たごさくは「それで、ぐたいてきに、そのひとはなにをしたのですか。」と、きいてきたので、せいしんは「それは、ひとの、けってんを、みつけて、わるぐちをいわないで、はんたいに、そのひとのいいところをみつけて、ほめること、なのです。」と、いったのです。つづけてせいしんは「そのしこくのひとは、いままで、わるぐちをいっていたひとのところへ、いっけんいっけん、あやまりにいきました。そしてこころをいれかえて、いままでのことを、はんせい、したのです。それいらい、そのひとは、わたしのおしえたとおり、ひとのいいところをさがして、ほめる、ということをじっこうしました。そうしているうちに、だんだんと、くちはもとにもどっていきました。そしてそのひとは、にどと、ひとのわるぐちをいわなくなりました。いまは、まえより、ひとのしんらいもあつくなり、しあわせにくらしているそうです。」と、いったのです。これをきいた、たごさくは、ないていました。これをみた、せいしんは「たごさくさん、あなたも、これとおなじほうほうで、じぶんのせいかくをかえて、どりょくすれば、きっとなおりますよ。これも、ほとけさまの、おみちびきですよ。」と、やさしく、たごさくにいいました。たごさくは「せいしんさん、ありがとうございます。おれがまちがっていました。いままでわるぐちをいったひとにあやまります。そして、せいしんさんがいったとおりのことを、じっこうします。」と、いったのです。そして、おくまも「せいしんさん、ほんとうにありがとうございました。うちのひとも、ほんとうにばかだったのです。あなたさまが、きょう、うちにとまらなかったら、いっしょう、このくちで、すごさなければなりませんでした。」と、いいました。せいしんは「いやいや、おくまさん、あなたのやさしさが、ほとけさまに、つうじたのです。わたしもながくしゅぎょうしていますが、やど、がなくて、ひとのいえにとめてもらおうとおもって、ほうもんしても、このかっこうですから、もんぜんばらいされるほうが、おおいのですよ。なかには、このかっこうをみて、しおをまくひともいるのです。それをあなたはこころよくとめてくださった。あなたのちからです。」と、いったのです。これをきいたおくまは「もったいないおことばです。」と、いって、とうとう、ないてしまいました。そんなことをやりとりしているうちに、よるもふけていき、みんなはとこにつきました。

 よくじつ、たごさくは、しゅぎょうそう、の、せいしんに「わずかではありますが、たびの、たしにしてください。」と、いって、3りょうのおかねを、おれいにさしあげました。せいしんは「とめていただいて、こんなおかねまでいただいてありがとうございます。」と、おれいのことばをかえしました。ほんとうは、せいしんのふところはさびしいものでした(じつは、せいしんは、たごさくのへんまがったくちをみたとき、これはおかねになるな、と、ないしん、たすかったとおもったのでした。このくちのなおしかたを、おしえるかわりに、いくらくれますか、といいたかったのですが、おくまが、あまりにもかんたんに、なんのじょうけんもださずに、やさしくとめてくれる、といったもので、そのことがいえなかったのでした。せいしんは、いわなくてよかった、とないしん、ほっとしていました)。そのせいしんは、このたごさくの、こころからのおれいに、しぜんとなみだがでてきたのでした。たごさくも「いやいや、あなたさまに、おあいできなければ、おれは、いっしょう、こんなばけものみたいなくちで、いきていかなければなりませんでした。ほんとうにありがとうございました。」と、せいしんの、そんとくぬきの、さくやからの、こころからのこういを、おもいだし、たごさくもしぜんとなみだがでてきたのです。そしてせいしんは、また、たびへと、しゅっぱつしたのでした。この3りょうは、たごさくのいえのたくわえのすべてでした。

 そんなやりとりをして、せいしんをみおくった、たごさくは、きのうのよるに、けついしたことを、さっそくじっこうしたのでした。ひとのいいところをさがしては、ひとをほめる、たごさくをみて、むらのひとは、びっくりしました。いままでの、たごさくとは、せいはんたいの、にんげんになったからでした。でもむらのひとは、こんなたごさくをみて、こころのなかで「よかった、よかった」と、よろこんでいました。たごさくもどんどんあかるくなっていきました。そして、しゅぎょうそう、の、せいしんがいったとおり、たごさくのくちは、もとにもどっていきました。かんぜんにくちが、もとにもどってからというもの、たごさくは、むらのひとがいやがるしごとを、そっせんして、やるようになりました。また、ひゃくしょうに、よめがなかなかこないことに、なやんでいるひとがいれば、かならず、どこかのよめをさがしだして、えんづけました。まったくの、たにん、でも「たごさくさんの、はなしならば、まちがいがない。」と、いって、しんようしてくれるようになったのです。そして、むらの、せいねんも、たごさくの、えいきょうをうけて、なんでも、せっきょくてきになり、こめのしゅうかくを、ふやすけんきゅうもするようになりました。むらのこどもたちも、たごさくのこども、もふくめて、ひとをいじめるというのがなくなりました。このことがあってからというもの、こどもがひとのわるぐちをいっていると、おとなが「くちが、へんまがるぞ。くちが、へんまがるぞ。」と、いっては、ちゅういしていました。そんなこともあって、このむらから、ひとのわるぐちをいうひとは、ひとりもいなくなりました。むらのふんいきが、いっぺんしたのでした。そしてみんなしあわせになったとさ。  おしまい

No9.のろまの「のろざむらい、ものがたり」

 むかしむかし、とうきょうが、えど、とよばれていたころ、えどの、ちあんを、あずかる、みなみまちぶぎょうしょ(いまでいう、けいしちょう)に、つとめる、どうしんの「はっとりはんべい」に、はじめてのこどもが、うまれようとしていたのです。はんべいは、いっけんやの、ちいさなしゃくやをかりていました。そして、そのしゃくやのうらには、おおきな、いちょうの、き、がありました。「おぎぁー、おぎぁー・・・・」とうとう、うまれたのです。げんきのいいおとこのこでした。こどものなまえは「げんきち」と、めいめいされました。はんべいの、にょうぼう、おふさは、さんごのたいちょうもよく、じゅんちょうに、たいりょくを、かいふくしていきました。そして、げんきちも、りょうしんのあいじょうにはぐくまれ、すくすくとおおきくなっていきました。

 そんな、げんきちが、3さいになったころ、げんきちのどうさが、ほかのこどもより、のろいことに、おふさは、きがつきました。そして、はんべいに「うちの、げんきちは、ほかのこどもよりどうさがのろくて、いらいらしてきます。」と、いいました。はんべいは「ひとは、いろいろなせいかくや、のうりょく、があるのだから、げんきちがのろまでも、さりとてしんぱいすることはない。」と、いいました。おふさは「そうですね。」と、いいながらも、あまりの、のろまに、ふあんをいだいていました。げんきちが、おおきくなるにつれて、その、のろさは、め、をみはるものがありました。おふさは、そんな、げんきちに、まいにち、まいにち、いらいらしていました。じぶんのおもいどおりにならないと「おまえは、なんでそんなに、のろまなの、まったく。いったい、だれに、にたのかね。」などと、げんきちに、あたるしまつです。はんべいは、うでのいい、どうしんで、けんの、うでもたつ、りっぱなさむらいでした。しかし、げんきちは、なにをするにも、のろまで、まわりの、にんげんが、いらいらするくらいの、どうしようもない、のろまにんげん、だったのです。ちちおやと、ひかくされ、せけんは「あんなりっぱなちちおやから、なんで、あんな、のろまな、にんげんが、うまれたのだろう。」などと、かげぐちをたたいていました。ひとと、かけっこをしても、あしはひじょうにおそく、ほかのこどもたちから「のろまの、のろ。のろまの、のろ」と、ばかにされていました。じ、をおぼえるにも、ふつうのこが、20かいぐらい、かいておぼえるところを、700かいぐらい、かかないと、おぼえませんでした。この、げんきちの「のろま」は、ますます、まわりの、にんげんを、いらいらさせるものでした。おふさは、このいらいらがげんいんで、せいかくもかわり、まいにちおこってばかりいました。そして、とうとう「なんでおまえは、そんなにのろまなの!! いいかげんにしなさい!!」などと、どなるようになりました。じぶんのこどもなのに、じぶんのおもいどおりにならないことに、がまんができなくなっていったのです。そしてそれがもとで、びょうきになり、あっけなく、しんでしまいました。

 おふさが、しんで、2ねんごに、はんべいは、あたらしいおくさんをもらいました。そのおくさんのなまえは「おまつ」と、いいました。おまつは、はんべいのいえに「のろまの、げんきち」が、いることはしっていました。「のろまの、のろ」と、いうことで、えどではゆうめいでした。おまつは、はじめて、げんきちと、はなしをしてみました。「げんきちさん、こんどわたしがあなたのおかあさんよ。よろしくねぇ。」と、やさしくあいさつをしたのです。げんきちも、ちいさな、ちいさなこえで「よろしく。」と、あいさつをしました。げんきちは、10さいになっていました。げんきちは、ちいさいときから「のろま、のろま。のろまの、のろ。のろまの、のろ。」などと、いわれつづけてきたので、じぶんは、だめにんげん、だと、こころのそこからおもいこんでいました。そのために、じしんのない、ちいさな、ちいさな、こえしかでなかったのです。

 そんな、おまつが、はっとりけ、にきて、すうじつがたったあるひ、おまつが「げんきち! げんきち! こっちのにわにきてごらん!」と、いって、げんきちをよびました。げんきちは「おかあさん、なんのようじですか。」と、いって、おまつのそばにいきました。そして、おまつは、いきなり「そこの、おおきないちょうのきがあるだろう、そこにのぼってごらん。」と、いったのです。にわには、いまでいう、やく25めーとるはある、おおきないちょうのきがありました。いきなりそんなことをいわれた、げんきちは「そんなおおきなきには、のぼれません。」と、いいました。おまつは「なにもしないで、できません、ではだめですよ。」と、やさしくいってきかせました。げんきちは「そんなことをいわれても、ぼくは、ぼくは、のろまだから、きにのぼるなんてとうていできません。」と、いいました。おまつは「とにかく、のぼるかっこうでもいいからやってごらん。」と、やさしくいいました。すると、げんきちは、おそるおそる、きの、そばにちかづいていきました。げんきちは、いままで、きにのぼったことがありませんでしたので、いちょうのきのそばにいくと、て、で、きを、さわってみました。そしてこころのなかで「こんなまっすぐな、おおきないちょうのきに、のぼれるわけがない。」と、おもっていました。そんなとき、おまつが、また「のぼるかっこうしてごらん。」と、いったのです。げんきちは、しぜんと、て、をおおきなみきにまわしてみました。こころのなかで「つかまるところもないのに、のぼれるわけがない。」と、ますます、ぜつぼうてきなおもいにかられていきました。そんなことをおもっているとき、おまつが「げんきち、いっぺんにのぼろうとおもってはだめだよ。」と、いったのです。そしてつづけて「きょうは、きにさわるだけ、あしたまたここにきてごらん。」と、いいました。げんきちは、ないしん、ほっとして「はい。」と、へんじをしました。

 つぎのひ、げんきちは、また、いちょうのきのまえにいました。おまつが「げんきち、きょうは、ほんのすこしでもいいからのぼってごらん。きのうえ、をみてごらん。いちばん、したのえだは、そんなにたかいところにはないのだよ。いちばんしたの、えだまで、たどりつけば、あとは、えだ、と、えだをつたって、うえにいけるのだよ。」と、やさしく、げんきちにおしえてやりました。げんきちは、こころのなかで「そんなこといったって、ぼくにとっては、そのいちばん、したのえだまで、たどりつくことは、ふかのう、だ。」と、おもっていました。そのとき「げんきち!! さあー、のぼってごらん!!」と、いつもとちがう、おまつのつよいことばが、みみに、はいりました。げんきちは、びっくりして、おもわず、きにしがみつきました。おまつはつづけて「げんきち、おまえも、おとこにうまれてきたからには、このまま、ずーと、のろまの、のろ。のろまの、のろ。と、いわれるのもくやしいだろう。にんげん、なんのどりょくもしないで、そのままというのはだめだよ。おまえはおまえでいいんだよ。でもね、じぶんができることを、どりょくすることは、たいせつなことだよ。ひとはおまえのことを、いろいろというだろう。しかし、そんなことはいくらでもいわせておけばいいんだよ。かんじんなことは、じぶんができるかぎりのどりょくをする、ということなんだよ。じぶんがやれることをすべてやって、そのけっか、だめだった、ということであれば、これはしかたのないことだよ。そしてね、にんげんは、しっぱいしてもいいんだよ。しっぱいは、きちょうなけいけんになるからね。しっぱいしない、にんげんは、せいこうもしないよ。いちばんだめなのは、さいしょからなにもしないで、あきらめることなんだよ。」と、いったのです。それには、げんきちも、びっくりしました。いままでそんなことをいわれたことは、なかったのです。げんきちは、なっとく、するものがありました。なんだかすこしげんきが、でてきたのです。そして、おおきないちょうのきに、しがみつき、きにあしをかけ、ちからをいれてのぼってみました。そしたら、すこしうえにいったのです。うまれてはじめて、げんきちが、なにかに、ちょうせん、して、けっかが、でたしゅんかんでした。おまつは、すかさず「やった!! やった!! げんきち、たいしたもんだよ。」と、おおきなこえで、ほめてやりました。そして「げんきち、きょうはここまでにしよう。」と、いいました。げんきちも「はーい。」と、いって、いままでにない、おおきなこえで、へんじをしました。げんきちは、うまれてはじめて、ひとにほめられたのです。そのばん、げんきちは、おまつに、ほめられたことが、うれしくて、うれしくて、なかなかねつかれませんでした。

 そしてまた、つぎのひ、きにのぼる、ちょうせんが、はじまりました。げんきちは「なにくそ!! なにくそ!!」と、なんかいもいって、ちょうせん、しました。のぼれなければ、さいしょからやりなおしです。すこしでもうえにいけば、1にちの、ちょうせんは、しゅうりょうです。なにもうえにいくことができないときも、たびたびありました。こんなちょうしで、まいにちまいにち、すこしでもうえにのぼったところに、しるしをつけていきました。やりなおすこと、なんぜんかいだったでしょうか。きがとおくなるほどの、かずだったのです。ふつうのこどもだったら、かんたんにのぼってしまうところですが、げんきちのせいかくですから、それは、それはたいへんでした。

 そして、ちょうせん、してから、やく1ねんめに、いちばんしたの、えだに、とうとう、たどりつくことができました。て、と、あしは、きず、だらけで、ち、もにじんでいました。たどりついたとき、おまつは「やった、やった、げんきち!! とうとうやったね!! おまえもやればできる!!」と、おおきなこえでいいました。げんきちは、いままで、あじわったことのない、たっせいかん、と、まんぞくかんを、あじわっていました。そして、しぜんと、め、には、なみだが、あふれてきました。そして、とうとうおおきなこえで、ないてしまいました。おまつは「おもいっきり、おおきなこえでおなき。」と、いいました。そしてそのばん、おまつは、せきはんを、たいて、げんきちのどりょくを、たたえてやりました。この、おまつさんは、じぶんの、かちかんの、ものさしで、ひとをみるのではなく、あいての、かちかんの、ものさしを、よくりかいして、りんきおうへんに、たいおうすることのできる、にんげんだったのです。

 それから、すうねん、がたち、すっかりじぶんに、じしんをつけた、げんきちも、いよいよ、ちちとおなじ、ぶぎょうしょに、はたらくことを、けついしました。ぶぎょうしょの、さいようしけんが、はじまりました。いままで、げんきちを、ばかにしていた、おさななじみの「かたぎりじゅうぞう」も、しけんをうけることになりました。しけんないようは、けんどう、いっぱんがくもん、たいりょく、と、いうのが、ぶぎょうしょの、いつものないようでした。こんかいの、しけんは、たったひとりだけ、おちるものでした。げんきちは、けんも、がくもんも、たいりょく、もちいさいときから、じゅうぞうには、かないませんでした。だから、おちるのは、じぶんだとおもっていました。しかし、ことしから、じっくりと「かこの、じけんを、ちょうさする」と、いう、あたらしい、しけんこうもくが、くわわったのです。それには、りゆうが、ありました。えどは、かこに、にた、じけんが、ひんぱんにおきていたのです。そしてこれらの、はんにんは、いまだつかまっていなかったのです。これにあたまをいためた、ぶぎょうしょは、まず、かこの、じけんを、てっていてきに、ちょうさしてから、そうさ、しなければならなくなったのです。この、しんこうもくは、こんきの、いるものでした。すべての、しけんがおわり、いよいよ、はっぴょうのひが、きました。そして、げんきちは、そのはっぴょうをみて、びっくりしました。なんと、げんきちは、うかっていました。おちたのは、おさななじみの、じゅうぞうでした。じゅうぞうは、そのけっかに、なっとくがいかず、ぶぎょうしょに「なんでおれがおちて、のろまの、げんきちが、うかるのだ。」と、こうぎにいったのです。ぶぎょうしょのへんじは「くちをつつしみなさい。たしかにおまえのほうが、けんどう、がくもん、たいりょく、ともすぐれている。しかし、じっくりと、しょるいを、しらべる、のうりょくは、げんきちのほうが、はるかにうわまわっている。けんどう、がくもん、たいりょく、にひいでている、にんげんは、おおぜいいる。しかし、なんにちも、じっくりと、しょるいを、しらべることのできる、にんたいづよい、にんげんは、なかなかいないのだ。いま、ぶぎょうしょ、としては、げんきちのような、にんげんが、ひつようなのだ。」と、いう、へんじだったのです。じゅうぞうは、はじめてじぶんが、ちいさいときから、のろまにんげんとして、ばかにしていた、げんきちに、まけた、とおもいました。こんかいの、ぶぎょうしょのしけんは、なんと「のろま」と、いう、けってんが、げんきちを、すくったのです。「のろま」と、いうことは、うらをかえせば「おちついて、じっくりと、ものごとに、たいしょすることができる」と、いう、ちょうしょでもあったのです。この、さいようしけんの、けっかには、ちちの、はんべいと、ははの、おまつも、こころからよろこんでいました。そして、げんきちは、その、のうりょく、を、いかし、ぶぎょうしょの、きたいにこたえて、おおきなせいかを、あげることに、せいこうしました。そして、そのこうせきが、みとめられ、はやくも、うえさまから「にほんこく、じゅうようしょるい、ぎんみやく」と、いう、とくべつしょく、をさずかったのです。げんきちは、ばくふ、でつくられる、じゅうようしょるい、すべてに、め、をとおし、まちがいが、ないかどうか、しらべる、じゅうような、やくに、ついたのでした。そして、げんきちは、しょうがい、わすれることのできない、ことばをささえにして、いっしょういきていきました。それは「おまえは、おまえでいいんだよ。でもね、じぶんが、できることを、どりょくすることは、たいせつなことだよ。そしてね、にんげん、しっぱいしてもいいんだよ。しっぱいは、きちょうなけいけんになるからね。しっぱいしない、にんげんは、せいこうもしないよ。いちばんわるいのは、さいしょから、なんのどりょくもしないで、あきらめることだよ。」と、いう、おまつのことばでした。もちろん「いちょうのきのぼり」に、ちょうせんしたけいけんは、げんきちに、おおきなじしんを、あたえたことは、いうまでもありませんでした。   おしまい

No.10 よなおし、おんせん

 むかしむかし、きたヨーロッパの、スカンジナビアはんとうに「バイキングおうこく」と、いう、くにが、ありました。このくには、やまもあり、うみもある、くにでした。そんなくにの、やまあいのちいさな、いなかのむらに「ヤング」と、いうなまえの、ぜんにんの、わかものが、すんでいました。ヤングは、かりがすきで、やまにはいっては、ゆみで、かりをしていました。あるひのこと、いつものように、やまにはいって、かりをたのしんでいるとき、ぐうぜん、イノシシをはっけんしました。ヤングは「おおー! よいえものを、みつけたぞ。」と、いって、おそるおそる、イノシシのちかくまでいきました。しかし、イノシシは、にんげんが、ちかづいてきたことをさっちして、にげていきました。ふつうなら、ヤングは、あとをおわないのですが、きょうはなんとしても、イノシシをつかまえようとして、あとをおったのです。そして、あとをおうのに、むちゅうになり、やまのおくへ、おくへと、はいっていきました。そのうちに、イノシシをみうしなってしまいました。きづいてみると、ヤングは、みちにまよってしまったのです。

 みちにまよったヤングは、しばらくやまのなかをあるいていました。ヤングは「これはこまったぞ。いえに、かえれない、かもしれない。むりして、あのイノシシを、おうのではなかった。」と、いって、むりしたことを、はんせい、しました。そして、そんなことをかんがえながら、1じかん、ぐらいは、やまのなかをあるいていました。と、そのとき、なにげなく、とおくのほうをみたら、ゆげが、あがっているではありませんか。ヤングは「あれは、いったいなんだ。」と、ひとりごとをいいながら、いそいで、そのゆげが、でているところまでいってみました。いってみると、そこは、しぜんにわいているおんせんだったのです。ヤングは「こんなところにおんせんがあったとは!」と、いいながら、おどろいたようすで、おんせんのそばまでいってみました。ひとが、5にんぐらいは、はいれるおおきさの、まるいおんせんでした。あつさは、どのていどあるかとおもって、ヤングは、おそるおそる、おんせんに、て、をいれてみました。そして「おっ! はいるにはちょうどいい、ゆかげんだ。」と、おもったのです。おんどは、やく43ど、ぐらいだったのです。そしていそいで、ふくを、ぬいで、おんせんにはいりました。「ああ、いいゆだ。これでつかれもとれるぞ。ラッキー、ラッキー。」と、いいながら、しばらくはいっていると、おんせんのむこうから、すうにんの、しゃべりごえが、きこえてきました。ヤングは、いそいでおんせんからあがり、すぐに、ふくをきて、くさむらにかくれました。そして、3にんのおとこたちが、おんせんのすぐそばまでやってきたのです。そのなかの、おやぶんらしきものが「おい、こんなところにおんせんがあるぞ!」と、いいました。ほかのふたりも「へえー。こんなところにおんせんがあったのか!」と、いって、おどろいたようすでした。そして、おやぶんらしきものが「いやぁー、きょう、どろぼうしてきて、だいぶもうかったぞ。みんなごくろうだった。このおんせんにはいって、つかれをとろうぜ!」と、いったのです。そんなようすをみていたヤングは、この3にんは、いま、ごうとうさつじんざいで、ぜんこくに、しめいてはい、されている3にん、であることに、すぐきづきました。このくにの、ぜんりょうな、こくみんを、ふるえあがらせている、ごくあくにん、だったのです。ごくあくにんの、3にんは、はいって、すぐに「ああ、いいゆだ。」と、いいあっていました。ところが、ところが、すぐに、どんどん、おゆのおんどが、さがっていきました。ごくあくにんの、おやぶんらしきものが「なんだ、このおんせんは!! なんできゅうにおんどがさがってしまうのだ!! このままでは、しんでしまうぞ!!」と、おおごえで、さけんだのです。そんなことをさけんでいるあいだにも、おゆのおんどは、どんどんさがっていくばかりです。とうとう、みずがこおるぐらいの、おんどまでさがってしまいました。3にんは、たまったものではありません。すぐさま、おんせんからでました。そして、ぶるぶる、ぶるぶる、とふるえだすしまつです。3にんのなかのひとりが「はやく、ふくを、きないと、かぜをひくぜ。」と、いいました。そしてこの3にんは、いそいで、ふくを、きたのでした。そんなようすをみていたヤングは、びっくりしました。そして、こころのなかで「へんなおんせん、だなぁー。おれがはいっていても、なんのへんかもない。このおんせんは、いったいどういうおんせんなのだ?」と、おもったのです。そうこうしているうちに、3にんの、ごくあくにんは、ふるえながら、どこかへいこうとしていました。ヤングは、きけんだとおもいながらも、その3にんを、びこうしよう、とかんがえたのです。そして3にんに、きづかれないように、びこうしていきました。

 しばらくびこうしていくと、ちいさなこやに、たどりつきました。ヤングは「ははぁー。ここがあのごくあくにんどもの、かくれがだな。」と、おもいながら3にんに、きづかれないように、しずかに、そのばしょを、はなれて、またさっきのおんせんのあるところへ、もどりました。もどったら、おんせんは、さいしょの43ど、ぐらいのおんどに、もどっていました。ヤングのぎもんは、ますますふかまっていくばかりです。ヤングは「とりあえず、まず、いえにかえることがせんけつだ。」と、かんがえました。そして、さいしょに、ごくあくにんの3にんが、あるいてきたみちを、たどってなんとかじぶんのむらにたどりつくことができました。

 そして、いえにたどりついたヤングは、つかれていたので、ひとばんぐっすりと、ねました。そしてよくじつ、おきたら、ヤングは、かんがえこんでしまったのです。「うーん。うーん。なんであのおんせんは、あの3にんが、はいったら、おんどがさがったのか?」と。こんなことを、みっかばかりかんがえていました。そしてヤングは「きっとあのおんせんは、ぜんにん、と、あくにん、をくべつすることができるにちがいない。あくにんが、おんせんにはいると、おんどがきゅうげきにさがってしまうにちがいない。」と、いう、ひとつの、かせつ、をたてました。「そうか、もしかしたら、あのおんせんは、ひとをみるおんせんかもしれない。」と、いう、とんでもない、かせつ、だったのです。ヤングはすぐに、この、かせつ、をしょうめいしたいとおもい、このくにのみやこの「オスホルム」と、いう、おおきなまちの、ろうやに、いれられている、ごくあくにんを、やくにんに、おんせんまでれんこうしてきてもらって、このおんせんにいれて、じっけんしたいとおもいました。そんなことをかんがえたヤングは、いてもたってもいられなくなり、すぐに、このむらからあるいて、ふつかかかる「オスホルム」のまちへとむかいました。

 このまちについたヤングは、すぐに、ろうやの、ばんにんをしていたやくにんに、おんせんのことをはなし、じぶんがかんがえた、かせつ、をはなしました。ところが、このやくにんは「このわかものは、あたまがへんになったのか。」ぐらいにしか、おもってもらえませんでした。これはしかたがない、とおもって、すぐに、あきらめずにヤングは、そのやくにんのじょうしの「サンダー」と、いう、おとこに、おんせんのことをはなしました。サンダーは「なかなかおもしろいはなしだ。もしそれがほんとうならおまえはこのくにのえいゆうになれるぞ。」と、いったのです。ヤングはすぐに「どうしてわたしがこのくにのえいゆうになれるのですか?」と、すぐに、といなおすと、サンダーは「じつはヤング、このくにのおうさまである、レイ12せいさまは、このくにに、あまりにもおおくのかいぞくや、どろぼうがおおいので、あたまをいためていらっしゃるのだ。がいこくからは``あなたのくにのうみに、ちかづいた、ふねは、かえってこない、いったいどうしたことなのだ``と、いう、といあわせがさっとうしているのだ。これはこのくにの、かいぞくどもが、がいこくの、ふねを、おそって、のっているひとびとをみなごろしにし、きんぴんを、うばっているにちがいないのだ。しかし、かいぞくどもも、なかなかりこうで、しょうこをのこさないのだ。くわえて、こくないでは、ごうとうさつじんじけんが、ひんぱんにおきている。こんな、じょうたいでは、おうさまも、あんしんして、よるもねむれないのだ。そして、こんなげんじょうを、なんとか、かいぜんして、かいぞくや、ごくあくにんのいない、こくみんが、あんしんして、せいかつできるくにを、つくりたいと、かんがえていらっしゃるのだ。しかし、かいぞくや、ごくあくにんどもの、けんきょりつは、ひくいのだ。へいたいのかずも、ふやしてたいおうしているのだが、さっぱりこうかがあがっていない。そんなわけで、おまえがいったことがほんとうなら、うそをいっているひとでも、すぐにわかるだろう。そうすれば、おおくのものを、つかまえることができるのだよ。だから、えいゆうになれる、ということだ。」と、いったのです。ヤングは、このはなしをきいて、なんだかこわくなってきました。そして、こころのなかで「もし、じぶんの、かせつ、がまちがっていたら、おうさまによって、ぎろちん、にかけられて、しょけい、されるのではないか。」と、おもったのです。そんなことをおもっていると、サンダーが「わたしが、このことを、おうさまにはなしておく。あした、また、この、ろうや、のまえに、あさの9じに、きなさい。」と、いったのです。ヤングは、はなしがどんどんとすすんでいったので、ますますこわくなってきました。しかし、ここまできたいじょう、はらをきめなければならない、とかんがえました。そして、やど、をさがして、あしたにそなえることにしました。

 ゆっくりとやすんだヤングは、やくそくのじかんに、ろうや、のまえにいきました。そうすると、な、な、なんと、そこには、おうさまと、へいたいが、千にんと、おうさまのせわがかりが、百にんいたのです。おうさまは、うまにのって、ヤングのくるのをまっていました。あまりの、ものものしさに、ヤングはびっくりしてしまいました。そして、サンダーが「ヤング、まず、おうさまにあいさつしろ。そして、おうさまが、おまえにはなしがあるそうだ。」と、いいました。ヤングはすかさず、おうさまにあいさつしました。そうするとおうさまが「おまえがヤングか。サンダーから、はなしはきいた。おまえのはなしがほんとうかどうか、きょう、ひとりのごくあくにん、の``ワルーダ``と、いう、おとこを、ろうやからだして、おまえのむらのやまおくの、おんせんにれんこうして、おまえのはなしが、ほんとうかどうか、じっけんすることになった。おまえも、すぐにしゅっぱつのじゅんびをしろ。」と、いきなりおっしゃったのです。やんぐは「はい。おうさま、わかりました。わたしはすぐにしゅっぱつできます。」と、いいました。そしてサンダーが「ヤング、おれといっしょにあるいて、おうさまに、みちあんない、してくれ。」と、いいました。ヤングはすかさず「はい。わかりました。」と、いいました。そして、ろうや、から「ワルーダ」と、いう、なまえのひとりのごくあくにんが、だされ、へいたいの、げんじゅうなごえいのもとに、れんこうされて、おんせんに、しゅっぱつしたのでした。この「ワルーダ」は、ごうとうさつじんで、10にん、ころしている、しけいしゅうでした。へいたいの、たいちょうのこえが、けたたましくあさのまちにひびきました。「さぁー、もろども、しゅっぱつだぁー」と。そして、へいたいが「おー! おー!・・・・」と、さけびました。ヤングは「もう、どうすることもできない。もし、このごくあくにんを、おんせんにいれて、おんどがさがらなかったら、おれのいのちを、おうさまにさしあげるしかない。」と、ふたたび、はらをきめたのでした。

 ふつかばかり、のはらにとまって、ようやく、もくてきち、のおんせんにつきました。つくとすぐに、おうさまが「なかなかいいおんせんだ。」と、いいました。おんせんは、ヤングがさいしょにはっけんしたときとおなじく、ゆげをだしていました。そして、おうさまが「みなのもの、すこしやすんでからじっけんをする!!」と、めいれいをだしました。そんなおうさまのめいれいをきいた、へいたいたちは「おー! おー!」と、いってそれぞれやすみました。

 しばらくやすんでいたヤングは、おうさまに「このちかくに、ぜんこくに、しめいてはいされている、ごうとうさつじんはん、のかくれががあります。まえに、おんせんにはいっていたら、このはんにんたちがやってきて、おんどが、きゅうげきにさがったので、あわてておんせんからあがったところを、あとをつけてはっけんしました。」と、ほうこくしました。おうさまは「でかしたぞ、ヤング。それでは、へいたいを百にんつれて、かくれがまでいってきて、つかまえてこい。」と、めいれいしました。ヤングは、おうさまが、へいたいのなかからえらんだ、せいえいぶたい百にんをつれて、まえにいったことのある、かくれがにむかいました。

 そして、かくれがにつくと、3にんの、ごくあくにんたちは、かくれがで、さけをのんでいました。えんかいをはじめていて、べろんべろんに、よっぱらっていました。そして、きゅうに、そとがさわがしくなったことにきづいた、ごくあくにんの、ひとりが、かくれがの、ちいさいあなから、そとをみました。そして、こしをぬかしてしまいました。「おやぶん!! まわりは、へいたいでいっぱいですぜ!! もうおわりだ!!」と、さけんだのです。と、そのしゅんかん、へいたいが、かくれがを、きゅうしゅうし、3にんを、つかまえてしまいました。ごくあくにんの3にんは、いったいなにが、おきたのか、さっぱりわかりませんでした。

 ごくあくにん3にんを、つかまえてきたヤングは、すぐに、おんせんのところへかえり、このつかまえてきた3にんを、おうさまにさしだしました。そして、おうさまは「このものどもは、かねのためなら、ひとをころすことなど、なんともおもわない、ちょうごくあくにん、なのだ。」と、いいました。そしてすかさず「ヤングよ、ほんとうにでかした。ほめてつかわす。」と、いったのです。おうさまにほめられたヤングは「もったいないおことばです。」と、いってうしろにさがりました。そんなことをいったりしているあいだにも、ごくあくにんの3にんは「いったい、ここでなにがおきているのだろう?」と、いうような、ふしぎなかおをしていました。

 そうこうしているあいだに、いよいよ、このおんせんの、じっけんがはじまろうとしていました。おうさまが「ろうや、からつれてきた、ごくあくにんの、ワルーダを、すぐにおんせんにいれるのじゃ!!」と、いう、めいれいがくだりました。サンダーが「はい! おうさま、わかりました!」と、いって、ろうや、からつれてきた、ごくあくにん、ワルーダをはだかにして、おんせんにいれました。なんのせつめいもうけていなかった、ワルーダは、なにがなんだかさっぱりわかりませんでした。それでもワルーダは、うれしそうに、おんせんにつかりました。ヤングは、はたして、おんせんのおんどが、さがるかどうか、しんぱいで、しんぱいで、たまりませんでした。そんなことをしんぱいしていると、なんと、おんせんのおんどが、みるみるうちにさがってきました。これにおどろいた、ごくあくにんの、ワルーダは「きゅうに、おんどが、さがってきあんしたぜ。」と、サンダーにいいました。そしてつづけて「このままはいっていたら、さむさで、しんでしまいますぜ。」と、いいました。すかさずサンダーは「よしわかった。おんせんからでていいぞ。」と、いいました。そして、ワルーダは、おんせんをでて、すぐに、ふくを、きました。それをみていたおうさまは「ねんのために、ヤングもはいってみろ!」と、いったのです。ヤングは「おうさま、ほんのすこしおまちください。おんせんのおんどが、じょじょにあがってまいります。てきおん、になりましたら、すぐにはいります。」と、いいました。おうさまは「そうか。それではすこしまつとしようか。」と、いいました。そしてしばらくすると、おんせんのおんどが、ヤングのいったとおり、まえの、やく43どのてきおんに、もどりました。すかさず、ヤングは、おんせんにはいりました。ヤングが、すこしながくおんせんにはいっていても、おんせんのおんどは、さがりませんでした。これをみていたおうさまは「よし、このじっけんは、ヤングのいったとおりのけっかになった。このおんせんのなまえを``よなおし、おんせん``と、めいめいする。そして、ここに、せんもんのやくしょをつくり、ぜんこくから、かいぞくや、ごくあくにん、とおもわれるものたちを、このおんせんにひとりずついれて、うそをいっているかどうか、みきわめることとする。そして、このやくしょの、そうせきにんしゃをヤングとする。きょうから、ヤングは、バイキングおうこくの``ごくあくにん、ぼくめつ、たんとうだいじん``に、にんめいする。ヤングよ、こころして、このくにのためにがんばってくれよ。」と、いったのです。そしてすぐに、おうさまは「ヤングよ、わたしのこのかんがえをうけてくれるか。」と、いったのです。ヤングは「こうえいです。みをこ、にして、がんばります。」と、いったのです。

 そんなことがあってから、すうじつご、おんせんのところに、しんやくしょである「こころ、けんさじょ」の、けんせつがはじまりました。千にんは、しゅくはくできる、しせつもかんせいしました。はじまって2ねんで、かんせいしました。このしせつのけんせつで、こようにも、こうけんすることができました。そして、ぜんこくから、おおくのかいぞくや、ごくあくにん、とおもわれるものがおくりこまれました。このしせつのまわりは、にげられないように、たかい、さくも、もうけられました。そして、じょうじ2千にんのへいたいが、じょうちゅうしていることとなりました。そして、その、そうせきにんしゃ、となった「ヤングごくあくにん、ぼくめつ、たんとうだいじん」の、しきのもと、まいにちまいにち、ひとりずつおんせんにいれて、ほんとうの、はんにんを、みつけるさぎょうにおわれたのでした。ぜんこくの、かいぞくや、ごくあくにん、とおもわれるひとびとには、おうこくから「いいおんせんがあるから、むりょうで、とまりにいきませんか。」と、いうふれこみであつめられたのです。なにもしらないそんなひとびとは、おんせんにはいるまえに、たんとうやくにんから、かならず、しつもんされる、こうもくが、ありました。それは「あなたは、ぜんにん、だとおもいますか? それとも、あくにん、だとおもいますか?」と、いうしつもんだったのです。ここにおくりこまれた、ぜんぶのひとびとは「はい。わたしは、ぜんにんです。」と、こたえて、おんせんにはいっていきました。そして、そのけっか、ほとんどぜんぶのひとびとは、おんせんにはいって、すぐに、おんせんのおんどが、さがるけっかになりました。そして、おんどがさがってしまうことにびっくりして、すぐにおんせんからあがり、そのまま、ろうや、にいれられてしまいました。

 そんなじょうきょうのほうこくをうけた、おうさまは「にんげんは、あいてが、しらないとおもうと、しらばっくれるどうぶつだ。そして、かんたんにうそをつくどうぶつだ。」と、つくづくおもいました。そして、そのことをこころにきざんで、おうこくを、おさめていきました。こくみんも「わるいことをしても、けっきょくは、とらえられて、ろうやに、いれられるのだから、わりにあわない。」と、わかったので、わるいことをするひとは、どんどんへっていきました。そのけっか、このおうこくには、かいぞくや、ごくあくにんが、ほとんどいなくなり、こくみんが、あんしんできる、すばらしい、おうこくになりました。そして、おうさまは、おうこくのなまえを、バイキングおうこくから「ノルホルムおうこく」と、へんこうしました。そして、このおうこくは、ぎょぎょう、のうぎょう、りんぎょう、しゅこうぎょう、などの、しょさんぎょうが、はったつして、すえながくさかえました。しかし、なぜ、おんせんが、ぜんにんと、あくにん、をみきわめることができるかは、だれもえいきゅうにわかりませんでした。         おしまい

あなたは、このおんせんにはると、おんどがさがるほうですか、それとも、おんどはそのままのほうですか。 むかしむかし、きたヨーロッパの、スカンジナビアはんとうに「バイキングおうこく」と、いう、くにが、ありました。このくには、やまもあり、うみもある、くにでした。そんなくにの、やまあいのちいさな、いなかのむらに「ヤング」と、いうなまえの、ぜんにんの、わかものが、すんでいました。ヤングは、かりがすきで、やまにはいっては、ゆみで、かりをしていました。あるひのこと、いつものように、やまにはいって、かりをたのしんでいるとき、ぐうぜん、イノシシをはっけんしました。ヤングは「おおー! よいえものを、みつけたぞ。」と、いって、おそるおそる、イノシシのちかくまでいきました。しかし、イノシシは、にんげんが、ちかづいてきたことをさっちして、にげていきました。ふつうなら、ヤングは、あとをおわないのですが、きょうはなんとしても、イノシシをつかまえようとして、あとをおったのです。そして、あとをおうのに、むちゅうになり、やまのおくへ、おくへと、はいっていきました。そのうちに、イノシシをみうしなってしまいました。きづいてみると、ヤングは、みちにまよってしまったのです。

 みちにまよったヤングは、しばらくやまのなかをあるいていました。ヤングは「これはこまったぞ。いえに、かえれない、かもしれない。むりして、あのイノシシを、おうのではなかった。」と、いって、むりしたことを、はんせい、しました。そして、そんなことをかんがえながら、1じかん、ぐらいは、やまのなかをあるいていました。と、そのとき、なにげなく、とおくのほうをみたら、ゆげが、あがっているではありませんか。ヤングは「あれは、いったいなんだ。」と、ひとりごとをいいながら、いそいで、そのゆげが、でているところまでいってみました。いってみると、そこは、しぜんにわいているおんせんだったのです。ヤングは「こんなところにおんせんがあったとは!」と、いいながら、おどろいたようすで、おんせんのそばまでいってみました。ひとが、5にんぐらいは、はいれるおおきさの、まるいおんせんでした。あつさは、どのていどあるかとおもって、ヤングは、おそるおそる、おんせんに、て、をいれてみました。そして「おっ! はいるにはちょうどいい、ゆかげんだ。」と、おもったのです。おんどは、やく43ど、ぐらいだったのです。そしていそいで、ふくを、ぬいで、おんせんにはいりました。「ああ、いいゆだ。これでつかれもとれるぞ。ラッキー、ラッキー。」と、いいながら、しばらくはいっていると、おんせんのむこうから、すうにんの、しゃべりごえが、きこえてきました。ヤングは、いそいでおんせんからあがり、すぐに、ふくをきて、くさむらにかくれました。そして、3にんのおとこたちが、おんせんのすぐそばまでやってきたのです。そのなかの、おやぶんらしきものが「おい、こんなところにおんせんがあるぞ!」と、いいました。ほかのふたりも「へえー。こんなところにおんせんがあったのか!」と、いって、おどろいたようすでした。そして、おやぶんらしきものが「いやぁー、きょう、どろぼうしてきて、だいぶもうかったぞ。みんなごくろうだった。このおんせんにはいって、つかれをとろうぜ!」と、いったのです。そんなようすをみていたヤングは、この3にんは、いま、ごうとうさつじんざいで、ぜんこくに、しめいてはい、されている3にん、であることに、すぐきづきました。このくにの、ぜんりょうな、こくみんを、ふるえあがらせている、ごくあくにん、だったのです。ごくあくにんの、3にんは、はいって、すぐに「ああ、いいゆだ。」と、いいあっていました。ところが、ところが、すぐに、どんどん、おゆのおんどが、さがっていきました。ごくあくにんの、おやぶんらしきものが「なんだ、このおんせんは!! なんできゅうにおんどがさがってしまうのだ!! このままでは、しんでしまうぞ!!」と、おおごえで、さけんだのです。そんなことをさけんでいるあいだにも、おゆのおんどは、どんどんさがっていくばかりです。とうとう、みずがこおるぐらいの、おんどまでさがってしまいました。3にんは、たまったものではありません。すぐさま、おんせんからでました。そして、ぶるぶる、ぶるぶる、とふるえだすしまつです。3にんのなかのひとりが「はやく、ふくを、きないと、かぜをひくぜ。」と、いいました。そしてこの3にんは、いそいで、ふくを、きたのでした。そんなようすをみていたヤングは、びっくりしました。そして、こころのなかで「へんなおんせん、だなぁー。おれがはいっていても、なんのへんかもない。このおんせんは、いったいどういうおんせんなのだ?」と、おもったのです。そうこうしているうちに、3にんの、ごくあくにんは、ふるえながら、どこかへいこうとしていました。ヤングは、きけんだとおもいながらも、その3にんを、びこうしよう、とかんがえたのです。そして3にんに、きづかれないように、びこうしていきました。

 しばらくびこうしていくと、ちいさなこやに、たどりつきました。ヤングは「ははぁー。ここがあのごくあくにんどもの、かくれがだな。」と、おもいながら3にんに、きづかれないように、しずかに、そのばしょを、はなれて、またさっきのおんせんのあるところへ、もどりました。もどったら、おんせんは、さいしょの43ど、ぐらいのおんどに、もどっていました。ヤングのぎもんは、ますますふかまっていくばかりです。ヤングは「とりあえず、まず、いえにかえることがせんけつだ。」と、かんがえました。そして、さいしょに、ごくあくにんの3にんが、あるいてきたみちを、たどってなんとかじぶんのむらにたどりつくことができました。

 そして、いえにたどりついたヤングは、つかれていたので、ひとばんぐっすりと、ねました。そしてよくじつ、おきたら、ヤングは、かんがえこんでしまったのです。「うーん。うーん。なんであのおんせんは、あの3にんが、はいったら、おんどがさがったのか?」と。こんなことを、みっかばかりかんがえていました。そしてヤングは「きっとあのおんせんは、ぜんにん、と、あくにん、をくべつすることができるにちがいない。あくにんが、おんせんにはいると、おんどがきゅうげきにさがってしまうにちがいない。」と、いう、ひとつの、かせつ、をたてました。「そうか、もしかしたら、あのおんせんは、ひとをみるおんせんかもしれない。」と、いう、とんでもない、かせつ、だったのです。ヤングはすぐに、この、かせつ、をしょうめいしたいとおもい、このくにのみやこの「オスホルム」と、いう、おおきなまちの、ろうやに、いれられている、ごくあくにんを、やくにんに、おんせんまでれんこうしてきてもらって、このおんせんにいれて、じっけんしたいとおもいました。そんなことをかんがえたヤングは、いてもたってもいられなくなり、すぐに、このむらからあるいて、ふつかかかる「オスホルム」のまちへとむかいました。

 このまちについたヤングは、すぐに、ろうやの、ばんにんをしていたやくにんに、おんせんのことをはなし、じぶんがかんがえた、かせつ、をはなしました。ところが、このやくにんは「このわかものは、あたまがへんになったのか。」ぐらいにしか、おもってもらえませんでした。これはしかたがない、とおもって、すぐに、あきらめずにヤングは、そのやくにんのじょうしの「サンダー」と、いう、おとこに、おんせんのことをはなしました。サンダーは「なかなかおもしろいはなしだ。もしそれがほんとうならおまえはこのくにのえいゆうになれるぞ。」と、いったのです。ヤングはすぐに「どうしてわたしがこのくにのえいゆうになれるのですか?」と、すぐに、といなおすと、サンダーは「じつはヤング、このくにのおうさまである、レイ12せいさまは、このくにに、あまりにもおおくのかいぞくや、どろぼうがおおいので、あたまをいためていらっしゃるのだ。がいこくからは``あなたのくにのうみに、ちかづいた、ふねは、かえってこない、いったいどうしたことなのだ``と、いう、といあわせがさっとうしているのだ。これはこのくにの、かいぞくどもが、がいこくの、ふねを、おそって、のっているひとびとをみなごろしにし、きんぴんを、うばっているにちがいないのだ。しかし、かいぞくどもも、なかなかりこうで、しょうこをのこさないのだ。くわえて、こくないでは、ごうとうさつじんじけんが、ひんぱんにおきている。こんな、じょうたいでは、おうさまも、あんしんして、よるもねむれないのだ。そして、こんなげんじょうを、なんとか、かいぜんして、かいぞくや、ごくあくにんのいない、こくみんが、あんしんして、せいかつできるくにを、つくりたいと、かんがえていらっしゃるのだ。しかし、かいぞくや、ごくあくにんどもの、けんきょりつは、ひくいのだ。へいたいのかずも、ふやしてたいおうしているのだが、さっぱりこうかがあがっていない。そんなわけで、おまえがいったことがほんとうなら、うそをいっているひとでも、すぐにわかるだろう。そうすれば、おおくのものを、つかまえることができるのだよ。だから、えいゆうになれる、ということだ。」と、いったのです。ヤングは、このはなしをきいて、なんだかこわくなってきました。そして、こころのなかで「もし、じぶんの、かせつ、がまちがっていたら、おうさまによって、ぎろちん、にかけられて、しょけい、されるのではないか。」と、おもったのです。そんなことをおもっていると、サンダーが「わたしが、このことを、おうさまにはなしておく。あした、また、この、ろうや、のまえに、あさの9じに、きなさい。」と、いったのです。ヤングは、はなしがどんどんとすすんでいったので、ますますこわくなってきました。しかし、ここまできたいじょう、はらをきめなければならない、とかんがえました。そして、やど、をさがして、あしたにそなえることにしました。

 ゆっくりとやすんだヤングは、やくそくのじかんに、ろうや、のまえにいきました。そうすると、な、な、なんと、そこには、おうさまと、へいたいが、千にんと、おうさまのせわがかりが、百にんいたのです。おうさまは、うまにのって、ヤングのくるのをまっていました。あまりの、ものものしさに、ヤングはびっくりしてしまいました。そして、サンダーが「ヤング、まず、おうさまにあいさつしろ。そして、おうさまが、おまえにはなしがあるそうだ。」と、いいました。ヤングはすかさず、おうさまにあいさつしました。そうするとおうさまが「おまえがヤングか。サンダーから、はなしはきいた。おまえのはなしがほんとうかどうか、きょう、ひとりのごくあくにん、の``ワルーダ``と、いう、おとこを、ろうやからだして、おまえのむらのやまおくの、おんせんにれんこうして、おまえのはなしが、ほんとうかどうか、じっけんすることになった。おまえも、すぐにしゅっぱつのじゅんびをしろ。」と、いきなりおっしゃったのです。やんぐは「はい。おうさま、わかりました。わたしはすぐにしゅっぱつできます。」と、いいました。そしてサンダーが「ヤング、おれといっしょにあるいて、おうさまに、みちあんない、してくれ。」と、いいました。ヤングはすかさず「はい。わかりました。」と、いいました。そして、ろうや、から「ワルーダ」と、いう、なまえのひとりのごくあくにんが、だされ、へいたいの、げんじゅうなごえいのもとに、れんこうされて、おんせんに、しゅっぱつしたのでした。この「ワルーダ」は、ごうとうさつじんで、10にん、ころしている、しけいしゅうでした。へいたいの、たいちょうのこえが、けたたましくあさのまちにひびきました。「さぁー、もろども、しゅっぱつだぁー」と。そして、へいたいが「おー! おー!・・・・」と、さけびました。ヤングは「もう、どうすることもできない。もし、このごくあくにんを、おんせんにいれて、おんどがさがらなかったら、おれのいのちを、おうさまにさしあげるしかない。」と、ふたたび、はらをきめたのでした。

 ふつかばかり、のはらにとまって、ようやく、もくてきち、のおんせんにつきました。つくとすぐに、おうさまが「なかなかいいおんせんだ。」と、いいました。おんせんは、ヤングがさいしょにはっけんしたときとおなじく、ゆげをだしていました。そして、おうさまが「みなのもの、すこしやすんでからじっけんをする!!」と、めいれいをだしました。そんなおうさまのめいれいをきいた、へいたいたちは「おー! おー!」と、いってそれぞれやすみました。

 しばらくやすんでいたヤングは、おうさまに「このちかくに、ぜんこくに、しめいてはいされている、ごうとうさつじんはん、のかくれががあります。まえに、おんせんにはいっていたら、このはんにんたちがやってきて、おんどが、きゅうげきにさがったので、あわてておんせんからあがったところを、あとをつけてはっけんしました。」と、ほうこくしました。おうさまは「でかしたぞ、ヤング。それでは、へいたいを百にんつれて、かくれがまでいってきて、つかまえてこい。」と、めいれいしました。ヤングは、おうさまが、へいたいのなかからえらんだ、せいえいぶたい百にんをつれて、まえにいったことのある、かくれがにむかいました。

 そして、かくれがにつくと、3にんの、ごくあくにんたちは、かくれがで、さけをのんでいました。えんかいをはじめていて、べろんべろんに、よっぱらっていました。そして、きゅうに、そとがさわがしくなったことにきづいた、ごくあくにんの、ひとりが、かくれがの、ちいさいあなから、そとをみました。そして、こしをぬかしてしまいました。「おやぶん!! まわりは、へいたいでいっぱいですぜ!! もうおわりだ!!」と、さけんだのです。と、そのしゅんかん、へいたいが、かくれがを、きゅうしゅうし、3にんを、つかまえてしまいました。ごくあくにんの3にんは、いったいなにが、おきたのか、さっぱりわかりませんでした。

 ごくあくにん3にんを、つかまえてきたヤングは、すぐに、おんせんのところへかえり、このつかまえてきた3にんを、おうさまにさしだしました。そして、おうさまは「このものどもは、かねのためなら、ひとをころすことなど、なんともおもわない、ちょうごくあくにん、なのだ。」と、いいました。そしてすかさず「ヤングよ、ほんとうにでかした。ほめてつかわす。」と、いったのです。おうさまにほめられたヤングは「もったいないおことばです。」と、いってうしろにさがりました。そんなことをいったりしているあいだにも、ごくあくにんの3にんは「いったい、ここでなにがおきているのだろう?」と、いうような、ふしぎなかおをしていました。

 そうこうしているあいだに、いよいよ、このおんせんの、じっけんがはじまろうとしていました。おうさまが「ろうや、からつれてきた、ごくあくにんの、ワルーダを、すぐにおんせんにいれるのじゃ!!」と、いう、めいれいがくだりました。サンダーが「はい! おうさま、わかりました!」と、いって、ろうや、からつれてきた、ごくあくにん、ワルーダをはだかにして、おんせんにいれました。なんのせつめいもうけていなかった、ワルーダは、なにがなんだかさっぱりわかりませんでした。それでもワルーダは、うれしそうに、おんせんにつかりました。ヤングは、はたして、おんせんのおんどが、さがるかどうか、しんぱいで、しんぱいで、たまりませんでした。そんなことをしんぱいしていると、なんと、おんせんのおんどが、みるみるうちにさがってきました。これにおどろいた、ごくあくにんの、ワルーダは「きゅうに、おんどが、さがってきあんしたぜ。」と、サンダーにいいました。そしてつづけて「このままはいっていたら、さむさで、しんでしまいますぜ。」と、いいました。すかさずサンダーは「よしわかった。おんせんからでていいぞ。」と、いいました。そして、ワルーダは、おんせんをでて、すぐに、ふくを、きました。それをみていたおうさまは「ねんのために、ヤングもはいってみろ!」と、いったのです。ヤングは「おうさま、ほんのすこしおまちください。おんせんのおんどが、じょじょにあがってまいります。てきおん、になりましたら、すぐにはいります。」と、いいました。おうさまは「そうか。それではすこしまつとしようか。」と、いいました。そしてしばらくすると、おんせんのおんどが、ヤングのいったとおり、まえの、やく43どのてきおんに、もどりました。すかさず、ヤングは、おんせんにはいりました。ヤングが、すこしながくおんせんにはいっていても、おんせんのおんどは、さがりませんでした。これをみていたおうさまは「よし、このじっけんは、ヤングのいったとおりのけっかになった。このおんせんのなまえを``よなおし、おんせん``と、めいめいする。そして、ここに、せんもんのやくしょをつくり、ぜんこくから、かいぞくや、ごくあくにん、とおもわれるものたちを、このおんせんにひとりずついれて、うそをいっているかどうか、みきわめることとする。そして、このやくしょの、そうせきにんしゃをヤングとする。きょうから、ヤングは、バイキングおうこくの``ごくあくにん、ぼくめつ、たんとうだいじん``に、にんめいする。ヤングよ、こころして、このくにのためにがんばってくれよ。」と、いったのです。そしてすぐに、おうさまは「ヤングよ、わたしのこのかんがえをうけてくれるか。」と、いったのです。ヤングは「こうえいです。みをこ、にして、がんばります。」と、いったのです。

 そんなことがあってから、すうじつご、おんせんのところに、しんやくしょである「こころ、けんさじょ」の、けんせつがはじまりました。千にんは、しゅくはくできる、しせつもかんせいしました。はじまって2ねんで、かんせいしました。このしせつのけんせつで、こようにも、こうけんすることができました。そして、ぜんこくから、おおくのかいぞくや、ごくあくにん、とおもわれるものがおくりこまれました。このしせつのまわりは、にげられないように、たかい、さくも、もうけられました。そして、じょうじ2千にんのへいたいが、じょうちゅうしていることとなりました。そして、その、そうせきにんしゃ、となった「ヤングごくあくにん、ぼくめつ、たんとうだいじん」の、しきのもと、まいにちまいにち、ひとりずつおんせんにいれて、ほんとうの、はんにんを、みつけるさぎょうにおわれたのでした。ぜんこくの、かいぞくや、ごくあくにん、とおもわれるひとびとには、おうこくから「いいおんせんがあるから、むりょうで、とまりにいきませんか。」と、いうふれこみであつめられたのです。なにもしらないそんなひとびとは、おんせんにはいるまえに、たんとうやくにんから、かならず、しつもんされる、こうもくが、ありました。それは「あなたは、ぜんにん、だとおもいますか? それとも、あくにん、だとおもいますか?」と、いうしつもんだったのです。ここにおくりこまれた、ぜんぶのひとびとは「はい。わたしは、ぜんにんです。」と、こたえて、おんせんにはいっていきました。そして、そのけっか、ほとんどぜんぶのひとびとは、おんせんにはいって、すぐに、おんせんのおんどが、さがるけっかになりました。そして、おんどがさがってしまうことにびっくりして、すぐにおんせんからあがり、そのまま、ろうや、にいれられてしまいました。

 そんなじょうきょうのほうこくをうけた、おうさまは「にんげんは、あいてが、しらないとおもうと、しらばっくれるどうぶつだ。そして、かんたんにうそをつくどうぶつだ。」と、つくづくおもいました。そして、そのことをこころにきざんで、おうこくを、おさめていきました。こくみんも「わるいことをしても、けっきょくは、とらえられて、ろうやに、いれられるのだから、わりにあわない。」と、わかったので、わるいことをするひとは、どんどんへっていきました。そのけっか、このおうこくには、かいぞくや、ごくあくにんが、ほとんどいなくなり、こくみんが、あんしんできる、すばらしい、おうこくになりました。そして、おうさまは、おうこくのなまえを、バイキングおうこくから「ノルホルムおうこく」と、へんこうしました。そして、このおうこくは、ぎょぎょう、のうぎょう、りんぎょう、しゅこうぎょう、などの、しょさんぎょうが、はったつして、すえながくさかえました。しかし、なぜ、おんせんが、ぜんにんと、あくにん、をみきわめることができるかは、だれもえいきゅうにわかりませんでした。         おしまい

あなたは、このおんせんにはると、おんどがさがるほうですか、それとも、おんどはそのままのほうですか。

No11.「りくのかみさま」と「うみのかみさま」の、ちきゅうぶんどりがっせん

 むかしむかし、そのまた、むかし、りくの、かみさまと、うみの、かみさまが、この、ちきゅうの、ひょうめんせきの、ぶんどりがっせんを、していました。りくの、かみさまは、「この、ちきゅうは、ぜんぶ、わしのものだから、おぬしは、この、ちきゅうから、でていってくれ!!」などと、らんぼうなことばで、うみの、かみさまに、いっていました。うみの、かみさまも「いや、いや、りくの、かみさまどん、この、ちきゅうは、ぜんぶ、わたしのものだから、でていくのは、あなたのほうです!!」と、まけずにいっていました。まいにちまいにち、おたがいに、いっぽも、ゆずらず、こんなちょうしで、なんおくねんも、あらそっていました。

 こんなことを、あらそっている、ほうこくをうけた、この、ちきゅうから、9千おくちょうこうねん、はなれている、しんかいの、せいれいとうとうしゅの、ウルトラエンゼルしん(No1. うちゅうそうぞうのかみがみのこうぼう さんしょう)は「こんなことでは、いつまでたっても、しゅうしゅうがつかん。わたしが、ちきゅうにいって、ちゅうかいしなければならん。``しんかい、しゅんかん、うちゅう、いどうマシーン``で、いますぐ、ちきゅうにいく。」と、いいました。そっきんは、あわてたのですが、ウルトラエンゼルしんの、いしはかたく、かんがえがかわるようすは、みうけられなかったので、すぐに、``しんかい、しゅんかん、うちゅう、いどうマシーン``を、よういしました。そして、ウルトラエンゼルしんは、それにのって、ちきゅうへと、むかったのです。じつは、せいれいとうは、あまのがわぎんが(たいようけいがある、わたしたちが、みている、ほしぼしのしゅうだん)の、ちゅうしんぶに、``しんかい、うちゅう、もんだい、はっけん、たんさえいせい``を、はいちしていたのです。ですから、ちきゅうに、おきているもんだいを、すぐに、ほうこくをうけることが、できたのです。

 すぐに、ちきゅうにやってきた、ウルトラエンゼルしんは、はなしの、ちゅうかいに、はいりました。「まあぁ、まあぁ。りょうかみさま、まずは、あたまをひやしてください。ここはひとつ、わたしにまかせませんか。」と、ウルトラエンゼルしんは、きりだしたのです。それをきいていた、りくの、かみさまは「はるばる、こんな、うちゅうの、かたいなかの、ちきゅうまで、きていただいて、ありがとうございます。わしは、べつにもんだいありません。」と、いいました。うみの、かみさまは「わたしも、とくべつに、もんだいありません。」と、いがいと、すなおにいったのです。すると、ウルトラエンゼルしんは「ごりょうかい、いただいて、たすかります。はるばる、このちきゅうに、やってきたかいがありました。」と、いいました。すると、すぐに、りくの、かみさまが「ウルトラエンゼルしんさま、いったい、どんな、わかいあんを、おかんがえですか。」と、いってきたのです。ウルトラエンゼルしんは「ここは、びょうどうに、5ぶ5ぶ、ということではどうでしょうか。」と、いいました。すると、りく、うみ、りょうかみさまは、いっせいに「とんでもないことです。だれが、はんぶん、はんぶんで、けっちゃくするものか。」と、はんぱつしました。これには、ウルトラエンゼルしんも、あたまをかかえてしまいました。そして、さいしょから、こんな、じょうたいでは、はたして、はなしが、まとまるかどうか、しんぱいになりました。そして、しばらくかんがえていた、ウルトラエンゼルしんは「それでは、りょうかみさまの、ごきぼうを、おききしたいとおもいます。まず、りくの、かみさまの、ごきぼうは?」と、いいました。りくの、かみさまは「そうだなあ。わしは、さいてい、8わり、もらわないとだめだなあ。」と、いいました。つづけて、うみの、かみさまも「わたしも、8わり、もらわないとだめです。」と、いってきたのです。これをきいた、ウルトラエンゼルしんは「おまえたちは、どうしてそんなに、よくが、ふかいのだ。まったく、こまったものだ。」と、つぶやきました。そしてつづけて「じつは、りくの、かみさまどん、これからはなすことは、さいごの、きりふだに、しようとおもっていたが、おまえたちの、はなしをきいていると、まったく、まとまる、かのうせいはないと、かんがえざるをえないので、ここで、はなすことにする。」と、いいました。りくの、かみさまは「いったいそれは、どういうないようですか。」と、きいてきました。ウルトラエンゼルしんは「じつは、``ちょうこうせいのう、しんかいコンピューター``で、ちきゅうのみらいを、シュミレーションしてみたら、このちきゅうは、しょうらい、にんげん、というどうぶつが、たんじょうし、りくに、すむようになる。そして、その、にんげんは、じぶんたちの、せいかつを、ゆたかにするために、ちきゅうせいき、18せいきの、さんぎょうかくめい、いらい、このちきゅうの、しげんを、どんどんつかう。とくに、せきゆや、せきたんの、かせきねんりょうを、たいりょうに、しょうひして、しまうのだ。そして、にんげんの、じんこうは、へるどころか、ますますふえていくのだ。こんな、じょうたいに、なることがわかっているのに、りくを、おおく、おまえにあたえてしまうと、にんげんは、ますます、かいはつを、すすめ、このちきゅうを、だめにする、かのうせいがある、ということなのだ。それにくわえて、にんげんは、さまざまな、くにを、つくることもわかっている。そして、そんな、くにをつくったばっかりに、にんげんの、ひげきが、はじまるのだ。それは、とち(または、りょうど)を、めぐるあらそいだ。にんげんは、とち、というのがすきで、そのためには、せんそう、を、してでも、じぶんのくにの、とちに、したいのだ。そして、このせんそうで、おおくの、にんげんが、しぬ。だから、わたしは、おまえに、あんまりおおくの、りくを、あたえたくないのが、しょうじきなきもちだ。もしかりに、りくを、おおくおまえに、あたえたら、``ちょうこうせいのう、しんかいコンピューター``の、シュミレーションで、みたこといじょうの、あらそいが、にんげんの、せかいで、おきることは、まちがいないだろう。だから、2ないし3わり、ていどがちょうどいいのではないか、とかんがえているのだ。」と、いいました。すると、りくの、かみさまは「ウルトラエンゼルしんさまの、いうことだから、そのことは、まちがいないとおもいますが、なんともさびしい、すうじ、だなあ。」と、いいました。そして、それをきいた、ウルトラエンゼルしんは「それにな、りくの、かみさまどん。にんげんは、うみのさかなや、かいそう、かいなども、しょくりょう、と、することが、わかっている。もしかりに、おまえに、りくを、おおくあたえてやると、うみのなかの、さかなや、かいそうなどの、しげんは、にんげんが、くいつくして、すぐになくなる、かのうせいが、おおきくなるのだよ。すこし、うみをひろく、かくほしておかないと、たいへんなことになるのだ。ここのところを、わかってもらいたいのだ。」と、いったのです。それをきいた、りくの、かみさまは「うーん。うーん。そうか。そんなことになってしまうのか。」と、しんこくに、かんがえこんでしまいました。ウルトラエンゼルしんは、つづけて、りくの、かみさまに「まだあるのだよ。しょうらい、にんげんは、このちきゅうの、かせきねんりょうを、もやして、せいかつするために、二さんかたんそが、ふえすぎて、ちきゅうおんだんか、もんだいを、はっせいさせてしまうのだ。二さんかたんそは、おんしつこうかが、あるので、このもんだいは、なかなか、むずかしい、もんだいに、なってくるのだよ。このもんだいは、にんげんの、よくぼうと、ふかくかかわっているのだ。こうぎょうかの、スピードが、はやいか、おそいかによって、せんしんこく、こうしんこくにわかれ、それぞれ、きょうそうし、じふんたちの、くにをゆたかにしていくのだ。しかし、ようやく、こうぎょうかにめざめ、これから、ゆたかになっていこうとしている、こうしんこくは、このちきゅうおんだんか、もんだいに、しょうきょくてきに、なるのだ。そして、なかには、せんしんこくなのに、じこくの、りえきを、ゆうせんして、このもんだいに、しょうきょくてきな、くにも、あらわれるのだ。どんなに、おおくのくにが、ちきゅうおんだんか、もんだいに、せっきょくてきに、かかわって、いこうとおもっていても、このもんだいに、しょうきょくてきな、いちぶの、おおきな、くにぐにが、きょうりょくしていかないと、やけいしにみず、ということになりかねないのだ。こんなわけで、とんでもないことになっていくのだよ。だから、りくの、かみさまどん、3わりで、て、をうってもらえないだろうか。」と、いってきたのです。それをきいていた、うみの、かみさまは「へぇー。ちきゅうは、しょうらい、そんなことになるのですか。かんがえさせられました。そうすると、いまの、ウルトラエンゼルしんさまの、あんだと、わたしは、7わり、ということになりますね。まあ、わるくはありませんので、わたしは、さんせいです。」と、まず、うみのかみさまが、いったのです。すると、りくの、かみさまは「いまのはなしをきいて、あんまり、りくを、おおくすると、とんでもないことが、まちうけていることがわかった。しかたないが、わしも、このあんに、さんせいする。」それをきいた、ウルトラエンゼルしんは「よしこれでまとまった。あとで、なんだかんだと、もんだいを、おこしては、だめですよ。」と、りょうかみさまに、ねんを、おしたのでした。

 そして、さいごに、りくの、かみさまが「ウルトラエンゼルしんさま、もしかりに、しょうらい、にんげんが、ちきゅうおんだんか、もんだいを、かるくかんがえて、一がんとなって、かいけつできなかったときは、どうするおかんがえですか。」と、きいてきました。ウルトラエンゼルしんは「そのときは、りくを、ぜんぶなくして、このちきゅうを、うみだけにしてしまうよ。」と、いって、9千おくちょうこうねん、はなれている、しんかいに、``しんかい、しゅんかん、うちゅう、いどうマシーン``で、かえっていきました、とさ。           おしまい むかしむかし、そのまた、むかし、りくの、かみさまと、うみの、かみさまが、この、ちきゅうの、ひょうめんせきの、ぶんどりがっせんを、していました。りくの、かみさまは、「この、ちきゅうは、ぜんぶ、わしのものだから、おぬしは、この、ちきゅうから、でていってくれ!!」などと、らんぼうなことばで、うみの、かみさまに、いっていました。うみの、かみさまも「いや、いや、りくの、かみさまどん、この、ちきゅうは、ぜんぶ、わたしのものだから、でていくのは、あなたのほうです!!」と、まけずにいっていました。まいにちまいにち、おたがいに、いっぽも、ゆずらず、こんなちょうしで、なんおくねんも、あらそっていました。

 こんなことを、あらそっている、ほうこくをうけた、この、ちきゅうから、9千おくちょうこうねん、はなれている、しんかいの、せいれいとうとうしゅの、ウルトラエンゼルしん(No1. うちゅうそうぞうのかみがみのこうぼう さんしょう)は「こんなことでは、いつまでたっても、しゅうしゅうがつかん。わたしが、ちきゅうにいって、ちゅうかいしなければならん。``しんかい、しゅんかん、うちゅう、いどうマシーン``で、いますぐ、ちきゅうにいく。」と、いいました。そっきんは、あわてたのですが、ウルトラエンゼルしんの、いしはかたく、かんがえがかわるようすは、みうけられなかったので、すぐに、``しんかい、しゅんかん、うちゅう、いどうマシーン``を、よういしました。そして、ウルトラエンゼルしんは、それにのって、ちきゅうへと、むかったのです。じつは、せいれいとうは、あまのがわぎんが(たいようけいがある、わたしたちが、みている、ほしぼしのしゅうだん)の、ちゅうしんぶに、``しんかい、うちゅう、もんだい、はっけん、たんさえいせい``を、はいちしていたのです。ですから、ちきゅうに、おきているもんだいを、すぐに、ほうこくをうけることが、できたのです。

 すぐに、ちきゅうにやってきた、ウルトラエンゼルしんは、はなしの、ちゅうかいに、はいりました。「まあぁ、まあぁ。りょうかみさま、まずは、あたまをひやしてください。ここはひとつ、わたしにまかせませんか。」と、ウルトラエンゼルしんは、きりだしたのです。それをきいていた、りくの、かみさまは「はるばる、こんな、うちゅうの、かたいなかの、ちきゅうまで、きていただいて、ありがとうございます。わしは、べつにもんだいありません。」と、いいました。うみの、かみさまは「わたしも、とくべつに、もんだいありません。」と、いがいと、すなおにいったのです。すると、ウルトラエンゼルしんは「ごりょうかい、いただいて、たすかります。はるばる、このちきゅうに、やってきたかいがありました。」と、いいました。すると、すぐに、りくの、かみさまが「ウルトラエンゼルしんさま、いったい、どんな、わかいあんを、おかんがえですか。」と、いってきたのです。ウルトラエンゼルしんは「ここは、びょうどうに、5ぶ5ぶ、ということではどうでしょうか。」と、いいました。すると、りく、うみ、りょうかみさまは、いっせいに「とんでもないことです。だれが、はんぶん、はんぶんで、けっちゃくするものか。」と、はんぱつしました。これには、ウルトラエンゼルしんも、あたまをかかえてしまいました。そして、さいしょから、こんな、じょうたいでは、はたして、はなしが、まとまるかどうか、しんぱいになりました。そして、しばらくかんがえていた、ウルトラエンゼルしんは「それでは、りょうかみさまの、ごきぼうを、おききしたいとおもいます。まず、りくの、かみさまの、ごきぼうは?」と、いいました。りくの、かみさまは「そうだなあ。わしは、さいてい、8わり、もらわないとだめだなあ。」と、いいました。つづけて、うみの、かみさまも「わたしも、8わり、もらわないとだめです。」と、いってきたのです。これをきいた、ウルトラエンゼルしんは「おまえたちは、どうしてそんなに、よくが、ふかいのだ。まったく、こまったものだ。」と、つぶやきました。そしてつづけて「じつは、りくの、かみさまどん、これからはなすことは、さいごの、きりふだに、しようとおもっていたが、おまえたちの、はなしをきいていると、まったく、まとまる、かのうせいはないと、かんがえざるをえないので、ここで、はなすことにする。」と、いいました。りくの、かみさまは「いったいそれは、どういうないようですか。」と、きいてきました。ウルトラエンゼルしんは「じつは、``ちょうこうせいのう、しんかいコンピューター``で、ちきゅうのみらいを、シュミレーションしてみたら、このちきゅうは、しょうらい、にんげん、というどうぶつが、たんじょうし、りくに、すむようになる。そして、その、にんげんは、じぶんたちの、せいかつを、ゆたかにするために、ちきゅうせいき、18せいきの、さんぎょうかくめい、いらい、このちきゅうの、しげんを、どんどんつかう。とくに、せきゆや、せきたんの、かせきねんりょうを、たいりょうに、しょうひして、しまうのだ。そして、にんげんの、じんこうは、へるどころか、ますますふえていくのだ。こんな、じょうたいに、なることがわかっているのに、りくを、おおく、おまえにあたえてしまうと、にんげんは、ますます、かいはつを、すすめ、このちきゅうを、だめにする、かのうせいがある、ということなのだ。それにくわえて、にんげんは、さまざまな、くにを、つくることもわかっている。そして、そんな、くにをつくったばっかりに、にんげんの、ひげきが、はじまるのだ。それは、とち(または、りょうど)を、めぐるあらそいだ。にんげんは、とち、というのがすきで、そのためには、せんそう、を、してでも、じぶんのくにの、とちに、したいのだ。そして、このせんそうで、おおくの、にんげんが、しぬ。だから、わたしは、おまえに、あんまりおおくの、りくを、あたえたくないのが、しょうじきなきもちだ。もしかりに、りくを、おおくおまえに、あたえたら、``ちょうこうせいのう、しんかいコンピューター``の、シュミレーションで、みたこといじょうの、あらそいが、にんげんの、せかいで、おきることは、まちがいないだろう。だから、2ないし3わり、ていどがちょうどいいのではないか、とかんがえているのだ。」と、いいました。すると、りくの、かみさまは「ウルトラエンゼルしんさまの、いうことだから、そのことは、まちがいないとおもいますが、なんともさびしい、すうじ、だなあ。」と、いいました。そして、それをきいた、ウルトラエンゼルしんは「それにな、りくの、かみさまどん。にんげんは、うみのさかなや、かいそう、かいなども、しょくりょう、と、することが、わかっている。もしかりに、おまえに、りくを、おおくあたえてやると、うみのなかの、さかなや、かいそうなどの、しげんは、にんげんが、くいつくして、すぐになくなる、かのうせいが、おおきくなるのだよ。すこし、うみをひろく、かくほしておかないと、たいへんなことになるのだ。ここのところを、わかってもらいたいのだ。」と、いったのです。それをきいた、りくの、かみさまは「うーん。うーん。そうか。そんなことになってしまうのか。」と、しんこくに、かんがえこんでしまいました。ウルトラエンゼルしんは、つづけて、りくの、かみさまに「まだあるのだよ。しょうらい、にんげんは、このちきゅうの、かせきねんりょうを、もやして、せいかつするために、二さんかたんそが、ふえすぎて、ちきゅうおんだんか、もんだいを、はっせいさせてしまうのだ。二さんかたんそは、おんしつこうかが、あるので、このもんだいは、なかなか、むずかしい、もんだいに、なってくるのだよ。このもんだいは、にんげんの、よくぼうと、ふかくかかわっているのだ。こうぎょうかの、スピードが、はやいか、おそいかによって、せんしんこく、こうしんこくにわかれ、それぞれ、きょうそうし、じふんたちの、くにをゆたかにしていくのだ。しかし、ようやく、こうぎょうかにめざめ、これから、ゆたかになっていこうとしている、こうしんこくは、このちきゅうおんだんか、もんだいに、しょうきょくてきに、なるのだ。そして、なかには、せんしんこくなのに、じこくの、りえきを、ゆうせんして、このもんだいに、しょうきょくてきな、くにも、あらわれるのだ。どんなに、おおくのくにが、ちきゅうおんだんか、もんだいに、せっきょくてきに、かかわって、いこうとおもっていても、このもんだいに、しょうきょくてきな、いちぶの、おおきな、くにぐにが、きょうりょくしていかないと、やけいしにみず、ということになりかねないのだ。こんなわけで、とんでもないことになっていくのだよ。だから、りくの、かみさまどん、3わりで、て、をうってもらえないだろうか。」と、いってきたのです。それをきいていた、うみの、かみさまは「へぇー。ちきゅうは、しょうらい、そんなことになるのですか。かんがえさせられました。そうすると、いまの、ウルトラエンゼルしんさまの、あんだと、わたしは、7わり、ということになりますね。まあ、わるくはありませんので、わたしは、さんせいです。」と、まず、うみのかみさまが、いったのです。すると、りくの、かみさまは「いまのはなしをきいて、あんまり、りくを、おおくすると、とんでもないことが、まちうけていることがわかった。しかたないが、わしも、このあんに、さんせいする。」それをきいた、ウルトラエンゼルしんは「よしこれでまとまった。あとで、なんだかんだと、もんだいを、おこしては、だめですよ。」と、りょうかみさまに、ねんを、おしたのでした。

 そして、さいごに、りくの、かみさまが「ウルトラエンゼルしんさま、もしかりに、しょうらい、にんげんが、ちきゅうおんだんか、もんだいを、かるくかんがえて、一がんとなって、かいけつできなかったときは、どうするおかんがえですか。」と、きいてきました。ウルトラエンゼルしんは「そのときは、りくを、ぜんぶなくして、このちきゅうを、うみだけにしてしまうよ。」と、いって、9千おくちょうこうねん、はなれている、しんかいに、``しんかい、しゅんかん、うちゅう、いどうマシーン``で、かえっていきました、とさ。           おしまい

No12. 「まごころじぞう」の、いじめそうだんA

 ときは、ちきゅうせいき、21せいきの、せいれき2006ねん。ちきゅうから、9千おくちょうこうねん、はなれている、しんかいの、せいれいとうとうしゅであり、しんかいそうりでもある、ウルトラエンゼルそうりしん、のところに、あまのがわぎんがの、ちゅうしんに、はいちしてある、``しんかい、うちゅう、もんだいはっけん、たんさえいせい``(りゃくしてSUMHTE)から、じゅうだいな、もんだいが、ほうこくされました。それは、ちきゅうの、にほんというくにに、じさつが、おおいという、ほうこくだったのです。せっかくさずかった、たいせつな「いのち」を、みずから、ほうむってしまう、という、もんだいだったのです。そのほうこくをうけた、ウルトラエンゼルそうりしんは、このもんだいは、みのがすことのできない、じゅうだいな、もんだいとしてうけとめ、さっそく、しんかいかくぎを、ひらき、たいおうそちを、けんとうすることになりました。

 ウルトラエンゼルそうりしんは、アタマイーダかんぼうちょうかんしんに「なにか、じさつをふせぐ、いい、ちえは、ないのか。」と、きりだしたのです。アタマイーダかんぼうちょうかんしんは「うーん。なかなかむずかしい、もんだいですね。じぶんで、じぶんのいのちをたつ。ここまで、おいつめられてしまう、というのは、にほんにいったい、なにがおきているのでしょうかねぇ。じったいが、わからないと、て、の、うちようがないなぁ。」と、いいました。そうりしんは「かんぼうちょうかんしん、そんな、のんきなことを、いっているばあいではないぞ。くわしい、ほうこくしょによると、にほんねんごう、へいせい10ねんから、へいせい18ねんまでの、れんぞく9ねんかん、まいとし、じさつしゃが、3まんにんを、こえている、ということだ。これはもはや、いじょうじたい、というほかないぞ。いちねんかんに、じんこう3まんにんの、まちが、まいとし、まいとし、きえているとおなじことだ。これは、せかいさいこうすいじゅんのレベルだ。たしか、にほんは、せかいでも、ゆうすうの、こうぎょうせいさんをほこる、たいこく、という、ほうこくもうけている。けいざいてきには、めぐまれているはずなのに、なぜ、じさつするひとが、おおいのだ。このところが、よくわからない。しかし、なんとか、しなければならないのは、たしかだ。」と、いいました。これにたいして、アタマイーダかんぼうちょうかんしんは「うーん。そうりしん、むかし、りくの、かみさまと、うみの、かみさまが、けんか(No11 りくの、かみさまと、うみの、かみさまの、ちきゅうぶんどりがっせん さんしょう)しているときに、ちゅうかいして、かいけつしたように、そうりしんみずから、にほんにいって、かいけつしたらどうでしょうか。」と、いってきたのです。すると、そうりしんは「そうしたいのだが、こうむの、よていが、びっしりで、うごけないじょうたいだ。なにか、いいかんがえはないか。」と、いいました。それをきいていた``カイケツスルーダしんかい、いじめもんだい、とくめいだいじん、しん``は、「そうりしん、わたしにかんがえがあります。たしか、にほんの、えちごに、``まごころじぞう``が、おったとおもうのですが、もし、その、じぞうが、まだ、けんざいならば、その、じぞうに、れんらくをとり、じぞうから、ひとはたらきしてもらいましょう。」と、いいました。すると、そうりしんは「それはいいかんがえだ。さっそく、ゲンキイーダもんぶかがくだいじんしん、いまは、たしか、えちごではなく、にいがたけんに、なっているはずの、まごころじぞうの、しょざいをかくにんし、かくにんされしだい、``ちょうこうせいのう、うちゅう、しんかいパソコン``(TSUP)で、``うちゅう、しゅんかん、いどうでんしメール``(USITM)を、そうしんして、しんかいかくぎの、ないようを、しらせるように。」と、ゲンキイーダもんぶかがくだいじんしんに、めいじたのです。それをうけた、ゲンキイーダもんぶかがくだいじんしんは「そうりしん、まごころじぞうの、しょざいが、もし、かくにんされたばあい、``ちょうこうせいのう、うちゅうしんかいパソコン``(TSUP)を、``しんかい、しゅんかん、うちゅういどうマシーン``(SSUIM)で、おくり、この、``ちょうこうせいのう、うちゅうしんかいパソコン``(TSUP)と、``しんかいしゅんかん、うちゅういどうマシーン``(SSUIM)を、リースします。そして、つかいかたを、すぐに、りかいしてもらって、なんとか、れんらくをとります。」と、へんとうしたのです。そうりしんは「さっそく、とりかかってくれ。」と、いいました。それにもとづいて、ゲンキイーダもんぶかがくだいじんは、``しんかい、うちゅうもんだいはっけん、たんさえいせい``(SUMHTE)で、まごころじぞうの、しょざいを、かくにんしました。そして、``ちょうこうせいのう、うちゅうしんかいパソコン``(TSUP)を、``しんかい、しゅんかん、うちゅういどうマシーン``(SSUIM)で、まごころじぞうに、おくったのです。

 まごころじぞうは、にほんの、にいがたけんに、けんざいでした。じぞうの、まえのみちは、ほそうされ、おおがたトラックや、じょうようしゃなどの、くるまが、ひっきりなしに、はしっていました。じだいは、すっかり、かわっていました。ただひとつ、すくいは、じだいは、かわっても、このむらのひとたちが、この、まごころじぞうを、たいせつにして、まもってきたことでした。まごころじぞうは、しんかいから、きゅうに、おくられてきたものに、びっくりしました(にんげんには、みえない)。しかし、9千おくちょうこうねん、かなたの、しんかいの、ウルトラエンゼルそうりしんの、そんざいは、うちゅう、せんきょそくほうで、わかっていました(ウルトラエンゼルそうりしんの、にんきは、300おくねん)。さっそく、まごころじぞうは、おそるおそる、しんかいから、おくられてきた、``ちょうこうせいのう、うちゅうしんかいパソコン``(TSUP)を、ひらいてみました。ひらいてみて、あまりのふくざつさに、びっくりしてしまいました。しかし、この、``ちょうこうせいのう、うちゅうしんかいパソコン``(TSUP)は、「しゅんかん、りかいキイ」があり、ここをたたくと、すぐに、りかいできる、しろものでした。まごころじぞうは、すぐに、このキイをたたいて、この、``ちょうこうせいのう、うちゅうしんかいパソコン``(TSUP)を、りかいしました。そして、``うちゅうしゅんかん、いどうでんしメール``(USITM)が、とどくのをまちました。そして、すぐに、しんかいの、ウルトラエンゼルそうりしんから、``うちゅうしゅんかん、いどうでんしメール``(USITM)が、そうしんされてきたのです。そのないようは、「はいけい まごころじぞうどの わたしは、しんかいの、ウルトラエンゼルそうりしんです。げんきで、ごけんざいのこと、こころから、およろこびもうしあげます。きゅうなことで、たいへん、もうしわけなく、おもうのですが、きんきゅうじたいなので、なにとぞ、ごりかいして、いただきたく、おねがいもうしあげます。いま、あなたがいる、にほんは、じさつするひとが、たいへんおおいことが、``しんかい、うちゅうもんだいはっけん、たんさえいせい``(SUMHTE)での、ほうこくで、わかりました。ほんらいならば、わたしが、ちょくせつ、ちきゅうにいって、もんだいかいけつ、しなければならない、ところなのですが、じゅうような、こうむが、はいってうごけません。そこで、わたしにかわり、あなたさまに、このもんだいを、とりあつかっていただくことが、しんかい、かくぎで、けっていされました。ぐたいてきな、しごとですが、こちらの、``しんかい、うちゅうもんだいはっけん、たんさえいせい``(SUMHTE)で、いろいろ、なやんで、じさつを、かんがえているひとを、みつけますので、そのひとの、ところへいって、そうだんに、のってほしいのです。できれば、じさつ、しないように、せっとく、してほしいのです。くわしい、そのひとの、じゅうしょは、``ちょうこうせいのう、うちゅうしんかいパソコン``(TSUP)で、そうしんします。そして、そのひとのところへは、``ちょうこうせいのう、うちゅうしんかいパソコン``(TSUP)と、いっしょにおくった、``しんかいしゅんかん、うちゅういどうマシーン``(SSUIM)で、いどうしてください。``しんかいしゅんかん、うちゅういどうマシーン``は、いきたいところの、じゅうしょを、セットすれば、すぐにいけます。なお、``ちょうこうせいのう、うちゅうしんかいパソコン``(TSUP)と、``しんかいしゅんかん、うちゅういどうマシーン``(SSUIM)は、ほんらいならば、ゆうりょうリースですが、こんかいは、とくべつの、じじょうにつき、むりょうです。さいごに、このもんだいを、うけていただけるか、どうかの、ごへんとうを、すぐにいただけますでしょうか。」と、いうものでした。まごころじぞうは、すぐに「ウルトラエンゼルそうりしんさまへ。 いきなり、こんなことを、いうのはなんですが、むりょうなのは、あたりまえです。わざわざ、むりょうにします、などと、いうひつようはないとおもいます。だって、わたしはボランティアでやるのですから。このことは、これくらいにして、こんかいの、しごとは、よろこんで、おひきうけいたします。」と、いう、``うちゅうしゅんかん、いどうでんしメール``(USITM)を、ウルトラエンゼルそうりしんに、そうしんしました。それをうけた、ウルトラエンゼルそうりしんは、さっそく、``しんかい、うちゅうもんだいはっけん、たんさえいせい``(SUMHTE)で、ほうこくされてきた、がっこうで、いじめられて、じさつを、かんがえている、ひとりの、ちゅうがくせいの、じゅうしょを、ちきゅうの、まごころ、じぞうあてに、``うちゅうしゅんかん、いどうでんしメール``(USITM)で、そうしんしました。

 ちきゅうの、まごころじぞうは、すぐにそのメールを、うけとりました。そのないようは「まごころじぞうどの さっそくですが、かきの、じゅうしょの、ところに、すんでいる、ちゅうがく2ねんせいの、だんしが、おなじクラスの、だんし、すうにんに、いじめられて、じさつを、かんがえています。すぐにいって、そうだんにのってください。そして、じさつを、おもいとどめてください。」

  [いじめで、なやんでいる、ちゅうがくせいの、しょうさい]

じゅうしょ   ほっかいどうさっぽろしがっこうちょう3-5-10
せたいぬし   おおい なやみさん(大井名矢実さん)
おこさまめい  おおい なやむくん(ちゅうがく2ねんせい)

と、いう、ないようでした。すぐに、まごころじぞうは、にいがたけんから、いどうマシーンで、この、じゅうしょを、セットし、ほっかいどうの、さっぽろに、いどうしました。

 あんのじょう、ここに、すんでいる、ちゅうがくせいの、おおいなやむくん(大井名矢夢君)が、もんもんと、なやんでいました。まごころじぞうは、ちいさいこえで、「なやむくん、なやむくん、わたしは、まごころじぞうだ。いま、いじめられていることは、わかっている。きみのかかえている、もんだいの、そうだんにのるために、にいがたけんから、やってきた。この、じぞうに、こころをひらいて、なんでも、はなしてみないか。」と、いいました。すると、なやむくんは、おどろいたようすで、「まごころじぞうさま、なんで、ぼくが、なやんでいることが、わかったのですか。」と、じぞうに、きいてきました。じぞうは「じつは、しんじられないかもしれないが、この、ちきゅうから、9千おくちょうこうねん、はなれている、ウルトラエンゼルしん、という、しんかいのかみさまが、この、あまのがわぎんがの、ちゅうしんに、はいちしてある、``しんかい、うちゅうもんだいはっけん、たんさえいせい``(SUMHTE)と、いう、えいせいで、きみが、なやんでいることを、はっけんして、わたしに、れんらくしてきたのだ。そこで、きみのところへ、きたってわけだ。」と、いいました。すると、なやむくんは、「まごころじぞうさま、9千おくちょうこうねん、はなれていれば、ひかりのはやさ(一びょうかんで、ちきゅうを、7しゅうはん、できる、びょうそく30まんキロメートル)で、いっても、9千おくちょうねん、という、きがとおくなるじかんが、かかるのに、なんで、そんなに、かんたんに、れんらくがとれるのですか。」と、ちゅうがくせい、らしく、かがくてきに、しつもんしてきたのです。まごころじぞうは、「たしかに、きみのいうとおりだ。しかし、かみのせかいは、かがくでは、わからない、ものすごいものが、あるのだよ。この、とほうもない、うちゅうくうかんを、しゅんじに、いどうしたり、れんらくしたりできる、マシーンが、あるのだよ。」と、いってきかせました。なやむくんは、しんじられないようすでしたが、すぐに「まあいいや。このうちゅうには、にんげんの、じょうしきでは、りかいできないことが、あるとおもうよ。で、まごころじぞうさま、ほんとうに、ぼくのそうだんに、のってくれるのですか。」と、いいました。まごころじぞうは「そうだ。なんでも、そうだんにのるよ。きがるに、はなしをしよう。」と、いいました。そしてすかさず「なやむくん、なんで、きみはいじめられているの。」と、しつもんしたのです。それにたいして、なやむくんは「ぼくは、せがひくいので、おなじクラスの、すうにんが、ちび、ちび、と、いって、ばかにするんだ。ぼくは、もうたえられないよ。」と、いったのです。まごころじぞうは「そうだったのか。ひどいことをいうものだ。ひとのからだの、おとっているところをせめて、いじめるとは、とんでもないやつらだ。さいていな、やつらだなぁ。それで、せんせいに、そうだんしたのかい。」と、いいました。すると、なやむくんは「そうだんしたんだけど、しんけんに、きいてくれないんだ。せいぜい、きにしないように、と、いうくらいなんだ。ぼくが、しぬほど、なやんでいるのに。」と、いってきたのです。じぞうは「そうか。がっこうの、せんせいは、きみのなやみを、かるくかんがえているんだなぁ。こまったものだ。これだけいじめが、しゃかいもんだいと、なっているときに、これではだめだなぁ。ところで、こんなことで、いのちを、そまつにしたらだめだよ。きみは、いのち、ということを、しんけんに、かんがえたことはあるの? いま、きみが、いのちを、ここでおとしてしまうと、おかあさん、おとうさんを、かなしみのどんぞこに、おとすことになるのだよ。まだ、14さい、じゃぁないか、まだまだ、さきはながいよ。かんがえかたによっては、いま、こんなもんだいで、なやんでいることは、きみの、にんげんとしての、せいちょうのためには、ぜっこうのチャンスかもしれないよ。いじめている、にんげんより、きみは、きっと、にんげんてきに、はやくせいちょうできるよ。にんげんは、いろいろなやんで、せいちょうするものなんだよ。きみが、おとなになったとき、ちゅうがくせいのときに、いろいろ、なやんだことが、せいしんてきな、めんえきりょくと、なって、きみのためになる、とおもうよ。にんげん、いきていくときには、さまざまな、もんだいが、まちうけているのだよ。そして、そのもんだいを、かいけつしていかなければ、ならないんだよ。きみは、14さいで、はじめて、いじめという、もんだいに、ぶつかったことになる。このもんだいは、きみのかんがえかたひとつで、かいけつできるよ。」と、いいました。それをきいていた、なやむくんは「なんとなくわかったみたいだけど、まごころじぞうさまも、ぼくが、ほんとうに、くるしんでいることが、わかっていないよ。がっこうにいけば、まいにちまいにち、はりのむしろだよ。つらいんだ。いじめられてから、おんなのこの、みるめも、かわってきたようにおもえるし。なんだか、みんなが、ぼくの、せが、ひくいことを、ばかにしているように、おもえてくるんだ。」と、いいました。すると、じぞうは「そうか。それはつらいことだなぁ。じぞうも、なんだか、わかるようなきがしてきたよ。一ばん、かんじゅせいが、あるときでもあるしなぁ。しかしなぁ、なやむくん、せが、ひくいことが、そんなに、にんげんとして、はずかしいことであり、わるいことかなぁ。じぞうは、そうはおもわないよ。むしろ、そんなことで、いじめている、にんげんのほうが、はずかしいことであり、わるいことだ、とおもうよ。まったくぎゃくだよ。すべてのいじめは、いじめられているほうは、なにもわるくないのだよ。わるいのは、いじめているほうだよ。だから、ほんとうならば、きみが、いしゅくし、きにやむ、ことはないんだよ。そうだろう。そして、まだ、ちゅうがくせいであり、まだまだ、せいちょうきだ。いま、いじめているせいとより、おおきくなる、かのうせいが、十二ぶんにあるしね。かりに、おおきくならなくても、なんのもんだいもないよ。だって、にんげん、みんなちがうところを、もってうまれてくるんだから。みんなおなじく、うまれてきたら、このよのなか、きもちわるいと、おもわないかい。このきかいに、こんなことを、かんがえてみないか。」と、いいました。そして、つづけて「なやむくん、あした、がっこうへいって、みんなが、ちび、ちび、といってきたら、``ちびの、どこがわるいんだ!! もんく、あっか!! ``と、ゆうきをもって、いってごらん。にんげん、あんまりおとなしいと、なめられることもあるんだよ。ひとが、なにかいってきたら、ばあいによっては、はんろんすることも、だいじなことだよ。はんろんは、じぶんの``から``を、やぶることにもなるしね。このいじめは、きみの``から``をやぶる、ぜっこうのチャンスという、いいかたもできるよ。にんげん、もんだいにぶつかって、じぶんの``から``を、やぶって、せいちょうしていく、ものじゃぁないのかなぁ。ぎゃくに、じぶんの、``から``のなかに、とじこもっては、だめじゃないのかなぁ。じぶんのかんがえを、しっかりと、あいてにつたえることは、だいじなことだよ。じぶんを、もっとだして、いいんだよ。あいてと、そこで、まさつがおきるかもしれない。しかし、それは、さけてとおれないことだよ。ながいじんせい、ばあいによっては、ほんねで、ぶつからなければならない、きょくめんも、あるんだよ。そんなことを、すこしでも、わかってほしいんだ。じぞうは、ぜんめんてきに、きみのみかただ。あんしんして、いじめている、にんげんに、``おれは、ちびだけど、なにか、もんく、あっか!!`` と、いってごらん。このひとことで、じょうきょうは、いっぺんするよ。にんげん、けんかするぐらいの、きがいをもって、あいてと、たたかわなければならないときもあるんだよ。」と、いいました。それをきいていた、なやむくんは「けんかしてもいいんですか、まごころじぞうさま。ぼうりょくは、いけない、いけない、とおやからもいわれています。」と、いってきたのです。じぞうは、すぐに「ぼうりょくによる、けんかは、いけないよ。きもちだけは、けんかしてもいい、というおもいでのぞんでごらん、ということなんだ。あいてもびっくりするからね。ひとをかんたんに、いじめるにんげんは、いがいと、きが、ちいさいにんげんが、おおいもので、そのひとも、なにか、なやみや、もんだいを、かかえているものだよ。けんかするくらいのきもちでぶつかっていけば、かえって、ほんとうの、ともだちになれるかもしれないよ。」と、いいました。すると、なやむくんは「ほんとうに、ぼくのみかたですね。」と、いいました。じぞうは「あたりまえじゃないか。みかただから、とおいところから、やってきたんだよ。」と、へんとうしました。そのひとことで、あんしんしたのか、なやむくんは「まごころじぞうさま、すこしは、わかったような、きがします。ぼくは、なんだか、じぶんの``から``のなかに、とじこもっていたみたいです。そのために、もんもんとして、しぬことを、かんがえていたようなきがします。そんなことを、まごころじぞうさまの、おはなしで、わかったようなきが、だんだんしてきました。あした、がっこうにいって、ぼくをいじめるやつがいたら、ゆうきをもって、``おれは、ちびだけど、なにか、もんく、あっか!!`` と、いってみます。」と、いったのです。そして、すぐに、じぞうは「そうそう。そのゆうきが、たいせつだ。すこしは、わかってもらえたみたいだね。もし、そういっても、なんら、かいけつしなければ、また、わたしに、そうだんしてもらいたいよ。ところで、もんだいが、かいけつするまで、わたしを、なやむくんのいえに、とめてもらえるだろうか。」と、いったのです。なやむくんは「いいです。きょうは、ぼくといっしょに、ねましょう。」と、いってくれました。そして、まごころじぞうは、なやむくんと、いっしょに、ねたのでした。なやむくんは、なやんでいたときの、しんこくなようすは、すっかりきえて、ぐっすりと、ねむることができました。

 そして、よが、あけました。なやむくんは、げんきよく、がっこうへいきました。がっこうの、やすみじかんに、いつも、いじめている、がくゆうの、いじめやろうくん(井地目矢郎君)が、いつものように、なやむくんに「ちび、ちび、よく、きょうがっこうにきたな!! ちびのくせに、おおきな、かおをするんじゃないよ!! 」と、いってきたのです。すかさず、なやむくんは、じぞうが、いったことを、おもいだして「おれは、ちびだけど、なにか、もんく、あっか!! おまえは、ただ、ひとをいじめて、よろこんでいる、さいていの、にんげんだ。このことに、かんして、なんか、もんくあっか!!」と、まわりのせいとに、きこえる、おおきなこえで、ゆうきをもって、はんろんしたのです。はじめて、こんなことをいわれた、いじめやろうくんは、いつもの、なやむ、と、ちがうたいどにびっくりしたようすで「いやいや、なんでもない。おれがわるかった。」と、すんなりあやまったのです。なやむくんは、こころのなかで、「もしこれで、けんかになったら、けんかしてやろう。」と、おもって、のぞんだのでした。そのはくりょくで、いじめやろうくんは、すっかり、いじめるきが、なくなってしまったのでした。これをみていたクラスのおんなのこは、て、をたたいて、なやむくんの、この、ゆうきある、こうどうを、たたえてくれました。ある、おんなのこは「なやむくんって、ゆうきあるー。みなおしたわ。わたしすきになっちゃった。」と、いいました。なやむくんの、ゆうきある、このひとことが、じょうきょうを、いっぺんさせたのです。そして、このことは、すぐにクラスにひろまって、なやむくんを、いじめるひとは、いなくなりました。そして、なやむくんは、がっきゅういいんに、えらばれました。そして「もし、ひとを、いじめるやつがいたら、おれがゆるさんぞ!!」と、いって、クラスのにんきものになりました。なやむくんは「ほんのちょっとした、ゆうきが、いじめをなくすのだ。」と、いうことに、きがついたのでした。そして、ただしいことを、ただしいと、せいせいどうどうと、しゅちょうしていくことは、いじめている、にんげんを、のさばらしておかない、ほうほうだ、ときづいたのでした。

 まごころじぞうは、なやむくんのいえに、だいぶおせわになったのですが、もんだいかいけつ、したことを、みとどけて、また、もとの、にいがたけんの、じぶんのいえにかえりました。そして、そのことを、ウルトラエンゼルそうりしんに、しんかいパソコン、でメールをそうしんしました。そのほうこくをうけた、ウルトラエンゼルそうりしんは「よかった、よかった。これで、一けんらくちゃくだなぁ。しかし、まだまだ、まごころじぞうには、はたらいて、もらわないと、いかんなぁ。」と、いったのでした。それというのも、もんだいはっけん、たんさえいせい、から、ぞくぞくと、もんだいが、ほうこくされていたのです。    おしまい

No13.「まごころじぞう」の、``うつびょう``そうだんB

 ほっかいどうの、さっぽろの、いじめもんだいを、かいけつしてきた、まごころじぞうが、やすんでいると、うちゅうしんかいパソコン(TSUP)に、メールが、ウルトラエンゼルそうりしんから、そうしんされてきました。そのないようは「はいけい まごころじぞうどの ほっかいどうの、いじめそうだんは、ごくろうさまでした。やすんでいるところ、まことにもうしわけないのですが、かきの、じゅうしょの、もうれつかいしゃいんが、うつびょうに、かかり、じさつをかんがえていることが、もんだいはっけんたんさえいせい(SUMHTE)から、ほうこくされてきました。さっそく、うちゅういどうマシーン(SSUIM)で、いどうして、そうだんにのってもらいたいのです。つかれているのは、わかっています。しかし、そのひとが、いのちを、おとしてからでは、まにあいません。よろしくおねがいもうしあげます」。
  [うつびょうで、なやんでいる、かいしゃいんの、しょうさい]
じゅうしょ  とうきょうとねりまくなやみちょう1-5-10
なまえ    うつに なるお(宇津丹奈留男)さん(36さい)
しょくしゅ  じどうしゃの、えいぎょう
という、ないようでした。まごころじぞうは、うちゅういどうマシーン(SSUIM)を、すぐにセットして、とうきょうへと、しゅっぱつしました。

 あんのじょう、うつにさんの、いえにつくと、かいしゃいんの、なるおさんが、もんもんと、なやんで、しぬことを、かんがえていました。まごころじぞうが、ちいさいこえで「うつにさん、うつにさん。わたしは、まごころじぞうです。あなたのかかえている、もんだいの、そうだんにのるために、にいがたけんから、やってきました。こころをひらいて、なんでもはなしてください。」と、いいました。すると、うつにさんは、とつぜんのこえに、びっくりしたようすで「まごころじぞう、って、あの、にいがたけんの、おじぞうさんですか?」と、いいました。すると、じぞうは「よくごぞんじですね。わたしはほんらい、ひとのこころを、くいあらためさせる、ということが、ほんしょくですが、じじょうがあり、いろいろと、なやんでいるひとのところへいって、そうだんにのる、ボランティアもやっています。」と、いいました。そしてつづけて「わたしのことは、どうでもいいことです。あなたはいま、うつびょうに、かかって、しぬことを、かんがえている、ということが、あるすじの、ちょうさで、わかりました。それで、わたしがさんじょうしたわけです。これも、なにかのごえんです。こころをひらいて、なんでもはなしてください。」と、いいました。すると、うつにさんは「なんで、おれが、うつびょぅになっていることが、わかったのですか。だれにもはなしていません。おれの、にょうぼうにも、はなしていないのです。ぜったい、だれにもわかるわけがない。」と、いいました。すると、じぞうは「あるすじの、ぐたいてきなことは、はなせばながくなるし、あなたは、きっと、しんじません。だから、これはしょうりゃくします。とにかく、うつびょうに、なっていることは、まちがいないことです。だから、そのことを、はなしてもらって、なんとか、じさつを、おもいとどめて、もらいたいのです。」と、いいました。うつにさんは、なっとくはしませんでしたが、じぶんが、うつびょうに、かかっていることを、しっていた、まごころじぞうを、しんようすることにしました。そして、うつにさんは「なんで、こんな、びょうきになってしまったのかと、ほんとうになさけなくなります。」と、すなおにいいました。じぞうは「あなたはきっと、がんばりやで、どりょくかで、まじめなひとなのです。そんな、ゆうしゅうなひとが、かかりやすい、びょうきなのです。もんだいは、あなたが、だれにもいわず、ひとりで、もんもんと、なやんでいることなのです。」と、いいました。すると、うつにさんは「だって、おれは、いままでトップセールスマンを、つっぱしってきたんだ。こんな、びょうきになって、まけいぬと、よばれたくないよ。」と、いいました。じぞうは「なるほど、そうだったのですか。わたしも、わかるようなきがします。しかし、いま、あなたは、うつびょうに、なったことを、みとめましたね。うつびょうだと、いうことを、あなたは、じぶんでわかっているのです。ひとつしつもんします。いま、いしゃへ、いっていますか?」と、いいました。うつにさんは「いしゃなんか、はずかしくていけません。せいしんか、と、きいただけで、いくきがおきないのです。」と、いいました。じぞうは「うつにさん、あなたのかんがえは、むかしのかんがえですよ。まず、そのかんがえを、かえないとだめだなぁ。いまは、いいくすりもあるのです。そして、うつびょうは、ただしい、ちりょうをすれば、かならず、なおるびょうきなのです。にんげん、いきていれば、にくたいてきな、びょうきにもなるし、せいしんてきな、びょうきにもなるのです。にんげんは、こころと、にくたいで、ひとつのからだですから。せいしんかや、メンタルクリニックへいって、みてもらうということは、にんげんとして、はずかしいことでもなんでもありません。ましてや、まけいぬでも、まけぐみでもありません。うつびょうは、いがくてきに、のうないでんたつぶっしつ、である、セロトニンが、ふそくすると、はっしょうするといわれています。ですから、むかしの、せいしんろんてきな、びょうきではないのです。だからさっき、むかしのかんがえだ、といったのです。たとえば、あなたがいま、ほねを、おったとします。そうしたらきっと、いしゃへいくでしょう。ほねを、おったら、まけいぬですか? ところが、うつびょうに、なっている、あなたは、いしゃへは、いきたくないという、まけいぬと、おもわれるからという。これはどういうことですか? きっとあなたは、やすみもろくにとらず、むりしたのではないですか。たとえば、むかし、スーパーのレジで、ゆびを、つかっていたひとが、ゆびを、やすませないで、つかっていると、よく、けんしょうえんになりました。にんげんの、しんけいも、にくたいも、やすませないでつかっていると、つかれて、まいってしまうのです。まさに、けんしょうえんとおなじです。からだがつかれているのに、むりしていると、かぜなどにかかります。にんげんの、しんけいや、にくたいも、こんなものなのです。にんげんの、しんけいは、こうかんしんけい(かんたんにいうと、がんばれ、がんばれと、はたらくしんけい)と、ふくこうかんしんけい(かんたんにいうと、やすめ、やすめと、はたらくしんけい)の、2けいとうによって、なりたっています。あなたはほとんど、こうかんしんけい、のみを、つかってきたと、おもわれます。だから、しんしんが、つかれたのです。そのげんしょうが、うつびょうとして、あらわれたと、わたしは、おもうのです。さっきの、けんしょうえんや、かぜなどと、おなじことなのです。だれだって、こんなに、しんしんを、こくしすれば、うつびょうになる、かのうせいがあるのです。このことを、わかってほしいのです。」と、いいました。すると、うつにさんは「なるほど、まごころじぞうさま、すこし、わかってきたようなきがしてきました。いしゃへ、いかなかった、じぶんが、まちがっていました。」と、いいました。すると、じぞうは「うつにさん。いしゃもいろいろです。いしゃへいくときは、インターネットでしらべたり、せけんの、ひょうばんをきいたりして、いしゃをきめたほうがいいですよ。そしてね、うつにさん、いしゃへいってからが、ほんとうに、びょうきとのたたかいであり、じぶんとのたたかいですよ。はっきりいいますが、いしゃへいっていても、なかには、とちゅうで、ほっさてきに、じさつするひともいるそうです。たんきをだして、ほっさてきに、ならないように、ちゅういしてください。なかには、しにたい、しにたい、というきもちが、つよくなるひともいるそうです。そんなきもちが、つよくなったとき、「このやろう!!そんなゆうわくにまけてたまるか。おれはいきるんだ!!いきていきて、いきぬくんだ。」ともうひとりのじぶんとたたかってください。それは、あなたのしこうを、べつなほうこうへと、かいひさせてくれるかもしれません。また、しごとをやすむ、かどうかは、いしゃと、そうだんしながら、やったらいいとおもうのです。ここで、だいじなことは、しごとは、二のつぎです。一ばんは、びょうきを、きながになおすことです。おんせんにいったりして、こころと、にくたいを、やすませてあげてください。このことを、しっかりと、じぶんのなかに、おさえておいてください。さいあく、いまのしごとをうしなうかもしれません。しかし、 いまは、しょくばのなかでもメンタルヘルスケアにちからをいれているところがおおくなってきましたので、しごとのことはかいしゃなどとそうだんしながらけいぞくできるみちをかんがえてください。にんげん、しごとより、からだが、たいせつであり、いのちが、たいせつなのです。びょうきがなおれば、あらたな、てんぼうも、きっとひらけてきますよ。にんげんは、じぶんが、びょうきになって、はじめて、からだをいたわらなければならないことを、まなぶものなのです。あなたはきっと、エンジンを、ぜんかいに、させっぱなしで、やすませなかったのです。これではいつか、オーバーヒートをおこします。いま、そのオーバーヒートを、おこした、じょうたいなのです。そのことを、じかくしてください。」と、いいました。これをきいていた、うつにさんは「そのとおりです。おれは、しごとにんげんでした。からだをいたわるとかは、まったくかんがえていませんでした。ひとより、いいせいせきを、あげることしか、かんがえていなかったのです。じんせいのかちかんを、ひとよりも、いいせいせきを、あげることにしか、おいてなかったのです。いま、じぶんが、こんな、びょうきになって、はじめて、やすむことのたいせつさが、わかったようなきがします。」と、いいました。すると、じぞうは「いいところにきづきました。そうなのです、うつにさん。あなたは、かんがえが、きょくたんにかたよっていたのです。たしかに、がんばることは、わるいことではありません。しかし、かんじんかなめの、からだと、そうだんしながら、はたらかなければならなかったのです。からだのことは、けんこうのときに、ちゅういしなければならなかったのです。ストレスを、じょうずにかいしょうすることを、あなたはしてこなかったのではないでしょうか。けんこうにたいするかんがえかたの、バランスかんかくが、ふそくしていたとおもわれます。うつにさん、もし、ちりょうがはじまったら、かぞくのきょうりょくも、ひつようですよ。しょうじきに、びょうきのことを、はなして、きょうりょくしてもらってくださいね。そして、さっきもいったように、ちりょうが、はじまって、ほんとうの、びょうきとのたたかいと、じぶんとのたたかいが、はじまります。きちっと、ちりょうすれば、かならずなおるのです。ばあいによっては、ながくかかるかもしれません。そしてね、こころのもんだいとして、``おれは、うつびょうだ、だから、ちりょうがひつようだ``と、ひらきなおることも、たいせつですよ。あなたもごぞんじかもしれませんが、はいゆうの、たかしまただおさんも、うつびょうで、ながいあいだ、ちりょうしていました。あのかたは、ぜんぶ、せけんにオープンにしました。そのひらきなおりも、こうをそうして、びょうきは、なおりました。」と、いいました。うつにさんは「わかりました。まごころじぞうさまの、いったことを、こころのささえにして、ちりょうにせんねんします。」と、いってくれたのです。じぞうは「これでひとあんしんです。とちゅうで、まよいがでてきたら、ここをクリックして、よんでみてください。また、かんれんのページもよんでみてください。なにか、さんこうになるかもしれません。そうそう、さいごに、しょくじもたいせつですよ。ぎゅうにゅう、たまご、ぎゅうにくのなかに、のうないでんたつぶっしつの、セロトニンをつくる、えいようそが、おおくふくまれているそうです。とくに、ぎゅうにゅうのなかに、おおいそうです。うつびょうが、さいきん、にほんに、おおくはっしょうしているのは、いまはやりの、ダイエットブームも、ひとつの、げんいんではないかと、してきしている、いがくしゃも、いるくらいです。」と、いいました。うつにさんは、さいごに「いろいろありがとうございました。」と、まごころじぞうに、おれいをいいました。じぞうは「それでは、さらばじぁ。」と、いって、うちゅういどうマシーン(SSUIM)で、にいがたけんの、じぶんのいえに、かえっていきました。

 じぶんのいえについた、まごころじぞうは、うちゅうしんかいパソコン(TSUP)で、ウルトラエンゼルそうりしんに、うつになるおさんの、けんを、メールでほうこくしました。この、ほうこくをうけたウルトラエンゼルそうりしんは「いちおう、じさつは、さけられた。しかし、これからも、みまもっていかなければならないな。」と、つぶやきました。    おしまい

No14.「まごころじぞう」の、いじめそうだんC

 とうきょうから、かえってきた、まごころじぞうの、ところに、また、メールが、ウルトラエンゼルそうりしんから、おくられていました。じぞうは「まったく、そうりしんも、じぞうづかいがあらい。やすみなしで、つづければ、かろうし、するぞ。」と、ひとりごとをいいました。じぞうは、そうはいいつつも、メールをよんでみました。そのメールは「はいけい まごころじぞうどの また、いじめでなやんで、じさつをかんがえている、ちゅうがくせいがいることを、もんだいはっけんたんさえいせい(SUMHTE)が、ほうこくしてきました。さっそく、うちゅうしゅんかんいどうマシーン(SSUIM)で、いどうして、そうだんにのってください。なお、あなたもつかれているとおもいますので、うちゅうしんかいパソコン(TSUP)の「ツカレトールキイ」を、たたいてみてください。これをたたくと、一しゅんに、つかれをとる「ツカレトールイオン」が、そのパソコンからでてきます。それにあたると、すぐに、つかれがとれるようになっています。きっと、わたしのことを、じぞうづかいが、あらいかみさまと、おもっているはずです。どうか、そのイオンにあたって、つかれをとってください。その、いじめられている、ちゅうがくせいの、しょうさいは、かきに、きして、おきましたので、よろしくたのみます。

[いじめで、なやんでいる、ちゅうがくせいの、しょうさい]
じゅうしょ ふくおかけん、きたきゅうしゅうし、やはたく、よいところまち3-2
せたいぬしめい きょういくねつお(京育熱雄)さん
おこさまめい なおこ(直子)さん(ちゅうがく一ねんせい)

という、ないようでした。じぞうは、すぐに「ツカレトールキイ」をたたいて、つかれをとりました。そして、うちゅういどうマシーン(SSUIM)で、きゅうしゅうの、きたきゅうしゅうしに、いどうしました。

 あんのじょう、なおこさんが、もんもんと、じぶんのへやで、なやんでいました。じぞうは、ちいさいこえで、いつものように「なおこさん、なおこさん、わたしは、にいがたけんの、まごころじぞうです。いろいろ、なやんでいるひとの、ところへいって、そうだんに、のっています。わたしに、こころをひらいて、なんでもはなしてみませんか?」と、いいました。すると、なおこさんが、びっくりしたようすで「なんで、わたしが、いじめで、くるしんでいることが、わかったのですか?」と、いってきました。すると、じぞうは「はなせばながくなるし、おそらくあなたは、しんじません。だから、くわしいことは、しょうりゃくします。とりあえず、いまのじょうきょうを、はなしてくれませんか。」と、いいました。なおこさんは、すぐに「わるいおじぞうさんでもなさそうだし、とりおえず、しんじます。」と、いってくれたのです。じぞうは、よろこんで「ありがとう、なおこさん。わたしがきたからには、わるいようにはしません。で、いま、どんなじょうきょうなのですか?」と、いいました。なおこさんは「じつは、わたしの、ははに、どうきゅうせいの、おんなのこに、いじめられていることを、はなしたのです。そうしたら、ははが、``だめでしょう、いじめられたら、いじめかえしなさい。そんな、よわいにんげんで、どうするのですか。もっとつよくなりなさい``と、いうばかりです。わたしは、そんな、いじめかえせる、せいかくでもないし、そんな、つよいにんげんでもないのに、はは、はそれいってんばりなの。ほんとうに、どうしていいか、わからなくなってしまったの。」と、いいました。それをきいていた、じぞうは「そうだったのですか。あなたは、こころねの、やさしいひとです。それで、もんもんと、していたのですね。それでは、いますぐに、おかあさんを、ここへよんでください。いっしょに、はなしましょう。」と、いいました。なおこさんは「わかりました。すぐに、ははを、よんできます。」と、いって2かいから、したへ、おりて、おかあさんをよびにいきました。

 しばらくすると、なおこさんの、ははおやである、よしこさんが、なおこさんといっしょに、2かいからあがってきました。2かいに、まごころじぞうが、いたので、ははのよしこさんも、びっくりしました。よしこさんは「あらあら、ほんとうにあじぞうさんだこと。おはなしもできるんですって? うちのなおこが、いっていました。しんじられませんけど、なおこが、きにいったようなので、わたしもしんじます。」と、いいました。じぞうは「ありがとう、おかあさん。わたしのくわしいことは、ここをクリックしてみてください。そうすればわかります。で、おかあさん、なおこさんの、おはなしは、きいていますよね。」と、すぐに、いじめのもんだいに、はいったのです。すると、おかあさんが「はい、きいています。わたしは、そんなよわいことではだめです、と、いいきかせています。いじめかえすくらいに、ならなければ、いまのよのなか、いきていけません、と、いっています。これがなにかわるいことでしょうか。」と、いいました。すると、じぞうは「それはわるいことではありません。でも、おかあさん、なおこさんは、それができない、といっているのです。あなたは、むすめのなおこさんを、ひてい、していることになるのですよ。なおこさんは、ほんとうに、こころねの、やさしいひとなのです。それを、わかってあげなければなりません。このことはわかりますか、おかあさん。」と、いいました。おかあさんは「まごころじぞうさま、いまのよのなか、そんな、なんじゃくな、かんがえでは、いきていけません。いきうまの、めを、ぬくくらいの、こんじょうがなければ、だめなのです。」と、いいました。じぞうは「それはわかります。しかし、そのかんがえは、おかあさんのかんがえであり、なおこさんの、かんがえではないのです。なおこさんは、おかあさんが、そんなことをいうので、もんもんと、なやんでいるのです。このままいくと、なおこさんが、だめになりますよ。おかあさん、このきかいに、じぶんのむすめを、そのまんま、まるまると、うけいれてみませんか。にんげん、みんな、せいかくはちがいます。そこのところを、しっかりと、おさえておかないと、とんでもないことになりますよ。」と、いいました。おかあさんは「おじぞうさまの、いっていることは、りそうろんです。げんじつは、きょうそう、きょうそうで、たいへんなのです。このことは、わかりますか?」と、ぎゃくに、まごころじぞうに、しつもんしてきたのです。これには、じぞうも、びっくりしました。そしてすぐに「おかあさん、いまのにほんは、こどもが、いじめで、じさつするのですよ。じぶんで、いのちを、たつのですよ。このことを、もっとふかく、かんがえまければなりません。たしかに、おかあさんのいわれることは、ごもっともです。しかし、おかあさんのいっていることは、こどもが、よわいからじさつする、といっているようなものです。こどもでも、ほんとうに、こころねの、やさしいこどもも、いるのです。そんなこどもを、いっしょくたんに、よわいこども、とレッテルをはることは、まちがっていると、おもうのです。こどもの、ひとりひとりの、せいかくを、みきわめて、たいおうしていかないと、ほんしつを、みうしなってしまう、おそれもありますよ。そして、おとなが、かってに、きょうそう、きょうそうと、あおって、それについていけないのは、ついていけないものが、わるいのだ、というふうちょうが、あることもおかしいのです。ほんらい、にんげんは、みんな、かおがちがうように、ひとりひとり、ちがうのですから。」と、いいました。それをきいていたおかあさんは「うーん。うーん。なんだか、すこしわかってきたようにおもいます。」と、いいました。じぞうは「おかあさん、はっきりもうしあげます。なおこさんが、いきづまって、じさつしてから、きづいても、おそいのですよ。なおこさんのばあいは、もっと、きめのこまかい、たいおうを、してあげなければ、ならないとおもうのです。まず、さっきもいったように、なおこさんの、ぜんじんかくを、うけいれることです。そして、いまの、いじめられている、もんだいの、はなしを、よくきいてやることです。そして、それにもとづいて、がっこうがわに、いじめの、じったいを、くわしくはなし、せんせいと、そうだんすることだとおもうのです。おかあさんの、かんがえは、ひっこめて、なおこさんの、めせんに、たってあげてください。」と、いいました。するとおかあさんは「わかりました。とんでもないまちがいをしてしまうところでした。まごころじぞうさま、いろいろありがとうございました。さっそく、なおこから、くわしくはなしをきき、あした、がっこうへいって、せんせいとそうだんします。ほんとうにありがとうございました。」と、いいました。じぞうは「わかってもらって、ほんとうによかったです。おとなは、ついつい、じぶんのかんがえが、さきにでるものです。ちゅういしていないと、こどもを、そのために、きずつけることにもなります。このことは、なにも、おかあさんだけのことではありません。」と、いいました。そしてつづけて「それでは、さらばじゃぁ。おかあさん、なおこさんをたのみますよ。」と、いって、うちゅういどうマシーン(SSUIM)で、にいがたへ、かえっていきました。

 このいじめのもんだい、のほうこくをうけた、ウルトラエンゼルそうりしんは「なかなかもんだいが、ふくざつになってきているなぁ。おとなが、しっかりしないと、たいへんだなぁ。」と、つぶやきました。        おしまい

No15.「ずいどう」ほりに、一しょうをささげたおとこ
ずいどう=トンネルのこと

 むかしむかし、とうかいちほうの、さんがくちたいに、あるむらがありました。このむらは、しほうを、やまにかこまれた、たいへんきびしいかんきょうにありました。むらびとは、となりのまちへいくにも、たかいやまを、のぼっていかなければなりませんでした。しかし、このやまには、みちらしきものはありませんでした。そして、このやまは、きゅうしゃめんがおおくあり、いつも、らくせきのきけんに、さらされていました。むらびとのなんにんかは、このらくせきのぎせいになって、しんでしまいました。また、このやまには、くまも、すんでいましたので、このくまに、おそわれるものもあり、たいへんきけんなやまだったのです。

 あるひ、このむらと、やまをこえた、となりのまちのひとたちがあつまり、このきけんなやまを、あんぜんに、やまごえ、するほうほうは、ないものかと、はなしあっていました。みちをしっかり、せいびすべきとか、らくせきをふせぐ、ぼうごさくを、つくるべきとかの、いろいろな、いけんがでてきました。そして、おおくのなかの、いけんのひとつに、やまに、ずいどうを、ほって、かんつうさせ、ひとと、だいはちぐるまを、とおらせてはどうか、といういけんがでました。けんけんがくがくの、ぎろんのけっか、いちばんあんぜんに、ひとがとおれるほうほうは、やまに、ずいどうを、ほって、かんつうさせることだ、という、けつろんになりました。このけっか、むらのひとたちと、となりのまちの、ひとたちとが、きょうりょくして、やまに、ずいどうを、ほることになったのです。

 このずいどうほりは、むずかしい、こうじが、よそうされましたが、むらとまちのひとたちは、それぞれじゅんびし、むらのひとたちは、じぶんたちの、むらのほうから、ほることになりました。まちのひとたちは、じぶんたちの、まちのほうから、ほることになりました。きかいも、なにもない、むかしのことですから、たがねを、かなづちで、たたいて、ほるしかほうほうがありませんでした。それもすべて、じんりきですから、なかなかはかどりません。しかし、むらのひとたちと、まちのひとたちが、一がんとなって、ほっていったけっか、かんつうするまで、いまでいう、あと十メートルのところまで、ほりすすみました。ここまでくるのに、十ねんの、さいげつが、かかっていました。そうほうで、とうにゅうした、にんずうや、おかねは、ばくだいなものがありました。とちゅうで、ちかすいが、でて、かなりのひとが、ぎせいになりました。しかし、なんとかここまできたのです。しかし、あと、十メートルが、なかなかほることができませんでした。そのげんいんは、どんなたがねをつかっても、どうしても、いわに、そのたがねが、つうようしないのです。むらのほうからも、まちのほうからも、まったく、はが、たたなかったのです。ここまできて、むらのひとたちも、まちのひとたちも、あきらめることができず、ぜんこくの、かじやからとりよせた、あらゆるたがねで、ほってみました。しかし、どんなたがねでほっても、だめでした。かんがえた、すべてのほうほうで、やってみました。それでもだめだったのです。

 そんな、あるひに、むらのひとたちと、まちのひとたちが、はなしあいました。そのけっか、このさいごの、十メートルを、ほることは、やむなく、あきらめることになりました。なかには、くやしくて、なくものもいました。しかし、どうしようもない、ことだったのでした。

 そんなことがきまり、やまの、げんばは、そのままほうちされてしまいました。そして、そんなことがあってから、5ねんがたった、あるひに、たびをしている、ひとりのせいねんが、このむらを、おとずれました。このせいねんの、なまえは、``あおやぎかんぱち``、と、いいました。としは、23さいでした。かれは、ぶけの、しゅっしんで、みぶんは、ぶしでしたが、「じんせいとはなにか?」、「いきるとはなにか?」、などの、もんだいで、もんもんとなやんで、そのこたえを、もとめるために、いえをでて、ぜんこくを、たびしていたのです。``あおやぎかんぱち``は、どこへいっても、じぶんが、かかえている、なやみのこたえを、みつけることはできませんでした。

 そんなひの、ゆうがた、``かんぱちは``、百しょうの、``ごんいち``のいえにたちよりました。「こんばんわ。どなたかいらっしゃいますか。」と、``かんぱち``は、いいました。するとおくのほうから、``ごんいち``が、でてきました。``ごんいち``は「どなたさんかのう。」と、いいました。``かんぱち``は「せっしゃ、``あおやぎかんぱち``と、もうします。じつは、わけあって、たびを、しています。このあたりは、やどやも、なさそうなので、ひとばん、とめていただけないでしょうか。それなりの、やどちんを、おしはらいいたします。」と、いいました。すると``ごんいち``は「それはおこまりでしょう。きょうは、うちにとまっていってください。さあさあ、おあがりください。」と、いいました。``かんぱち``は「ごしゅじんどの、かたじけない。おせわになります。」と、いって、いえにあがりました。そして、きゃくまに、とおされました。``ごんいち``は、にょうぼうの、``おさち``を、すぐによびました。そして、``おさち``に「きょうひとばん、とめることになった、``あおやぎかんぱち``どのじゃ。すぐに、ふろにはいってもらって、そのあと、ばんしゃくするので、よういしてくれ。」と、いいました。``おさち``は「はいわかりました。すぐにごよういします。」と、いって、だいどころのほうへ、いきました。そして、ゆうはんの、したくと、ばんしゃくの、したくをはじめました。

 ``かんぱち``は、ふろにはいり、きゃくまにくると、すでに、ばんしゃくの、よういがしてありました。そしてすぐに、``ごんいち``といっしょに、ばんしゃくをはじめました。さけをのみはじめて、しばらくすると、``かんぱち``は「``ごんいち``どの、このむらにくるとちゅう、ずいどうを、ほってある、やまをみたのですが、あれはなんですか?」と、しつもんしました。``ごんいち``は「あれは、だいぶまえに、むらと、となりのまちと、いっしょに、そうりょくを、あげて、ほったものだよ。しかし、まんなかあたりの、十メートルほどが、どうしてもかたくて、ほれなかったので、そのままになっているんだ。ばくだいなかねと、おおくのひとたちを、とうにゅうしてやった、じぎょう、だったんだが、とちゅうで、ざせつしたしろものだよ。」と、いいました。``かんぱち``は「そうだったのですか。もったいないことをしましたね。もうすこしほれば、かんつうしたのに。」と、いいました。すると``ごんいち``は「あなたさまは、おみうけしたところ、ぶけの、で、とみました。なんで、こんなたびをしているのですか?」と、きいてきました。``かんぱち``は「じつは、いろいろと、なやみがありまして、そのこたえを、みつけるために、たびに、でたのです。」と、いいました。すぐに``ごんいち``は「そうだったのですか。わかいころというのは、いろいろとなやみがあるものですよね。わたしも、わかいころはそうでした。百しょうが、いやで、いやで、なやんだすえに、``いえで``をしてしまいました。いきついたところは、``えど``でした。``えど``で、もんもんとなやみまがら、いろいろなしごとをしながら、くらしていました。そして``いえで``をして3ねんめのころ、ある、だいくのとうりょうと、のみやで、いきとうごうして、いろいろとはなしをしました。そのときとうりょうが、``おまえは、いえもあり、でんばたもあるのに、どうしてこんな``えど``ではたらいているのだ。そういくふう、しながら、かぎょうの百しょうをやってみてはどうだ。おもしろみがでてくるかもしれないぞ``と、なにげなくいった、このひとことで、わたしは、まちがったいきかたをしているのに、きづいたのです。わたしはそのとき、百しょうとしてうまれてきたいみがわかりました。おやとはちがった、百しょうとしてのみちが、あることにきづいたのです。そしてそれからというもの、``こめ``より、``やさい``ちゅうしんにしていくことを、けついし、しにばしょを、ここにきめました。いまはなきおやも、そのことをよろこんでくれました。」と、いいました。これをきいていた``かんぱち``は「そうですか。そんなことがあったのですか。でも``ごんいち``どのは、しあわせですなぁ。しにばしょが、ちゃんときまっていて。せっしゃは、なにをしていいかもわからず、じんせいの、なんたるかもわかりません。あんこくの、なやみのなかにいます。なんともなさけないことです。ひとさまからみれば、ぜいたくななやみに、みえるかもしれませんが、せっしゃにとっては、いきるか、しぬかの、じゅうだいもんだいなのです。なんとか、わかってもらえますか。」と、いいました。すると``ごんいち``は「``かんぱち``どの、わたしはわかりますよ。あなたのくるしみは。わかいころは、じぶんのじんせい、というものを、しんけんにがんがえるものです。わかります。わかります。」と、だいぶ、さけによってきたかんじでいいました。``かんぱち``は「りかいしてもらって、ありがたいです。せっしゃのしんせきでは、あんな、どうらくむすこは、かんどうしてしまえ、とかの、こえがあがっているそうです。」と、いいました。そしてつづけて「``ごんいち``どの、にんげんが、いきるということは、いったいどういうことなのでしょうか。」と、きいてきました。``ごんいち``は「なかなか、むずかしいもんだいだ。しいていえば、しぬことを、みつけること、ではないだろうか。」と、てつがくてきな、こたえを、いいました。``かんぱち``は「``ごんいち``どのは、なかなかの、くろうにんですね。いきるとは、しぬことを、みつけることとは、なかなか、いえることではないですね。もうすこし、せつめいしてくれますか?」と、いいました。すると、``ごんいち``は「にんげん、というものは、かならずしぬんだ、ということがわかれば、どういきるか、ということが、みえてくることだ、という、いみなんだ。あと、すう十ねんもすれば、このよのなかに、いきているひとたちは、まちがいなく、みんなしんでしまうはずだ。そうだろう、``かんぱち``どの。あなたのおやや、もんくを、いっているしんせきのものも、みんな、このよから、きえていなくなるのだ。」と、いいました。``かんぱち``は「それはそうです。みんな、このよから、きえていなくなります。のこるのは、そのひとの、おはか、だけです。なかには、はかさえ、のこらないものもいます。なんだか、むなしいですね。」と、いいました。``ごんいち``は、すぐに「そうなんだよ、``かんぱち``どの。いいところにきづいた。じんせいは、むなしいものなんだよ。だから、じんせいのいみを、もとめて、いっしょうけんめい、いきなければならないのだよ。いきるためには、いきるいみが、わからなければ、ならないのだよ。じぶんが、しぬことがわかれば、このいきているじかん、というものが、いかに、だいじなものかが、わかるようになる。」と、じんせいの、せんぱいらしく、いいました。そして``かんぱち``に「まあまあ、きょうは、ぶれいこうだ。おおいに、のもうじゃないか。」と、いって、``かんぱち``に、さけをそそぎました。``かんぱち``は、ちちおやにも、きいたこともなかった、``ごんいち``の、しせいかんに、なにか、かいがん、させられた、かんじをもちました。そして、そんなおもいをもちながら、``ごんいち``の、そそぐさけを、ぐいぐいのみました。そして、しらないうちに、たびの、つかれもてつだって、ねて、しまいました。

 よくじつ、めを、さました``かんぱち``は、すでに、あさごはんが、よういされていることに、びっくりしました。``ごんいち``は「おはよう。ゆっくりされましたか。だいぶおつかれだったようだ。さあさあ、かおをあらってきたら、すぐにたべてください。たいした、りょうりではありませんが、はらいっぱいたべてください。」と、``かんぱち``に、いいました。``かんぱち``は「``ごんいち``どの、かたじけない。」と、いって、かおあらいばに、いきました。そして、もどってきて、あさごはんを、いただきました。そして、``かんぱち``は「``ごんいち``どの、きょうはまず、あのやまの、ずいどうに、いってみようとおもっています。きのうの、``ごんいち``どのの、おはなしをきいて、かんじるものがありました。」と、いいました。``ごんいち``は「それは、あなたのじゆうです。しかし、もうなんねんも、だれもなかに、はいっていないので、ちゅういしてください。なかはくらいので、わたしがろうそくを、さしあげますから、これであかりをつけていってください。」と、しんせつに、いってくれたのです。``かんぱち``は「ありがとうございます。ところで、しゅくはくだいは、おいくらですか。」と、いいました。``ごんいち``は「これもなにかのごえんです。しゅくはくだいは、いただきません。」と、いいました。``かんぱち``は「それでは、せっしゃのきがすみません。」と、いいました。``ごんいち``は「``かんぱち``どの、そんなことより、おかねをたいせつにしてください。このよのなか、なにがおこるかわかりません。わたしのところは、ほんとうにいいのです。」と、いいました。``かんぱち``は「それでは、おことばにあまえます。かたじけない。」と、いって、やまのほうへ、あるいていきました。

 やまのむらのほうの、ずいどうの、いりぐちにきた``かんぱち``は、そのなかに、ろうそくをつけてはいっていきました。そして、かたい、がんせきのところまで、いってみました。むらのひとたちが、たがねで、ちょうせんしたあとが、のこっていました。``かんぱち``は、そこを、てで、さわってみました。ほんとうに、かたいがんせきだったのです。そして、むらのひとたちと、まちのひとたちの、むねんさが、ひしひしと、つたわってきました。しばらく、このずいどうのなかで、こしをおろして、かんがえごとをしていた、``かんぱち``は、なにをおもいたったのか、きゅうにたちあがって、ずいどうから、でていきました。そして、また``ごんいち``の、いえのほうへと、もどっていきました。

 ``ごんいち``の、いえについた、``かんぱち``は、かいこういちばん、「``ごんいち``どの、せっしゃは、あのやまの、ずいどうを、ほることにきめた。きょうから、あなたのいえの、なやに、ねとまり、させてくれませんか。」と、いきなり、``ごんいち``に、いってきたのです。``ごんいち``は、びっくりして「``かんぱち``どの、きでも、くるったのですか。あのずいどうは、どんなことをしても、びくともしなかったのですよ。おおぜいのひとが、それをじっしょうしています。そんな、ずいどうを、あなたひとりで、ほれるものではありません。みんなでやっても、できなかったことを、かんがえずに、たびを、してください。」と、いいました。すると``かんぱち``は「``ごんいち``どの、だれもできなかったので、やってみよう、というきもちになりました。せっしゃは、だれもできなかった、この、ずいどうを、ほることに、いっしょうを、かけてみようとおもったのです。ひとが、やっても、できなかったことに、ちょうせんしたくなりました。きのう、あなたからきいた、しせいかんで、この、ずいどうを、みて、かいがん、しました。」と、いいました。``ごんいち``は「いちにち、はたらいても、一せんにも、なりませんよ。ましてや、だれもきょうりょくもしないし、そんな、じょうけんのわるいなかで、できっこありませんよ。あきらめるならいまですよ。」と、いいました。``かんぱち``は「いやぁ、てんが、このちに、せっしゃを、まねいて、あなたと、ひきあわせてくれたに、ちがいありません。せっしゃは、だれがなんといおうと、きめました。やってみます。じつは、ここに、15りょうほどあります。これがいまの、せっしゃの、ぜんざいさんです。これを``ごんいち``どのに、さしあげますので、とうぶんのあいだ、なやに、ねとまり、させてください。」と、いいました。``ごんいち``は「そんなに、けっしんが、かたいならば、やってみなさい。わたしは、もうなにもいいません。ただ、なやに、とまるのに、おかねはいりません。いまあなたがもっている、15りょうで、いろいろと、ずいどうを、ほるどうぐを、かってください。どうぐが、なければ、ずいどうは、ほれないのです。そして、なやに、ねとまり、するだけでは、ながいあいだ、さぎょうはできません。にんげん、たべなければ、しんでしまいます。うちは、にょうぼうのほかに、むすめがひとりいるだけで、はたけもあり、しょくりょうは、じきゅうじそくですから、しょくりょうの、えんじょもできます。」と、いいました。これをきいた``かんぱち``は「いやいや、そういってもらうと、たすかります。きょうからおせわになります。」と、いいました。

 ``ごんいち``は、このことを、にょうぼうの、``おさち``と、むすめの、``おせつ``に、はなしました。これをきいた、``おさち``と、``おせつ``は「``かんぱち``さんは、かわったひとだ。だれもが、あきらめていることを、ひとりでやろうとしている。まあ、そのきもちだけは、たいしたものなので、できるかぎり、きょうりょくしてやろう。」と、いう、きもちになりました。``かんぱち``は、すぐに、やまの、ずいどうのちょうさに、ちゃくしゅしました。そして、たがねなどの、ずいどうを、ほる、どうぐの、てはいも、となりまちの、かなものやに、てはいしました。そして、どうぐが、とどいてからというもの、まいにちまいにち、やまのずいどうに、はいって、ろうそくの、ひをたよりに、かなづちで、たがねを、たたいては、ずいどうを、ほっていました。しかし、がんせきはかたく、とうてい、はが、たちませんでした。なん百ほんも、たがねを、むだにした、``かんぱち``は、こころのなかで、「こんなじょうたいを、くりかえしていても、なにも、まえにすすむことはできない。なにか、とべつなくふうを、しなければならない。」と、おもうようになりました。そして、いろいろ、けんきゅうしたけっか、とくべつにおおきな、じょうぶな、たがねを、かじやにちゅうもんしました。そのたがねは、やまのずいどうの、いちばんうえに、なわでぶらさげて、ふりこのように、いきおいをつけて、がんせきを、くだいていくものでした。たがねじたいは、おおきくじょうぶなので、いきおいがつくと、そうとうのちからが、がんせきにくわわりました。まえには、びくともしなかった、がんせきが、すこし、くだけるようになりました。``かんぱち``は、てごたえを、かんじることができました。このやまの、ずいどうを、ほってから、すでに、3ねんの、つきひが、ながれていました。

そんなようすをみていた``ごんいち``は「なかなか、あきらめないな。きょうは、どれだけすすんでいるか、みにいってみよう。」と、``おさち``と、``おせつ``に、いいました。ふたりも、どうい、したので、3にんで、``かんぱち``が、さぎょうしている、やまのずいどうに、いきました。やまのずいどうは、いまでいう、10センチは、すすんでいました。それをみた、``ごんいち``は、あんなに、おおぜいのひとが、いろいろやっても、びくともしなかった、このずいどうが、すこしは、くだけて、すすんでいるのをみて、びっくりしました。そして、``かんぱち``に「しかし、ようがんばったのう。びくともしなかった、ずいどうが、すこしは、まえにすすんでいる。いやぁ、たまげた。たいしたものだ。」と、いいました。``かんぱち``は「まだまだです。しょうぶはこれからです。なんとか、一しょうかければ、このずいどうは、かんつうします。」と、いいました。そして、``ごんいち``は、そのとき、``かんぱち``の、こんじょうが、ほんものだと、こころからおもいました。そんなことを、おもっている、そのとき、``かんぱち``は「``ごんいち``どの、せっしゃは、このやまの、ずいどうを、ほって、しにます。とうとう、しにばしょを、みつけました。こんなしあわせはありません。これも、あなたのおかげです。あなたのいえで、さいしょに、とめていただいたとき、あなたが、せっしゃに、しせいかんを、はなしてくれていなかったら、きっと、一しょう、たびを、つづけて、むなしくじんせいを、おわるところでした。いまは、つらいですが、はっきりとした、もくひょうが、あります。しにばしょが、あります。」と、きっぱりといいました。これには、``ごんいち``も、びっくりしました。すかさず、``ごんいち``は「きょうは、さぎょうがおわったら、うちで、ゆうはんを、たべてください。みんなでまっていますから。」と、``かんぱち``に、いいました。``かんぱち``は「はい、わかりました。」と、いって、ふたたび、もくもくと、さぎょうをつづけました。

 ゆうがたになり、``かんぱち``が、さぎょうからもどってきました。そして、ゆうはんを、やくそくどおり、みんなでたべました。たべおわって``ごんいち``が「じつはなぁ、``かんぱち``どの、うちに、ようしとして、はいってくれないか。うちのむすめの、むこさんにならないか。」と、いってきたのです。``かんぱち``も、とつぜん、こんなことをいわれたので、びっくりしました。そして「``おせつ``さんには、このはなしは、してあるのですか。」と、``ごんいち``に、いいました。すると、``ごんいち``は「してある。あなたがいいといえば、なにも、もんくは、ないそうだ。」と、いいました。そして、となりのなやの、ねどこへと、むかいました。なやに、かえってきた、``かんぱち``は、かんがえました。そしてどっちみち、このやまの、ずいどうのなかを、しにばしょと、きめたこともあり、``ごんいち``の、はなしを、うけることにしました。そしてよくじつ、そのむねを、 ``ごんいち``に、はなしました。

 そんなはなしが、きまってまもなく、``ごんいち``の、いえで、けっこんしきがありました。はれて``かんぱち``と、``おせつ``は、ふうふとなりました。そして、``かんぱち``は、なやではなく、``ごんいち``の、いえに、ねとまりが、できるようになりました。``ごんいち``は、それからというもの、``かんぱち``は、ぶっしん、りょうめんの、えんじょを、してくれました。そして、ますます、やまの、ずいどうを、ほることに、しゅうちゅうできるようになりました。けっこんしてから、2ねんごに、おとこのこがうまれました。なまえは、``一たろうた``と、なづけました。こどもがうまれても、``かんぱち``は、やまの、ずいどうを、ほりつづけました。10メートルの、はんぶんに、とうたつしたとき、``かんぱち``は、50さい、になっていました。そのときすでに、``ごんいち``と、``おさち``は、あのよに、いっていました。

 そして、あと、はんぶん、いきているあいだに、ほれるかどうか、ふあんがよぎりました。しかし、``かんぱち``は、そんなふあんを、もろともせずに、もくもくと、ほりつづけました。そしてとうとう、このやまの、ずいどうを、かんつうさせてしまったのです。このやまの、ずいどうは、だいはちぐるまも、つうこうでき、すれちがいも、できるものでした。ちいきけいざいに、あたえる、おんけいは、はかりしれないものがありました。すでに、そのとき、``かんぱち``は、76さいに、なっていました。百しょうは、せがれの、``一たろうた``が、ついで、やっていました。にょうぼうの、``おせつ``は、72さいに、なっていました。このやまの、ずいどうが、かんつうしたことは、きんりんの、まちや、むらに、しれわたり、``かんぱち``の、いぎょうは、ぜっさんをあびました。そしてとうとう、とのさまにもしられ、かんぱちは、千りょうのおかねを、ごほうびとしてもらいました。しかし、``かんぱち``の、からだは、なん十ねんもの、ずいどうほりで、ぼろほろに、なっていました。そして、とうとう、やまのずいどうほりが、おわったとしに、あのよに、いかなければならなくなりました。ここに、``かんぱち``の、76ねんかんの、じんせいが、おわったのでした。

 しんでから、``かんぱち``が、つけていた、にっきが、はっけんされました。その、にっきのさいごに「わたしは、しぬばしょを、みつけることができて、しあわせでした。これも、``ごんいち``どの、の、おかげと、かんしゃしています。わかきころ、もんもんと、なやんでいたことは、むだではありませんでした。いきるとは、しぬことを、みつけることなり。しぬことが、わかることは、いきることが、わかることなり。じんせいとは、もくひょうに、むかって、ひび、どりょくすることなり。ひとのしあわせは、しぬばしょを、みつけることなり。これすべて、たっせいするには、``ふとうふくつ``(※)の、せいしんが、ひつようなり。とうとう、このきょうちに、たっするなり。さいごに、とのさまからの、ごほうびの、千りょうは、むらの、さんぎょうしんこうの、ききんとして、むらに、ぜんがく、きふするなり。」と、かいてありました。    おしまい

あなたは、じんせいの、もくひょう、しにばしょ(ほねをうめるところ)を、すでにみつけましたか?


※じるしの「ふとうふくつ」のいみ・・・こんなんに、まけない、こんなんに、くじけないこと

No16. スペースシップ「ギャラクスィトレーン」 (うちゅうせん「ぎんがれっしゃ」)

 むかしむかし、そのまたむかし、にんげんの、よくぼうのこころが、めばえはじめたころ、ちきゅうより、9000おくちょうこうねん、はなれている、``しんかい``では、だい7うちゅう(われわれがすんでいる、うちゅう)の、すべての「ぎんが」を、かくえき、ていしゃする、スペースシップ「ギャラクスィトレーン」の、けんぞうが、きゅうピッチですすめられていました。これは``せいれいとう``が、ちゅうしんとなって、すすめられているじぎょうでありました。``しんかい``では、うちゅうくうかんを、いどうする、しゅだん、としては、SSUIM(しんかい、しゅんかん、うちゅう、いどうマシーン)しかなかったのです。これは、ひとりしかのることができませんでした。これでは、たいりょうに、かみがみを、うちゅうに、はこぶことはできませんでした。そこで``せいれいとう``は、たいりょうにはこべる、スペースシップ「ギャラクスィトレーン」の、けんぞうに、ちゃくしゅしたのです。この「ギャラクスィトレーン」に``せいれいとう``の「ぜんのこころ」をひろめる、とういんの``でんどうし``を、のせて、だい7うちゅう、ぜんたいに「ぜんのこころ」を、ひろめたい、というためでありました。そして、もうひとつじゅうようなしごとは、だい7うちゅうで、しんだ、すべてのいきものの「れい」を、``しんかい``の、``てんのくに``の「レイカンリセンター」へ、はこんでくることでした。こんな、もくてきをもって、けんぞうされている、スペースシップ「ギャラクスィトレーン」の、さいだいの、もんだいてんは、スピードをどれくらいにするか、ということでした。 SSUIM(しんかい、しゅんかん、うちゅう、いどうマシーン)は、しゅんかんに、いどう、できますが、しゅんかんにしたばあい、「ぎんが」と「ぎんが」のあいだを、りょこう、しているきぶんは、あじわえません。そこでスピードが、もんだいとなったのです。ひかりのはやさは、びょうそく、30まんキロメートルです(1びょうかんで、ちきゅうを、7しゅうはん、できるはやさ)。9000おくちょうこうねん、だと、ひかりのはやさでいったとしても、9000おくちょうねん、かかります。これではとんでもないことになります。そこでかんがえられたのは、``しんかい``と、だい7うちゅうとを、かたみちで、49にち、でいく、はやさでした。このはやさだと、たびの、きぶんが、あじわえるのです。もうひとつの、もんだいてんは、``うんちん``を、いくらにするか、ということでした。いろいろな、いけんがでましたが、けっきょく、六もん(にほんの、えどじだいの、おかねの、たんい)にきまりました。ここに「六もんせん」がたんじょうしたのでした。``しんかい``では、じだいを、さきどりして、つかったのでした。``あまのがわぎんが``の、たいようけいの、ちきゅうの、にんげんかいでは、さまざまな「くに」があったので、それぞれの「くに」のおかねを、六もんに、かんざんして、しはらうこともきまりました。``しんかい``では、にほんの六もん、というのが、「うちゅうつうか」のきほん、だったのです。スピードと、``うんちん``が、きまってからは、スペースシップのけんぞうも、いちだんとはやまりました。そして、とうとうけんぞうから、いちねんで、すべてかんせいしました。
そして、しんかいでは、せいだいに、``かんせいしきてん``が、おこなわれていました。そのせきじょう、``せいれいとう``の、とうしゅである、ウルトラエンゼルそうりしんは、おおくのかみがみのまえで、えんぜつしました。「みなさまのおかげで、やっと、だい7うちゅうに、われわれの、とういんの、``でんどうし``を、おくりこめる、スペースシップであるギャラクスィトレーンが、かんせいしました。われわれ、``せいれいとう``のシェアー(しじょうせんゆうりつ)を、うちゅうぜんたいに、かくだいしていく、ぜっこうのチャンスがやってきたのです。``うちゅう、だいこうかいじだい``のまくあけです。われわれ、とういんの``でんどうし``が、``ぜんのこころ``をひろめないと、うちゅうぜんたいは、あんこくのせかいになってしまいます。``あくれいとう``のデビルサターンとうしゅしんが、シェアーをかくだいしないうちに、せんてをうって、うちゅうに、しんしゅつしていきましょう。そうしないと、さいごに、``かくせんそう``で、すべてなくなってしまうでしょう。こんなことにならならないためにも、なんとしても、ギャラクスィトレーンを、ただしくうんこうしていかなければなりません。そのためには、みなさんの、ごきょうりょくが、ぜひともひつようです。おそらく、デビルサターンとうしゅしんは、あらゆる、しゅだん、をつかって、``あくれいとう``の、とういんを、ギャラクスィトレーンにのせるはずです。われわれは、なんとしても、それだけは、ぜったいに、そし、しなければなりません。そのためには、どんなちいさいことでも、じょうほうを、``せいれいとう``におよせください。そのことが、うちゅうぜんたいの、へいわをたもつ、さいぜんのほうほうです。みなさまの、ごきょうりょくを、さいど、おねがいもうしあげます。」と、えんぜつをしめくくりました。このえんぜつをきいていたデビルサターンとうしゅしんは「ウルトラエンゼルそうりしんは、あんなことをいっているが、われわれは、あらゆる、しゅだん、をつかって、ギャラクスィトレーンにのりこんで、だい7うちゅうに、しんしゅつしてやる。いまにみていろ!!」と、すて、ぜりふ、をのこして、さっていきました。``しんかい``も``ぜん``と``あく``の、そうぜつなたたかいが、はじまろうとしていました。
``かんせいしきてん``もようやくおわり、きねんすべきスペースシップ「ギャラクスィトレーン」の、だい1ごうが、おおくの``せいれいとう``の、とういんをのせて、だい7うちゅうへと、しゅっぱつしようとしていました。「あまのがわぎんが」の、たいようけいの、ちきゅうにも、おおくのとういんが、おくりこまれることになっています。そして、はやくも``あくれいとう``の、デビルサターンとうしゅしんの、いきのかかった、とういんが、``せいれいとう``の、とういんにばけて、スペースシップ「ギャラクスィトレーン」に、のりこみました。``せいれいとう``は、これにはまったくきづかず、わからなかったのです。そして、そんなじょうたいで、ギャラクスィトレーンは、しゅっぱつしていきました。かえりの、にもつは、だい7うちゅうの、すべてのいきものの「れい」でした。もちろん、ちきゅうの、にんげんの「れい」も、はこんで、かえるよていです。この、にんげんの「れい」は、レイカンリセンターの「にんげんか」に、かんりされる、よていになっています。ここでは「えいえんのいのち」を、えた「れい」が、さいしゅうてきにいく、あんじゅうのところ?でもありました。
みなさん、じつは、このしんかいのスペースシップ「ギャラクスィトレーン」が、ちきゅうで、わだいになっているUFO(Unidentified ?Flying ?Object)ゆぅーほぉー、すなわち、「みかくにん、ひこうぶったい」の、しょうたいだったのです。

あなたは、このことをしんじますか? それともしんじませんか? それは、あなたの、じゆうです。      おしまい

No18. うしの「ぎゅうたろうのいっしょう」

むかしむかし、ある、ひゃくしょうのいえに、かわいい、うしのあかちゃんがうまれたと。そこのしゅじんは、このうまれたうしのあかちゃんのなまえを「ぎゅうたろう」とつけたと。ところが、このひゃくしょうのいえは、びんぼうだったので、すぐにこの「ぎゅうたろう」をうったと。うりとばされた、ぎゅうたろうは、あたらしいひゃくしょうのいえにおちついたと。そして、だんだんとせいちょうして、りっぱなうしになったと。

 ところが、そこのしゅじんは、うしづかいがあらいにんげんだったと。ぎゅうたろうが、はたらけるうしになったとたん、それは、それは、きついしごとをさせたと。たんぼのつちおこしや、しろかきを、やすまずにさせられたと。さいしょのころは、ぎゅうたろうもがんばったと。「なにくそ!!」と、おもってがんばったと。ところがこのしゅじんは、こんなにがんばったぎゅうたろうに、まんぞくにおいしいたべものをあたえなかったと。じぶんは、しろいごはんをはらいっぱいたべていたと。ぎゅうたろうは「くそっ!! おれがこんなにがんばっているのに、まんぞくなたべものもくれずに!!」と、こころにおもったと。うしごやの、かいばおけのなかは、いつもひんじゃくな、えいようのない、そまつなたべものばかりだったと。このしゅじんは、うしをちくしょうとしかかんがえていなかったと。

 あるとしのはるに、たんぼのつちおこしがはじまったと。ところがぎゅうたろうは、つかうだけつかわれて、まんぞくにたべものもあたえられなかったものだから、まったく、ちからがでなかったと。これをみていたしゅじんは「このやくたたずのばかうしが!! はたらけ、はたらけ!! はたらきがわるいとくってしまうぞ!!」と、いったと。それをきいたぎゅうたろうは「ころせるものならころせ!! しんだほうがまだましだ!! おまえばっかりうまいものくって、おれにはたいしたものもくれねぇで!!」と、こころにおもったと。そしてまいにち「なんでおれは、うしにうまれたのだ。うしにうまれなければ、いまこんなにくるしまなくてもいいのに」と、おもっていたと。ぎゅうたろうは、こんなことがつづいたせいで、とうとう、みもこころも、まいってしまったと。

 こんなぎゅうたろうを、そこのしゅじんは「こんなやくたたずのうしは、うりとばすしかねぇ!!」と、おもったと。ぎゅうたろうは、まんぞくにたべていなかったせいで、やせていたと。そのために、やすくうりとばされたと。うられたぎゅうたろうのおちつきさきは、また、ひゃくしょうのいえだったと。ぎゅうたろうは「またひゃくしょうのいえか。こきつかわれるにちがいない。かくごしておいたほうがいいかもしれない」と、こころにおもったと。そんなことをおもっていたあるひ、うしごやに、あたらしいしゅじんがやってきたと。そこのしゅじんのなまえは「ぶんきち」と、いったと。ぶんきちは、ぎゅうたろうをみて「おまえは、たしか、ぎゅうたろうというなまえのうしだそうだなぁ。こんなにやせてしまって。ろくにたべさせてもらえなかったんだなぁ。かわいそうに」と、ぎゅうたろうにいったと。それをきいたぎゅうたろうは、じぶんのみみをうたがったと。ぎゅうたろうは、はじめてにんげんから、やさしいことばをかけてもらったと。ぶんきちはさいしょ、このぎゅうたろうをはたらかせないで、じゅうにぶんな、えいようと、きゅうそくをあたえて、げんきなうしにしようとおもったと。そして、ぎゅうたろうにせっするごとに「ぎゅうたろう、うまいものをいっぱいたべて、ちからをつけるんだぞ。そしてしっかりやすんで、たいりょくをかいふくするんだぞ」と、ことばをかけていたと。それをきいていたぎゅうたろうは「にんげんにも、こんなにんげんも、いるんだ」と、おもって、ときどきなみだをながしていたと。ぶんきちは、ぎゅうたろうにことばをかけてやると、ぎゅうたろうが「もぉー!! もぉー!!」となみだをながして、ないてよろこんでいるのをみて「おれのところにきたいじょう、もうだいじょうぶだ!!」と、ことばをかけていたと。そのことばをきくたびにぎゅうたろうは「よし!! こんどげんきになったらはたらくぞ。そしてぶんきちさんに、おんをかえすぞ!!」と、おもったと。

 だんだんと、ぎゅうたろうは、げんきになり、からだにきんにくもついてきたと。それをみたぶんきちは「そろそろ、はたらかせてもいいかな」と、こころにおもったと。そして、そのとしのたんぼのつちおこしに、ぎゅうたろうをつかったと。ぎゅうたろうが、あまりにもがんばるものだから、ぶんきちは「ぎゅうたろう、そんなにがんばらなくてもいいぞ。さいしょは、からだをならすんだ」と、いったと。それをきいたぎゅうたろうは、しぜんとなみだがでてきたと。そしてしばらくして、いっぷくすることにしたと。ぎゅうたろうは、はじめてたんぼしごとにいっぷくがあることをしったと。まえのしゅじんは、いっぷくもさせないで、はたらかせていたと。

 しばらくすると、ぎゅうたろうは、しょうべんがしたくなり、おもいきって、じゃー、じゃーと、しょうべんをしたと。するとそのしょうべんが、たいようのひかりにはんしゃして、キラキラ、キラキラ、とほうせきのようにかがやいたと。それをみていたぶんきちは「ぎゅうたろうは、なんてきれいなしょうべんをするんだ。うまれてはじめてこんなきれいなしょうべんをみさせてもらった。ぎゅうたろうよ、こんなきれいなものをみせてくれてありがとう」と、いったと。これをきいていたぎゅうたろうは、まえのしゅじんのことと、いつもおもっていたことをおもいだしたものだから、いっきになみだがでてきたと。それというのも、まえのしゅじんは、しょうべんをすると「こんなところにきたないしょうべんをして!! ちくしょうは、ちくしょうだなぁ、まったく!!」といって、おこっていたことと、そんなことをいわれるたびに「おまえだって、どこにでもしょうべんをするくせに!!」と、こころのなかで、いつもさけんでいたことを、おもいだしたせいだと。そんなことをおもいだしながら、ぎゅうたろうは「おなじにんげんなのに、このさは、いったいなんだ?」と、おもったと。

 ぶんきちは、ぎゅうたろうが、がんばろうとすると「ぎゅうたろう、おさえて、おさえて。そんなにがんばったんでは、じゅみょうがちぢまるぞ」と、いつもいっていたと。また、ぎゅうたろうが、びょうきになれば、ちゃんといしゃにみせて、ちりょうしてやったと。ぶんきちは「うしは、ひゃくしょうのたからだ。うしがあってのひゃくしょうだ」と、いつもまわりのむらびとにいっていたと。そんなぶんきちにかわいがられていたぎゅうたろうも、なんねんかのちに、とうとうさいごのときがやってきたと。ぶんきちは、ぎゅうたろうがしんだあとも、そのなきがらを、にんげんとおなじく、ちゃんとほうむってやったとさ。       おしまい

No19. 1かいしっぱいして、しんだおとこと、100かいしっぱいして、
101かいめに、せいこうしたおとこ

 むかし、むかし、ヨーロッパの、あるくにのまちに、ヨワキとツヨキという、ふたりのせいねんが、すんでいました。ふたりは、おさななじみで、ちいさいときから、なかよくしていました。ふたりのちがいといえば、ヨワキのかていは、かみさまをしんじない、むしんこうのいえでした。しかし、ヨワキのいえは、おおがねもちでした。ツヨキのかていは、かみさまをしんじている、しんじんぶかい、かていでした。しかし、ツヨキのいえは、ヨワキのいえとはちがい、まちでもひょうばんの、びんぼうでした。ふたりはだいたい、のうりょくは、おなじくらいでした。
そんなふたりが、あるひ、「いざかや」へいきました。ふたりともほどよくよいがまわってきたころ、ヨワキが「ツヨキちゃん、おれたちもいいとしになった。そろそろ、しょうらいのこともかんがえないとならないなぁ。なにか、しょうばいでもはじめないかぁ?」と、いったのです。するとツヨキが「そうだなぁ、なにかやらないとならないなぁ。しかし、ぼくにはかねもないし、いまのところ、しょうばいのアイデアもない。かんがえてみたら、なにもないよ。ぼくのいえはびんぼうだし、だれもおかねをかしてくれるひともいないし。こんな、ないないづくしでは、なにもできない。」と、いいました。するとヨワキが「おまえは、なまえはツヨキだが、こころは、よわきだなぁ。すこしがっかりしたよ。」と、いいました。するとすかさずツヨキが「そんなこといったって、おまえはぼくとちがって、なんでもあるじゃぁないか。そのきになれば、おやがおかねをだしてくれる。ぼくのいえは、そうは、いかない。ぼくのいえは、かぞくみんなで、かみさまをしんこうしているので、一しゅうかんに一かい、にちよぅびに、きょうかいへいって、おいのりをささげるだけが、ゆいつの、たのしみになっているだけだ。あとはなんのたのしみもないよ。そんないえなのに、なにができるというんだ。なにもできないよ。」と、いいました。するとヨワキが「おれのおやじなんか、``かみさまをしんじているやつは、びんぼうにんがおおいのだ。このよは、かねがすべてだ。よくもまぁ、めに、みえないかみさまを、ほんきでしんじられるものだ。すこしあたまが、おかしいのではないか?`` などと、いっていたよ。おれもちいさいときから、そんなことばかりいいきかせられてきたので、おかねがすべてだ、とおもっている。はっきりいって、ツヨキちゃんが、まいしゅうきょうかいにいって、けんきんしているおかねをためれば、ねんかんに、かなりの、きんがくに、なるとおもうよ。」と、いったのです。ツヨキはこのことをきいて「ヨワキちゃんは、そんなことをかんがえていたのか。がっかりしたよ。うちのおやじは ``にんげんのしあわせは、こころのもちかたできまるものだ。おかねや、ざいさんではないぞ。たしかに、おかねはたいせつなもので、せいかつしていくためにはなくてはならないものだ。しかし、あまりにもおかねにしゅうちゃくすると、とんでもないことにそうぐうするばあいもあるのだ。そして、すべての、ざいさんを、うしなう、ということもあるよ。にんげん、じぶんのくいぶちをかせげば十ぶんだ。それいじょぅはいらないぞ。おかねや、ざいさんが、すべてだ、というひとは、おかねや、ざいさんがなくなったとき、しぬしかないんだよ。それいがいの、いきていくすべをしらないからねぇ。かみさまというのは、にんげんが、いきづまったとき、いきるみちを、しぜんとおしえてくれるありがたいものだよ`` と、いつもいいきかせられていたよ。だからぼくはそのことをしんじているよ。」と、いいました。するとヨワキは「ツヨキは、ばかじゃないか。やっぱりかねだよ。かねがすべてさぁ。」と、いって、ツヨキをばかにしました。ツヨキとヨワキは、おさななじみ、ではありましたが、かていかんきょうは、まったくちがったものでした。そのため、ふたりのかんがえは、まったくちがっていました。
そんなことをやりとりしているうちに、すっかりよいもまわり、ふたりともかえろうとしたとき、ヨワキが「ツヨキちゃん、どうだろう、このよは、おかねか、かみさまか、どっちをしんじれば、しょうばいがせいこうするか、ふたりできょうそうしてみないか。」と、いったのです。それにはツヨキもびっくりして「ヨワキちゃん、そんなばかなことはしないほうがいいよ。ろくなことにならないよ。このよのなかは、りょうほうたいせつだとおもうよ。りょうほうのバランスかんかくが、だいじじゃぁないのかなぁ。どっちがたいせつだとは、いちがいに、いえないとおもうのだが?・・・。」と、すこし、じしんなさそうにいいました。するとヨワキは「そんな、じしんのないことではだめだなぁ。ぜったい、おかねがすべてだとおもうよ。なんだかおもしろくなってきたなぁ。どうだろう、うちのおやじがいっていることがほんとうか、それとも、おまえのおやじがいっていることがほんとうか、ためしてみようじないか。」と、いったのです。ツヨキはこのことをきいて、こころのなかで「ぼくはちいさいときから、おやじにさんざん、かみさまのことをいいきかされてきた。ヨワキちゃんのおやじさんのいっていることも、なんとなくわかるようなきもする。このへんで、うちのおやじが、いってきたことが、ただしいかどうか、ためすチャンスかもしれない。」と、おもったのです。そして「よっし。やってみよう。」と、おもわずくちにしてしまったのです。ヨワキはこれをきいて「おもしろくなりそうだ。じゃあ、さっそく、あしたからじゅんびにかかろう!」と、いったのです。ヨワキはこころのなかで「おれがかつにきまっている。あんなびんぼうにんのツヨキになにができる。ツヨキもいがいと、ばかだなぁ。」と、おもったのです。そんなことをやくそくしたふたりは「いざかや」をでて、おたがいのいえにかえっていきました。
そんなことで、きょうそうするはめになったヨワキは、いえにかえってからかぞくには、そんなことは、くちがさけてもいえませんでした。しかし、ヨワキはいえにかえってからすぐにおやじに「このよは、おかねがすべてか、かみさまがすべてなのか、いままでおやじがいっていることがほんとうか、それともツヨキのおやじさんがいっていることがほんとうか、しょうばいで、きょうそうをしてためすことになった。」と、ほうこくしました。それをきいたヨワキのおやじは「しょうぶはきまったとおなじだ。おまえがかつにきまっている。おかねならいくらでもおれがだしてやる。かみさまだけで、なにができる。そんなことをしんじているやつは、あまいにんげんだ。せいこうすねはずがない。」と、いったのです。それをきいたヨワキは「おやじもちからになってくれる。このしょうぶはおれのかちだなぁ。」と、まだ、なにもはじまっていないのにきめつけてしまったのです。そしてかねのちからで、いいみせをつくり、さっそく、しょうばいをはじめました。
それとははんたいにツヨキは、まいにちまいにち、なにをはじめたらいいかわからず、ただただ、かみさまにいのるだけでした。ときどき、ツヨキのおやじが「まいにち、まいにち、いのっているようだが、なにをいのっているのだ。」と、きいてきましたが、ツヨキは「おやじが、ながいきできるように、かみさまにいのっているだけだよ。」と、いって、おやじのしつもんをかわしていました。そんなことをしているあいだに、ヨワキのみせは、どんどんはんじょうしていきました。そんなヨワキのみせのひょうばんをきくたびに、ツヨキはあせってきました。しかし、どんなにあせっても、いいかんがえは、うかんできませんでした。ヨワキのほうは、かねのちからで、じぎょうをかくだいしていきました。となりまちにも、みせをつくることになりました。じゅんちょうにのびていっていました。
そんなことがつづいていたあるひ、ツヨキは、このままでは、はいぼくは、まちがいないとかんじたので、おもいきって、おやじにそうだんしたのです。これをきいたツヨキのおやじは「そうだったのか。そんなことをきょうそうしていたのか。うちはおかねがないから、はでにしょうばいすることはできない。しかし、しほんをかけずに、ひとさまのためになることはできないわけではない。」と、いってくれたのです。ツヨキは「おやじ、いったいなにができるのですか?」と、きいてきました。するとツヨキのおやじは「まいしゅう、にちよぅびに、パンやからパンをしいれて、まちのきょうかいにきているひとにうってはどうだ。」と、いったのです。ツヨキは「それならば、そんなにおかねはかからないから、できるかもしれない。さっそく、パンやにいって、パンをおろしてくれるかきいてくるよ。もし、おろしてくれる、ということであれば、きょうかいにもいって、しんぷさんからも、きょかをもらってくるよ。」と、いってでかけていきました。
しばらくすると、ツヨキがいえにもどってきました。そしておやじに「パンやさんが、おろしてくれるそうです。しんぷさんも、いいといってくれました。さっそく、こんどのにちよぅびから、きょうかいにいって、うることにします。」と、げんきよくいいました。おやじは「それはよかった。おまえのたくわえでやれるしょうばいだ。やってみなさい。」と、いってくれたのです。そんなには、もうからないしょうばいでしたが、しばらくつづきました。しかし、パンもみんなはあきてきて、だんだんとうれなくなってきたのです。ツヨキは「これではこのしょうばいもさきぼそりだなぁ。また、かみさまにいのって、なにをはじめたらいいのかきいてみよう。」と、いって、パンうりのしょうばいを、やめてしまいました。また、まえの、いのりのせいかつにもどったのです。パンうりのしょうばいは、じぶんのたくわえで、やったしょうばいでしたので、そんしつは、ほとんどありませんでした。いっぽう、ヨワキのほうは、おやじのかねで、どんどん、しょうばい、をかくだいしていき、そのくにのしゅようなまちまちに、おみせをつくるまでになっていました。ヨワキとヨワキのおやじは「ざまぁみろ。かみさまでせいこうするはずがない。かねのちからにはかなわないのだ。あのツヨキはやっぱりばかなおとこだよ。」と、おさななじみ、にもかかわらず、とうとうツヨキを、はなでわらって、ばかにするようになりました。ツヨキのほうは、そんなふうに、ばかにされているのはわかっていたのですが、きにもせず、ただ、かみさまに、おいのりをささげていました。せけんも、だんだんとこのふたりが「かねのちからか、かみさまのちからか」を、ためして、きょうそうしていることにきづいてきました。せけんも、ヨワキとおなじく、ほとんどツヨキに、かちめはない、とおもっていました。せけんも、やっぱり、このよはかねだ、というひとがほとんどでした。しかし、わずかながら、さいごはかねのちからではない、とかんがえるひともいました。しかし、たいせいは、やっぱりかねのちからをしんじていました。
そうこうしているうちに3ねんが、たってしまいました。ツヨキは「かみさまは、きっとぼくになにかをさせるために、いま、くるしみをあたえているのだ。これもかみさまのごじひにちがいない。ここはふんばりどころだ。」と、プラスしこうでせいかつしていました。ヨワキのほうはますますはんじょうして、となりのくにのまちにもみせをだすことにせいこうしていました。
そんなあるひに、ツヨキのみみにかみさまのこえがきこえました。「ツヨキよ、あせってはならない。おまえにはわたしがついている。しんぱいすることはなにもない。いまのままで、ただ、わたしにいのりをささげてくれていればいい。」という、ないようでした。ツヨキはびっくりしたのですが、このこえをしんじることにしました。そしてそのことをヨワキにはなしました。そうするとヨワキは「まだ、そんなことをいっているのか。おまえは、よほどのおひとよしだなぁ。かみさまなんかいるはずがない。どこにいるのだ。いたら、いるところをおしえてくれ。」と、いいました。ツヨキはすぐに「かみさまは、ぼくのこころのなかにすんでいるのだ。だからおまえにはみえないのさぁ。」と、いいました。するとヨワキは「ワッハァハァ・・・・こころのなかにすんでいる? そんなばかなことがあるか!! こころのどのあたりにすんでいるんだい。ツヨキちゃん、このしょうぶはおれのかちだなぁ。おれのおやじがいっていたことがただしいと、しょうめいされたとおなじだよ。」と、こえたからかにわらって、さもじぶんがかったようなことをいって、ますます、ツヨキをばかにしました。そんなわらいをききながらツヨキは「まだ、しょうぶはついたわけではないし、きっといまに、わかるときがくるにちがいない。おまえも、おまえのおやじも、かみさまを、はなでわらっていると、いまにとんでもないことがおきるようなきがしてならないよ。ましてや、いまのよのなか、なにがおきるかわからない、じだいだよ、きをつけたほうがいいぞ。」と、いいました。するとヨワキは「とんでもないことがおきる? なにがおきるかわからない? こんなにみせのかずもおおくなって、もうかっているのに、そんなことがおきるわけがないだろう。ほんとうにおまえはばかだなぁ。ワッハァハァ・・・。」と、またわらってばかにしました。ツヨキは、かねだけを、しんじているにんげんに、なにをいってもわからないとおもって、さっさといえへかえりました。
いえにかえったツヨキはこころのなかで「あんなことをいってみたが、さりとて、なんのアイデアもうかばない。このしょうぶはぼくのまけかもしれない。」と、すこしよわきなかんがえになりました。そしてまた、かみさまにいのりました。そうするとまた、かみさまのこえがきこえてきました。「ツヨキよ。よわきになるひつようはない。このまま、わたしにいのりをささげてくれればそれでいい。」というこえでした。まえと、ないようはまったくおなじことでした。ツヨキはないしん「ほんとうにそうなのかなぁ? このまま、いのりだけささげても、なんのアイデアもうかびそうもないし、なんのへんかもおきないきがする。」と、いっしゅん、かみさまをうたがいました。しかし、すぐに、きをとりもどし「いやいや、かみさまがそういっているのだから、まちがいないはずだ。まえとおなじく、しんじていくしかない。」と、こころにちかったのでした。
それから、すうかげつたったあるひ、ふとまちをあるいていると、ヨワキの、ほんてんのまえに、ひとがきが、できていました。ツヨキがひとにたずねてみると「なんでもこのみせのむすこのおやじが、となりのくにの、かねもちふうの、りっぱらしきおとこに、ものすごい、ごうていに、あんないされて、すっかりしんようし、おおきなもうけばなしにのってしまったそうだ。しかし、それは、さぎだったそうだ。そしてあげくのはてに、ぜんざいさんをうしなって、むすこと、どこかへにげてしまったみたいだ。ようするに、りっぱらしき、ざいさんが、あるようなおとこにだまされたのよ。ひとの、がいけんだけみて、はなしにのってしまった、というわけさ。」と、あるひとがおしえてくれました。ツヨキはこしをぬかすほどびっくりしてしまいました。ヨワキの、ほんてんのまえのひとがきは、しゃっきんとりやら、しょうひんを、おろした、しょうにんやら、たすうの、さいけんしゃのひとたちだったのです。ほんてんのまえは、てんや、わんやの、おおさわぎになっていました。とうのヨワキやおやじのすがたはありませんでした。そしてそのご、ふたりはやまのなかで、くびをつって、しんでいるのがはっけんされました。
はっけんされてすうじつご、二人のそうぎが、きょうかいでとりおこなわれました。とくべつにしんこうしていなかったふたりでしたが、ツヨキのはいりょによって、とくべつに、そうぎが、できることになったのでした。ツヨキは、かんおけのなかのふたりに「あなたがたのこころのなかに、かみさまがいれば、そんなもうけばなしには、きっとのらなかったのにちがいありません。そして、いくらぜんざいさんをうしなっても、いのちさえあれば、やりなおしができることにきづいたろうに。もし、やりなおすことができたならば、ざいさんが、あるときよりも、ないほうが、ぎゃくに、しあわせになったかもしれないのに。」と、かたりかけました。ツヨキはそれらのことをかたりおえて「どうか、しゅよ、このふたりを、てんごくへと、めしてください。そしてふたりに、えいえんのいのちをあたえてください。アーメン。」と、おいのりしました。
そして、そのそうぎもおわり、じょじょにツヨキもおちついてきました。ふたりがしんでからというもの、ツヨキはいろいろなしょうばいをはじめたのですが、なにもかもうまくいきませんでした。しかし、ツヨキは、なんかいしっぱいしても「このしょうばいは、かみさまのみこころではない。」と、いって、くよくよせず、おちこむこともなく、すべてプラス、プラスにかんがえるプラスしこうでのりきっていきました。なんと、ツヨキはさいしょのきょうかいへのパンうりからかぞえて、100かいしっぱいしました。しかし、すべてしっぱいしても「このしょうばいは、かみさまがのぞんではいない。しっぱいはせいこうのもとだ。」と、いっては、けろりとしていました。かねがなくなれば「かねはてんかのまわりものだ。」と、こうげんしていました。そして、かねがなくなれば、どういうわけか、いのちまでうしなわない、ちょっとしたじこにあい、みまいきんや、ばいしょうきんがはいってきました。そのじこは、ツヨキがわるくておこったものではなく、すべてあいてがわるくて、おこったものばかりでした。まさに、ツヨキのこうげんしていた「かねはてんかのまわりもの」が、げんじつとなっていました。せけんのひとは「さいごにはツヨキがヨワキをやぶって、きょうそうにかったのだから、いつかはうまくいくしょうばいがみつかるにちがいない。」と、おもうようになりました。けっかてきにツヨキのおやじのいったとおりになったのです。そしてとうとうツヨキは、101かいめに、はじめた「べんりや」でせいこうしました。このしょうばいは、ひとがこまっていることをなんでもかわりにしてやるしょうばいでした。サービスせいしんおうせいなツヨキにはぴったりのしょうばいだったのです。ツヨキのひとがらがうけて、ますますはんじょうしていきました。
そして、ツヨキはあるひ、ヨワキのはかのまえで「おれはやっとせいこうしたよ。おまえは、たった一かいのしっぱいで、いのちまでおとしてしまった。ほんとうのばかは、おまえのような、にんげんをいうのだろうなぁ。しっぱいは、じんせいにつきものだよ。でもそのしっぱいにまけて、しんでしまうことは、にんげんにとって、ほんとうにもったいないことだ。しっぱいしてはじめて、いままでわからなかったことがわかるんだから。しっぱいは、がっこうみたいなものだよ。いろいろおしえてくれるからなぁ。``しっばいだいがく``とでも、めいめいしようかなぁ。こんどまた、にんげんにうまれてきたら、めにはみえない、かみさまをしんじて、いきていってくれ。」と、やさしくかたりかけたのでした。      おしまい

No20. なんでもかなえてくれる、かみさま

 むかし、むかし、あるところのちいさなむらに、それは、それは、はたらきものの、まご八という、ひゃくしょうがおったとさ。あさはやくおきて、いっしょうけんめいはたらく、むらいちばんのはたらきものだったとさ。まご八には、おフクという、にょうぼうが、おったとさ。そのおフクは、びじんでもなく、どちらかというと、あんまりいいおんなではなかったとさ。しかし、このおフクは、むらいちばんのはたらきもので、いえのそうじ、すいじ、せんたくなどのかじは、それは、それは、きがきくしごとをしていたとさ。まご八は、いえのことはなんのしんぱいもなく、すべて、にょうぼうの、おフクにまかせていたとさ。まご八のいえは、でんばたは、そんなにたくさんはなかったのですが、くうにはこまらなかったとさ。
そんなへいぼんなひびを、おくっていた、まご八は、いねかりもおわり、やれやれとしていたとき、ふとまちへでかけてみたくなったとさ。そして、五りほど、はなれているまちへと、しゅっぱつしたとさ。まちへついた、まご八は、ぶらぶらとまちをあるいていたとき、あるまちのいっかくに、みすぼらしいろうじんが、なにやら、いかがわしいかんばんをたてて、しょうばいをしていたとさ。かんばんには「なんでもかなえてくれる、かみさまのおふだは、一りょうなり」と、かいてあったとさ。まご八は、きょうみをそそられ、そのみすぼらしいろうじんのところへ、ちかづいていったとさ。すると、そのろうじんは「そこの、わかだんなさま、たった一りょうで、なんでもかなえてくれる、ありがたい、かみさまのおふだを、かって、このかみさまをしんじてみねぇかねぇ。このかみさまは、そんじょそこらにいるかみさまではねぇですよ。このおふだを、あんたのいえの、かみだなに、三かかんおいて、あんたののぞむものを、このおふだにおいのりすれば、すべてかなえてくれますぞ。」と、いったとさ。まご八は、それをきいて、なにやらいかがわしいとおもい、きにもせずに、むしして、さろうとしたとさ。そのとき、ろうじんが「わかだんなさま、こんなみすぼらしい、ろうじんに、一かいだまされたとおもって、このおふだを、しんじてみねぇかねぇ。わるいようにはならないから。」と、いってきたとさ。すると、まご八のちかくにいたまちのひとが「このろうじんは、すうねんまえから、ここにいすわって、こんないかがわしいしょうばいをしている。このろうじんは、すこしあたまがおかしいのだ。なんでもかんでもかなえてくれる、かみさまなど、このよに、いるはずがない。いんちきにきまっている。あんたもこんな、いんちきろうじんに、だまされないほうがいいぞ。このまちのひとは、だぁれも、あいてにしていねぇぞ。」と、いってくれたとさ。それをきいた、まご八は「そうだなぁ、そんなかみさまなどは、いるはずもねぇよなぁ。このまちのひとのいうとおりだ。このよで、そんなことをしんじるひとは、ひとりもいるはずがねぇ。」と、いったとさ。それをきいていた、ろうじんは「わかだんなさま、たった一かいしかないじんせいですぜぇ。これもなにかのえんですよ。こんなみすぼらしい、ろうじんですがねぇ、だまされたとおもって、しんじてみねぇか。あんたが、一りょうだして、このおふだを、かってくれれば、わしも、しょうがつのもちを、かうことができますだぁ。ここすうねん、だれもこのわしのいうことをしんじてくれるひとが、ひとりもいねぇもんで、しょうがつに、もちをくったことがねぇです。なんとか、かってくださればありがてぇだ。」と、いったとさ。それをきいていた、ひとのいい、まご八は、こころのなかで「だぁれもしんじないかみさまを、だまされて、しんじてみるのもおもしろいかもしれねぇぞ。そして、このろうじんは、しょうがつに、もちをくったことがねぇ、といっている。なんだかすこし、きのどくになってきた。ここは一かい、このみすぼらしいろうじんに、だまされたとおもって、おふだを、かってみるか。」と、ほとけごころが、でてきたとさ。そして、まご八は、ろうじんに「あんたも、こんないかがわしいかんばんをたてて、しょうばいしても、ろくにしょうばいにはならんだろう。おれがだまされたとおもって、そのおふだを、かってやろう。」と、ついくちばしってしまったとさ。すると、ろうじんは「ありがたいことですだ。ここすうねん、ここにしょうばいしていますが、はじめてうれましたでぇ。あんたは、きっとほんとうのしあせをみつけることができますだぁ。」と、すこしへんなことをいったとさ。それをきいていた、まご八は「いやぁ、おれもまちのひととおなじく、しんじてはいないが、あんたがあまりにもふびんにおもえてなぁ。あんたがいうように、だまされたとおもって、かってみよう、とおもっただけだよ。」と、いったとさ。すると、ろうじんは「このよのなかのひとびとも、ひとをうたがうことばかりかんがえていないで、ひとをしんじることもだいじだ、ときがつけば、このよもすこしはよくなるのになぁ。」と、いったとさ。それをきいた、まご八は「そんなこといっても、ひとをだまして、かねを、ふんだくる、じけんばかりおきているのに、そんなにかんたんに、ひとをしんじろ、といっても、すこしむりがありますよ。ひとをけいかいするのは、いまのよのなか、とうぜんですよ。」と、いったとさ。そうすると、ろうじんは「たしかにそうですねぇ。まぁ、こんなよのなかではありますがねぇ、ひとをうたがっても、にんげんの、めには、みえないものをしんじていくのも、ひとがすくわれる一つのみちとおもっていますがねぇ。それさえも、うたがっているひとがおおいのですぜぇ。こうなると、このよは、まっくらやみになりますだぁ。」と、いったとさ。すると、まご八は「あんたのいうとおりかもしれんなぁ。しかし、みんななんとかして、いっしょうけんめい、いきているのだよ。ひとをうたがうことは、すべてわるいとはいえねぇ、とおもいますがねぇ。じぶんのみをまもることにもなりますよ。なかなか、むずかしいよのなかになったということではないでしょうかねぇ。」と、いって、こめをうってえた、一りょうを、ろうじんに、わたしたとさ。すると、ろうじんは、おふだを一まい、まご八にやって「ありがたいことです。あんたはきっと、ほんとうのしあわせをみつけることができますだぁ。」と、またへんなことをいったとさ。そんなやりとりをみていたまちのひとびとは、こころのなかで「なんて、おひとよしなんだ。こんな、いんちきろうじんに、だまされて。」と、おもったとさ。
まご八は、そんなまちのひとのことはきにせず、そのおふだをかって、まちのなかをふたたび、あるいたとさ。すると、あるおやしきのひろいいえのまえについたとさ。いえも、ものすごいごうていで、まご八のいえとは、くらべものにならないくらいりっぱないえだったとさ。まご八は、こころのなかで「こんなりっぱなおやしきのいえに、一かいはすんでみたいなぁ。」と、おもったとさ。そんなことをおもいつつ、こんどは、おおがねもちの、しょうにんのみせによったとさ。みせのなかには、こばんがいっぱいあり、まご八はこころのなかで「こんなたいきんのなかで、一しょう、かねをしんぱいしないで、せいかつしてみたいものだ。」と、おもったとさ。そんなみせをでた、まご八は、こんどは、きれいで、びじんのおくさんがいる、いえのまえにきたとさ。そのとき、まご八は、こころのなかで「こんなきれいで、びじんのにょうぼうと、せいかつできたら、しあわせだろうなぁ。」と、おもったとさ。そんなことをおもいつつ、こんどは、りっぱなりょうりやのまえにきたとさ。そして、そのりょうりやのなかをみたら、おいしそうなりっぱなりょうりが、めに、はいったとさ。まご八は、こころのなかで「こんなうまいりょうりを、一しょうたべて、せいかつできれば、どんなにかしあわせだろうなぁ。」と、おもったとさ。そんなかずかずのおもいをしつつ、まちのかなものやから、あたらしい「かま」や「くわ」などの、のうぐを、かい、じぶんのむらへとかえっていったとさ。
いえについたとき、にょうぼうのおフクは、ぞうすいをつくって、まご八をまっていたとさ。まご八は、こころのなかで「きょうもぞうすいか。きょうまちでみてきた、ごうかなりょうりを、まいにちたべてみたいものだなぁ。」と、おもったとさ。そんなことをおもいながら、ばんしゃくの、ドブロクをのんで、おフクのつくった、ぞうすいをたべて、ねたとさ。そしてそのばん、しょうべんをしに、おきてきて、きのうかってきた、かみさまの、おふだをおもいだし、そのおふだを、かみだなにおいて、あのみすぼらしいろうじんが、いったとおりに「どうか、かみさま、ひろいりっぱなやしきにすみたいので、このねがいをかなえてください。」と、おねがいしたとさ。そして、そのことを、三かかん、よるにおきては、おねがいしたとさ。そしてよくじつのよるに、めをさましてみると、いままでとはちがったふうけいが、めにはいってきたとさ。なんと、なんと、まご八のいえは、それは、それは、ひろいりっぱなごうていになっていたとさ。まご八は、じぶんのめを、うたがったとさ。しかし、どんなにめを、こすっても、まえのせまいいえではなく、りっぱな、ごうてい、だったとさ。あのろうじんのいったとおりになったとさ。まご八は、にょうぼうの、おフクをよんだとさ。おフクもびっくりしたとさ。このいきさつをはなすと、おフクは、しんじられないかおをして「こんなりっぱないえでは、そうじがたいへんで、わたしひとりでは、てにおえません。あんたにもてつだってもらいますからねぇ。」と、いったとさ。それをきいた、まご八は「このおれもそうじをするのか? たいへんだなぁ。」と、いったとさ。しばらくはそうじをしないでもせいかつできたのですが、そのうちにごみが、ふわふわと、おおくのへやに、ういてくるようになり、そうじをしなければ、すめないようになったとさ。そしてふたりで、まいにちまいにち、そうじで、一にちおわったとさ。ふたりはそうじだけで、くたくたになったとさ。でんばたを、たがやすたいりょくは、なくなってしまったとさ。そのため、でんばたは、くさだらけになったとさ。まご八は、こんなおおきな、ごうていには、すっかりまいってしまって、こんどはかみさまに「どうか、かみそま、こんなりっぱなごうていはいりません。まえのせまいいえにもどしてください。」と、三かかん、いのったとさ。そうすると、こんどはまえのちいさいせまいいえにもどったとさ。まご八は「やれやれよかった。」と、よろこんだとさ。
こんなことがあってから、しばらくすると、こんど、まご八は、きれいで、びじんのにょうぼうが、ほしくなり、そのことを、三かかん、かみさまにいのったとさ。そうすると、いままで、みたこともない、きれいで、びじんのにょうぼうが、あらわれたとさ。おフクは、おどろいて、じっかにかえったとさ。まご八は、ごきげんになり、よろこんだとさ。しかし、その、びじんのにょうぼうは、びじんなことを、ほこらげにするだけで、なに一つ、かじをせず、ただ、かがみをみては「なんて、いいおんななんだろう」と、じぶんでいっているだけだったとさ。まご八が、どんなにいいきかせても、けっして、かじをしなかったとさ。これには、まご八もまいってしまって、とうとう、かじは、ぜんぶ、じぶんがしなければならない、はめになったとさ。まご八は、じっかにかえった、おフクのことを、まいにち、まいにち、おもいだしていたとさ。まご八は、こんなせいかつが、いやになって、また、かみさまに「どうか、こんなきれいで、びじんのにょうぼうは、いらないので、もとのおフクを、よんでください。」と、三かかん、いのったとさ。そうすると、つぎのひから、おフクがいえにかえってきて、また、もとのとおりになったとさ。
そんなもとのせいかつにもどった、まご八は、こんどは「どうか、かみさま、こばんが、ざっくざっくとあって、かねにこまらない、かねもちにしてください。」と、おふだのかみさまに、三かかん、いのったとさ。そうすると、つぎのひから、いえじゅうのなかが、こばんだらけになったとさ。まご八はよろこんで、このこばんを、いえののきしたに、ぜんぶうめたとさ。そんなはなしが、くにじゅうにつたわり、こんどは、どろぼうが、このこばんをねらうようになったとさ。そのため、まご八は、こばんが、しんぱいで、しんぱいで、よるもねることができなくなり、あげくのはてに、このこばんの、ばんを、まいばんしなければならなくなったとさ。しかし、なんにちも、ねないでいたので、まご八のたいりょくは、げんかいにきていたとさ。それにくわえて、まご八の、きょうだいしまい七にんが、このはなしをききつけ「おれたちにもわけまえをくれ!!」と、いってきたとさ。わけまえのことで、いままで、なかよくしていた、きょうだいしまいが、なかがわるくなったとさ。そしてさいごには、わけのわからない、にんげんが、やってきて、「おまえの、しんだおやじに、200りょう、かしていたので、かえしてくれ。」などと、いってくるものまであらわれてしまったとさ。まご八は、それらのことにも、へとへと、まいってしまって、とうとうかみさまに「こんなこばんは、いらないので、まえのせいかつにもどしてください。」と、三かかん、いのったとさ。そうしたら、つぎのひから、まえにもどったとさ。
そんなことがあってから、すうかげつご、こんどは「どうか、かみさま、ぞうすいにはあきたので、まいにち、おいしいごちそうを、はらいっぱいたべさせてください。」と、いのったとさ。するとこんどは、まいにち、まいにち、おいしいごちそうがでてきて、まご八と、おフクは、それをはらいっぱいたべたとさ。そんなごちそうばかりたべていたふたりは、ぶくぶくと、ふとってしまって、これまた、でんばたを、たがやすこともできなくなってしまったとさ。まご八は、そんなせいかつがいやになり、かみさまに「こんな、まいにち、まいにち、ごちそうはいりません。どうか、まえのぞうすいのせいかつにもどしてください。」と、三かかん、いのったとさ。そうすると、よくじつからは、まえのせいかつにもどって、まえのからだに、もどったとさ。ふつうのせいかつにもどった、まご八は「なんでもかなえてくれるのはいいが、いまの、ふつうのせいかつが一ばんだ。」と、やっと、さとったとさ。
まご八は、とうとう「なんでもかなえてくれる、かみさまの、おふだ」を、かえすことをけっしんしたとさ。そして、また、まちへと、でかけていったとさ。まえのところに、まえとおなじ、みすぼらしいろうじんが、おふだを、まえとおなじく、うっていたとさ。まご八は、そのろうじんに「あんたのいったことはまちがいなかったよ。しかし、おれはいまのせいかつで、じゅうぶんしあわせだ。かねはいらないから、このおふだは、かえすよ。」と、いったとさ。すると、ろうじんは「わかだんなさま、やっときがつきましたねぇ。ふつうのせいかつが、一ばんしあわせなことに。ほんとうのしあわせをみつけましたねぇ。よかった。よかった。」と、いって、おふだをうけとると、きえてしまったとさ。そこには、一まいのかみが、のこされていたとさ。そこにはなにやらかいてあったとさ。ないようは、こんなものだったとさ。「まご八どのへ。 あなたは、わたしのいうことを、しんじてくれたゆいつのひとです。あなたはほんとうのしあわせをみつけることができました。にょうぼうの、おフクさんをたいせつにして、すえながく、しあわせになってください。わたしは、なんでもかなえてくれるかみさまで、ろうじんに、ばけていたのです。みすぼらしい、ろうじんにばけた、なんでもかなえてくれるかみさまより。」と、かいてあったとさ。    おしまい

No21.「びんぼうがみ」を「ふくのかみ」にしてしまった「じんべい」

 むかし、むかし、あるとしの、しんねんに、あるまちのじんじゃで、びんぼうがみと、ふくのかみが、いっしょにさけをのんでいました。びんぼうがみが「またあたらしいとしがやってきた。ことしは、どのいえにすみつこうかなぁー。」と、いいました。するとふくのかみが「わたしもいま、おなじことをかんがえていました。わたしはみんなからかんげいされますが、びんぼうがみさんは、わたしのようにはいかないでしょう? 」と、いいました。するとびんぼうがみが「そうなんですよ。おれはいつもきらわれもので、やっかいものですからねぇ。``ふくのかみ``さんが、うらやましいですよ。おれのことなど、かんげいしてくれる、にんげんは、ひとりもいませんよ。びんぼうがみの、しょうばいは、やるもんじゃないですよ。でも、せんぞだいだい、つづいているので、しかたなくやっているのです。」と、いいました。するとふくのかみが「でもね、びんぼうがみさん。にんげんは、なぜ、わたしをかんげいし、あいしてくれているかわかりますか? それはねぇ、わたしがすみつくと、かねもちになるからなんですよ。それがわかっているから、かんげいし、あいしてくれるのですよ。わたしがひとたび、びょうきなどになったりして、にんげんを、かねもちにするちからがなくなると、にんげんは、ひょうへんして、わたしを``びんぼうがみ``あつかいし、ふくろだたきにして、おいだしてしまうのですよ。びょうきのかんびょうはまったくしてくれません。」と、いいました。それをきいていたびんぼうがみは「そんなもんですかねぇ、にんげんは。やくにたたないとおもったら、すててしまったり、よくぼうがみたされないと、すぐにあたまにきたりと、まったく、なさけないいきものですねぇ。いつごろからこんなせいかくにかわってしまったのでしょうかねぇ。まぁ、なかには、こんな、にんげんばかりではない、とおもいますがねぇ。なんだかんだいっても、いいときもあれば、わるいときもあるのにねぇ。」と、いいました。すると、ふくのかみは「そんとくを、ちゅうしんに、かんがえる、にんげんは、おおいですよ。そうでもしなければやっていけない、ということもあるのでしょうねぇ。にんげんが、こんなふうになったのは、なんでもかんでも、ほしいものは、すぐに、てに、はいってしまうためと、がまん、ということをわすれてしまったからですよ。また、そんとくでしか、ものごとのかちを、かんがえられなくなってしまったのですよ。にんげんが、なんでもほしいものをすぐに、て、にいれることができなくて、くろうしていたおおむかしは、こんなじょうけんつきの、あいじょうではなかったのですよ。そんとくや、よくぼうは、むじょうけんのあいじょうを、にんげんからうばってしまいますねぇ。いまのよのなかと、にんげんのこころが、こわれていくのはこんなこともかんけいがあるかもしれませんねぇ。わたしのしょうばいも、あんしんしていられないですよ。けんこうをいじし、にんげんの、きげんをとり、だまし、だまし、かわいがってもらわないと、いきていけないじだいになりました。」と、いいました。そんなことをはなしているうちに、りょうかみさまは、よいもまわってきて、ねてしまいました。
なんじかんかたって、よいもさめ、めを、さました、りょうかみさまは、このいちねんかんの、すみかをさがしに、まちの、いえいえを、まわることにしました。まちのひとびとは、のきしたに「ふくのかみ、だいかんげい、びんぼうがみ、おことわり」という、かんばんをたてていました。それをみたびんぼうがみは「ことしも、おれをかんげいしてくれるいえは、なさそうだ。はやばやと、じんじゃへかえって、やけざけでものむか。」と、ひとりごとをいってかえっていきました。かえりは、じかんもあったので、まちからすこしはなれた、となりむらをまわってから、かえろうとかんがえました。そして、となりむらの、いえいえの、のきしたにも「ふくのかみ、だいかんげい、びんぼうがみ、おことわり」という、かんばんが、たててありました。しかし、むらはずれの、いっけんや、だけは「びんぼうがみ、だいかんげい、ふくのかみ、おことわり」という、まったくぎゃくのかんばんをたてていました。びんぼうがみは、じぶんが、まちがってよんでしまったのではないかとおもい、めをこすり、こすりして、このかんばんのちかくまでいって、よぉーく、みてみました。しかし「びんぼうがみ、だいかんげい、ふくのかみ、おことわり」と、なっていました。なんかいみても、まちがってはいなかったのです。そして、こころのなかで「かわったいえがあるもんだなぁ。このしょうばいを、ながいことしていて、こんなかんばんをみるのははじめてだ。このいえはいったい、どんなにんげんが、すんでいるのだろうか。」と、おもいました。きょうみをそそわれた、びんぼうがみは、そのいえをたずねることにしました。そして、そのいえの、げんかんのまえにたって「こんにちは。びんぼうがみですが、かんばんに、だいかんげい、ということが、かいてあったので、おたずねしました。」と、いいました。するといえのおくのほうからひとりのおとこがやってきて「やっときてくださいましたね。なんじゅうねんも、このかんばんをだしていたのですが、だれもしんじてくれなくて、たずねてくれる、びんぼうがみさまは、いませんでした。あなたがはじめてです。さぁ、さぁ、えんりょなくあがってください。」と、いいました。びんぼうがみは、いっしゅん、はんしんはんぎでしたが、すぐにわれにかえり「それではえんりょなくおじゃまします。」といって、そのいえにあがってしまいました。びんぼうがみは、そのいえの、ざしきにとおされ、かみざの、ざぶとんのうえに、すわらせられました。そして、そこのいえのおとこが「よくきてくださいました。おまちもうしあげておりました。わたしは``じんべい``という、ただのひゃくしょう(のうか)でございます。きょうはひとばんうちにとまっていってください。たいしてものはありませんが、せいいっぱいおもてなししたいとおもいます。どうぞ、ごゆるりとおすごしください。」と、いいました。そのことばをきいた、びんぼうがみは、おもわず、みみをうたがいました。そして「じんべいどの、おれもながいこと、びんぼうがみをやってるが、こんなけいけんは、はじめてだ。おまえさんはいったいなにをかんがえているんだ。おれにはけんとうもつかん。」と、びんぼうがみがいいました。すると、じんべいは「いやぁ、びんぼうがみさま、わたしはへそまがりでして、みんなが、ふくのかみ、ふくのかみ、といってふくのかみだけが、かみさまだとおもっているので、そうではないよと、びんぼうがみさまも、りっぱな、かみさまだよと。にんげんに、どんなにきらわれている、びんぼうがみさまでも、かならずいいところがあるにちがいないと、わたしはまえまえからかんがえていたのです。たとえ、びんぼうがみであっても、かみさまは、かみさまなので、そそうにしてはならない、というのが、わたしのかんがえです。そして、きかいがあったら、いちどゆっくりおはなしがしたかったのです。」と、いいました。それをきいていた、びんぼうがみは「こんなきらわれものの、おれのはなしをきいてみようなんて、にんげんがいたとは・・・・。」と、いいました。すると、じんべいは「まぁ、まぁ、きょうはりくつぬきで、ゆっくりしていってください。いま、うちのかあちゃんが、ふろをたいていますので、わいたら、まず、いちばんぶろに、はいってください。ふろにはいってから、さけをのみましょう。」と、いいました。そして、だいどころのほうから「とうちゃん、ふろわいたよ! 」というこえが、しました。じんべいは「かあちゃん、おまえも、びんぼうがみさまに、あいさつしろ。」と、いいました。するとだいどころのほうからかあちゃんがやってきて「びんぼうがみさま、よくきてくださいました。わたしは``おそで``ともうします。きょうはたいしたものはありませんが、ゆっくりしていってください。そろそろふろがわくころです。まずはふろに。」と、かあちゃんがいいました。びんぼうがみは「それではおことばにあまえて。」といって、ふろへはいりにいきました。じんべいは、かあちゃんに「ふろにはいっているあいだに、さけとごちそうをよういしてくれ。」と、いいました。するとかあちゃんは「はい、わかりました。」といって、だいどころのほうへいってしまいました。
かあちゃんは、びんぼうがみが、ふろにはいっているあいだに、えんかいのよういをすべておわらせました。びんぼうがみが、ふろからあがってきて、ざしきの、ざぶとんにすわると「じんべいどの、こんなにごちそうしていただいて、なにか、もうしわけないきもちです・・・・・うっ、うっ、うっ・・・・。」と、いいおわらないうちに、びんぼうがみの、めから、なみだがでてきたのでした。びんぼうがみは、いままで、にんげんには、いつもじゃまものにされ、しいたげられて、だれからも、あいされたことはなかったのです。そのため、じんべいが、こころからかんげいし、もてなしてくれていることにかんげきして、しぜんと、なみだがでてきたのでした。それをみていた、じんべいは「びんぼうがみさま、きょうはそんないままでのいやなこともすべてわすれて、おおいにのみましょう。さぁ、さぁ、まずはさけでも。」といって、じんべいは、びんぼうがみに、さけをついでやりました。それから、ふたりで、さしつ、さされつ、さけをかわしていきました。おたがいに、かなりよってきたとき、びんぼうがみが「じんべいどの、どうしておれみたいな、きらわれものを、これほどまでにもてなしてくれるのですか。」と、きいてきました。すると、じんべいは「わたしは、さいしょにいったとおり、へそまがりなんですよ。ひとからそっぽをむかれているものや、きらわれものに、みょうにきょうみがありましてねぇ。ひとがみむきもしないもののなかにも、かならずひとつぐらいは、いいところがあるのではないか、とおもっているのですよ。そんないいところを、はっけんすることが、わたしのたのしみなのですよ。ですから、わたしが、こんなへんな、かんばんをだすと、むらじゅうのひとが``じんべいは、へんじんだ``といって、いつもさけのさかなにされて、ばかにされていますよ。むらのこどもまでか、わたしのすがたをみると``あ! へんじんがきた``と、いっているくらいですからねぇ。でもいいんです。わたしは、ひとがなんといおうと、じぶんのこのかんがえを、だいじにしていこうとおもっているんですよ。」と、いったのです。これをきいたびんぼうがみは「じんべいどのは、ほんとうにかわっていますねぇ。おれは、こんなにんげんにあったのは、はじめてです。おれのことを、かみさまとしてみとめてくれたのは、あなたがはじめてです。うっ、うっ、うっ、うっ、・・・。」と、また、ないてしまいました。すると、じんべいは「きょうは、おおいに、ないてください、びんぼうがみさま。いままでの、うっせきしたものを、ぜんぶ、なみだとともにながして、さっぱりしてください。」と、いいました。すると、ますますびんぼうがみさまは、おおごえで、なきました。そしてしばらくすると、じんべいが「びんぼうがみさま、きょうひとばんといわず、ずぅーと、うちにいてくれませんか。うちの、かみだなに、すんでいてください。」と、いったのです。それをきいて、びんぼうがみは「ほんとうにいいのですか、じんべいどの。おれはれっきとした、びんぼうがみですよ。こんなおれでもほんとうにいいのですか。」と、ねんを、いれてきいてきました。それにたいして、じんべいは「かまわないです。びんぼうがみさまが、よろしければ、ずぅーと、うちにいてください。」と、いいました。すると、びんぼうがみは「それでは、おれは、じんべいどのの、うちにいることにきめました。」と、いったのです。じんべいは「ああ、よかった、よかった。」といって、よろこびました。そんなことをいいあっているうちに、ふたりは、よいがまわり、ねてしまいました。
よくあさ、め、がさめると、びんぼうがみには、ふとんがかぶせられていました。そして、じんべいが、おきてきました。「びんぼうがみさま、ゆっくりやすまれましたか。」と、じんべいが、きいてきました。それにたいして、びんぼうがみは「おかげさまで、ゆっくりやすむことができました。ありがとうございました。」と、おれいのことばをかけました。びんぼうがみが、こんなかんしゃのことばをくちにしたのは、このしょうばいをして、はじめてのことだったのです。それをきいた、じんべいは「ああよかった。びんぼうがみさまに、よろこんでもらって、ほんとうによかった、よかった。」と、またよろこんでくれていました。びんぼうがみは、こんな、じんべいのひとがらに、すっかりまいってしまって、ほんぎょうの「にんげんをびんぼうにする」ことなど、すっかりわすれていました。かえって、この、じんべいを、なんとか、ひといちばい、しあわせにしてやりたいきもちになってきたのでした。
こんなことがあってから、やく、いっかげつごのあるひ、げんかんに、おおきなこえがひびいていました。びんぼうがみは、なにがおきているのだろうと、げんかんに、いってみました。するとそこには「こうりがしの、しゃっきんとり」がきていたのです。なんでも、ひとのいい、じんべいは、ともだちのしゃっきんの、れんたいほしょうにん、になっているということでした。ともだちは、しゃっきんをかえせず、どこかに、にげてしまっていました。そこで、しゃっきんとりは、じんべいに、へんさいをせまっていたのでした。じんべいは、せきにんをかんじて、だいぶへんさいしたのですが、たかい、りしのため、かえしても、かえしても、がんきんは、へらなかったのです。そんなことを、かあちゃんからきいた、びんぼうがみは、ひとはだぬいでやりたくなりました。そして、びんぼうがみは、しゃっきんとりに「やいやい、しゃっきんとり!! おれは、このうちにおせわになっている、ほんもののびんぼうがみだ。じんべいどのは、だいぶかえしただろう。ほとんど、がんきんは、かえしているだろう。こんなあくどいとりたては、もうやめろよ!! 」と、しゃっきんとりにいいました。するとしゃっきんとりは「おまえにはかんけいないことだ。くちだししてもらいたくないねぇ!! 」と、いいました。するとびんぼうがみは「そうかい、そうかい。おれのいうことがきけないというのか。よし、わかった。おれはおまえのうちにすみついて、おまえをてっていてきにびんぼうにしてやる。それでもおれのいうことがきけないのか!! 」と、すこし、ごきをつよめ、しゃっきんとりを、おどしたのでした。するとしゃっきんとりは「びんぼうがみには、かなわねぇや。てっていてきに、びんぼうにされたのでは、もともこうもない、まいった、まいった。こんなびんぼうがみが、すみついているいえなんかに、にどとくるもんか。」といって、じんべいのいえから、とっとと、たいさんしてしまいました。そんなことをみていた、じんべいは「びんぼうがみさま、ありがとうございました。たすかりました。」と、いいました。すると、びんぼうがみは「いやいや、じんべいどのが、なんのしたごころもなく、じゅんすいむくなこころで、おれをもてなしてくれたので、なにか、じんべいどのの、やくにたちたかったのです。こんなかんたんなことによろこんでもらって、おれもうれしいです。」と、いいました。じんべいは、すかさず「びんぼうがみさまにも、こんないいところがあったのですねぇ。ありがたいことです。」と、いいました。びんぼうがみは「いやいや、これも、じんべいどのの、じんとくです。おれのちからではありません。ところで、じんべいどの、ほんとうに、ずぅーと、このうちにいていいですか。」と、いいました。じんべいは「ずぅーと、すえながくいてください。こちらからおねがいします。」と、へんとうしました。これをきいた、びんぼうがみは、こころのなかに「じんべいどのは、いまのよのなかには、なかなかいない、ほんとうにきちょうなひとだ。こんな、にんげんを、びんぼうにするわけにはいかない。なんとか、ひといちばい、しあわせにしてやりたい。」というきもちが、ますますおおきくなってきました。このとき、びんぼうがみが「ふくのかみの、こころ」をもってしまった、しゅんかんでした。「ふくのかみの、こころ」になったということは、すでに、びんぼうがみでは、なくなったことを、いみしていました。
そんなことがあってから、じんべいは、やることなすこと、どういうわけか、すべてうまくいき、みるみるうちに、むらいちばんの、「ちょうじゃ」になってしまいました。むらのひとたちは、じんべいが「ちょうじゃ」になったのは、びんぼうがみを、かんげいして、もてなしたからだ、とおもっていました。そんなわけで、むらじゅうのひとたちが「びんぼうがみ、だいかんげい、ふくのかみ、おことわり」という、かんばんを、じんべいの、まねをして、のきしたに、たてました。しかし、じんべいと、おなじことをやっても、いいことはおきませんでした。むしろ、どんどんびんぼうになっていきました。むらびとは「どうしておなじことをしているのに、いいことがおきないのだ。」といっては、「ちょうじゃ」になった、じんべいを、うらやましくおもってくらしていったとさ。  おしまい

No22. すていぬの、さぶろうものがたり

 むかしむかし、きたぐにの、あるむらに、それは、それは、りっぱなしょうやが、ありました。このしょうやの、しゅじんは、``きゅうべい``と、いいました。``きゅうべい``のおくさんは、``おなつ``と、いいました。このいえには「さぶろう」という、いぬがかわれていました。「さぶろう」は、このふうふの、あいじょうを、いっしんにうけ、だいじにかわれていました。「さぶろう」はなんのくろうやしんぱいもなく、へいおんな、しあわせな、まいにちを、おくっていました。
 そんな、しあわせなひびをおくっていたあるひ、``きゅうべい``のおくさんの``おなつ``が、びょうきで、しんでしまったのです。そうしきが、とりおこなわれているようすをみていた「さぶろう」は、じぶんをかわいがってくれた``おなつ``が、しんだということを、さっちしたのでした。「さぶろう」はかなしみのあまり、まいにちまいにち、かなしいなきごえで、なみだをながして、ほえていました。そんなようすをみていた``きゅうべい``は、さぶろうに「さぶろう、おまえも``おなつ``のことをかなしんでくれるのか、ありがとうよ。``おなつ``は、とおい、とおいところへ、たびだっていったのだよ。もうかえってくることはないのだよ。」と、やさしくかたりかけました。そのことばをきいた「さぶろう」は、ますます、かなしいなきごえで、なみだをながしてほえました。``きゅうべい``は「なんと、りこうないぬだ。``おなつ``がしんでも、なみだひとつながさないしんせきもいるというのに、おまえはこころからかなしんでくれる。にんげんより、おまえのほうがよっぽどえらいよ。」と、いいました。それをきいた「さぶろう」は、``きゅうべい``にむかって、かなしいなきごえで「ワンワンワン・・・・。」と、ほえました。「さぶろう」は、なんかげつかんも、かなしみにくれるひびを、おくらなければならなくなりました。
 ``おなつ``がしんでから、やく2ねんがたったあるひ、「さぶろう」は、いえのようすがいつもとちがうことにきづきました。しゅじんの``きゅうべい``が、ごけさんをもらったのです。そのひは、そのしゅうげん、だったのです。ごけさんのなまえは``おはる``と、いいました。さぶろうは「こんどのひとはどんなひとだろう。ぼくをかわいがってくれるひとだろうか。」と、しんぱいしていました。しゅうげんがおわったよくじつ、``きゅうべい``は``おはる``に「さぶろう」をしょうかいしました。``おはる``は「こんないぬがいたの、わからなかったわ。あたいも、まえからかわいがっている、いぬを、つれてきたのよ。」と、いったのです。これをきいた「さぶろう」は、なんとなく、いやなよかんがしました。なんと、``おなつ``は、じっかから、じぶんがかわいがっている、いぬの``さんた``をつれてきたのでした。
 それからというもの、「さぶろう」にとっては、たいへんなことになりました。いつもおいしいものをたべていたのですが、おいしいものはすべて``さんた``がいただくようになったのです。「さぶろう」は、いつも、みそしるにごはんだけ、というそまつなしょくじになってしまいました。いぬの、せわは、すべて``おはる``がやっていました。さんぽには、いつもつれていってもらえず、``さんた``だけがすべてのめんで、ゆうぐうされていました。「さぶろう」のよかんはあたりました。
 そんなせいかつをつづけていた、あるあきのひに、``おはる``は「さぶろう」をつれて、すこしとおいむらにでかけました。「さぶろう」は、さんぽにつれていってもらえるとばかりおもって、よろこんでついていきました。ところが``おはる``は、ついたむらのじんじゃに、「さぶろう」をおいて、ひとりでかえっていきました。「さぶろう」はすてられたのでした。もちろん``おはる``は、``きゅうべい``に、こっぴどくしかられたことはいうまでもありませんでした。「さぶろう」は、しばらく、なにがおきたの、りかいできませんでした。しかし、ゆうがたになって、おなかがすいてきたとき、はじめて、じぶんがすてられたことにきづきました。「さぶろう」は``きゅうべい``のいえにかえることもかんがえましたが、``おはる``のいるいえには、かえるきもちがおきませんでした。「さぶろう」は、このじんじゃの、ゆかしたを、すみかにすることにきめました。「さぶろう」は、すていぬの、みぶんになってしまったのでした。すてられた、そのひの、よるは、じんじゃのゆかしたで、ひとばんじゅう、なみだをながして、ないていました。そしてよるがあけてきました。なみだもかれてしまった「さぶろう」は、いつまでもないていられないことにきづきました。これからはいっぴきでいきていかなければならないことにきづいたのです。ここでなきごとをいっていては、いきていけないことにもきづいたのでした。「さぶろう」はこのときから、さいだいのしれんに、たたされたのでした。
 「さぶろう」はいきていくためにまず、たべものをさがさなければならなくなりました。むらじゅうの、いえ、いえの、ざんぱんをあさって、なんとか、くいつないでいました。しかし、ざんぱんを、あさっているさいちゅうに、にんげんにみつかり「この、のらいぬやろう、あっちへいけ!!」と、いしをぶつけられることもありました。たべものをじぶんで、かくほすることが、こんなにもたいへんだということを、「さぶろう」は、うまれてはじめてわかったのでした。そして「さぶろう」は、よるになると、まいにち、じんじゃの、ゆかしたで、ねていました。「さぶろう」は、まいにち、まいにち、いきていくことがこんなにもきびしいものだということを、みをもってたいけんしていたのでした。にんげんに、かわれていれば、どんなそまつなしょくじでも、なんのくろうや、しんぱいもなく、たべられたのです。しかし、それにくらべて、いまはじぶんのちからでたべなければなりません。「さぶろう」は``おはる``をにくみました。そして``おなつ``のことをおもいだしていました。``おなつ``のやさしさをひしひしとかんじていました。
 こんなきびしいせいかつをしていた、あるひ、すていぬの、せんぱいがやってきました。そして、さぶろうに「おい、そこの、のらいぬ、なまえは、わからないが、おまえもあと3ねんかん、このせいかつにたえていけば、りっぱな、いぬになれるぞ。いきていくということがどういうことだか、ほねのずいまで、わかるからだ。おまえはおそらく、りっぱないえにかわれていたのだろう。かおのつやをみればそれがわかるよ。そだちのよさのふんいきもあるしな。あーあー、そうそう、おれのなまえは、``はちろう``というんだ。よろしく。」と、いってきたのです。それには、「さぶろう」もびっくりしてしまいました。そして、さぶろうは「ぼくは、さぶろうといいます。はちろうさん、よろしくおねがいします。ぼくをかっていたいえは、みんなぼくをかわいがっていたのに、あるひ、そこのおくさんが、しんでしまったのです。そしてしばらくすると、そのいえに、ごけさまがきて、すっかりふんいきがかわってしまったのです。なんと、そのごけさまは、じっかから、じぶんのいぬを、つれてきたのです。そしてこのぼくがじゃまになり、すてられてしまいました。まえのおくさんの``おなつ``さんは、やさしいいいひとでした。いまはぼくをすてた、ごけの``おはる``をにくんでいます。」と、いいました。それをきいていた``はちろう``は「そうだったのか。でも、さぶろうくん、ものごとはかんがえようだぞ。すてられる、まえのらくなせいかつをいっしょうしていたら、よのなかのことなどもふくめて、なんにもわからず、しんでいくはめになっていたぞ。いまはたいへんだが、すべて、べんきょうだとおもってがんばるんだ。にんげんのことも、いろいろとわかってくるぞ。いま、にくんでいる、ごけさまの``おはる``さんというひとも、あとできっと、にくしみはきえて、ぎゃくに、かんしゃできるようになるとおもうよ。」と、いいました。「さぶろう」は、すぐには``はちろう``がいったことを、りかいできませんでした。そして``はちろう``は「さぶろうくん、おれは、まちやむらの、ゆうふくないえのこどもたちを、おおぜいみてきた。みんなちいさいときから、かわいがられて、なんのくろうもなくそだてられている。おやはこどものいうとおりだ。おやはこどものことだったらなんでもきいてくれる。おやが、こどものきげんをきにして、そだてているのだよ。だから、こんなことでそだったこどもは、おおきくなって、じぶんのかんがえがまったくなく、じりつできない、にんげんになっているのが、おおいんだよ。ちょっとした、もんだいにぶつかって、しんけいしょうなどになったりして、じめつしていく、にんげんが、さいきんおおいよ。そのために、さまざまな、もんだいが、にんげんかいにはおこっているよ。とにかく、がまんする、ということができなくなったよ。そんなひよわにそだてたのは、おやのせきにんがおおきいのではないか、とおもっているのだ。こどものときから、きびしさもおしえるひつようがあるのだよ。わかいときのくろうは、かってでもしろ、ということだ。おやが、かっこたるしんねんをもって、こどもをそだてるひつようがある、とおもっているよ。こどもにじぶんのあたまでかんがえさせ、こうどうできるくんれんが、ひつようだということだよ。だから、さぶろうくん、いまいきているということを、じぶんのあたまで、しんけんにかんがえて、こうどうして、いろいろなことをわかっていく、ぜっこうのチャンスだよ。こんなチャンスはめったにあることではないぞ。いま、ふんばって、がんばるんだぞ。」と、いいました。それをきいていた、さぶろうは「なるほど、はちろうさん、ごじょげんありがとうございます。がんばります。」と、いいました。そして``はちろう``は、そんなことをいいのこして、「さぶろう」のところからさっていきました。そして「さぶろう」は30にちかん``はちろう``のいったことをかんがえていました。
 それからの「さぶろう」は、いしきがすっかりかわってしまいました。はちろうがさって3ねんかんというもの、あめのひも、かぜのひも、ゆきのひも、あらしのひにも、``はちろう``がいったことを、わすれずにがんばったのでした。「さぶろう」がかわったことは、いままで、がむしゃらに、こうどうしていたのが、かんがえて、こうどうし、ものごとを、きゃっかんてきに、みることができるようになった、ということでした。そして、しぜんと、じんじゃに、あつまった、のらいぬの、しゅうだんのリーダーとなっていったのです。リーダーとなったとき「さぶろう」は、じぶんをすてた``おはる``のことをかんがえていました。いま、しっかりとしたリーダーのちいを、きずけたのは、``おはる``がすててくれたからだ、ということが、はっきりとわかったのでした。まえに``はちろう``がいっていたことを、いま、はっきりとわかったのでした。そして、しぜんと``おはる``にたいするにくしみはきえていきました。むしろ、「さぶろう」は、くるしいことや、なやみなどがあると、じぶんにつめたいしうちをした、``おはる``のことをおもうようになったのです。``おはる``のことをおもうと、しぜんと、どうしたらいいのか、というこたえがでてきて、じぶんが、かかえる、もんだいが、どうしたわけか、かいけつしたのでした。このことは、「さぶろう」もおもってもみないことでした。なんと、じぶんをすてた``おはる``が、「さぶろう」の、いっしょうのこころのささえとなっていったのでした。                 おしまい                      

 

※ あいじょうには、やさしいあいじょうと、きびしいあいじょうのりょうほうがひつようではないでしょうか。やさしいあいじょうが、きほんですが、ときには、きびしいあいじょうもひつようであるとかんがえるのです。ときには、きびしいあいじょうがないと、にんげんの、せいしんの``しんぼう``ができあがりません。

No23.「ひとさらいのもんだい」をかいけつした「おうさま」

 むかしむかし、ヨーロッパのあるところにハンガーおうこく、というおうこくがありました。このおうこくは、くにをかねもちにして、へいたいや、ぶきを、たくさんにして、つよいくにをつくろう! という、もくひょう、をかかげて、どんどん、こくりょく、をつけていました。となりのちからのないユウセンおうこくは、このハンガーおうこくにいつもおびえていました。ハンガーおうこくの、おうさまは、レイ3せい、といいました。ユウセンおうこく、のおうさまは、ギン2せい、といいました。ハンガーおうこくは、いつこのユウセンおうこくにせめていって、じぶんのりょうど、にするかを、かんがえていました。レイ3せいは、せめていくこうじつを、いつも、けらいと、そうだんしていました。そんな、あるひに、あるじけんがおきました。ハンガーおうこくと、ユウセンおうこくの、おたがいのくにのきょうかいせん(こっきょう)あたりに、ハンガーおうこくの、こっきょうけいびたいのへいし、ひとりがあやまって、となりのユウセンおうこくのりょうどに、はいってしまったのです。ユウセンおうこくの、こっきょうけいびたいは、ちいさくてよわいくにではありましたが、いちおう、ぐんたいの、そしきでした。いつもぴりぴりした、こっきょうふきんは、きんちょうじょうたいのれんぞくでした。そんななかでおきたじけんでした。まちがってユウセンおうこくにはいってしまったハンガーおうこくのへいしは、すぐにユウセンおうこくのへいたいにつかまり、すぐにころされてしまいました。これをしった、ハンガーおうこくの、レイ3せいは、すぐさまユウセンおうこくの、ギン2せいにたいして、せんそうすることをしらせました。いつもユウセンおうこくを、せめることしかかんがえていなかったレイ3せいにとっては、またとないチャンスがやってきたのでした。おおくのへいたいをひきつれ、レイ3せいはユウセンおうこくに、せめていきました。あっとうてきな、へいりょくのまえに、ユウセンおうこくは、あっというまにまけてしまいました。

 このせんそうによってユウセンおうこくのギン2せいは、ハンガーおうこくの、ろうやに、いれられました。「いのち」だけは、たすけられ、いっしょう、ろうやせいかつを、おくるけいばつがきまりました。このことがあとでとんでもないことになったのです。そしてハンガーおうこくは、ユウセンおうこくを、ぞっこくとしておさめることになりました。このユウセンおうこくは、ちかしげんがほうふにまいぞうされているくにでした。きん、ぎん、さらに、あえん、てっこうせきなど、ヨーロッパで、いちばんのまいぞうりょうがあったのです。ユウセンおうこくは、びんぼうだったため、これらのちかしげんを、かいはつするちからがありませんでした。レイ3せいは、ハンガーおうこくから、おおくのひとびとを、となりの、せんそうでかちとった、ぞっこく(ユウセンおうこく)へおくりこみ、こうざんのかいはつを、すすめました。じぶんのくにの、ろうどうしゃですから、たかいきゅうりょうをしはらい、かいはつをすすめました。ところがハンガーおうこくの、ろうどうじょうけんのわるいこうざんや、きたないしごとには、ぞっこくとなったユウセンおうこくの、おおぜいのひとびとをかってにつれてきて、ただどうぜんではたらかせていました。そのため、ますますハンガーおうこくはさかえ、せかいの、一、二をあらそうほどの、たいこくになりました。せかいのくにぐにからは、このハンガーおうこくのやりかたにたいして、おおくのひなんがあつまりました。しかし、レイ3せいは、まったくきにせず、わがみちをつきすすんでいたのです。そしてとうとう、せかいせいふくの、やぼうにもえるレイ3せいは、おなじもくてきをもった、どうめいおうこくの、ふたつのくにと「三ごくどうめい」をむすび、ハンガーおうこくと、かたをならべるきょうこくの、エキリスおうこくというくにを、三ヶこくでせめたのです。エキリスおうこくのおうさまは、イリザベス5せい、という、じょおうのくにでした。このおうこくは、うみをまたいだところにありました。そのため「三ごくどうめい」の、かくおうこくは、ふねをよういして、せめねばならなかったのです。このエキリスおうこくにも、おおくのゆうこうこくがさんせんし、「れんごうおうこくぐん」としてちからをかしてくれました。

 このせんそうはたいへんおおきなせんそうになりました。ハンガーおうこくのレイ3せいは、「こくみんそうどういんれい」をはっして、すべてのこくりょくをとうじました。しかし、ふねをよういする、ひようが、かさんだり、せんそうするひようもかさみ、また、ないぶの「はんおうさまは」のうらぎりもあり、とうとうこのせんそうにまけてしまいました。ほかのどうめいおうこくもおなじく、せんそうする、ひようが、かさんだり、ないぶのうらぎりなどもおこり、まけてしまいました。エキリスおうこくで、せんそうの、あとしまつのしょりがはじまりました。レイ3せいは、エキリスおうこくにつかまり、しょけいされてしまいました。ハンガーおうこくは、そのままレイ3せいのちょうなんである、レイ4せいに、とうちさせることにきまりました。ぞっこくとなっていた、きゅうユウセンおうこくは、ぞっこくをかいじょされ、ろうやにいれられていたギン2せいは、かいほうされました。そして、ユウセンおうこくを、とうちすることをまかされました。ユウセンおうこくは、まえとおなじく、ふっかつしたのでした。それとどうじに、きゅうユウセンおうこくからさらわれてきていたおおくのろうどうしゃも、ハンガーおうこくからかいほうされました。しかし、かこくなろうどうじょうけんのもとではたらいていたので、たくさんのろうどうしゃが、びょうきや、すいじゃくなどでしんでしまいました。そしてハンガーおうこくは、くにとしてそんぞくするかわりに、すべてのぶき、へいたいをもつことを、きんしされました。二どと、せんそうができないようにされたのです。もし、これに、いはんしたばあいは、レイ4せいいちぞくは、すぐにしょけいされ、おうこくは、エキリスおうこくにとられるというきびしいものでした。ほかのハンガーおうこくと、どうめいかんけいだった、二つのくには、エキリスおうこくのりょうどとされてしまいました。そしてふたりのおうさまも、しょけいされました。ユウセンおうこくのこくみんは、こんご、せんそうをしなくてもいいので、よろこんでいました。しかし、このせんそうにより、ユウセンおうこくは、ハンガーおうこくをにくむようになりました。こくみんのこころのもんだいが、のこってしまったのです。

 そんなせんそうのあとのしょりがすべておわって、やく30ねんがすぎました。そのころハンガーおうこくのいたるところで、こくみんが、ゆくえふめいになるじけんが、たびたびおこるようになりました。ひとびとは「かみかくし」などといって、おそれていました。しかし、じかんがたってくると、ほんとうのことがわかってきました。そのげんいんは、となりのユウセンおうこくの、とくべつなくんれんをうけたへいたいが、しょうにんにばけて、ふほうにハンガーおうこくに、にゅうこくし、ハンガーおうこくのひとびとを、さらっていたのでした。ユウセンおうこくの、ギン2せいのめいれいで、おこなわれていたこともわかってきました。これにおこった、ハンガーおうこくの、さらわれて、のこされたかぞくは、「しろ」にかけつけ、レイ4せいに、なんとかつれもどしてくれとたのみこみました。レイ4せいは、かぞくに「かならず、さらわれたかぞくは、とりもどすことをやくそくします。だからあんしんしてください。」と、いいました。のこされたかぞくは、そのことばをきいて、いちおうあんしんしてかえりました。しかし、おうさまはかんがえこんでしまいました。「いちおうとりもどすとやくそくしたが、30ねんまえの、せんそうによって、くにと、くにとのこうりゅう(こっこう)はだんぜつしたままだ。これではとりもどす、すべがない。へいたいも、ぶきもない。これではユウセンおうこくを、おどすこともできない。」と、ひとりごとをいいました。それをきいていた、そっきんの「カネアルざいむだいじん」が「おうさま、エキリスおうこくのイリザベスじょおうに、たのんでなんとかしてもらえないでしょうか。エキリスおうこくならユウセンおうこくと、くにと、くにとのこうりゅう(こっこう)があります。ぼうえきもかっぱつにおこなわれております。このルートでなんとかなるようなきがするのです。ユウセンおうこくは、もともとエキリスおうこくがたてなおしたくにです。ギン2せいはエキリスおうこくに「おん」があります。イリザベスじょおうのことなら、みみをかすのではないでしょうか。」と、いいました。それをきいていたおうさまは「なるほど。よいかんがえだ。さっそくエキリスおうこくに``ナカヨシがいむだいじん``を、とくしとしてつかわそう。もし、ユウセンおうこくがイリザベスじょおうのいうことをきかなかったばあい、エキリスおうこくから、けいざいせいさいをしてもらおう。そしてわがくにも、いま、おこなっている、じんどうしえをやめることにする。」と、いいました。ユウセンおうこくは、せんぜんとおなじくびんぼうだったのです。おおくのこうざんが、かいはつされましたが、これをいかす、ぎじゅつがありませんでした。

 きんきゅうに``とくし``としてきまった「ナカヨシがいむだいじん」は、エキリスおうこくへとたびだっていきました。やく、一ヶげつかけて、エキリスおうこくにつきました。さっそくイリザベスじょおうと「ひとさらいのもんだい」でかいだんしました。「ナカヨシがいむだいじん」は、レイ4せいのかんがえをすべてイリザベスじょおうにつたえました。そしてイリザベスじょおうは「けいざいせいさいは、しんちょうにかんがえなければなりません。そのくにの、こくみんがたべられなくなります。そのけいざいせいさいは、はっきりと、おやくそくできません。」と、いってきたのです。それにたいして、「ナカヨシがいむだいじん」は「わかりました。そのことをおうさまにつたえます。しかし、なんとかさらわれたこくみんを、とりもどしたいのです。このきもちだけはわかってほしいのです。」と、いいました。それにたいして、イリザベスじょおうは「きもちはわかります。のこされたかぞくのきもちをおもうと、わたしもひとのこのおやとして、むしすることのできないじゅうようもんだいです。わたしのくにのゆうこうこくにもはなしをしてきょうりょくしてもらいます。きっと、きょうりょくしてくれるでしょう。このことをおうさまにつたえてください。」と、いいました。「ナカヨシがいむだいじん」は「それはこころづよいことです。かんしゃします。」と、おれいのことばをかえしました。そんなことをいろいろとなごやかにはなしあっているうちにかいだんはおわりました。

 それから、やく三ヶげつすぎたあるひ、ハンガーおうこくのおうさまあてに、一つうのてがみがとどきました。それはエキリスおうこくの、イリザベスじょおうからのものでした。てがみのないようは「はいけい しんあいなるハンガーおうこくおうさまレイ4せいさまへ  このたび、ユウセンおうこくのおうさまのギン2せいと``ひとさらいのもんだい``で、はなしあいました。しかし、ギン2せいは、みみをかさず、まったくしんてんがありませんでした。おんきせがましく、むかしのこともいってみましたが、こころはかたく、どうすることもできませんでした。さいごにはかんがえてもいない``けいざいせいさい``も、ちらつかせたのですが、なんのこうかもありませんでした。さいごには``やれるものならやってみろ、まわりのくにのしろを、ひのうみ、にしてやるぞ!! ``というしまつです。このユウセンおうこくは、どうもひみつに、きょうりょくな、ぶきを、かいはつしたみたいなのです。わがくにの``ちょうほういん``(スパイ)のほうこくにもこのことがほうこくされていました。これらのつよきなはつげんのはいけいに、そのことがかんけいしている、とかんがえたほうがいいかもしれません。とにかくつよきなのです。けっか、はなしあいはしっぱいにおわりました。 けいぐ」ということがかかれていました。これをよんだレイ4せいはがっかりしたとどうじに、おそろしさもかんじました。きたいしていたものですから、らくたんぶりはそうとうなものでした。しかし、なんとか、き、をとりもどし「なにかよいかんがえはないものかなぁ。」と、ひとりごとをいいました。というのも、あしたが、さらわれてのこされたかぞくとの、はなしあいが、あるひだったのです。おうさまは、かぞくになんとほうこくしようかとなやんでしまいました。ますます、おうさまのくのうは、ふかまっていくばかりでした。

 つぎのひ、とうとうのこされたかぞくとのはなしあいが、しろのなかでおこなわれました。おうさまはしょうじきにイリザベスじょおうの、てがみのことをはなしました。かぞくも、なんのしんてんもなかったことをきいて、がっかりしてしまいました。そして、なにか、きょうりょくなぶきを、かいはつしたこともきになりました。そしてかぞくのだいひょうはおうさまに「このきかいにじんどうしえんをうちきってください。そんな、じんけんを、なんともおもわないくにに、じんどうしえんをするいみがありません。どうかおうさま、たのみます。」と、いってきたのです。おうさまは「じんどうしえんをうちきると、ユウセンおうこくの、こくみんが、たべられなくなってしまうのです。わたしもさいしょは、そういうことをかんがえました。しかし、ユウセンおうこくの、こくみんのことをかんがえたけっか、かんがえはかわりました。わたしもあなたたちのきもちはじゅうにぶんにわかっています。これからは、おうこくの、``えいち``をあつめて、かいけつさくをかんがえます。」と、いってなんとか、そのばをしのぎました。しかし、おうさまは、このもんだいでいきづまってしまったのでした。そして、とうとう、おうさまは、たくさんの``さけ``をのまなければ、よるもねむれなくなっていったのです。
それからすうじつがたってから、となりのユウセンおうこくが、はかいりょくのつよい、しんがたの「たいほう」をかいはつして、そのじっけんをしたというニュースが、きんりんしょこくにながれました。このしんがたの「たいほう」は、いっぱつで、そのくにの``しろ``をすべてはかいすることのできる、ちょうこうせいのうの「たいほう」だったのです。きんりんしょこくのおうさまたちは、ふるえあがりました。ユウセンおうこくはびんぼうなのですが、おうこくよさんのほとんどを、ぐんじひにまわす、きょうだいなぐんじおうこくにせいちょうしていました。せんぜん、せんそうにまけたきょうくんから、このようなぐんじおうこくのみちを、せんたくしたのでした。このことによってますます「ひとさらいのもんだい」は、かいけつがむずかしくなっていったのです。

おうさまは、まいにち、まいにち「ひとさらいのもんだい」でなやんでいました。そしてあるひ、ひとつのかんがえがうかんだのです。それは、おうこくのすべてのかいそうのひとたちのだいひょうを、「しろ」にあつめて、かいけつさくの、アイデアをきいてみよう、というものでした。おうさまはすぐに「フミオクルゆうびんだいじん」に、おうこくの、すべてのかいそうの、だいひょうしゃを、「しろ」にしょうしゅうする、てがみをおくるようにめいじました。そのにんずうは、なんと300にんに、のぼりました。おうさまは、おうこくの、すべてのちえをあつめて、かいけつさくをかんがえる「ひとさらいもんだいかいけつこくみんかいぎ」をひらいたのでした。そのけっか、いろいろないけんが、でてきました。なかでも、あるちほうの、としおいた、のうみんのだいひょうが「おうさま、みみがいたいはなしですが、ひとさらいのもんだいは、あなたのおとうさんであるレイ3せいさまが、せんぜんおこなってきた、あくせいにさかのぼるとおもうのです。あのころ、となりのユウセンおうこくの、おおくのこくみんを、きょうせいてきつれてきて、かこくなろうどうじょうけんで、はたらかせたのです。びょうきで、しんだひともたくさんいました。そのにくしみが、このひとさらいの、ねっこ、にあるようにおもうのです。だからいくら、けいざいせいさいなどの``もの``でたいおうしても、なんのこうかもないとおもうのです。ようはこのもんだい``にくしみ``というこころのもんだいではないでしょうか。」という、いけんをいったのです。これをきいていたおうさまは「そのことはかんけいしていない、とだんげんはできない。しかし、きんりんしょこくに、きいてみたが、やはりなんにんかはさらわれているのだ。ひとをさらわれたのはわがくにだけではないのだ。このじじつを、ふまえて、かんがえてみると、いちがいにそうとはおもえないのだが・・・・・。」と、いいました。すると、その、ろうのうみんだいひょうは「それはユウセンおうこくが、ハンガーおうこくに、せんぜんの、にくしみはない、とせかいのくにぐににおもわせる、カムフラージュだとおもうのです。ユウセンおうこくは、そんなかこのことは、きにしていない、ふところのふかいくにだ、とおもわせたいえんしゅつではないでしょうか。」と、いいました。おうさまは「うっうっうっうっ・・・・。」と、うなってしまいました。そのほかにも、たくさんの、いけんがでました。しかし、おうさまのあたまに、この、ろうのうみんだいひょうのいったことが、いつまでものこりました。そうこうしているうちに、``こくみんかいぎ``はしゅうりょうしました。

 それから一ヶげつがすぎたあるひに、おうさまは、のこされたかぞくを「しろ」にしょうたいして、ゆうしょくかいをひらきました。かぞくをもてなして、いまのくるしみをすこしでもやわらげようとかんがえたおうさまのアイデアでした。そして、おうこくから100まんユーロス(いまの、にほんのおかねで、かんざんすると300まんえん)が、かぞくにしきゅうされました。おうさまは「このひとさらいは、わがくににも、せきにんのいったんはあるようにおもいます。このおかねはいままでの、いろうきんです。きもちですから、うけとってください。」と、かぞくにむかってはなしました。なかにはなみだをながすかぞくもいました。かぞくもこのときばかりは、おうこくの「さく」のなさを、ひはんするひとはひとりもいませんでした。ゆうしょくかいは、せいこうにおわりました。しかし、おうさまのなやみはきえることはありませんでした。

 なんのさくもだせないまま3ねんが、すぎました。となりのユウセンおうこくは、ますます、ぐんじこっかとして、せいちょうしていました。そのきょういは、ますますおおきくなるばかりです。そのころ、エキリスおうこくのていあんで、ユウセンおうこくの、きんりんしょこく三ヶこくと、エキリスおうこくをふくめて、ごうけい五ヶこくで、しんがたの「たいほう」などの「はいき」などをもとめる「ぐんしゅくかいぎ」をひらく、ていあんがなされました。かくおうこくは、このかいぎを、ひらくことにどういしました。ハンガーおうこくは、ひとさらいのもんだいをかいけつする、ぜっこうのチャンスととらえました。このぐんしゅくかいぎで「ひとさらいのもんだい」をからめたかったのです。なんかいか、ぐんしゅくかいぎが、ひらかれたのですが、りがいが、たいりつしたまま、なんのしんてんもありませんでした。ハンガーおうこくは、ちからのあるエキリスおうこくにたのむばかりです。かっこくからは、ひとさらいのもんだいを、たなにあげて、ぐんしゅくかいぎだけでも、すすめるべきだ、という、いけんがでてきました。なかには「ハンガーおうこくは、じぶんで、なんのどりょくもしないで、ほかのおうこくにたのんでばかりいる。ひとにたのむまえに、じぶんでせいいっぱいどりょくすべきだ。せいいっぱいどりょくしたけっか、だめだったので、なんとかたのむ。となれば、これならばわかる。」というおうこくもあらわれてきました。しかし、なかには「ハンガーおうこくは、まえの、せんそうにまけて、ぶきも、へいしも、もてなくなってしまったのだ。こっこうもだんぜつしたままだ。たこくにたのむしかみちがないのだ。」と、ハンガーおうこくを、ゆうごしてくれるおうこくもいました。そんななかでのぐんしゅくかいぎは、ますますこんめいをふかめ、まったくしんてんしませんでした。ハンガーおうこくのおうさまは、こんなぐんしゅくかいぎに、もはや「ひとさらいのもんだい」は、かいけつできない、とみきりをつけました。

そんなみきりをつけたころ、ハンガーおうこくは、まったくあめがふらず、かんばつのひがいが、ぞうだいしていました。あるひ、おうさまは、このひがいのじょうきょうをしさつしようとかんがえて、すうにんのけらいをつれて、うまにのって「しろ」をしゅっぱつしました。そして、あるちいさな「ぬま」にきました。その「ぬま」はみずがなく、さかながぜんぶしんでいました。ししゅうがあたりにただよって、くさくてたまりません。おうさまは、けらいに「なんでさかなはしんだのだ。」と、しつもんしました。けらいは、あまりのあたりまえのしつもんにめんくらいました。そして「おうさま、なんでしんだかって、あたりまえじゃないですか。みずがなくなってしまったからです。さかなはみずのなかでないといきられないのですよ。なんでこんなことをしつもんするのですか。」と、ぎゃくに、けらいは、おうさまにしつもんしました。するとおうさまは「そうじぁったなぁ。さかなはみずのなかでしかいきられないよなぁー。そしてみずがくさってもいきられないよなぁ。じょうけんにあったみずのなかでしか、いきられないよなぁ。この「ぬま」にみずがながれていれば、さかなはしななくてもよかったんだよなぁ。」と、いいました。けらいは、おうさまが「ひとさらい」のきゅうしつのことばかりかんがえていたので、すこしあたまがへんになってしまったのかとおもいました。そしてその「ぬま」をすぎて、こんどは、ある、のうそんの、ちいさな、やまあいのぶらくにやってきました。そして、あるみすぼらしい、さいさな、いえのまえにさしかかりました。するとそのいえから、にんげんの``はいせきぶつ``のにおいが、ぷんぷんとしてきました。おうさまは、けらいに「なんでこのいえのまえだけ、こんなにくさいのだ。」と、いいました。すると、けらいは「ここは、ちけいのかんけいで、一ねんじゅう、かぜがまったくあたりません。そのため、かぜとおしがわるくて、こんなにくさいのです。」と、いいました。するとおうさまは「そうか、かぜとおしか。」と、ひとこといったきりでした。そして、けいかくどおりに、すべて``しさつ``をおえて「しろ」へかえっていきました。

 よくじつ、おうさまは、かくだいじんぜんいんをあつめました。そしてこんなことをいったのです。「わしはひとさらいのもんだいでひとつのけつだんをした。それを、きょう、このばで、はっぴょうする。」と、とつぜんいったのです。だいじんぜんいんはびっくりしました。「カネアルざいむだいじん」は「おうさま、とつぜんなにをけつだんしたのですか。」と、きいてきました。するとおうさまは「じつは、きのう、かんばつのしさつをして、しぜんからまなんだことがある。それはなにごとも、ながれがなければ、ものごとはすすまないということだ。なにもしなければ、くさるか、ふうかするか、わすれさられてしまうか、だ。きのうみてきた、さかながしんでいた``ぬま``と、かぜとおしがわるい、``いえ``のまえをとおりかかり、それがわかった。」と、いいました。すると「フミオクルゆうびんだいじん」が「おうさま、それだけではわかりません。もうすこしせつめいしてくれませんか。」と、いいました。するとおうさまは「となりのユウセンおうこくと、こっこうを、かいふくする、ということだ。とにかく、ひと、もの、かね、などのながれがなくてはどうすることもできない。まず、こっこうを、かいふくして、すべてのものをながすのだ。すべてはそこからだ。」と、いいました。すると「カネアルざいむだいじん」は「おうさま、それは、ぼうきょです。むぼうすぎます。こちらから、こっこうを、かいふくする、ということのはなしをもっていくことは、まえのせんそうの、``ばいしょうきん``をしはらうということですよ。ばくだいなきんがく、になります。いま、そんなよさんは、ありません。くにもかんばつでたいへんなときに、ばくだいなばいしょうきんを、よういすることはたいへんです。へたをすると、はさんします。だからそれだけはやめてください。」と、いいました。するとおうさまは「ざいむだいじん。まいぞうきんがあるだろう。わしはしっているのだよ。かく、やくしょで、まいとしのよさんを、あまらせて、ためこんでいることを。わしをみくびっていたのか。ぜんぶわかっていたのだ。ばいしょうきんをはらっても、あまるはずだ。じつは、わしのいきのかかっているやくにんに、ひみつじに、しらべさせたのだよ。」と、いいました。すると、ざいむだいじんは「わかってしまったならばいたしかたありません。しかし、そのおかねはおうこくがいざというときのためにつかうたいせつなおかねです。こっこうを、かいふくして、さらわれたひとたちが、まちがいなくかえってくるほしょうは、なにもありません。ぼうきょ、のなにものでもありません。おかんがえを、てっかいしてください。」と、いいました。するとおうさまは「こくみんは、くにのたからだ。いまがおまえのいう``いざというときだ``。たとえ、ひとりでもさらわれればなんとしてもとりかえすのがわがくにのせきにんだ。もうほかのおうこくにはいっさいたのまない。わしがちょくせつユウセンおうこくへのりこみ、ギン2せいと、ちょくせつはなしあう。せんぜんのことを、まずあやまり、そして``ばいしょうきん``をはらってくる。そして、``こっこうかいふく``のあかしとして、へいわじょうやくを、ていけつしてくる。そしてへいわじょうやくのなかに、ユウセンおうこくがさらっていった、わがくにのこくみんぜんいんを、かえすことももりこむ。これがわしのかんがえだ。」と、いいました。するとあるだいじんが「おうさま、もし、へいわじょうやくのなかの、ぜんいんかえす、ということが、ごうい、されなかったときは、どうするおつもりですか。」と、しつもんしたのです。するとおうさまは「もっともなしつもんだ。そうなったら、あなたもひとのこのおやではありませんか、といって、わがくにのこどもをさらわれたおやのことをはなすよ。あいてもにんげんだ。こっちはさいだいにじょうほして、はなすのだから、あいてはことわるこうじつがないはずだ。そこをついていくしかない。」と、いいました。するとあるだいじんは「むぼうなぼうけんですなぁ。」と、いいました。するとすかさずおうさまは、いままでとはちがうおおきなこえで「おまえらは、むぼうだの、ぼうけんだの、ぼうきょだの、といっているだけでなんとかしなければならない、というきもちがない。一せんにもならないもんだいには、しんけんにならずに、みちぶしんなどの、どうろのもんだいや、はしのもんだいとなると、め、をかがやかせるくせに。まったくおまえらは、こくみんのことは、なにもかんがえてないのだ。ひとのことだからなんのいたみもかんじないのだろう。このひとさらいのもんだいでなやんだだいじんはいるのか。このもんだいでよるもねむれなくなっただいじんはいるのか。いたらへんとうしろ!! さけをのんですぐ、グーグーと、ねて、いただろう。じぶんにとって``そん``になるようなもんだいは、ぜったいに、てを、つけないで、じぶんの、``りけん``に、からむようなもんだいは、いっしょうけんめいになる。そんなことでは、よいおうこくはつくれないぞ。こくみんは、おうこくのたからだ。いまに、こくみんをばかにしていると、``かくめい``がおきて、おまえらはギロチンでくびをきられ、しょけいされるぞ。これからは、もうはんせいしてもらって、おうこくづくりを、しんけんにかんがえてもらいたい。」と、かくだいじんを、いっかつしたのでした。そして、おうさまのかんがえはもうだれがなんといおうとかわりませんでした。おうさまはじぶんのすべてをかけて、だんことした、たいどで、のぞもうとしていました。おうさまのほんとうのきもちは、さらわれたこくみんを、とりかえせない、おうこくのしどうしゃは、しどうしゃとしてのしかくがない、とそこまでかんがえて、はらをきめていたのです。しかし、かぞくのなかにはそれにもかかわらず、おうさまのやりかたにたいして、ふまんをもっているひともいました。しかし、おうさまはこんきよく、そのはんたいしているかぞくにせつめいしました。そしてかぞくぜんいんから、こんかいのおうさまのやりかたにさんせいしてもらうことにこぎつけました。

 そしてとうとうレイ4せいは、すこしのけらいをつれて、となりのユウセンおうこくへのりこみ。ちょくせつギン2せいと、はなしあいました。レイ4せいはまず、まえにひらかれた「ひとさらいもんだいかいけつこくみんかいぎ」のときの、ろうのうみんのいっていたことをおもいだしていました。そしてギン2せいに、せんぜん、じぶんのおやじであったレイ3せいがおこなった、あくせいをあやまったのでした。そしてこのことをあやまってからは、なんのしょうがいもなく、すべての、あんけんが、おもしろいようにせいこうしていったのです。そしてさいごに、ギン2せいは「このようなひを、わたしはまっていました。」と、いったのです。そしてギン2せいはこうもいったのです。「あなたが、あなたのおとうさんがせんぜんおこなったことを、こころからあやまってくれたので、わたしのきもちはきまりました。もしあなたがひとことも、そのことにふれないで、どんなにじょうけんをつりあげても、わたしは、へいわじょうやくはていけつしなかった。」と。

 せいしきにひじゅんされ、すぐにりこうされた、へいわじょうやくで、ユウセンおうこくに、さらわれていた、すべてのハンガーおうこくのこくみんは、ぜんいんかえってきました。そして、なんこうをきわめていた「五ヶこくぐんしゅくかいぎ」は、たしょうのたいりつはありましたが、ユウセンおうこくをのぞく四ヶこくが、だいきぼな、けいざいえんじょをするかわりに、ユウセンおうこくが、しんがたのたいほうを「はいき」することで、はなしがまとまりました。それからというもの、ユウセンおうこくも、きんりんしょこくとの、かっぱつな、けいざいこうりゅうがなされ、だんだんにゆたかになっていきました。そしてハンガーおうこくと、ユウセンおうこくは、ひと、もの、かね、のながれがかっぱつになり、すえながくしあわせになったとさ。
おしまい

No24. ``さいせんどろぼう``になった「ごんぞう」

 むかし、むかし、えちごのくに(いまのにいがたけん)のあるまちに``ごんぞう``という、ごふくやの、わかだんなが、すんでいました。``ごんぞう``は、おやがのこしてくれた、りっぱな「みせ」と「いえ」をもっていました。かあちゃんは``おちよ``といいました。それは、それは、はたらきものでした。``ごんぞう``のりょうしんは、いまはすでに、しんでいませんでした。``ごんぞう``はひとりっこで、りょうしんにかわいがられてそだてられました。``ごんぞう``と``おちよ``のあいだには、ふたりのこどもがいました。しょうばいもうまくいき、なんのしんぱいもなく、くらしていました。

 そんなしあわせなまいにちを、おくっていた、あるひのこと、まちのいざかやで、ひょんなことから``すけぞう``という、あそびにんにこえをかけられました。``すけぞう``は「なんだ、ごふくやのわかだんなさんじゃぁねぇけぇ。まあまあ、きょうはいっしょにのまねけぇ」とはじめてなのに、なれなれしくいいよってきました。すると``ごんぞう``は「なんでおれのことを、しっていっろうのう」といいました。``すけぞう``はすかさず「あんげ、かねもちのごふくやさんだもの、おめさんを、しらないにんげんはいねてぇねぇ。まぁ、これもなにかの``えん``ですけ、きょうはのまねけぇ」といいました。``ごんぞう``はそんなことをいわれていいきもちになり、つい、き、をゆるし「ひとりでのんでも、おもしろくもなんともねっけぇ、いっしょにのもてぇねぇ」といいました。すると``すけぞう``は「さすがまちいちばんのかねもちは、はなしがわかんねぇ」ともちあげました。ますますいいきもちになった``ごんぞう``は「きょうののみだいは、おれがはらうっけぇ、たくさんのもてねぇ」といいました。そして「おーい、さけをどんどんもってきて、くんねっろっか」と、そのみせのしゅじんにたのみました。``すけぞう``は「きょうのところは、おことばにあまえてごちそうになっけぇ」といいました。するとふたりは、でてきたさけをのみはじめました。のみはじめて、しばらくして``ごんぞう``は「ところで、おめさん、なにしているひとろっかのー」と``すけぞう``にきいてきました。``すけぞう``は「おれはただのあそびにんだてねぇ。かおちゃんにくわせてもらっている、ふうらいぼうだてぇねぇ」といいました。``ごんぞう``はなんのうたがいももたず「そうけぇ。らくでいいなぁ」といいました。そんなことをいいあっているうちに、さけがどんどんすすみ、ふたりとも、かなりよっぱらってきました。そんなじょうたいのなかで``すけぞう``が「ところで、わかだんなさんは、``さいころとばく``ってしってけぇ」といいました。よっていた``ごんぞう``は「ちょうはんのことけぇ」といいました。すると``すけぞう``は「そうれぃ」といいました。すかさず``すけぞう``は「だんなさん、たまには、はめをはずしてもいいんじゃぁねぇけぇ。もうかりますぜ。ただし、とばくはおかみできんしされているので、ないしょにたのむれ」といいました。なんと``すけぞう``は``ごんぞう``をおかみにきんしされている``さいころとばく``にさそっていたのです。``すけぞう``はさいころとばくのどうもとの、やくざのおやぶんの、こぶんだったのです。もちろんいかさま(いんちき)とばくでした。それとはしらずに``ごんぞう``は「まだうまれてこのかた、とばくというものはやったことがねっけぇ、けいけんのためにやってみっかぁ」とさけのいきおいもあって、ついつい、いってしまったのです。それをきいていた``すけぞう``は「それじぁ、さっそくあしたのよる、とばをひらくっけぇ、ここでいっぱいひっかけて、とばへ、ごあんないしますっけぇ。あしたの``いぬのこく``に、ここでまちあわせしょうてぇねぇ」といいました。すると``ごんぞう``は「わかったれ」といいました。いかさまとばくとはわからない``ごんぞう``は``すけぞう``のはなしにのってしまったのでした。そんなやくそくをしたふたりは、さけもすすみ、おたがいよっぱらって、いざかやをあとにしました。``すけぞう``はひとりかえりみちで「うまくいった。これで``かも``がひとりふえた。なんのくろうもしてねぇ、あんな``ばか``な、わかだんなをだますことは、かんたんなことだ。ワッハァハァ・・・・・」とひとりごとをいってわらってかえりました。ぎゃくに``ごんぞう``は、いかさまとばくに、さそわれたとはつゆしらず、けいけんしたこともないとばくに、こころをうきうきさせて「あしたがたのしみだ」とひとりごとをいってかえりました。

 よくじつふたりはやくそくどおり、ちょいとさけをひっかけ、おやぶんがどうもとの、とばへいきました。さいころとばくは「ちょうはん」のかんたんなものです。なんにんか、とばに、おきゃくがきていました。そのひ``ごんぞう``はなんと、いきなり50りょうほどの、たいきんをもうけました。どうもとのおやぶんと``すけぞう``がくんで、わざともうけさせたのでした。``ごんぞう``はそんなことはしらないで、かえりぎわ``すけぞう``に「すけぞうさん、こんなにもうけてわるいねぇ」といったのです。``すけぞう``はすぐに「いやいやぁ、``ごんぞうさん``は、ばくちのさいのうがあっねぇ。たいしたものだ。どうです、あしたもここでとばをひらくのでやってみねけぇ」といってきたのです。``ごんぞう``は「どっちみち、よるはひまらっけぇ、また、くるっけぇ」といって、いいきもちでかえっていきました。よくじつもまたもうかりました。あそびながらもうかる、こんないいことが``このよ``にあったのかと``ごんぞう``はおもいました。てんにものぼるきもちになってしまいました。``ごんぞう``は、かんぜんにまいあがってしまったのです。つぎのひもさそわれ、またもうかりました。``ごんぞう``はとうとうこのとばくにはまってしまいました。``すけぞう``とおやぶんは、それがもくてきだったのです。なにせ、いかさまですからなんでもできます。``ごんぞう``はおおもうけし、たいきんを、てにいれていました。あたまのなかは「ちょうはん」のさいころで、しはいされるようになりました。ねればねたで、ゆめにまで、でてくるしまつです。``ごんぞう``は``すけぞう``とおやぶんの、おもうつぼにはまってしまったのです。

 ``ごんぞう``は、さいころとばくをやっていることを、かあちゃんの``おちよ``には、ひみつにしていました。とばにいくときは、てきとうに、りゆうをつけて、でかけていました。よるになると``ごんぞう``はおちつきません。あたまのなかが、さいころとばくいっしょくになり、いてもたってもいられません。じぶんがはめられていることにきづいていない``ごんぞう``は、きょうもでかけました。どうもとのおやぶんのところへ、いっちょくせんです。きょうも、もうけるつもりでいた``ごんぞう``でしたが、まけがこんできました。それいらい、なんかいやっても、もうけることができません。まいにち、まいにち、とばへかよったのですが、もうけることができません。そのうちに、いままでもうけた、てもちしきんと、みせからもちだしたかねが、そこをついてしまいました。そしてとうとう、じぶんの「みせ」と「いえ」をたんぽにし、おやぶんからしゃっきんまでしてのめりこんでしまいました。``すけぞう``は「ごんぞうさん、おめぇさんは``ばくちのさいのう``があるから、かならずとりもどせっれ」などと、てきとうなことをいわれていました。``ごんぞう``は``ごんぞう``でさいしょにもうけたものですから``ばくちのさいのう``があるとしんじています。どんどんおやぶんからしゃっきんをしては、かけていったのです。そしてとうとうあるひ、のっぴきならぬところまでいってしまいました。きがついてみると、もはや、しゃっきんをかえせないところまでいっていたのです。``ごんぞう``はおやぶんになきつきましたが、あとのまつりです。とうとう``ごんぞう``はたんぽにしていた「みせ」と「いえ」をおやぶんにとられてしまいました。``すけぞう``とおやぶんのわなにはまり、いちもんなしになってしまったのです。

 ``ごんぞう``はこのことを、かあちゃんの``おちよ``にはなしました。``おちよ``はこんな``ばかなていしゅ``だったとはおもわなかった、といって、ふたりのこどもをつれて、さっさとじっかへ、かえってしまいました。``み``からでたさびとはいえ``ごんぞう``は、てんがいこどくになってしまったのです。そしてこのまちからでていき、となりのまちの``はしのした``でくらすようになりました。しごともなく、まいにち、ぶらぶらするひを、おくっていました。くいものは``りょうりや``のざんぱんを、あさってなんとかくいつないでいました。

 あるとき``ごんぞう``は、まちのおみやで、さんぱいしゃが「さいせんばこ」におかねをいれるのをみていました。そしてふと「ははあー。さいせんばこには、いくらかのかねがはいっている。それをよせあつめれば、なんとかくっていけるかもしれねぇ」とかんがえたのです。そして、そのひのよるから、さいせんどろぼうをはじめたのです。やってみるといがいと「さいせんばこ」のなかにおかねがはいっていました。``ごんぞう``は「さいせんばこ」からおかねをぬすむとき、かならず、てをあわせ「かみさま、ほとけさま、もうしわけありません。くえなくなってしまったので、このさいせんばこのなかのおかねをもろっけぇ、かんべんしてくんなせやぁ」といってはぬすんでいました。こんなせいかつをしばらくしていたのですが、もっともうけたいとおもい、どろぼうするはんいを、ひろげることにしました。かなりとおくまで、あしをのばすようになりました。

 あるひのよる、``ごんぞう``はあるむらの、おじぞうさまのさいせんばこに、きがつきました。そのおじぞうさまは「まごころじぞう」というなまえがついていました。このおじぞうさまは、ひとをかいしんさせてくれるということで、このへんではゆうめいなおじぞうさまでした。そんなおじぞうさまとはつゆしらず、``ごんぞう``はそこの「さいせんばこ」をゆすってみて、びっくりしてしまいました。おかねがたくさんはいっていて、うごかないのです。``ごんぞう``は「しめしめ、こんなにかねがはいっているとは。いいところにあたったものだ。めったにあるものではねぇ。それにしても、みため、てぇしたこともない、おじぞうさんなのに、なんでこんなに、さいせんがおおいんだ? なんかとくべつな、おじぞうさんなのかなぁ?」などと、ひとりごとをいいました。そしていつものように「かみさま、ほとけさま、もうしわけありません。くえなくなってしまったので、このさいせんばこのなかの、おかねをもろっけぇ、かんべんしてくんなせぇやぁ」といいました。そして、そのなかのおかねをいつものようにぬすもうとしたそのとき、くらやみのなかから「ごんぞう、ごんぞう」とじぶんのなまえをよぶこえがするではありませんか。``ごんぞう``はなにかのまちがいではないかとおもい、また、おかねをとろうとしたとき「ごんぞう、ごんぞう」とまたじぶんのなまえをよぶこえが、くらやみのなかからきこえるではありませんか。``ごんぞう``はじぶんのみみをうたがいました。「たしかいま、だれかおれをよんだぞ。おーい! だれかいるのか、いたらへんじしろ! 」といって、あたりをみまわしました。しかし、なんのへんじもありませんでした。あたりはしずまりかえっているだけです。そして「まさかおじぞうさんがしゃべるわけがないよなぁ。おれのなまえをしっているはずもないしなぁ」とひとりごとをいって、またかねをぬすもうとして、さいせんばこに、てをつけたそのとき。「ごんぞう!! ぬすむまえにゆるしてください、といってもかんべんできないぞ!! わたしはここのじぞうだ。わたしのかおをまっすぐみてみろ!!」というまえよりおおきなこえが、たしかにきこえました。``ごんぞう``はあわてて、おじぞうさまのほうをみました。そして、おじぞうさまのじあいにみちた``め``が、くらやみのなかでカットみひらき、そのしゅんかん、きらりとひかりました。それにはさすがの``ごんぞう``もびっくりぎょうてんし「ウワァー! で、で、で、でたー!!・・・」と、おおごえをだし、あまりのおそろしさにこしをぬかして、じめんにかがみこんでしまいました。そしてしばらくのあいだ、ただぼうぜんとなってしまいました。しばらくして``ごんぞう``は「た、た、た、た、た、たしかに、お、お、お、お、お、おじぞうさまろっかぁ」と、おそろしさにふるえながら、しどろもどろでききなおしました。するとおじぞうさまは「そうだ。わたしはここのじぞうだ。おまえのことはよくしっている。たしか、おかみにきんしされている、さいころとばくに、こころをうばわれ、``みせ``と``いえ``をなくして、いちもんなしになり、かあちゃんとこどもにもみはなされ、てんがいこどくになったのだよなぁ」といいました。すると``ごんぞう``はこしをぬかして、たてないじょうきょうのなかで、いまだはんしんはんぎで「おじぞうさま、どうしてそんなことまでしっていっろーのー。おれはさっぱりわからんてぇねぇ。もしほんとうにおじぞうさまだったら、きょうのところはなんとか、かんべんしてくんねぇろっかねぇ。ほんの、で、で、できごころでやってしまいました。おゆるしを」といいました。するとおじぞうさまは「わたしは``このよ``におきているすべてのことはしっている。いま、おなえとこうしてはなしているのは``ゆめ``でも``まぼろし``でもないぞ。おまえとなにかの``えん``があったのだ。まえおきはさておき、``ごんぞう``よ、いくらくえないからといって、ひとさまのものをぬすんでまでいいということはないぞ。みんないっしょうけんめいにはたらいて、たべているのだぞ。じぶんだけらくして、ひとさまのものをぬすんで、もうけようとするこころねが、まちがっているぞ」とやさしく``ごんぞう``にかたりかけました。すると``ごんぞう``は「おじぞうさま、いうてはなんですが、いまのよのなか、ふけいきではたらくばしょもねっし、もしはたらいたとしても、じょうけんのいいところもねぇてねぇ。こんげな``よのなか``がわるいし、おやのそだてかたもわるいっけぇ、おれはこんなにんげんになったんだ!!」と、すこしごきをつよめていいました。するとおじぞうさまは「ほほおー。よのなかがわるい、おやがわるい、と、きたか。じぶんはわるくないのだなぁ。おまえはりょうしんのあいじょうをいっしんにうけ、かわいがられてそだてられ、なにふじゆうなくそだったので、おまえのこころのなかに、あまえのこころがあるのだ。それがおまえをだめにしている、はんにんのひとりだ。そうではないか、ごんぞう」といいました。すると``ごんぞう``は「そうかもしんねてぇねぇ。うまれてこのかた、くろうしたことはねっけぇ、かんたんにひとをしんようし、おだてられれば、すぐにそのきになってしもたてねぇ」といいました。するとおじぞうさまは「おまえもあるていどは、きがついていたのだなぁ。しかし、ごんぞう、あるていどでは、こころのそこからわかったとはいえないぞ。むねに``て``をあててよーくかんがえてみろ。``おれがこうなったのはすべて、よのなかがわるい、おやがわるい、おれはわるくない``。と、じぶんをせいとうかしている、おまえのこころはまちがっているぞ。おまえのこころのなかに、ゆうわくにかんたんにまけてしまう、もうひとりのよわいじぶんがいるのだよ。これがいま、おまえを``さいせんどろぼう``にしているもうひとりの、だいにの、はんにんだぞ。おまえのこころのなかでは、かけごとはいいことではないし、ましてやどろぼうはわるいことだ、とわかっているはずだ。わかっているから、さいしょわたしがこえをかけたとき、あやまったのだよなぁ。しかし、わかっちゃいるけどやめられない、とくる。これはおまえのこころのちからかんけいで、ゆうわくにまける、よわいこころが、かっているからだ。ということは、よのなかがわるいということでもないし、おやがわるいということでもない。おまえじしんがわるいということだ。そしてなぁ、ごんぞう、おまえはほんとうのおかねのありがたみがわかっていない。ほんとうにおかねのありがたみがわかっていれば、かんたんにかけごとなどに、おかねはつかわないし、``みせ``と``いえ``をたんぽにして、かんたんにおかねをかりることはしないぞ。おまえがあせみずながし、くろうしてつくった``みせ``と``いえ``だったら、とばくのために、かんたんにたんぽには、いれられないはずだ。おやからかんたんにもらったから、こんなことになったともいえるのではないのか。どうだ、ごんぞう、これからこころをいれかえて、あせみずながし、はたらいて、かせいでみてはどうだ。にんげん、ほんとうにくろうしなければ、おかねのありがたみもわからないし、ものごとのほんとうのこともわからないぞ。にんげんは、あせみずながして、くろうしてえたおかねだけが、みにつくのだよ。とばくや、どろぼうをしてえたおかねというものは、みにつかないものだ。このよのなかで、あそびながらもうかるものなどないのだ。これらのことを、このきかいによくかんがえてみたらどうだ」といいました。そのことをきいていた``ごんぞう``は「そんなこといったってぇ、こんなよわいおれをうんだ、おやがわるい。ましてや、とばをてっていてきにとりしまらない、よのなかもわるい。おれはやっぱりわるくねぇ」といいました。するとおじぞうさまは「こんどはとりしまらない、よのなかがわるい、うんだおやがわるいときたか・・・。このばちあたりめがぁー!! まだわからないのか、ごんぞう!! たしかによのなかもわるい。それはみとめる。しかしなぁ、にんげんのれきしのなかで、これがいいよのなかだ、すばらしいよのなかだ、というじだいはあったのか? そんなじだいなどはなかったのだよ。ほとんどいくさのれきしだよ。ころしあいのれきしだよ。どんなじだいでも、なんらかのもんだいを、せおっているのだよ。それじぁどうすればすこしでもいいよのなかにしていくことができるんじぁろうなぁ。それはなぁ、おまえのようにどろぼうするような``こんじょう``を、よのなかをすこしでもよくするためにその``こんじょう``をいいことにつかうことだ。そんなこころがけをしていくひとがおおくなってくれば、よのなかはかわるのじゃよ。よのなかがわるいというまえに、おまえのこころをまずかえて、そっから、よのなかをひはんしろ、ということだ。そうすればどんどんいいよのなかになってくるということよ。おまえはもうふんべつのあるおとなだぞ。こどもではないのだ。もし、おまえがこどもならこんなことはいわない。ふんべつのあるおとなだからいうのだ。いまのような、ゆうわくに、みちみちている``よのなか``をいきていくためには、しっかりとしたかんがえかたをもって、いきていかないと、すぐにたにそこへ、てんらくしてしまうのだぞ。しっかりとした、かんがえかたをせんたくするか、それともゆうわくにまけて、どっぷりと、かんらくにひたるか、やけや、はらいせなどで、``あく``をせんたくするかは、よのなかが、せんたくしてくれるものでもないし、おやがしてくれるものでもない。おまえじしんのあたまで、かんがえて、せんたくしていくしかないのだ。なにもなぁ、かんらくが、わるいといっているのではないぞ。ほどほどにということだ。げんどをわきまえろ、ということだ。ごんぞうよ、にんげんは、いっしょう、じぶんのこころのなかにすんでいる``ぜんのこころ``と``あくのこころ``とたたかっていくしかないのだ。おまえのさいだいのてきは、おまえのこころのなかにすんでいるのだよ。それとなぁ、にんげん、いったんよいことをかんがえだすと、よいちえが、どんどんでてくるし、わるいことをかんがえだすと、わるじえが、どんどんでてくるものなのだ。そしてなぁ``ごんぞう``、おまえのりょうしんはおまえを``さいせんどろぼう``にするために、いっしょうけんめいにそだてたわけではないぞ。それなりの、にんげんになってもらいたいとおもって、そだててきたはずだ。おまえはそんなおやごころを、む、にしようというのか。きっといまごろ``くさばのかげ``でないているぞ。わたしがいまいった、これらのことはわかるよなあ、ごんぞう! 」と、ごきをあらげていいました。これをきいていた``ごんぞう``は、ふしぎといままでのつっぱりはきえ、なんとなみだをながして、ないているではありませんか。そしてなみだごえで「おじぞうさま、じぶんのことをたなにあげて、ひとのせいにしていた、おれがまちがっていたてねぇ。いまやっとわかりました。しんだおやにあわせるかおがねぇてねぇ。これからはこころをいれかえてはたらくっけぇ、いままでのことはかんべんしてくっねぇろっかのー」といいました。するとおじぞうさまは「やっとわかってくれたか。おまえがほんとうにこころからそうおもっているなら、いままでのつみは、みずにながしてもいい。しかし、ただくちだけでそういっているならば、かんべんできないぞ」といいました。それをきいていた``ごんぞう``は「おじぞうさま、おれはほんとうにじぶんが``ばか``だったと、``いま``わかったてねぇ。これからは、ほんとうにこころをいれかえてがんばっれぃ。うそはいわねっけぇ」といいました。するとおじぞうさまは「そうか、そこまでいうならおまえをしんじることにする。にんげんは、なにかあったとき、そのつど、こころからはんせいして、こころをいれかえ、やりなおしていきていくならば、どんなことがあっても、いきづまることはないぞ。じぶんがわるかったと、こころからはんせいし、あたらしく、うまれかわろうとする、にんげんを``てん``は、みすてたりしないものだぞ。これからがんばるんだよ」と``ごんぞう``をはげまして、めをとじ、それっきり、なにもはなしませんでした。``ごんぞう``は、きつねにだまされたようなきぶんで、このおじぞうさまとのやりとりを、かんじていました。ほんのいっときのできごとだったのです。なにか「ゆめ」か「まぼろし」をみているようでした。``ごんぞう``はゆっくりとたって、さいせんばこからはなれ、おじぞうさまに、てをあわせて「おじぞうさま、ありがてぇかったれぃ」とひとことおれいをいって、ゆっくりと、そのばを、はなれました。

 そしてこのことがあってから、すうじつご、``ごんぞう``は「まごころじぞう」でのできごとを、しぬまで、じぶんのむねにおさめ、``だれにもはなすまい``とかたくけついしました。ひとにはなしても、しんじてもらえるとはおもわなかったのです。せいぜい、あたまがへんになった、といわれるのがおちだ、とおもったのです。そんなけついをしてからというもの``ごんぞう``はひとがかわったようになりました。いままで、``さいせんばこ``から、ぬすんで、ためてあいたおかねは、めぐまれないひとたちにぜんぶくれてやりました。そしてどんなきついしごとでも、あせみずながして、いっしょうけんめいはたらきました。そして、じっかにかえっていた``おちよ``とこどもたちをよびよせ、いままでのことを、こころのそこからあやまりました。そして、いっしょにながやですむことにし、これからは、あせみずながして、はたらくことをやくそくしました。それからというもの``ごんぞう``は、われをわすれてはたらきました。そしてそのご、どうもとのおやぶんのところに、だいかんしょのていれがあり、おやぶんと``すけぞう``いちみは、すべておなわになりました。``ごんぞう``も、とばっちりをうけましたが、だまされただけということで「ひゃくたたき」の、ばつをうけただけで、しゃくほうされました。そしておやぶんにとられていた「みせ」と「いえ」は``ごんぞう``にかえされました。``ごんぞう``はうんよく、またごふくやとして、やりなおすことができました。それいらい``ごんぞう``は「まごころじぞう」との``であい``にかんしゃし、ねんに、いっかい「まごころじぞう」への``おれいまいり``をかかすことはありませんでした。そしてかぞくともども、ほんとうのしあわせをみつけたとさ。
おしまい                       

No25. 「よめ」や「むこ」をおいだした「おにばばあ」

 むかし、むかし、あるむらに、それは、それは、おおきな、ひゃくしょうの、いえがあったと。たんぼはむらいちばんたくさんもっていたと。そこのいえには、そろそろよめをもらってもいい、としごろの、せがれがおったと。せがれは、いちねんにいっかいの、むらのあきまつりのときに、あるむすめにひとめぼれしてしまったと。そしてさっさとけっこんしきをあげて、よめにしてしまったと。

 ところが、このよめさんは、からだがよわく、いつもびょうじゃくで、じゅうろうどうの、ひゃくしょうしごとが、できなかったと。それでも、げんきなかしこそうなちょうなんをうんだと。でもびょうじゃくはなおらず、ひゃくしょうしごとが、なかなかおもうようにできなかったと。そのことにいつもふまんをもっていた、そこのうちのばあさんは「まったく、うちのよめは、やくたたずの、おおめしぐいだ」といつも``ぐち``をいっていたと。むらじゅうに、こんなことをいつもいいふらしていたと。せがれが「そんなことをいうのだけはやめてくれ。よめさんがかわいそうだ」とばあさんにたのんでも、ばあさんはききみみもたなかったと。このばあさんは、よめにいたわりのことばひとつかけなかったと。

 あるひ、ばあさんが、じいさんに「うちのよめは、なんのやくにもたたない``ぐずよめ``なので、おいだそう」とそうだんしたと。じいさんも、ばあさんのかんがえにしたがったと。じいさんは、そこのうちの、むこさんだったと。ずぅーと、ばあさんのしりにしかれていたと。

 それから、すうじつご、ばあさんがせがれに「よめはなんのやくにもたたないから、ひとりで、でていってもらうぞ」といったと。ばあさんは、せがれを、あととりとしてそだててきたので、きっとじぶんのいうことを、きいてくれるとばっかりおもっていたと。しかし、それをきいたせがれは、びっくりぎょうてんして、ばあさんに「よめがでていくなら、おれもいっしょにでていく!」といったと。それをきいたばあさんは、じぶんがかんがえているとおりにいかなかったので、びっくりして「おまえはこんなにいっぱいあるたんぼより、よめさんのほうがいいのか」といったと。するとせがれは「そうだ。たんぼなんかいらねぇ。おれは、よめさんがいい。よめさんがどんなにびょうじゃくだろうと、おれは、よめさんを、あいしているんだぁー!!」といったと。それをきいたばあさんは「なんでこんな、なんじゃくなせがれになってしまったのだろう」とおもったと。そして、そのことをしったむらのだいたすうのひとたちは、このせがれを「こんじょうなしの、ばかせがれ!! こんじょうなしの、ばかせがれ!!」といってばかにしたと。しかし、ごくごく、いちぶの、むらのひとは「あんなにおおくの、ざいさんをすてて、``あい``をえらぶことは、なかなかできるものではない。どんなじんせいになろうとも、きっとかぞくともども、ほんとうのしあわせを、まっとうするにちがいない」といっていたと。

 そんなこんだ、しているあいだに、せがれとよめは、さっさとちょうなんもつれて、あるまちへひっこしていったと。ひっこしたあと、じいさんはすぐにしんでしまったと。ばあさんはあとのことがしんぱいになったので、ちょうどとしごろの、うちにいるひとりむすめにそうだんしたと。そしてそのむすめに、むこさんをもらって、うちをついでもらうことにしたと。

 それからいちねんご、となりむらから、りっぱなからだをした、じょうぶなむこさんをもらったと。このむこさんは、かぜひとつひかない、からだのじょうぶなひとだったと。ひゃくしょうしごとをするためにうまれてきたようなひとだったと。はたらくは、はたらくは、ばしゃうまのごとくはたらいたと。ばあさんはいいむこがきたとよろこんで、むらじゅうにいいふらしていたと。

 ところがしばらくして、このむこさんの、ほんとうのことがわかってきたと。じつは、このむこさんは、おおざけのみだったと。はんぱなものではなかったと。このおおざけのみをかくして、むこにはいったと。たんぼしごとがおわってからというもの、のむわ、のむわ。これにはばあさんも、あいたくちがふさがらなかったと。まいばん、まいばん、さけがなくなると、よっぱらって「おーい!! さけかってこい!!」とどなるしまつだったと。いくらたんぼがいっぱいあっても、しゅうにゅうのほとんどは、さかだいにきえたと。ばあさんはこのことが、しんぱいで、しんぱいでよるもねむれなくなってきたと。くわえて、このむこさんと、ひとりむすめとのあいだには、どんなにがんばってもこどもができなかったと。

 あるひばあさんは、とうとう``かんにんぶくろ``のおがきれて、ばくはつしたと。このむこさんにむかって「このおおざけのみの、ばかむこが!! さかだいで、ざいさんをくいつぶすきかぁー!! おまえなんかでていけ!!」とおおごえで、どなったと。それをきいたむこさんは「こんなうち、いますぐでていってやる!! このおにばばあ!!」とすてぜりふをのこして、よくじつ、さっさとでていったと。

 そして、このむこさんがでていったすうねんごに、ひとりむすめが、きゅうなはやりやまいで、あっというまにしんでしまったと。またべつなあたらしいむこを、もらおうとかんがえていたばあさんは、がっくりしてしまったと。そんな``しんろう``がたたって、さすがのばあさんも、ひゃくしょうしごとができなくなり、たんぼはあれほうだいになってしまったと。ひとりむすめがしんでから3ねんごに、このばあさんもさびしく、しんでしまったと。このばあさんがしんだことで、このむらいちばんの、おおびゃくしょうのいえはほろんだと。

 ところが、ところが、まちにひっこしたせがれは、しょうばいをおこしてせいこうしていたと。ひとつぶだねのちょうなんも、りっぱにせいちょうしていたと。このちょうなんが、なかなかゆうしゅうで、おやじのしょうばいをたすけたと。そして、なんとよめさんは、さいしょにひっこしてから3ねんごぐらいには、からだもじょうぶになり、びょうきひとつしない、にんげんにうまれかわっていたと。そしてこのちょうなんのだいで、しょうばいをおおきくひろげ、まちいちばんのおおがねもちになったと。このちょうなんは、ただたんなるかねもちでなく、まちのめぐまれないひとたちのめんどうも、かげながらみていたと。そして、でていったむこさんも、しんせきのひとの、せっとくがきいて、じっかにかえってきて1ねんごに、おおざけのみはなおって、すっかり、うまれかわっていたとさ。         おしまい                

No26.ねずみの「さんたろう」のおんがえし

 ときは1960ねんだい、のはじめのあき。にほんの、やまあいのいなかのあるむらに、たくさんの、ねずみがすんでいました。そんなむらの、のうかのなかに「きむらいちろうさん」というのうかがありました。いちろうさんは65さいでした。いちろうさんは、あまりにもねずみがおおくて、あたまをいためていました。あきになると、くろうしてつくったこめが、おおきなひがいを、うけていたのです。また、いもや、そのたの、しょくりょうひんも、いちねんをつうじて、ひがいをうけていました。これにあたまをいためた、いちろうさんは「このねずみどもを、あらゆるほうほうで、つかまえてやる!」と、いきまいていました。むらぜんたいでも、ねずみのひがいは、しんこくで、ねずみいっぴきのしっぽを、むらやくばにもっていけば、それにたいして、5えんの、くじょたいさくひが、もらえたのです。

 いちろうさんは、さっそく、ぱっちんや、ねずみかご、ねこいらずを、じゅんびしました。そしてそれらをしかけたり、まいたりして、ほぼすべてのねずみたちを、つかまえたりて、ころしました。しかし、いっぴきだけ、おおくのなかまが、しんだにもかかわらず、いきのこった、ねずみがいました。そのねずみは、なかまに、きけんをしらせていたのですが、なかまからは、ききいれてもらえませんでした。そのために、そのねずみは、おおくのなかまが、にんげんにつかまって、ころされたりしているのを、みているしかなかったのです。そのねずみだけは、にんげんの、わなに、はまらなかったのでした。このねずみこそ、このものがたりのしゅじんこうです。

 このねずみは、すぐに、じぶんのなかまを、ころした、きむらいちろうさんのいえをでて、いちろうさんのいえから、やく200メートルはなれている「さとうけんじさん」という、のうかにすむことにしました。さとうけんじさんは60さいでした。このいえには、そのほかのねずみは、いっぴきもすんでいませんでした。さとうけんじさんは、このちほうでも、ゆうめいな、ねずみとりの、めいじんでした。そんなこともしらずに、このねずみは、すみついてしまったのでした。このねずみが、まえの、きむらいちろうさんのいえで、いちばんまなんだことは、まず、にんげんに「すんでいることをさとられないこと」でした。

 すみついて、すうじつたったあるよる、けんじさんのかぞくが、ねしずまったころ、このねずみは、だいどころで、たべものがあるかどうか、おとひとつたてずに、さがしまわっていました。あちこち、あるきまわって、さがしてみても、なかなか、たべものがみつかりませんでした。そのうちに、うんちをもようしてきました。ねずみは「にんげんの、め、にあたるところに、うんちをしては、ここにすんでいることがわかってしまう。にんげんの、め、にあたらないところでやるしかない」と、かんがえました。そのけっか、めにつけたところが、にんげんの、め、にはみえない、たかいしょっきだなの、いちばんうえでした。そこでうんちをして、すっきりしたねずみは、ひきつづき、たべものをさがしました。しかし、なにもみつけることができませんでした。そうこうしているうちに、よるがあけてきました。ねずみは、だいどころの、しょっきだなの、うしろにかくれました。いちにちじゅう、そこで、じっとしていました。にんげんに、きづかれないようにするためには、かんたんではありませんでした。

 そしてつぎのひの、まよなかに、またたべものをさがしました。うんよくそのばんは、なしが5こ、だいどころに、おいてありました。ねずみは、そのなかの、いっこに、ちいさい、あなを、あけて、なしの、しるだけすいました。おおきくかじったのでは、ねずみがすんでいることを、さとられるからでした。ねずみはそのよる、おなかがすいていたのですが、そのていどにおさえておきました。そして、しょっきだなの、うしろのかくれがに、かえりました。

 よがあけて、さとうけんじさんの、おくさんの、さとこさんが、だいどころに、やってきました。そして、なしをたべようとおもって、いっこのなしを、てにとりました。さとこさんは「あら、こんなところに、ちいさいあなが、あいているわ。むしでもくったのかしら?」といいました。ねずみは、にんげんに、そんなていどに、おもわせることに、せいこうしたのでした。そのことには、せいこうしましたが、ねずみは、おなかがすいて、どうしようもありません。しかし、ここでたべものを、おおきくかじったのでは、にんげんに、わかってしまうので、がまんしました。みっかみばん、なんとか、がまんしたのですが、とうとうがまんができなくなって、よっかめの、まよなかに、だいどころにあったジャガイモを、ついつい、ふよういに、かじってしまいました。ほんのうには、さすがのねずみも、かてなかったのです。

 よくじつ、とうとうさとこさんは、ジャガイモが、ねずみにかじられていることにきづきました。そのことをすぐに、だんなさまのけんじさんに、ほうこくしました。けんじさんは「とうとううちにめずらしく、ねずみがすみついたな。なんとしてつかまえてやる」といいました。そして「ねこいらず」をかってきて、そのよるに、ねずみのとおりそうなところに、まきました。みんなねしずまったころ、ねずみはその「ねこいらず」のそばにきて、まえになかまが、その「ねこいらず」をたべて、みんなしんでしまったことを、おもいだしました。そのため、その「ねこいらず」は、たべませんでした。この「ねこいらず」が、まかれたことによって、このねずみは、にんげんに、ここにすんでいることがわかってしまった、とさとりました。そして、にんげんに、みつかったいじょう、にんげんが、いろいろな、ほうほうで、わなをしかけてくるので、これとたたかっていかなければならない、とかくごしました。そして、これからは、うかうかしていられない、とおもいました。なにもたよるものもありません。じぶんのけいけんと、ちょっかんりょくで、この、たたかいを、のりきるしかないと、かんがえたのでした。

 「ねこいらず」をまかれたよくじつ、けんじさんは、その「ねこいらず」をみてびっくりしました。「あれ!? この``ねこいらず``をまったくたべていないな。なかなかりこうなねずみだ。ちょうきせんになるかもしれんなぁ。てごわいあいてになりそうだ。あいてにとっては、ふそくはないぞ。そうだ、このねずみを、``さんたろう``となまえをつけよう」とひとりごとをいいました。このときからこのねずみは「さんたろう」というニックネームがつけられました。このニックネームは、けんじさんの、しょうがっこうのときの、ともだちのなまえだったのです。このともだちは、いまはすでに、なくなっていました。このともだちの「さんたろう」は、しょうがっこうのときの、けんじさんの、きょうりょくなライバルでもあったのです。このねずみのそんざいで、そのともだちを、おもいだしたのでした。

 つぎにけんじさんは「こんどは、どくがはいっている、まんじゅうをしかけてみよう」とかんがえました。そしてそのよる、どくがはいっているまんじゅうを、しかけました。さんたろうは、おなかがすいて、よろよろに、なっていました。そんな、じょうたいのなかで、どくいりまんじゅうを、まよなかに、はっけんしました。さんたろうは、たべたくて、たべたくて、どうしようもありませんでした。しかし、もちまえの、ちょっかんりょくで、このまんじゅうに、きけんをかんじて、そのよるはたべませんでした。

 よがあけて、けんじさんが、どくいりまんじゅうが、たべられているかどうかを、かくにんするために、おきてきました。そして、そのどくいりまんじゅうが、なにもたべられていないことに、びっくりしました。「おかしいなぁ? いままでのけいけんからすると、100パーセントたべているのに、なんでたべなかったのかなぁ? こんなやつは、はじめてだ。さんたろうは、どうして、どうして、なかなか、あたまがいいやつだ。たんなる、りこうなやつでもなさそうだ。おなじ、にんげんのせかいでも、ノーベルしょうをもらうほどの、ゆうしゅうな、にんげんもいるのだから、ねずみのせかいでも、ゆうしゅうなやつがいたって、ふしぎではないわなぁ。こりぁ、ばかにはできないぞ」とひとりごとをいいました。そして、こんかいのねずみは、いままで、であったなかでも、まったくタイプのちがう、こせいてきな、ねずみだということを、かんじていました。けんじさんは、つぎは「ねずみかご」をしかけることにしました。えさはチーズにしました。

 よくじつの、まよなか、おなかが、ぺこぺこの、さんたろうは、たべものをさがしに、だいどころに、でてきました。そして、けんじさんがしかけた「ねずみかご」をはっけんしました。さんたろうは、いぜん、なかまが、このねずみかごに、ひっかかって、やられたのを、おぼえていました。そのため、さんたろうは、しかけがうごいて、とびらが、しまらないように、ネズミかごのなかを、しのびあしであるき、さいしんのちゅういをはらいました。そしてネズミかごのなかの、チーズがぶらさがっているところまで、ちかづきました。さんたろうは、おなかがすいていたのですが、しかけを、ゆらさないように、ちゅういをはらって、チーズをすこしたべました。そして、よくをださずに、すこしたべただけで、はいってきたのと、おなじく、さいしんのちゅういをはらって「ねずみかご」からでました。さんたろうは、けんじさんのさくせんに、まけなかったのです。しかし、さんたろうのおなかは、みたされませんでした。

 よくじつけんじさんは、ねずみかごをみて、ほんのすこしのチーズしかたべていなかったことに、びっくりしてしまいました。すこしのチーズをたべて、このしかけをくぐりぬけた、さんたろうに、ぎゃくにかんしんしてしまいました。「さんたろうは、なんてやつだ。いったんこのかごに、はいっておきながら、ひっかからなかったとは!!」とけんじさんは、ひとりごとをいいました。そんなことをいっているのを、さんたろうは、しょっきだなのうしろから、みみをすませて、きいていました。さんたろうは「にんげんは、ねずみを、ばかだと、おもっているにちがいない。われわれだって、ちえがあるんだ。にんげんなんかに、まけてたまるか!」とあらためてけついしたのでした。

 さすがの、ねずみとりめいじんの、けんじさんでも「うーん、つぎなる、て、はいったいなんにしようか? 」としあんにくれてしまいました。そしてしばらくかんがえこんでいましたが、ひとつのアイデアがうかびました。それはなにもしかけないで、さんたろうを、いえのなかから、そとにでられないようにして、てっていてきに「ひょうりょうぜめ」にすることでした。いえのなかに、たべものをおかないで、にしゅうかんぐらい、なにもしないで、さんたろうにおなかを、てっていてきにすかせることにしたのです。そしてどうにもならなくなったころあいをみて「ねずみかご」に、クッキーをしかけて、つかまえる、というさくせんをたてたのです。

 そうおもった、そのひから、さくせんがけっこうされました。そのため、さんたろうは、いえのなかのどこをさがしても、たべものはみつかりませんでした。そして、なんのしかけもないことにきづいたさんたろうは「こりぁきっと、なにかあるなぁ? 」と、かんじました。そんなことをかんじながら、にしゅうかん、まよなかになると、たべものをいえじゅうさがしました。しかし、なにもみつかりませんでした。さんたろうは、おなかがすいて、すいて、もうどうにもならなくなりました。しんけいも、ふつうのじょうたいではなくなってきました。うごくげんきもなくなりました。いしきも、もうろうとしてきました。しょっきだなのうしろに、ただじっとしていなければならないじょうきょうにおいこまれてしまったのです。これがけんじさんのさくせんとは、さすがのさんたろうも、きづかなかったのです。もうそろそろ、さんたろうは、まいってしまっているにちがいない、とかんがえたけんじさんは「そろそろクッキーでつかまえるか」とかんがえていました。

 そしてよくじつ、けんじさんは、ねずみかごに、クッキーをいれて、しょっきだなのちかくに、ねずみかごを、しかけました。まよなかになり、さんたろうは、クッキーのにおいで、たべものがちかくにあることをさっしました。もうおなかがすいて、すいて、しんけいも、ふつうではありません。め、もまわっています。さすがのさんたろうも、おちついて、きゃっかんてきに、じょうきょうを、はんだんできなくなっていました。ほんのうのまま、クッキーのにおいにつられて、さんたろうは、ねずみかごに、はいってしまいました。そしてついにクッキーに、おもいっきり、くいついてしまったのです。そのしゅんかん、ねずみかごのとびらが「パチーン!!」といって、とじてしまいました。さんたろうはそのとき「しまった!! 」と、いっしゅんおもいましたが、あとのまつりです。さんたろうは、とうとうつかまってしまいました。このさんたろうと、けんじさんのたたかいは、さいしゅうてきに、けんじさんのしょうりにおわりました。

 よがあけ、けんじさんがおきてきました。けんじさんは、すぐにねずみかごを、みました。そして「おー!! やっとくいついたなぁ。このおれをほんろうさせるとは、なんてやつだ。しかし、おまえは、もういっかんのおわりだ!!」といいました。さんたろうは、かごのなかを「ちゅう、ちゅう、ちゅう・・・・」となきながら、ただただ、うろうろするだけでした。

 けんじさんはそのかごを、いえのまえを、ながれているかわに、もっていって、かごをかわにいれ、さんたろうを、ちっそくし、させようとかんがえていました。けんじさんは、すぐに、さんたろうがはいっている「ねずみかご」をかわばたにもってきて、かごのなかのさんたろうをみました。そうすると、さんたろうはうごかずに、じっと、けんじさんの、め、をみつづけていました。さんたろうはこころのなかで「どうかいのちをたすけてください。たしかにわれわれねずみは、にんげんに、わるいことばかりしてきました。にんげんが、われわれねずみを、たいじしたいきもちはわかります。しかし、われわれも、にんげんとおなじく、いきていかなければならないのです。たべものをみつけて、しそんを、ふやしていかなければならないのです。けっきょく、にんげんと、おなじなのです! 」とさけんでいました。そんなことを、さんたろうが、こころのなかでさけんでいることなど、まったくきづかない、けんじさんは、さんたろうにむかって「しょせん、ねずみは、にんげんに、かてないよ。おまえが、ねずみのなかでも、とびぬけて、りこうものでも、ねずみは、ねずみでしかないのだよ。にんげんに、そんがいを、あたえるものは、ころすしかないのだよ」といいました。それをきいていた、さんたろうは「なにをいっている!! にんげんは、われわれより、ほかのいきもののおおくをころして、りょうりし、たべているくせに。ほかのいきものに、だいそんがいを、あたえているじぁないか。そして、ほかのいきものだけではなく、おなじなかまのにんげんも、かんたんにころしてしまうじゃないか。せんそうになれば、なんじゅうまんにんも、いっぺんにころすくせに。われわれからみれば、にんげんほど、やばんで、ざんぎゃくな、いきものはいない。われわれの、ひではないぞ。もし、にんげんより、ちえのあるいきものがいたならば、にんげんは、きっと、そのいきものに、ころされるはずだ」とこころのなかでさけびました。じつは、さんたろうは、このむらの、ちゅうがっこうに、いぜんすんでいたころ、あるきょうしつで、しゃかいかのべんきょうのときに、せんそうのことを、こくばんのうらで、じっと、みみをすませてきいていて、しぜんとまなんでいたのです。そして、にんげんが、おなじなかまの、にんげんを、ころすことも、まえにすんでいた、いえいえの、ラジオやテレビのニュースを、やねうらなどで、しっかりときいていて、しっていたのでした。あたりまえのことですが、けんじさんは、さんたろうが、そんなことをおもっているとは、そうぞうもつきません。けんじさんは、さんたろうの、め、をじっとみつづけました。そして、さんたろうの、め、のおくに、なにか、じぶんにいいたいことがあるのではないか、ときゅうにかんじるようになって「なんだか、このさんたろうを、ころすのが、かわいそうになってきた」といったのです。そして、そんなことを、いったとおもったら、とつぜん「やめた!! やめた!! このさんたろうをころすのはやめた!!」といったのです。そしてなんと、けんじさんは、あれほど、あのて、このて、と``あくせんくとう``し、くろうしてつかまえた、ねずみかごのなかにいる、さんたろうを、すぐに、かわばたから、ちかくのやまのほうにもっていって「おまえも、おなじいきものや、ながいきするんだぞ。げんきでなぁ」といって、ねずみかごの、とびらをあけてやり、やまへ、さんたろうをにがしてやりました。びっくりしたのは、さんたろうでした。もういっかんのおわりと、かくごしていただけに、けんじさんの、きゅうなこころがわりには、びっくりしたのです。けんじさんは、さんたろうをみつめていると、だんだんと「ぼだいしん」(ほとけごころ)がでてきたのでした。さんたろうは、にげるとき、なんかいも、けんじさんのほうをふりむきながら「にんげんも、おにのような、こころから、いっしゅんにして、ほとけさまのような、やさしいこころになることができる、ふしぎないきものだなぁ。じゃぁ、いま、せんそうなどで、ころしあいをしている、にんげんだって、けんじさんと、おなじにんげんだ。そうならば、いっしゅんにして、へいわになるかのうせいだって、ないわけではないわなぁ」と、こころのなかでおもっていたのです。さんたろうはなんというねずみなのでしょうか! こんなじょうきょうにもかかわらず、こんなことをおもうことができるとは! そして「ちゅう、ちゅう、ちゅう・・・」と、なきながら、よろこんで、やまのほうへと、にげていきました。さんたろうが、にんげんにたいするおもいが、かわったしゅんかんでもありました。

 そんなことがあってから、やく、いっかげつごの、あるはれたひ、やまのなかに、せいかつのばをかえた、さんたろうは、きせきてきに、てんてきにもおそわれずに、いつものようにくらしていました。そんなひに、さんたろうは、きのみを、くちにくわえて、ねぐらのあなにはいったとき、いままでにない、かすかな、じめんのへんかをかんじました。ちょっかんりょくのある、さんたろうは「これはふつうではないぞ!! いまにたいへんなことがおきるぞ!!」と、かんじました。そして、すぐにむなさわぎがして、くちにくわえた、きのみを、すぐにはきだし、ぜんりょくしっそうで、けんじさんの、いえのほうに、ひっしになって、はしっていきました。そうすると、けんじさんは、じてんしゃにのって、でかけようとしていたのです。けんじさんの、すぐまえの、どうろのさきには、いわはだがでている、きけんな「がけ」がありました。それをわかっていた、さんたろうは、けんじさんが、じてんしゃで、そのがけにさしかかるすんぜんに、じてんしゃにのっている、けんじさんめがけて、おおきくジャンプしたのです。びっくりしたのは、けんじさんです。とつぜん、つい「うわぁー!!、あぶない!!」といって、じてんしゃごと、ころんでしまいました。と、そのとき、いままでにない、おおきなゴーおん、とともに、おおきなじしんがおきました。けんじさんは、ころんだまま、ひっしになって、じめんにふせて、ゆれがおさまるのをまちました。しばらくすると、ゆれはおさまりました。いままでにない、てんちをゆるがす、だいじしんでした。けんじさんの、すぐまえのがけは、おおきくくずれてしまいました。それは、ほんの、いっしゅんのできごとでした。じてんしゃで、いこうとしていたみちを、たくさんのおおきないわが、かんぜんにふさいでしまいました。けんじさんは、ころんだおかげで、かんいっぱつ、いのちびろいすることができたのです。もし、さんたろうが、けんじさんのゆくてを、じゃましなかったならば、けんじさんは、くずれてきた、おおきないわの、したじきになって、あっというまに、いのちをおとすところでした。けんじさんは、ころんだじょうたいのまま、ちかくをみまわしました。そして、すぐちかくに「ちゅう、ちゅう、ちゅう」と、ないている、いっぴきのねずみがいることにきづきました。けんじさんは、いっしゅん「まさか?」とおもいましたが、まえに、にがしてやった、さんたろうだったことに、すぐにきづき、びっくりしてしまいました。そして「さんたろう、おまえはなんてやつだ、このおれをたすけてくれるとは。やっぱりふつうのねずみじゃぁなかったなぁ。もしかしたら、おまえは、おれのしょうがっこうのときの、ともだちだった``たかはしさんたろう``のうまれかわりかもしれないなぁ。まぁ、そんなことはどうでもいいわ。ねずみのさんたろうさん、おれの、いのちをすくってくれて、ほんとうにありがとう」と、けんじさんは、さんたろうに、おれいをいったのです。さんたろうは、そのおれいのことばをきいて、すぐにまた、やまへと、かえっていったとさ。          おしまい
※ みなさん、おしゃかさまが、おなくなりになって、さいしょにかけつけたのは、ねずみだったそうです。十二しの、さいしょは、ねずみです。この十二しのじゅんばんは、おしゃかさまが、おなくなりになったときに、はやくかけつけてきた、じゅんばんだそうです。

No. 27「そんだべぇーむすめ」のおりゅうさん

 むかしむかし、しもつけのくに(いまのとちぎけん)の、``しおばらおんせん``の「もみじや」という、ちいさな「おんせんやど」に「おりゅう」という、あととりむすめがすんでいました。なかなかのびじんで、すがたかたちは、もうしぶんありませんでした。この``おりゅう``のおやは、そろそろ、むこをとって、あんしんしたかったのですが、そのむこさんが、なかなかきまりませんでした。びじんで、すがたかたちはすべてよし、とくれば、すぐにでもきまりそうですが、そうかんたんではなかったのでした。``おりゅう``はこの``もみじや``のひとりむすめでした。

 そんな``もみじや``に、あるあきのひ、もみじがりと、とうじをもくてきに、``えど(いまのとうきょう)``から、ひとくみのちゅうねんふうふが、とまりにきました。``おりゅう``のちちおやの「せんきち」と、ははおやの「おさと」は、すぐにげんかんで「いらっしゃいませ、ようこそおいでなさいました。さあさあ、おつかれでしょう、あしをあらいましたら、すぐに、おへやにごあんない、いたします」といいました。そこへちょうど、``おりゅう``がやってきました。``おりゅう``はこのおきゃくさまに、なんのあいさつもしません。おきゃくのちゅうねんふうふは、``ま``がわるかったのか、じぶんたちのほうから「おせわになります」といったのです。すると``おりゅう``は、やっとくちをひらき「いらっしゃいませ。ごゆっくりしていってください」といったのです。``せんきち``と``おさと``は、こころのなかで「またか!」とおもいました。よるになり、``おりゅう``のおやは、おきゃくさまの、ゆうしょくのよういなどをすべておわらせて、``おりゅう``をじぶんたちのへやによびました。``せんきち``はすぐにくちをひらき「おりゅう、なんでおまえは、いつもじぶんからさきに、おきゃくさまにごあいさつしないのだ。おきゃくさまにしつれいだべぇ」といいました。すると``おりゅう``は「だってじぶんからしたら、そんだべぇー」といいました。それいじょうのことはいいませんでした。いつもこんなちょうしで、おやはかえすことばがありませんでした。

 よくじつ``おりゅう``は、さんぽがてら、おんせんがいを、あるいていました。すると、すれちがうおんせんがいの、じもとのひとびとは、くちぐちに「おっ! ``そんだべぇーむすめ``のおりゅうだ」といって、だれひとり、じぶんからあいさつをするひとはいませんでした。``おりゅう``は、この``しおばらおんせん``では「そんだべぇーむすめのおりゅう」として、ゆうめいだったのです。かねもちのしんせきのひとには、いいかおをし、びんぼうのしんせきのことには、ぶあいそうで、にこりともしないほどでした。このびじんの``おりゅう``に、むこが、なかなかきまらないのは、ものごとを、``そんとく``だけでみてしまう、せいかくが、げんいんだったのです。

 あるとき、ちちおやのしんせきすじから、``おりゅう``に、20かいめの、おみあいばなしがもちあがりました。``おりゅう``は、おみあいあいてと、あってもいい、とへんじをしました。おやはさっそくだんどりをとりました。そしてとうか(10日)ごに、``しおばらおんせん``の、あるりょうりやで、おみあいをすることがきまりました。あいては、``いたむろおんせん``の、あるおおきな、「おんせんやど」のじなんぼうでした。なかなかいいおとこでした。おりゅうのおやは「おにあいのふたりだ」とおもい、こんかいはうまくいくのではないか、とかんじていました。いよいよそのおみあいのときがきました。はなしもよくあい、ふんいきもよくなってきました。そして、さいごに``おりゅう``が「ところで、ごはんをたべおわったら、ちゃわんなどを、まいにちあらってくれるんだべぇ?」と、あいてのじなんぼうにききました。するとじなんぼうは「いやいや、それはおんなのやることだべぇ。おりゅうさんからやってもらわなければならない」といったのです。すると``おりゅう``は「それはできねべぇー!」ときっぱりといいました。それをきいたじなんぼうは「どうしてだべぇ?」とぎゃくにきいてきたのです。``おりゅう``はすかさず「だってわたしだけ、たべおわったあとに、なんぎするのは、そんだべぇー!!」と、いつものくちぐせがでてしまいました。このひとことで、こんかいうまくいきそうな、おみあいも、いっぱつで、しっぱいしてしまいました。``おりゅう``のおやは「またか!!」と、がっくりかたを、おとしてしまいました。``せんきち``と、``おさと``のなやみは、ますますふかくなっていくばかりでした。ふたりは、なんとか、``おりゅう``のせいかくが、かわってくれないかとおもい、ちかくの``いなりじんじゃ``にいっては、おまいりしていました。とうの``おりゅう``は、そんなおやのなやみは、がんちゅうにありません。``おりゅう``のあたまのなかは、ばんじ「そんだべぇー」というかんがえが、しはいしていました。``おりゅう``のじんせいが、なかなかまえにすすまないげんいんが「そんだべぇー」でした。

 そんなおみあいばなしが、だめになってから、いちねんたった、あるあきのはれたひ、``しおばらおんせん``に、ぜんこくをたびしている「せいしん」というなまえの``しゅぎょうそう(しゅぎょうをしている、おぼうさんのこと)``がやってきました。ながいあいだ、ぜんこくを、たびしているものですから、かおはまっくろ、きている「けさ」はぼろぼろでした。ふつうのひとがみると、こじきぼうずにみえました。``しおばらおんせん``にくるとちゅう、なんかいか、こどもたちに「このこじきぼうず!! このこじぎぼうず!! あっちへいけ!!」と、いわれては、いしをぶつけられることもありました。``せいしん``はいしをぶつけられると「わしはしょうしんしょうめいの、ふうてんのこじきぼうずだ! なんか、もんくあるのか! こらぁー!! 」といっては、こどもたちをおっぱらっていました。``せいしん``のからだのところどころは、いしをぶつけられて、すこしはれあがっているところもありました。そんな``せいしん``は、どこの「おんせんやど」にとまろうかと、``しおばらおんせん``にきて、まよっていました。そして、ある「おんせんやど」にいって「こんばんひとばん、とめてください」といったのです。しかし、そこのしゅじんは、あまりにもみすぼらしく、きたない``せいしん``のすがたをみて「もうしわけないが、ほかのおきゃくさまのめいわくになるので、ほかへいっておくれ」といって、ことわりました。どこの「おんせんやど」にいっても、このちょうしで、ことわられるしまつです。``せいしん``は、こまりはてて、さいごに、「もみじや」にたどりつきました。げんかんにはいり「もうしわけないが、こんばんとめていただけないですか?」といいました。すると``せんきち``がでてきて「いらっしゃいませ。ようおこしくださいました。おつかれでしょう、あしをまずあらって、すぐにおんせんにはいり、きれいにからだをあらい、さっぱりしてください」といったのです。すると``せいしん``は「こんなわたしでもとめてくれるのですか?」と、どこの「おんせんやど」でも、ことわられていたので、はんしんはんぎで、``せんきち``にたずねました。すると``せんきち``は「あたりまえです。うちは、おんせんやどですよ。とめるのがしょうばいです。すがたかたちで、おきゃくさまを、さべつしておりません。さあさあ、そんなへんなことはいわないで、ごゆっくりとしていってください」といいました。そしてすぐに「おーい、おさと! たびのおぼうさんを、おへやにごあんないしておくれ!」といいました。すると``せいしん``は「おせわになります」といって、すぐにとんできた、``おさと``といっしょに、へやへむかいました。とちゅう、せいしんは、ろうかで``おりゅう``にあいました。``おりゅう``はいつものように、じぶんからあいさつはしません。``ま``がわるかったのか、``せいしん``がさきに「こんばんわ」とあいさつしました。すると``おりゅう``は「いらっしゃいませ」といったのです。へやについた``せいしん``は、``おさと``に「いま、ろうかであったひとは、おきゃくさまですか?」とききました。すると``おさと``は「いいえ、うちのひとりむすめのおりゅうです」といいました。すると``せいしん``は「そうでしたか。それで``いらっしゃいませ``といったのですね」といいました。すると``おさと``は「まったく、うちのむすめは、おきゃくさまに、じぶんからさきにあいさつできない、できそこないですよ」とぐちって、せいしんから、かいてもらった、やどちょうをもって、すぐにへやからでていきました。

 ``おさと``がでていってからしばらくして、``せいしん``は、おんせんにもはいり、ゆうしょくもたべて、へやでやすんでいると、``せんきち``と``おさと``がへやにやってきました。``せんきち``が「おきゃくさまは、やどちょうからすいさつしますと、たびのおぼうさんですね」といいました。すると``せいしん``は「はい、わたしはぜんこくをたびしている、``みじゅくもの``のしゅぎょうそうの、``せいしん``ともうします」といいました。すると``せんきち``が「いいひとにであうことができました。じつはわたしどもの、なやみのそうだんにのってもらえませんか。しょたいめんで、こんなことをおねがいするのは、あつかましいこととは、じゅうじゅう、しょうちしているのですが、なんとか、はなしだけでもきいてもらいたいのです」と、たったまま、せっぱつまったようすで、``せいしん``にいいました。``せいしん``は、すこし``ま``をおいて「いやぁ、ごしゅじん、いいゆでした。それにしても、しおばらの``こうよう``はさいこうですねぇ。``め``の、ほようになります。おゆと、こうようのおかげで、たびのつかれも、すっかりとれました。にんげんのこころも、しおばらの``こうよう``のように、みんなきれいだといいのですがねぇ。きょうはとめていただきかんしゃしています」といいました。そしてすぐに「うーん、なにかおこまりのようですねぇ。そんなたったままでは、はなしもできません。ここにすわって、こんなわたしでもよかったらおはなしをきかせてください。おふたりのなやみを、かいけつできるかどうかわかりませんが、いっしょうけんめい、わたしなりにかんがえます。なやんでいるひとを、すくうのがぼうずのやくめです」といいました。すると``せんきち``と、``おさと``は、``せいしん``のまえにすわり、すぐに``せんきち``が「ありがとうございます。じつはせいしんさん、うちのひとりむすめのことなのです」と、きりだしました。そしてことばをつづけました。「うちのむすめのおりゅうは、けっしてじぶんのほうから、ひとにあいさつしないのです。なんでしないんだべぇ、と、といつめると、だって``そんだべぇー``、というしまつです。そとでひとにあっても``おはよう``とか``こんばんわ``とかは、けっしてじぶんからいいません。そして、さんど、さんど、のしょくじのあとかたづけも``そんだべぇー``といって、けっしてやりません。こんなちょうしですから、どんなよいえんだんも、こわれてしまいます。こんなことがつづけば、``もみじや``は、わたしのだいでおわりです。こんなむすめですが、こころをかえる、いいちえはないものでしょうか」といいました。それをきいていた``せいしん``は「そうだったのですか。それはごしんぱいですね。ところで、いつごろから、そんなむすめさんになってしまったのですか」と、``せんきち``と、``おさと``にきいてきました。するとこんどは、``おさと``が「ちいさいころは、おきゃくさまがきたら、おおきなこえで``いらっしゃいませ``と、いっていました。ところが、たしか12さいくらいのころ、あるおきゃくさまがきて、いつものようにおおきなこえで``いらっしゃいませ``と、いったのです。しかし、そのおきゃくさまは``むつー``としていて、おりゅうにたいして、``むし``するかのような、つめたいたいど、でせっしたのです。このことがあってからというもの、おりゅうは、けっしてじぶんからあいさつしなくなったのです」といいました。すると``せいしん``は「そんなことがあったのですか。きっと、そのおきゃくさまは、なにかかんがえごとをしていたのでしょうねぇ。あくいは、なかったのだとおもいますが、けっかてきに、おりゅうさんをきずつけてしまったのですねぇ」といいました。それをきいていた``せんきち``は「きっとそうだ。それでじぶんからあいさつしなくなったのだ」といいました。そして``せいしん``は「おはなしはわかりました。まぁ、せけんでは、じぶんからさきに、あいさつしないひとはたくさんいます。そんなにしんぱいすることでもないようにおもうのですが、このことが、むこさんをもらうことと、かんけいしているとなると、おおきなもんだいですねぇ。ところで、おりゅうさんは、このいえからでて、ほかではたらいたことはあるのですか?」と``せんきち``にききました。すると``せんきち``は「まったくありません。うまれてこのかた、いえをでたことはありません」といいました。``せいしん``はそれをきいて「わかりました。ひとばん、どうしたらいいか、かんがえます。けつろんは、あしたのあさに、おはなしします。それでいいですか?」といったのです。``せんきち``は「はい、わかりました。それでは、きょうはこのへんでしつれいします」といって、``せんきち``と``おさと``は、いっしょに``せいしん``のへやから、でていきました。そのご、``せいしん``は、そうわいってみたものの、なかなかいいかんがえがうかびませんでした。そしてそのまま、たびのつかれもあったので、すぐにねてしましました。

 よがあけ、あさになりました。``せいしん``は、かおをあらっているとき、ひとつのかんがえが、ようやくうかびました。そして、あさごはんを、たべおわって、``せんきち``と``おさと``を、へやによびました。``せいしん``は「さくばんはどうも。いろいろかんがえたのですが、どうでしょう、おりゅうさんに、いろいろと、せっきょうじみたことばで、いいきかせても、だめなようなきがするのです。そこでどうでしょうか、これからわたしは、ここをでて、``きぬがわおんせん``をとおり、にっこうのほうへいくよていです。にっこうまで、いっしょに``たび``をさせてはどうでしょうか。いろいろと、ほかのおんせんやどの、せったいなどを、みせるのです。きっと、ことばでいろいろせっきょうするより、このほうがよくわかるとおもうのです」といいました。すると``せんきち``は「それはいいかんがえです。なぁ、おさと」といいました。``おさと``は「でもかえりはどうするのです。わたしもいっしょにいってもいいですか?」と``せいしん``にききました。``せいしん``はすぐに「おさとさんがいっしょならば、よりいいですよ」といいました。``せんきち``は「それでいきましょう。きまりです。せいしんさんおねがいします」といったのです。そしてすぐに``おりゅう``がよばれました。``おさと``が``おりゅう``に「どうだろう``おりゅう``、おまえは、うまれて、これまで``たび``ひとつしたこともない。このおきゃくさまの``せいしんさん``が、にっこうまでいくのだが、ごいっしょしないかい」といいました。``おりゅう``は、とつぜんのはなしで、おどろいたようすでしたが、ふたつへんじで「まあ、うれしい。ところで、おっかさんもいっしょだべぇ」といいました。すると``おさと``は「ああ、わたしもいっしょにいくよ」といいました。``おりゅう``は、それをきいて、きゅうにあかるくなり、うれしさがこみあげてきました。はなしは、とんとんびょうしにすすみ、さん(3)にんのたびがはじまりました。

 ``しおばら``をしゅっぱつした、さん(3)にんは、まず``きぬがわおんせん``の``きぬや``という、おんせんやどにとまりました。``きぬや``にはるとすぐに、かかりのひとがでてきて、げんきよく「いらっしゃいませ!!」と``おりゅう``に、まずいってきたのです。``おりゅう``はすかさず「おせわになります」といいました。それをみていた``せいしん``が``おりゅう``に「いらっしゃいませ、とさいしょにいわれて、どんなきもちになりましたか」とたずねました。すると``おりゅう``が「きもちがよかった」とこたえました。するとすぐに、べつなおきゃくが、``きぬや``にはいってきました。``きぬや``のべつなひとが、そのおきゃくに「いらっしゃいませ!!」と、げんきよくあいさつしていました。しかし、そのおきゃくは、なんのへんとうもなく、ぶあいそでした。はたからみると、``むし``しているようにみえました。しかし、``きぬや``のひとは、そんなことはきにしないで、あいそよく、そのおきゃくに、いろいろと、はなしかけていました。それをみていた``おりゅう``は、こころのなかで「わたしとはずいぶんちがう」と、かんじていました。そんなやりとりをみていた、さん(3)にんは、あしをあらったあと、``きぬや``のひとによって、へやへあんないされました。そして、おちゃをのみながら``せいしん``が``おりゅう``に「はじめてのたびはどうかなぁ」といいました。``おりゅう``はすぐに「あるくのはたいへんだけど、たのしいです」といいました。すると``おさと``が「わたしは``おりゅう``を、はこいりむすめにしてしまいました。せけんをしらない、にんげんにしてしまったのです」といいました。すると``せいしん``が「おさとさん、それはしかたがないところもあります。しごとがしごとですもの。やすむひまなどありませんしねぇ。でもこんかいは``おりゅう``さんも、たのしそうですからよかったです」といいました。

 そんなことをいいあっているとき、``きぬや``のひとが、やどちょうをもってきました。そして``おりゅう``がそのひとに「あなたはさっき、げんかんで、ぶあいそな、おきゃくさまに、あいそよくふるまっていましたねぇ。なんでそんなことができるのですか? じぶんだけ``そん``をしているとおもわないのですか?」とききました。すると``きぬや``のひとは「なんでそんなことができるかって? そんなこときかれてもねぇ。そんなことあたりまえだべぇ。おきゃくさまのきぶんで、こっちのたいおうが、きまるものではないのですよ。こちらのきもちが、いちばんたいせつなのですよ。おきゃくさまは、いろいろなことがあるのです。しょうばいでうまくいかなかったとか。おみせがつぶれたとか。ふうふげんかして、きげんがわるかったとか。からだのぐあいがわるくて、きぶんがおちこんでいたとか。なにかで、なやんでいたとか。それはもうにんげんですから、いろいろあるのです。ちょうど、ひとのこころもおてんきみたいなものですよ。あめのひもあれば、ゆきのひもあり、とつぜんひょうがふるときもあり、かぜがつよいひもありますよ。ときにはあらしのひもあるでしょう。しかしねぇ、あてんとさま(たいようのこと)は、かわらないで、まいにち、このよのなかを、びょうどうにてらしているべぇ。びんぼうにんにも、かねもちにもねぇ。このよのなかには、おてんとさまがひつようなのですよ。おてんとさまがなかったら、このよのなかどうなります。まっくらやみでしょう。わたしたちのしごとは、ちょうど、おてんとさまのようなものなのです。つかれているたびのおきゃくさまを、おてんとさまのように、あかるくあたたかくせったいし、いっときでも、たびのつかれや、いろいろなつかれをわすれてもらい、きぶんよくとまっていただきたい。ただそれだけなのですよ。そんとくとか、そんなことでおきゃくさまにたいおうしていません。たしかに、しょうばいは、``そんとくかんじょう``ができなければやっていけません。しかしねぇ、``そんとくかんじょう``だけでは、このよのなかをわたっていけないのですよ。``め``にはみえない、たいせつなものもあるってことですよ。もし、``そんとく``だけのよのなかだったら、あじけなく、くらいよのなかになりますよ」と、きっぱりといいました。それには``おりゅう``もびっくりしてしまいました。そんなはなしをきいたのは、はじめてだったのです。そして``おさと``が``きぬや``のひとに「いいおはなしをしていただき、ありがとうございます」といいました。``せいしん``は``おりゅう``に「いいべんきょうになったねぇ」といいました。そんなことをいいあっているあいだに、やどちょうに、きちょうしたのをかくにんした``きぬや``のひとは、べつなへやへと、いってしまいました。さん(3)にんは、すぐにおんせんにはいり、そのご、ゆうごはんをたべました。そして、たびのつかれもあり、すぐに、ねてしまいました。

 よくじつ、``きぬがわおんせん``をしゅっぱつした3にんは、``いまいち``のてまえのかいどうの``ちゃや``にいっぷくすることにしました。そこの``ちゃや``のおばあさんがでてきて「いらっしゃいませ。ごちゅうもんは、なんにするべぇ」といいました。すると``おさと``が「それでは、おちゃと、だんごを3にんまえたのみます」といいました。するとおばあさんは「はい、わかりました。おりがとうございます」といいました。すると``おりゅう``がそのおばあさんに「とつぜんへんなことをおききしますが、あそこの、みちばたのごみをひろっているひとや、くさとりをしているひとが、なんにんか、いますが、あれでにっとうはいくらになるんだべぇ」としつもんしたのです。するとおばあさんは、おどろいたようすで「なにをとつぜんきかれるとおもったら、そんなことですか。じつはねぇ、あそこではたらいているひとたちは、おかねのためにはたらいているのではありません。このかいどうをとおるひとたちが、きもちよく``たび``ができるようにと、このへんのむらびとがきょうりょくして、ただで、みちのごみひろいや、くさとりのさぎょうをしているのですよ。``ほうしのこころ``をよろこびとしているひとたちなのですよ」と、やさしく``おりゅう``にせつめいしました。``おりゅう``はびっくりして「えっ!! ただで!!」といったきり、ことばがでてきませんでした。``おりゅう``は、このよのなかで、ただではたらくひとたちがいることを、はじめてしって、びっくりしてしまったのです。いままで、``そんとく``でしか、よのなかをみていなかった``おりゅう``にしてみれば、しんじられないこうけいだったのです。そのご、おばあさんがもってきた、だんごと、おちゃを3にんは、いただきました。そして、いっぷくした3にんは、おばあさんに、ちゃだいをしはらい、しゅっぱつしました。

 にっこうにむけてしゅっぱつした3にんは、しばらくあるいて、かいどうの、どてのしたのかわで、ちゃわんやなべ、やさいをあらっている、おんなのひとをみつけました。そのひとをみるなり``おりゅう``は、そのおんなのひとのそばへ、こばしりでおりて、ちかづいていきました。たびにでて、おどろくことばかりの``おりゅう``にしてみたら、いてもたってもいられなくなったのでしょう。いきなりそのおんなのひとに「あなたは、なんでこんなにたくさんのものを、ひとりであらっているんだべぇ? これでいくらもらっているんだべぇ?」としつもんしたのです。とつぜんみしらぬひとから、こんなしつもんされたものですから、おどろいたのは、そのおんなのひとでした。しかし、すぐに、へいせいをとりもどし、てをやすめ「なんでって? へんなことをきくむすめだねぇ。あたしは、このどてのうえの、かいどうのすぐまえにすんでいるものだけどねぇ。ていしゅが、そとでいっしょうけんめいあせみずながして、はたらいているんだ。おんながうちのしごとをするのはあたりまえだべぇ。ていしゅが、つかれてかえってきたとき、ゆうはんのよういも、なにもしていなかったらどうするの。かじをするのは、うちをまもっているおんなのしごとと、むかしからきまっているのさ。あんたはそんなこともわからないのかい。もし、あたしが、そとではたらいていればちがってはくるけれどね。ていしゅが、いちにちはたらいてかえってきて、きもちよくやすんでもらいたいのだよ。おとこはそとへでれば、7にんのてきがいる、というじゃないか。そとでそのてきとたたかって、きずをおってくるのさぁ。せめてうちにいるときぐらいは、ゆっくりやすませてあげたいよ。あたしはねぇ、うちの、おてんとさま(たいようのこと)になりたいんだよ。おてんとさまがなかったら、うちのなかはどうなる? まっくらやみだよ。それではこどももだめになるしねぇ。おてんとさまは、そんとくで、このよのなかをてらしているのかい。そうではないでしょ。いちにちてらしてやったからいくらはらえ! などという、おかねのせいきゅうしょが、あたしらにくるかい。そんなこときいたこともないよ」と``おりゅう``にいいました。``おりゅう``は、おてんとさまのはなしが、でてきたことに、またおどろきました。``きぬがわおんせん``にとまったときに、はなしてくれた``きぬや``のひとと、おなじだったからです。``おりゅう``は、なんのはんろんもできませんでした。そのばで、かんがえこんでしまったのです。そしてすぐにわれにかえり、そのおんなのひとに「とつぜんすいませんでした」といって、``おさと``と``せいしん``がまっているかいどうへ、ゆっくりとあるいて、どてをのぼっていきました。``せいしん``が、かえってきた``おりゅう``に「あのおんなのひとと、なにをはなしたの?」とききました。``おりゅう``はすぐにことばがでてきませんでした。しばらくして「ただのせけんばなしよ」といいました。``おりゅう``は、そのおんなのひとが、はなしたないようを、ふたりに、はなしませんでした。じぶんのむねのなかに、おさめたのでした。そしてまた3にんは、かいどうをあるいて、にっこうへといそぎました。

 にっこうへと、いそいでいるとちゅう、いなりじんじゃで、ひとやすみしていました。そしたら、ひとりのちゅうねんの、おんなのひとがやってきて、おひゃくどまいりをはじめたのです。``おりゅう``はびっくりして``せいしん``に「せいしんさん、あのおんなのひとはなにをしているのだべぇ?」とききました。すると``せいしん``は「あれは、おひゃくどまいり、といって、なにかのもんだいが、かいけつしますようにと、かみさまに、ひゃっ(百)かいの``がん``をかけているのだよ」といいました。``おりゅう``は、はじめてそんなこうけいをみたものですから、おどろいたようすで「そうなんですか。そんなものがこのよのなかにあるのですか」といいました。``おりゅう``は、さいごまで、そのおひゃくどまいりをみていました。そして、おひゃくどまいりがおわった、ちゅうねんのおんなのひとに「どうしてこんなことをしているんだべぇ?」とききました。するとそのちゅうねんのおんなのひとは「じつは、わたしのむすこが、はなふだとばくにはまってしまって、かねづかいがあらくなり、おやがなにをいってもだめなのです。このままいくと、ざいさんをくいつぶしかねないので、なんとか、はなふだとばくをやめてほしい、とかみさまにおねがいしたのです」と``おりゅう``にいいました。すると``おりゅう``は「そうだったのですか」といいました。そして、おやがこどものことで、こんなにくるしんでいることを、めのあたりにして、こころにひっかかるものをかんじていました。しばらくして3にんは、このじんじゃをあとにしました。

 3人は、またかいどうをあるいて、にっこうへとむかいました。そしてしばらくして``おりゅう``が``せいしん``に「せいしんさん、いそいでいるところわるいのですが、``しおばら``へかえります。おっかさんとかえらせてください」と、とつぜんにいったのです。``せいしん``は、すこしおどろいたようすで「そうですか。この``たび``で、なにか、えたものがあったのですね。おさとさんは、どうですか?」と、``おさと``にきいてきました。``おさと``は「``おりゅう``が、そうかんがえているならば、そうさせてやりたいです」といいました。そしてすぐに、はなしがまとまりました。``おさと``は``せいしん``に、ろぎんのたしにと、なんりょうかを、おれいとしてさしだしました。``せいしん``は、きもちよくうけとり「ありがとうございます。わたしのような、こじきぼうずにとっては、たいへんたすかります。おれいに、こんなことばをさしあげます」といって、``せいしん``は、てもちのにもつのなかから、ふでと、かみをだして、そのかみに「てんに、ひとにだまって``とく``をつみなさい、そうすれば、てんは、こまったとき、みすてません」という、ないようのことばをかいたかみを、``おさと``にてわたしました。それをもらった``おさと``は「ありがとうございます。がくにいれて、かほうにします」といって、そのかみをうけとりました。すると``せいしん``は「ふたりとも、きをつけておかえりください。かえったら``せんきちさん``によろしくおつたえください」とふたりにいいました。すると``おさと``が「このたびは、ほんとうにありがとうございました。``せいしん``さんのおちからで、``おりゅう``も、すこしなにかをつかんだようです。いろいろと、おせわになりました」といいました。すると``せいしん``は「いやいや、わたしのちからではありません。``せんきちさん``と``おさとさん``の``とく``のちからですよ。きっと``てん``がその``とく``をうけとってくださったのですよ」といいました。それをきいていた``おさと``と``おりゅう``は「もったいないおことばです。ほんとうにかんしゃします」といって、ふたりは、いまきたかいどうを、あるいてかえっていきました。``せいしん``は、てをふってみおくりました。``せいしん``は、ふたりがいなくなってさびしくなりましたが、``おりゅう``のこころに、なにかよいへんかが、おきた、とかんじると、うれしさがよりこみあげてきて、さびしさもふきとびました。この``たび``が、うまくいった、とこころのなかでおもいました。そんなおもいをいだきながら``せいしん``は、ひとりで、にっこうへとむかったのでした。

 ``せいしん``との「たび」から``しおばら``へかえってきた``おりゅう``は、ひとがかわったようになりました。おんせんやどのしごとは、かじもふくめ、じぶんから、せっきょくてきにやるようになり、ひとには、じぶんから、やさしいことばをかけるようになりました。``しおばら``のひとたちは「いったい``そんだべぇーむすめ``のおりゅうに、いったい、なにがあったのだべぇ」と、うわさしあっていました。おんせんがいで、あうひとたちには、じぶんからあいさつし、くらいかおをしているひとには、はげましのことばをかけ、なにかで、なやんでいるひとには、そうだんにのりました。また、おやには、せっきょくてきに、みあいをすることをつげました。そして、いままで、おやにしんぱいをかけていたことを、はんせいしました。そんなせいかつをしていたあるひ``おりゅう``は、``なすおんせん``の、あるおんせんやどのじなんぼう、とのみあいが、せいこうしました。そして、そのひとを、むこさんにもらうこととなりました。しばらくして、しゅうげん(けっこんしき)も、つつがなくおわりました。あたらしいむこさんをもらって``もみじや``の`「おかみ」となった``おりゅう``は、「おんせんやど」としての、あたらしいかんがえかたをうちたてました。それは``しおばらおんせん``の、おんせんやどの「おかみ」すべてをあつめて「しおばらおかみかい」をつくり、「しおばらの、おてんとさまになるべぇー!」「しおばらの、おてんとさまになるべぇー」をあいことばにして、おおくのおきゃくさまによろこんでもらえる、``しおばらおんせん``ならではの「もようしもの」をかんがえ、ていきょうしていくものでした。そのご``しおばらおんせん``は、ますますはんじょうしていったとさ。
おしまい

No28.「まごころじぞう」の、``ざいたくかいごづかれ``そうだんD

ときは、せいれき2009ねん、3がつのあるひのよる、にいがたけんの「まごころじぞう」のもとに、ちきゅうから9,000おくちょうこうねん、はなれている、しんかいのウルトラエンゼルそうりしんから、まごころじぞうの「ちょうこうせいのう、うちゅうしんかいパソコン(TSUP)」に、1つうの「うちゅうしゅんかんいどうでんしメール(USITM)」がとどきました。つぎのような、ないようでした。
「はいけい  まごころじぞう、どのへ  いかがおすごしですか。ちきゅうは、100ねんにいちどの、だいふきょうとか。にんげんは、ぜいたくになりすぎたので、それを、いじ、はってんするために、たいへんなのでしょうねぇ。まぁ、そのもんだいはさておき、じつは``あまのがわぎんが``のちゅうしんにある、``しんかいうちゅうもんだいはっけんたんさえいせい(SUMHTE)``より、にほんのとうきょうの、せたがやくにすんでいる``かいごまめこさん``が、びょうきのおかあさんの``ざいたくかんご``につかれて、じさつをかんがえている、というほうこくがありました。このもんだいは、いそぐひつようがありますので、すぐにとうきょうにいって、なんとかじさつをおもいとどめてもらいたいのです。この``かいごまめこさん``は、じつにまじめで、まわりのひとたちにも、あかるくせっするいいひとです。じゅうしょ、などのくわしいことは、したの、しょうさいをさんしょうしてください。

       [ ``かいごまめこさん``のしょうさい]
じゅうしょ・・・・とうきょうとせたがやくがんばりちょう3ちょうめ10-5
ねんれい・・・・・47さい
かぞく・・・・・・びょうきでねたきりの75さいのおかあさんと、37さいの、どくしんの、いもうとさんの3にんかぞく。おとうさんは、まえにびょうきで、しぼうしています。      いじょう
そうそう

こんな、ないようのメールをうけとった、まごころじぞうは、すぐに「りょうかいしました」というへんじをそうしんしました。まごころじぞうは、こころのなかで「こまったもんだいだ。まじめな、にんげんが、いっしょうけんめいしごとをして、あげくのはてに、じさつをかんがえるとは」とおもいました。そしてすぐに「しんかいしゅんかんうちゅういどうマシーン(SSUIM)」で、とうきょうへいどうしました。

 とうきょうのせたがやくの、がんばりちょうの``かいごまめこさん``は、あんのじょう、もんもんとして、しぬことばかりかんがえていました。そんなようすをみていた、まごころじぞうは、まめこさんの、いえの2かいのまどガラスを、すうかいたたき「こんばんわ、こんばんわ」と、まめこさんにわかるようにあいさつしました。そんな、そとのいへんにきづいたまめこさんは、まどのカーテンをおけてびっくりしました。なんと、みたこともないおじぞうさんがいるではありませんか。まめこさんは、おもわず「キャー!」とさけんでしまいました。まごころじぞうは、すこしおおきなこえで「まめこさん、まめこさん。びっくりさせてもうしわけない。じつは、わたしは、にいがたけんの、まごころじぞうです。あなたが、かいごづかれで、じさつをかんがえているというのをしって、なんとかおもいとどまってもらいたいとおもい、そうだんにきました。あんしんしてください。わたしはあなたのみかたです。くわしいはなしをすると、ながくなるので、しょうりゃくします。とにかくしんようしてください。まずはおはなしをしましょう。はやまってはいけません。このまどを、あけてください」といいました。それをきいていたまめこさんは、きょうふしんでいっぱいでしたが、このおじぞうさまは、すくなくとも、じぶんのことをしんぱいしてくれている、とかんじました。それで、ひとあんしんした、まめこさんは、おそるおそる、まどをあけました。すると、まごころじぞうが「しつれいします」といって、へやへ、はいってきました。へやへ、はいってきた、まごころじぞうは「こんなよるにおじゃまして、もうしわけありません。やむにやまれずさんじょうしました。くわしいおはなしをおきかせください」とまめこさんにいいました。するとまめこさんは「なんで、わたしがこんなじょうきょうになっていることをしったのですか」と、しつもんしてきました。まごころじぞうは「ごもっともなしつもんです。しかし、いまここでわたしが、くわしいことをいっても、あなたはしんじません。だからそのことは、はぶきます。とにかくまめこさん、しぬことだけは、かんがえないでください」といいました。こんな、まごころじぞうの、こたえにびっくりしたまめこさんは「わかりました。くわしいことはきかないことにします」といいました。すると、まごころじぞうは「よかった。なんとかしんじてもらって。ところでまめこさん、なんでしぬことばかりかんがえているのですか?」と、まめこさんにきいてきました。するとすぐに、まめこさんは「とにかく、ははのかいごにつかれました。``み``も``こころ``も、くたくたです」といいました。それをきいた、まごころじぞうは「あなたはまじめで、なにごともいっしょうけんめいやるタイプです。いままでおかあさんのかいごと、せいかつをまもるためにはたらいてきたのですねぇ。ごどうじょうもうしあげます。ほんとうにごくろうさま、ともうしあげたい。あなたはひとりで、けいざいてきなことと、おかおさんのざいたくかいごを、せおってきたのです。つかれるのはとうぜんです。かんがえてみてください。やまのさかみちを、おかおさんをせおって、のぼってごらんなさい。くたくたになりますよ。そんなときは、だれかとこうたいしながら、やすみやすみのぼれば、ひとりにかかるふたんはすくなくなるはずです。そうおもいませんか?」といいました。するとすぐにまめこさんは「それはそうでしょうが、そんなかんたんにはいかないのです」といいました。そして、しばらく``ま``をおいて「まごころじぞうさまのいうことは、わかります。しかし、わたしはとにかくつかれました。はやくらくになりたいのです。しなせてください」といってきたのです。まごころじぞうは、それをきいて「まぁ、まぁ、そんなにしにいそぐことはありません。だまっていても、にんげんは、いつかしぜんにくちて、しぬのです。そんなことより、いまのあなたのじょうきょうを、いもうとさんに、しょうじきにはなしてわかってもらい、ざいたくかいごを、いちじやすんで、おんせんにでもいって、つかれをとってきたらいいとおもうのです。あなたは、せきにんかん、のつよいひとです。そんなことはできないというかもしれません。しかし、にんげんには、げんかいというものがあります。むりにむりをかさねればストレスが、``み``も``こころ``もむしばみ、さいごには、かいごをしている、にんげんまでもびょうきになってしまいます。これでは、もともこもありません」といいました。それをきいていたまめこさんは「なんでもかんでもじぶんでやってしまいました。だれにもじぶんのよわさをみせたくなかったのです」といったのです。それをきいた、まごころじぞうは「それがいけないのです。なんでもかんでもはなせる、きょうだいしまいや、しんせき、または、ともだちをつくっておかなければなりません。あなたはひとりで、すべてのもんだいを、かかえこんでしまったのです。どんなにつよいにんげんでも、それではまいってしまいます。もし、あなたがじさつして、しんでしまったら、いもうとさんは、きっと``なんでわたしにそうだんしてくれなかったの``というでしょう。にんげんは、おたがいに、よわさをみせあってこそ、ほんとうのいみでの、りかいしゃになれるのではないですか」といいました。するとまめこさんは「なんだか、じぶんがまちがっていたようにおもえてきました」といったのです。それをきいた、まごころじぞうは「とにかくこまったことがあったらそうだんすることです。やくしょにも、せんもんぶしょがあります。そうだんまどぐちもあります。ショートケアサービスもあります。とにかくひとりでかかえこまないで、そうだんしまくるのです。そうすれば、なんとかみちがひらけますよ」といいました。まめこさんは、そのことをきいてひとあんしんしたのか「``め``からうろこです。なんだかきもちがいっぺんしました。いろいろとそうだんしてみます」といってくれたのです。まごころじぞうは「それはよかった。にんげんすてたものではありません。あなたのちからになってくれるかたが、きっとあらわれますよ。まずは、いもうとさんに、そうだんして、ちからになってもらったらいいとおもうのです。ひとにめいわくをかけたくない、とかのかんがえは、かいごのときはもたないことです。ひととぶんたんしあう、というかんがえがたいせつですよ。めいわくとかんがえてしまうと、ひとりでかかえこむことになります」といいました。そして、まごころじぞうは、すこし``ま``をおいて「いまのにほんは、ますます、おとしよりがふえ、かいごもんだいが、たいへんになってきています。ぎょうせいが、このもんだいにおいつけないじょうきょうです。ほんらいなら、こんなもんだいをすばやくかいけつする``こうれいしゃもんだいいっかつたいさくちょう``みたいな、ぎょうせいきかんをくにがつくり、すばやいたいおうをして、こうれいしゃのかたが、あんしんできるくにづくりをしていくひつようがある、とわたしはおもっています。ざいたくかいごで、かいごしているかたがつかれて、SOS(えすおーえす)をはっしんしたとき、すぐにそのかわりとなる、おうえんぶたいを、かくちくに、そしきしていくことも、ひとつのほうほうなのではないか、とおもうのです。げんじつは、いろいろやっているのですが、もんだいかいけつがとにかくおそいのです。そこがもんだいなのです。そして、まごまごしているうちに、ぎせいしゃが、でてしまうのです。」といいました。そしてさいごに「まめこさん、ひとりでかかえこまないで、ひとにそうだんしまくるのですよ」といいました。それをきいていたまめこさんは「はい、わかりました」といいました。そしてそのしゅんかん、まごころじぞうは「しんかいしゅんかんうちゅういどうマシーン(SSUIM)」のスイッチをいれ、そのばから、いなくなってしまいました。びっくりしたまめこさんは、きつねにつままれたかんじになりました。いま、めのまえでおこったことは、``ゆめ``か``まぼろし``か、とおもい、じぶんのほほをつねってみました。そして、``いたい!!``と、かんじたまめこさんは、いまのできごとは、ほんとうだった、とあらためてかんじていました。そしてなんとか、まめこさんのじさつは、さけられたのでした。
おしまい 

No29. おにのこころも「あい」だ、とわかった、だいくのそうべい

 むかしむかし、あるちほうに、だいくになろうとかんがえていた、そうべい、という、わかものがおったとさ。そうべいは、どこのだいくのとうりょうのところで、しゃぎょうするか、なやんでいたとさ。そうべいが、すんでいるちほうには、だいくのとうりょうは、ふたりおったとさ。ひとりは「ほとけのぜんぞう」というとうりょう、もうひとりは「おにのせんぞう」というとうりょうだったとさ。「ほとけのぜんぞう」のところは、だいくになろうとかんがえている、わかものには、にんきがあったとさ。ぎゃくに「おにのせんぞう」のところは、まったくにんきがなく、みんなにきらわれていたとさ。せんぞうのおしえかたは「おにのせんぞう」といわれているくらいなので、それは、それは、きびしかったとさ。おっかなくて、おっかなくて、にゅうもんしたわかものたちは、ほとんど、みっかも、もたなかったとさ。すこしでもまちがえれば「ばかやろう!! おまえはだいくにむいていない。さっさとやめろ!!」というしまつだったとさ。これにはみんなまいってしまって``こんなとうりょうのところには、いられない``とかんがえて、みんなすぐにやめていったとさ。しかし、せんぞうの、だいくとしてのうでは、このちほうでは、すじがねいりの、ぴかいちだったとさ。そうべいはどっちにするか、なやみになやんでいたとさ。おやは「ほとけのぜんぞう」のところがいい、とじょげんしていたとさ。しかし、そうべいは、へそまがりのところがあって、みんながいいというところはすきではなかったとさ。そんなせいかくのそうべいは、さいしゅうてきに「おにのせんぞう」のところに、にゅうもんすることにきめたとさ。きめたとたんおやは「あのとうりょうのところには、おまえは、みっかも、もたないよ」と、そうべいにいったとさ。

 そんなことまでいわれてにゅうもんした、そうべいでしたが、うわさどおり、それは、それは、きびしく、おっかなかったとさ。そうべいは、`おやがいうのもむりはない``とおもったとさ。せんぞうは、むだぐちひとつたたかず、ほめたりおだてたりすることもなく、ただただ、もくもくとしごとをする、とうりょうだったとさ。そうべいは、おしえてもらったとおりにしごとをしているつもりでも、しんまいなので、すぐにまちがってしまったとさ。あんのじょう、すぐにかみなりがとんできたとさ。そうべいは「これではみんながやめていくのはあたりまえだ!!」と、こころのなかでおもったとさ。さすがのそうべいも、まいにち、まいにち、おこられていたので、こんなとうりょうのところにはいられない、とかんがえるようになっていったとさ。あげくのはてに、にくしみのこころがおきてきたとさ。しかし「おこられるのはおれがまちがっているからだ。おれがまだみじゅくだからだ」と、かんがえなおして、``は``をくいしばってがんばったとさ。がんばっているうちに、とうりょうにむけられていたにくしみは、じょじょになくなっていったとさ。

 そんなとうりょうのところにしゅぎょうして、はや10ねんがたったあるひ、おにのせんぞうが、そうべいに「そうべいよ、よくがんばったなぁ。こんなおれのところは、みんなすぐに、にげていくよ。おれはなぁ、にゅうもんしてくる、わかものの、しなさだめをしていたのよ。ほんとうにやるきがあるかどうか、ためしていたのよ。このしょうばい、なまはんかな、こんじょうでは、いちにんまえにはなれない。``いえ``というものは、てぬきしようとおもえばいくらでもできるものだ。``いえ``をちゅうもんした、しゅじんのみえないところは、いくらでもできるものだ。みえないところは、いくらでもごまかせる。しかし、こんなこんじょうでは、いいだいくにはなれない。じぶんにきびしいにんげんにならないと、いいしごとはできないのだ。きたぐにの``き``は、ふゆのきびしいふうせつにたえて、しっかりと``ね``をはり、``き``のざいしつもしっかりしている。にんげんも、おなじなんだよ。ほんとうにやるきがあれば、たえられるもんだよ。たえれば、きたぐにの``き``のように、なかみもしっかりして、``ね``もしっかりはるもんだ。ほんとうにやるきがあるかどうかが、もんだいなんだよ。おれが、おにのように、おこっていたのは、そのにんげんのほんとうのこんじょうを、みきわめるためだったのさ。このよのなか、にせものがおおいんだよ。にんげんというものは、なんでも、じぶんのことはたなにあげて、ひとのせいにしたがるもんだ。じぶんのつごうのいいような、こうみょうないいわけをかんがえるのさ。あそこのとうりょうが、こんなにんげんだから、おれはやめるとかさ。まあ、こっちのほうがらくだからなぁ。そうべいよ、じんせいは、らくなみちを、せんたくしてはいけないよ。らくなみちは、なにもかんがえないから、さいごにえるものは、たいしたことはない。くるしいみちにたえて、がんばれば、なんとかしようとおもって、ふつうではかんがえられない``ちえ``もでてきて、けっかてきに、えるものがおおい。とにかく、もんだいにぶつかったら``どうしたらかいけつできるのか``をかんがえることがだいじなのさ。おれは、いままでのけいけんからそうおもうんだ」と、いったとさ。10ねんたって、はじめてそうべいは、とうりょうからほめてもらったとさ。そうべいは、とうりょうが、まさかこんなことをいうとは、おもってもいなかったので、ただただ、びっくりしてしまったとさ。このとき、はじめてとうりょうの``おにのこころも、ほんとうの「あい」だった``と、わかったとさ。こんなことを、そうべいにいった、おにのせんぞうは、よくじつにしんぞうがとまり、きゅうに、しんでしまったとさ。さいごに、そうべいにいったことばが、そうべいにたいする、ゆいごんになってしまったとさ。

 それからというもの、そうべいのこころに、とうりょうのせんぞうのこころがのりうつったかのようになり、そうべいは、さいごにいいのこした、とうりょうのことばを、こころにきざみ、もくもくと、しごとをして、だいくのうでをあげていったとさ。そして、そうべいも、のちにとうりょうとなり、せんぞうとおなじく、おっかない、おにのこころをもったとうりょうになったとさ。にゅうもんしてきたわかものが、すこしでも、しごとをまちがえば「ばかやろう!! おまえはだいくにむいていない。さっさとやめろ!!」と、どなっていたとさ。せけんからは、そうべいも、しんだとうりょうとおなじく「おにのそうべい」と、いわれるようになったとさ。そうべいも、このちほうで、だいくのうでは、ぴかいちのとうりょうになり、ひとびとにしんようされ、どんどんしごとがはいってきて、はんじょうしていったとさ。             おしまい 

No30. みみずの「みーちゃんものがたり」

 むかしむかし、ある、のうかのはたけに、それは、それは、えいよう、まんてんの、たいひがありました。そのたいひのなかでは、わかい、かあちゃんみみずと、とうちゃんみみずの、ふうふから、いっびきのかわいい、めすの、あかちゃんみみずが、たんじょうしました。かあちゃんと、とうちゃんは、さいしょのあかちゃんだったので、そのよろこびはたいへんなものでした。このあかちゃんは「みみこ」となまえがつけられました。みみこは「みーちゃん、みーちゃん」といって、みんなにかわいがられました。

 みーちゃんは、えいようまんてんの、たいひと、かあちゃんと、とうちゃんの、ふかいあいじょうで、すくすくとおおきくなっていきました。みるみるうちに、かあちゃんと、とうちゃんの、おおきさにせいちょうしていきました。そんなせいちょうしたみーちゃんは、ある、なつのあさに、たいひのなかを、さんぽしていました。すると、すぐちかくに、にんげんの、はなしごえが、きこえてきました。こえからすると、にんげんの、おとこのひとでした。みーちゃんは、うまれてはじめて、にんげん、というものをしりました。そのにんげんは、みーちゃんがすんでいる、たいひのところまできました。そして「さあーて、みみずでもつかまえて、ふなつりにいくべぇ」と、ひとりごとをいったのです。みーちゃんは、にんげんのことばは、わかりませんでした。しばらくすると、みーちゃんのちかくにいた、おおくのみみずが、なにやらせわしく「はやくみんなにげろー!! にげろー!!・・・・・」と、おおきなこえで、みーちゃんのほうにむかって、にげてくるではありませんか。あたりは、はちのすを、つっついたようなさわぎになっていました。みーちゃんは、そんなさわぎにおどろいて、すぐちかくにいた、きんじょにすんでいる、みみずのさんぺいさんに「なにがおきたのですか、さんぺいさん!! なんでみんなが、にげているのですか?」と、ききました。すると、みみずのさんぺいは「みーちゃんたいへんだぞ!! にんげんが、われわれをつかまえにきた。はやくにげないと、にんげんに、つかまってしまうぞ。つかまったらさいご、さかなのえさにされてしまうぞ。それこそ、いっかんのおわりだ。みーちゃんもはやくにげろ!!」と、おおごえで、いいました。みーちゃんはそのことをすぐには、りかいできませんでした。まだ、とうちゃん、かあちゃんから、そのことをおしえてもらっていなかったのです。そうこうしているうちに、にげおくれた、おおくのみみずたちは、にんげんにつかまってしまいました。そしてとうとう、みーちゃのところにも、なにやら、``ぼう``みたいなものが、はいってきて、たいひを、ほりかえされました。そしてそのほりかえされた、たいひのなかに、みーちゃんもまきこまれたのです。そしてとうとうみーちゃんも、にんげんにつかまってしまいました。

 つかまったみーちゃんは、なにやら、``き``で、できた、せまい、いれもののなかにいれられたのです。おおくのなかまのみみずも、そのいれもののなかに、おおぜいいました。みーちゃんは、なにがおきたのか、じょうきょうを、すぐに、りかいできませんでした。りかいできないまま、ただぼうぜんとしていると、みーちゃんのしんせきのおじさんの、すけごろうみみずが「なんだ、みーちゃんじぁないか。おまえもつかまってしまったのか。かわいそうに」といって、ちかづいてきたのです。それをきいた、みーちゃんは「なんだ、すけごろうおじさんじゃないですか。おじさん、ここはいったいどこですか?」とききました。するとすけごろうおじさんは「ここはな、にんげんが、さかなつりのために、われわれ、みみずをつかまえて、いれておく、えさばこのなかだよ。ここにつかまったらもうにげられない。われわれの、うんめいは、さかなのえさになってしまうだけだ。おまえもやっとおおきくなったのに、かわいそうになぁ。とうちゃん、かあちゃんがこのことをしったらかなしむだろうなぁ。まあ、つかまったいじょう、かくごしなければならないよ」と、いったのです。それをきいた、みーちゃんは、いっしゅんおどろいて「えっ!!」と、こえをつまらせました。そしてすぐにわれにかえり「そうだったのですか。いままでだれもそんなことをおしえてくれませんでした。ところで、すけごろうおじさん、さかなのえさになるってことは``しぬ``ということですよねぇ?」と、いったのです。すけごろうおじさんは「そうだよ。しぬ、ということだよ。たいひのなかに、すんでいれば、あんぜんだが、いったん、にんげんにつかまると、ひさんだ」と、いいました。すると、いったんれいせいにもどった、みーちゃんでしたが「おじさん、なんだかこわいよぉー。かあちゃん、とうちゃんにあいたいよー、あいたいよー、えーん、えーん・・・・」といって、とうとうなきだしてしまいました。すけごろうおじさんは、どうしてやることもできず、ただみまもるしかありませんでした。そして「みーちゃん、こっちへおいで。みんながよりそっているので、そのなかにいれてくれるように、みんなにたのんでみるよ」と、いってくれたのです。みーちゃんは、なくのをやめて、すけごろうおじさんのいったとおりに、みんなのそばにちかづいていきました。そして、にんげんにつかまった、おおくのなかまのみみずのなかに、いれてもらえたのです。みーちゃんはそのおかげで、ようやくすこしおちつくことができました。

 そんなやりとりが、えさばこのなかにおきていることなど、まったくきがつかない、にんげんは「だいぶ、つかまえたな。こんなもんでいいべぇ」といって、たいひから、さっていきました。そして、ふなつりのさおをもって、ちかくの``かわ``へいきました。つりばについた、にんげんは、えさばこを、したにおき、ふなつりのじゅんびをはじめました。「まずはみみずだなぁ」といって、えさばこのふたをあけました。えさばこのなかでは、ふたをあけたものですから、たいようのひかりが、いっせいにはいってきました。よりそっていたみみずたちは、そのひかりでおどろき、だいこんらんしていました。そんなこんらんして、おどろいている、みみずたちのいるなかに、にんげんの``て``が、はいってきたのです。そしてすぐに、みみずたちのなかの、いっぴきが、にんげんに、つかまってしまいました。にんげんは、「こりゃあ、まるまるとふとって、いいみみずだ。きっとおおきな``ふな``がつれるぞ」といいました。つかまったみみずは、「たすけてくれー!! たすけてくれー!! ・・・・」といって、ぜんしんのちからをふりしぼって、あばれまわりました。そしてみんなは「たすけてやれなくてもうしわけない、もうしわけない」といって、ただ、なすすべもなく、みまもるしかありませんでした。

 そしてしばらくすると、にんげんが、おおきな``ふな``をいっぴきつりあげました。にんげんは「やっぱり、おおきいのがつれた。こんな、いいみみずだ、まだまだつれるぞ」と、こうふんぎみでいいました。そして、えさばこのなかに``て``をやり、つぎのみみずをさがしはじめました。そして、わかくて``ぴちぴち``した、ふとったげんきのいいみみずをはっけんして、``て``で、つかまえました。なんと、それはみーちゃんだったのです。みーちゃんは、おおきなこえで「おじさん!! おじさん!! たすけてー!! たすけてー!!・・・・」と、なんかいもいって、あばれまわりました。にんげんは「こりぁ、げんきのいい、みみずだ! めったに、こんな、いいみみずには、であえないな」といって、つりばりに、みーちゃんをちかづけて、はりにさそうとしました。みーちゃんは、いままでけいけんしたことのない、きょうふかんを、ぜんしんでかんじていました。そのため、いままでの2ばいのちからで「たすけてー!! たすけてー!!・・・・」と、おおきなこえで、なんかいもさけんで、くるったようにあばれまわりました。しかし、にんげんの、ちからのまえには、なにもなすすべがありませんでした。そしてとうとうみーちゃんは、つりばりに、さされてしまいました。みーちゃんの``ち``が、そのとき、たいりょうにでてきました。みーちゃんは、はりにさされたしゅんかん、ぜんしんに、げきつうがはしり、あまりのいたさに、がまんができなくなり「いたいよー!! いたいよー!! かあちゃん、とうちゃん、たすけてー!! たすけてー!!」と、なんかいも、なんかいも、ふたたび、くるったようにさけびました。しかし、そんなこえはとどくはずがありません。えさばこのなかにいる、すけごろうおじさんは「かわいそうに、かわいそうに」といって、ないていました。にんげんは、みーちゃんをさしたつりばりを、かわになげこみました。みーちゃんは、いままで、けいけんのないみずのなかに、ぶくぶくと、しずんでいきました。そしてだんだんと、いきがくるしくなってきました。みーちゃんは、つりばりにさされた、もうれつなげきつうと、いきができないくるしさの、にじゅうくに、おそわれたのです。みーちゃんのこころは、はげしい``ぱにっく(こんらん)``じょうたいになってしまいました。しかし、みーちゃんのできることは、みずのなかで、あばれまくることしかできませんでした。

 そんなあばれているすがたを、いちはやく、おおきなふなに、はっけんされてしまいました。あばれていることが、ふなには、おいしそうで、しんせんなえものに、みえたのです。ふなは「おっ! おいしそうなものがいるぞ。きょうはついている。いただき!!」と、おもいました。みーちゃんは、おおきなふなが、ちかづいてきたのをしって、じぶんがたべられるのではないか、というきょうふしんが、ますますおおきくなって「かあちゃんたすけてー!! とうちゃんたすけてー!!」といって、ますます、あばれまくりました。それにくわえて、みずのなかでは、いきができないことと、ぜんしんに、おおきなきずをおったことで、たいりょくは、ますますしょうもうしていきました。そんなじょうきょうで、あばれもがきくるしんでいる、みーちゃんに、ふなが、どんどんちかづいてきて、すぐそばまでやってきました。そのとき、みーちゃんのきょうふしんは、ちょうてんに、たっしました。と、そこへ、おおきな、なまずもちかづいてきて、なまずはふなに「おい、ふな!! このえものは、おれがいただくぞ。おまえはあっちへいけ!!」と、いばっていいました。するとふなは「なまずさん、ぼくがさいしょにみつけたえもです。ぼくがいただくのが、さかなのせかいのじょうしきですよねぇ」と、すこし、したてにでて、いいました。するとなまずは「おまえは、おさかなよし(にんげんだと、おひとよし)の、おばかさんだ。さかなのせかいは``じゃくにくきょうしょく``だぞ。ちいさいころ、めだかのがっこうでならわなかったのか、おばかさんよ」といいました。そしてつぎのしゅんかん、なまずは、ふなの、いっしゅんの「すき」をついて、みーちゃんをいきなり「ぱくっ」とたべてしまいました。それはいっしゅんのできごとでした。みーちゃんのさいごでした。みーちゃんは、しんでしまったのです。

 なまずは、おなかがすいていたので、いっきにくちのおくまで、みーちゃんをすいこんでたべたので、すこしうごいたとき、つりばりが、くちのなかにひっかかりました。なまずは「しまった!!」と、おもいましたが、あとのまつりです。にげようとして、なまずは、ひっしにおよぎました。にんげんは、きゅうな、おおきなひきにおどろき、あわてて、さおをあげました。しかし、なかなかひきがつよくてあげられませんでした。あくせんくとうのけっか、ようやくつりあげました。かわのなかのふなは、なまずが、にんげんにつりあげられるようすをみていて「ばかなのはどっちだ。にんげんのわなにはまりおって。ぼくはいそいでたべないでよかった。よわいさかなも、ときには、とくをすることがある、ということがわかった。むかしから、あわてるこじきはもらいがすくない、ということわざを、なまずはしらなかったようだ」とおもったのでした。いっぽう、にんげんは「なまずだったのか。どうりでひきがつよいとおもった」といいました。

 そんなまわりのようすのふんいきが、えさばこのなかに、つたわってきました。すけごろうおじさんは「とうとうみーちゃんも、さかなにたべられたようだ。かわいそうに。これからだったのに。これをしったら、とうちゃん、かあちゃんはどんなにか、かなしむにちがいない。なむあみだぶつ。なむあみだぶつ・・・・」と、ねんぶつを、となえました。すけごろうおじさんは、みみずにはめずらしい、しんじんぶかい、みみずでした。ねんぶつを、となえおえると「こんどは、わしらがさかなにたべられるばんだ。おれはいい``みみずせい``(にんげんだと、じんせい)だった。こうかいすることはない」とおもいました。そしてしばらくすると、にんげんが「きょうは、おおものがつれたので、つりをおわりにしよう」といって、えさばこのなかにはいっている、のこりのみみずを、かわになげこみました。すけごろうおじさんみみずと、なかまのみみずたちは、かわのなかにしずんでいきました。しばらくすると、ふなや、そのたのさかなが、そこにやってきて、みんなたべられてしまいました。

 いっぽう、たいひのなかに、すんでいる、みーちゃんのとうちゃんと、かあちゃんは、ゆうがたになっても、みーちゃんがかえってこないので、しんぱいで、しんぱいで、ふあんでした。そんなしんぱいしている2ひきのところへ、きんじょの、したしくしている、とうちゃんの、のみともだちの、じんすけみみずが、やってきて「じつは、みーちゃんは、あさに、にんげんにつかまってしまった。どうも、すけごろうおじさんもいっしょにつかまったみたいだ」と、2ひきにいいました。かあちゃんは「え!! なんてことに!! みーちゃんが、さんぽに、でかけるといったとき、むりにでもとめればよかった。にんげんには、きをつけるようにと、よくいいきかせておけばよかった。かわいそうに」といって、なきじゃくってしまいました。がっくりと、かたをおとしたとうちゃんは、かなしそうなちいさいこえで「じゃあ、そうしきをしないといけないなぁ」と、ぽつりと、ひとこといいました。とうちゃんは、それをいったきり、あとはなにもしゃべりませんでした。

そしてよくじつに、みーちゃんと、すけごろうおじさんの、ごうどうそうぎが、とりおこなわれました。そんなごうどうそうぎのなか、みみずたちは、くちぐちに「われわれは、てきにたいして、なんの、はんげきしゅだんもない。ただ、あばれることしかできない。これからは、はんげきするきょうりょくな``ぶき``をつくり、てきを、いあつしなければならない。そうしないと、てきになめられ、さいごには、ころされてしまう。しぜんさまにこのことをねがいでて、ぶきのけんきゅうに、ちゃくしゅするきょかをもらおう」といっていました。にんげんは、そんなことが、たいひのなかで、みみずたちによってぎろんされていることなど、まったくきがつきませんでした。      おしまい  

※ しょうらいみみずは、きょうりょくな、ぶき(もうどくなど)をみにつけ、にんげんを、やっつけるようになるかもしれません。もうどくを``み``につければ、にんげんは、こわくて、みみずをつかまえるひとはいなくなるはずです。そのけっか、みみずはいきものの、えさなどにされず、ながいきできるのです。みみずといっても、わたしたちは「いのち」という``いめーじ``は、わきません。しかし、みみずも、けつえきが、ながれている、りっぱなちいさな「いのち」なのです。「いのち」をかんがえるとき、たまには「みーちゃん」の「いたみ」もおもいだしてみてください。

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